2020年8月
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2020年8月12日 (水)

871.北九州市の完訪について

今回の遠征により、九州地方の北東の角である北九州市を完訪しました。全155局であります。

九州地方の郵便局の第1歩は、JR小倉駅内にあった小倉駅前郵便局の訪問でした。(現在は、駅前に移転しています。)H28(2016)12.8のことでした。その12日前の11.27に私の還暦を迎えていて、還暦記念に福岡県と山口県への初訪問を目指した際の1局目でした。

その際には、北九州市内の全7区をつまみ食いする局メグを実施し計22局廻りました。若戸大橋と関門トンネルを実走できたことに、感激したものでした。(NO.497 参照)

Photo_20200811174201 その後、H30・11.9に京都郡・行橋市を廻った最後に小倉南区で9局、同年同月の11.29に若松区などを18局、翌11.30に宮若市・中間市などを廻った最後に八幡西区で16局廻っており、ここまでで北九州市内は42%65局となっていました。

昨年6.28には門司区から小倉北区・小倉南区を一気に39局廻り、これにより67%104局としておりました。

今回の遠征では、初日は小倉市街地のレンタサイクルによる訪問と、二日目はレンタカーにより小倉南区・戸畑区・八幡東区・八幡西区などの34局を廻り、残る4局を最終日に訪問して、完訪としたのでした。

先の小倉駅前局の第1歩が九州地方の第1歩でもあるのですが、九州地方としては、この3年8ヶ月の間に福岡県485・佐賀県79・長崎県9・熊本県199・大分県94・宮崎県90・鹿児島県271の計1,227局まで攻略を進めることが出来ました。還暦後の成果でもあります。

もちろん、これで満足するものではありませんので、九州地方への訪問は、今後も粛々と進めていくことになります。

※写真は、北九州市内での最終局となった折尾日吉台郵便局。

2020年8月 9日 (日)

870.北九州遠征のご報告

7月最終週の青森遠征に続いて、8月第1週は北九州遠征を実施しました。

2泊3日の遠征が2週連続となったのは、7月最終週の1週間前が週後半の4連休を含む週で、これを回避するために最終週に繰り下げ、また8月第2週には‘お盆休み’という名の夏休み期間となり、これを避けるために前倒しした結果、2週続けての遠征となったのでした。

8月に入って、ようやく梅雨明けしたため、猛暑の中での局メグとなりましたが、暑さ厳しき中を概ね予定通りの行程をこなすことができました。

初日は、小倉市街地をレンタサイクルで13局廻るだけの行程でしたので、通常は浜松駅西行き一番の新幹線にて、小倉駅には10:30には到着するところを、2時間も遅い便で向かい、小倉駅には12:13に到着しました。

Photo_20200811174001 小倉駅北口にて、電動アシスト付きのレンタサイクルを借りて、小倉市街地へ漕ぎ出したのでした。車では廻りにくいと思われる地域を温存しており、暑さ厳しき中を半ば‘やけくそ’のように廻ったのでした。たったの13局でしたので、時間に余裕がありましたが、夏場のレンタサイクルで、時節柄のマスク着用とあって、その消耗は半端ないものでした。

15時半には終了し、レンタサイクルを16時過ぎに返却して任務終了。エキチカで早めの食事をとり、宿泊地の東横インに引きこもりました。

青森遠征での2泊も東横インであり、今回も初日の東横インと二日目のルートインの計4泊分は、GoToトラベルキャンペンにより35%の還付を受けるという、思わぬご褒美もありました。(手続きは8/14以降)

二日目と最終日は、レンタカーで北九州市内と水巻町・鞍手町・宗像市・岡垣町への局メグです。

二日目は、小倉南区南部・戸畑区・八幡東区および八幡西区中部で34局でした。すなわち、すべて北九州市内です。

最終日は、八幡西区西部4局で北九州市内の全155局を完訪としたあとは、水巻町・鞍手町・宗像市・岡垣町での18局を廻りました。宗像局ではコロナ感染者が出たため、窓口業務をストップしていて、やむなくATM貯金で済ます事態になりました。まさに、今どきの局メグであります。

14時過ぎに岡垣町の吉木局を廻ることで終了し、それより西側の局は今年2月に訪問済みですので、レンタカーを借りた小倉駅には15:30には戻ってきました。小倉駅17:26発の便を16:31発の便に変更して、自宅へは21時には戻ることができました。

これにて、福岡県における日本海側、すなわち響灘・玄界灘沿いの沿線市町では、大票田の福岡市を残してひととおり廻ることができました。

次の記事では、北九州市内の攻略の記録を紐解いてみようかと思います。

※写真は、小倉城。

2020年8月 5日 (水)

869.青森遠征のご報告-その2-

最終日は、弘前市近郊の局メグです。この日も晴れベースの天候でしたが、津軽富士(=岩木山)の山頂部には、常時雲がかかり、その全容を拝むことは出来ませんでした。

津軽地方最南部の碇ヶ関局より弘前市南部を少しかすめ、相馬・西目屋・岩木と岩木山山麓を廻り、その後弘前北部を経て、藤崎までの27局でした。

帰りの新幹線の時間の都合で局メグを15:15に切り上げて戻ることになっていたのですが、川部和泉局訪問後に陸奥常盤局に入り、番号札まで取ったのですが、前の客に時間がかかるとのことで、この局の貯金は未遂に終わりました。

Photo_20200803154101 ということで、今回は青森県の津軽地方を72局廻ることができ、昨年秋に初訪問して7局のみであった青森県は11倍増の79局といたしました。

尺が余っているようですので、トピックスを少々。

初日の2局目の松丘簡易局はハンセン病療養所内の局ですが、所内から、しばらく進んだところにあり、途中で職員に経路を訪ねたところ、部外者の入所はできないのではないか?と言い出され、何とかごまかして目的の場所までたどり着きました。これにより、全国で10箇所あるハンセン病療養所内の簡易局は完訪となりました。

また龍飛岬展望台では、訪問者が私一人のみで、軽自動車でお土産を売っていた地元のおばちゃんが、私になんとかお土産を買わせようとして、猛烈にアタックしてきました。根負けして、シジミの味噌汁とホタテ入り菓子を購入してしまいました。

二日目の行程終了後、弘前城の写真を撮ろうと、城の周囲を一周しましたが、あいにく周囲からは城が眺められる所がありませんでした。レンタカー返却時間も迫っていたため、今回は諦めました。

風景印も少しづつ集めはじめており、初日は袰月局と龍飛岬局、二日目は車力局と木造局、三日目は弘前桔梗野町局と岩木局にて、それぞれポスト型はがきの購入とセットで収集いたしました。

※写真は、五所川原市金木町の太宰治生家・斜陽館。

2020年8月 2日 (日)

868.青森遠征のご報告-その1-

7/28~30に‘たっぷり青森’遠征を実施してきました。

出発日には梅雨前線による大雨が新潟・山形・秋田を襲い、道中の東北新幹線は予定通りであったものの、山形新幹線・秋田新幹線は運休となっておりました。幸いにも青森県は梅雨前線の北側であったため、三日間ともに晴れの良い天候に恵まれました。

初日は、新青森駅に11:19の定刻に到着し、レンタカーにて龍飛岬を目指しました。曇り空でしたが、5~10㍍近くの強風でした。これが‘やませ’というものであると、各局で説明を受けました。

15局を廻り、この日の最終局でもある目的地の龍飛岬郵便局には15:40過ぎに到着しました。あらかじめ用意していた暑中見舞いはがきを、風景印押印の上出していただくよう局長にお願いしておきました。35通ほど出す予定でいたのですが、コロナ第二波の最中に、旅をすることに対して批判を受けそうな同級生や恩師などへの分を取りやめにし、同業者の方への18通のみに絞り込んで出しました。

Photo_20200802162701 その後は、龍飛岬からの眺望・階段国道・津軽海峡冬景色歌謡碑などを見学し、新青森駅に引き返しました。レンタカー会社も経営が苦しく、時短営業をしており、18時には返却しなければなりませんでした。

二日目は快晴です。最高気温は28℃ほどでした。五所川原市北部の毘沙門簡易局を1局目として、中泊町・旧市浦村・つがる市を鋭意廻ってきました。森田局までの30局でした。

最初の頃に廻った五所川原市金木町の有名人といえば、太宰治と吉幾三です。金木町の街中に太宰の生家・斜陽館があり、写真撮影だけはしておきました。

また、つがる市木造町の木造駅舎は、巨大土偶のモニュメントが鎮座しており、ここも写真に収めておきました。

青森県津軽と言えばリンゴ畑なのですが、二日目に廻った地域では、見渡す限りの田園地帯と砂地でのスイカ・メロン栽培であり、リンゴ畑は藤崎町以南の三日目に廻る地域での農作物であることを学びました。

ということで、最終日の内容と今回の遠征のまとめは次号にて。

※写真は龍飛岬郵便局。津軽海峡冬景色では、‘北のはずれ’としておりますが、下北半島大間崎の方が本州最北端であり、龍飛岬郵便局のお宝ゴム印では‘本州極地’と表記しておりました。

2020年7月30日 (木)

867.日曜劇場『半沢直樹』(続編)がスタート

平成の民放ドラマ史上第一位の視聴率42.2%(最終回)を稼いだ『半沢直樹』が、7年の時を経て帰ってきました。

今年4月からのスタートの予定が、新型コロナの影響により3ケ月以上スタートが遅れ、7/19からの放送開始となりましたが、初回第一話22.0%、第二話22.1%と、予想通りの視聴率をとり、好調発進をしております。

本ブログでは、前作の『半沢直樹』については NO.196 にて、その原作『オレバブ』と『花バブ』については NO.204 にて触れております。

Photo_20200727140701 その続きとなる今回のドラマの原作は『ロスジェネの逆襲』及び『銀翼のイカロス』であります。

先の『半沢直樹』ドラマにハマってしまって以降、池井戸ファンになっており、当然のことながら『・・・逆襲』『・・・イカロス』は、『オレバブ』『花バブ』に続けて一挙に読了しているどころか、『下町ロケット』シリーズや『ルーズヴェルト・ゲーム』『七つの会議』なども読了しております。

今回のドラマを観るにあたって、『・・・逆襲』『・・・イカロス』を敢えて再読することはやめておきました。

それは、この両作品には登場しない香川照之演ずる大和田暁が、今回の続編にも登場しているため、原作からの改変が行われているであろうことが想像できるからです。

すでに第二話では、「お・し・ま・い DEATH!!」などという、流行語大賞候補となりうる新語が大和田の口から飛び出しており、大和田と半沢との攻めぎあいが、どのように進んでいくのか目を離せない状況になってきました。

物語の大きな流れは原作に沿っていくことでしょうが、視聴者が求める「勧善懲悪」に向けて、どのような刺激あるぶつかり合いが繰り広げられていくのか、期待は高まるばかりです。

こうして、毎週日曜の夜の楽しみが続いてゆくのです。

2020年7月26日 (日)

866.三浦春馬さんの死

若手俳優の三浦春馬さんが7/18に死去されました。享年30歳。自死でした。

筆者・稲生とは親子以上に年齢が離れており、彼の出演作品のほとんどは見ていないのですが、遠州地方を舞台にしたNHKの大河ドラマ『おんな城主・直虎』において、主役の井伊直虎の許婚で、わけあって夫婦になれなかった井伊直親役を演じていて、とても印象に残っていました。

井伊直親の子が徳川四天王のひとり井伊直政であり、直政の活躍により、井伊家は彦根藩主・譜代大名としての地位を得たのです。

Photo_20200725221901 井伊直親は、井伊家家老・小野政直の讒言により父・直満が今川義元により誅殺されると、8歳にして信州に逃げ延びたのち、19歳で井伊家への帰参がかない井伊家の家督を継いだものの、またもや家老・小野政次の讒言により、徳川家への内通の疑いを掛けられ、申し開きのため駿府へ向かう途中に掛川城下にて、今川家家臣の朝比奈氏に斬殺されてしまったのです。(享年27歳)

本ブログでは、NO535 にて直親の墓を、NO.507 にて三浦春馬さんを含む出演者の写真を掲載しております。

三浦春馬さんの死去の報を受けて、翌7/19に直親の墓にお参りしてきました。その後、写真を撮りに7/21に再び訪れると、墓を掃除している地元の方(女性)に、話を聞くことができました。

井伊家の菩提寺である井伊谷の龍潭寺の墓から分骨されて、直親が住んでいた祝田(ほうだ)集落に墓があり、昭和49年の七夕豪雨により墓が流され、その後、現在の都田川右岸土手に面した場所に墓を移設したとのこと。

周囲には何もなく、ひっそりと直親の墓だけがあり、薄命の春馬さんと共通するような寂しさ、侘しさを感じました。

2020年7月22日 (水)

865.新潟・山形‘落ち穂拾い’遠征-後半-

続いて、新潟・山形‘落ち穂拾い’遠征の二日目の話です。

ところで‘落ち穂拾い’&‘マルチ捕り’遠征では、すでに完訪している府県への領地巡回のような気持ちになるものです。

すなわち、初めて向かう場所ではないため、色々と懐かしい気持ちを感じながら、車を進めていく感覚になるのです。いま見ている景色も、次に展開していく景色も、すべてが一度見たことがある景色であるのです。

さて二日目は、新発田市の宿泊地から約124㌔・2時間30分ほどかかり、鶴岡市南部の青龍寺簡易局に到着しました。(10:50から11:10)

一時閉鎖中だった簡易局が今年5.18に再開したものですが、この時はコロナによる全面自粛の最中であり、再開を告知すると集まりすぎる懸念があり、集落内への告知すら自重するほどだったそうです。詳しくはわかりませんが、再開日の延期もできない難しい状況下の開局だったようです。

Photo_20200720042201 これで、初日の新潟県に続き、昨年10.31に完訪したばかりの山形県も、2回目の完訪としました。

この後、山形県内を縦断して、福島県も素通りをし、栃木県那須町の小島局を目指しました。約270㌔・3時間40分(休憩込み)かかりました。(14:50着)

山形道から山形JCTにて東北中央道に分岐して福島JCTで東北道に繋がっていました。東北中央道については、3年前に鶴岡から同じように帰って行った時は、まだ未開通区間もあったのですが、この区間はいつの間にか全線開通していたようです。

小島局にて‘07’マルチをゲットしたのち、約42㌔・55分ほどで最終局の茨城県大子町の大子佐原局に到着しました。(15:45着)このあたりの道を進むのも、領地巡回の気分であります。

大子佐原局で‘06’マルチをゲットして、今回の遠征における目的をすべて完了いたしました。すなわち、新潟・山形両県の2回目の完訪と、両県および埼玉・群馬・栃木・茨城の6県の計6個のマルチをゲットしたのです。

帰りは、途中で給油をしたのち矢板ICまで戻り、東北道・圏央道・東名道・新東名道で自宅には約415㌔・6時間ほど(休憩込み)かかりました。海老名JCTあたりから雨が強くなり、慎重な運転に心掛けて進んで行きました。

聖地巡礼ならぬ領地巡回の旅は、年間では数回執り行う儀式なのかもしれません。完訪を果たした府県への旅は、それなりに感慨深いものでもあります。

※写真は、青龍寺簡易郵便局。

2020年7月19日 (日)

864.新潟・山形‘落ち穂拾い’遠征-前半-

当地のお盆明けの7/16・17にて、新潟県4局・山形県1局の都合5局を刈り取るための‘落ち穂拾い’遠征を実施しました。

具体的には、新潟県中越地方の十日町市に2局、約150㌔離れた下越地方の胎内市に1局、さらに約40㌔以上離れた村上市の山奥に1局を初日に廻り、宿泊後、山形県庄内地方の鶴岡市に発生した1局を拾う旅でした。

これまで、‘落ち穂拾い’については、極力日帰りで対応するのですが、遠く日本海側では、さすがに日帰りでは厳しく、泊りがけでの‘落ち穂拾い’となりました。

泊りがけと決めた以上は、時間を有効利用するべく、初日の十日町市の前に埼玉・群馬の‘マルチ捕り’、二日目の鶴岡市の後に、栃木・茨城の‘マルチ捕り’を入れ込み、結局、目一杯の行程となりました。

早朝4時に自宅を出発し、新東名道・東名道・圏央道・関越道を進み、途中で多めの休憩を取りつつ9時になるのを待って、埼玉・群馬県境近くの上里三町局・藤岡芦田町局を拾っていきました。

Photo_20200719033101 藤岡ICより再び関越道に乗り、六日町ICで下車して山越えで十日町入りをし、1局目目の十日町川治局へは11:20頃到着しました。約133㌔・2時間ほど(休憩込み)かかりました。

十日町川治局は、9年前から一時閉鎖中の簡易局を廃止して、新しく設置した直営局です。風景印は設置して無かったものの、オリジナル絵はがきが3枚セットで販売しており、それを購入しました。2局目の越後水沢簡易局へは6.6㌔・10分足らずで到着しました。

越後水沢簡易局は、直営局の越後水沢局を2.29に廃止して、簡易局として3.3に開局しています。若い受託者さんでしたが、たまたま同じ水色のフィットであったせいか、その話を皮切りに話が弾み、ベテランメグラーと認識された私・稲生に、色々と質問をしてきました。わかる範囲でメグラーの心情を吐露してきましたが、それでよかったのでしょうか?ともかく、20分ほどの長めの滞在となりました。(11:45から12:20)

ここから3局目のあかね町局までは、約150㌔・2時間15分(休憩込み)かかりました。あかね町局は昨年11.11の移転改称でしたので、飯田風越局のことを話してみましたが、反応はいま一つでした。自分の所に関係ない話には、興味が湧かないようです。(14:40から50)

最後に、村上市の旧・朝日村にある高根簡易局へ向かいました。約42㌔・50分かかり15:40には到着しました。ここは、私が新潟県を完訪した一昨年10.5の1ヶ月半後の11.20に、一時閉鎖中の簡易局が再開したものです。ここでも、15分ほどの無駄話をしてきました。お土産に‘ずんだ餅’もいただき、これは宿泊先の部屋で美味しくいただきました。

事前の予習では、最後の高根簡易局は、初日に廻れるかどうか微妙だったため、新発田市に宿泊先を予約してあり、来た道を戻る形になりました。

翌日の話は、次回に続きます。

※写真は、越後水沢簡易郵便局。

2020年7月15日 (水)

863.青森県の地域区分

今月下旬に‘たっぷり青森’を予定しており、それに伴い青森県の地域区分を作成してみました。

大区分としては、津軽と青森・南部の3区分であります。本来は、津軽と南部の2区分でありますが、津軽が大きくなりすぎていますので、東津軽郡エリアの青森を一つの区分として3区分としてみました。

Photo_20200714111401 すなわち

津軽:北津軽29・西津軽43・弘前44・南津軽23:計139

青森:青森66:計66

南部:下北30・上北49・八戸43・三戸24:計146

であります。

青森県は平成の大合併の際に、なかなか面白い合併をしている事が判りました。

北津軽エリアでは、中泊町の真ん中にある旧・市浦村は五所川原市に編入合併をしてますし、南津軽エリアでは、大鰐町の南側にある旧・碇ヶ関村が、道路が繋がっていない旧・平賀町、旧・尾上町とともに平川市を形成し、旧・浪岡町は南津軽エリアにもかかわらず東津軽エリアの青森市に合併しております。

東津軽エリアでも、今別町は外ヶ浜町と一緒にならず、そのため外ヶ浜町は分離されてしまっています。それぞれの町村には、それぞれの事情があるのでしょうが、マニアには堪らない事象であります。

さて、今回の青森県の地域区分作成により、北海道と沖縄県を除く地方の地域区分が完成したことになります。(記録室・その16 参照)

2020年7月11日 (土)

862.長崎県の地域区分

‘たっぷり長崎’遠征を中止・延期としましたが、とりあえず事前に準備していた長崎県の地域区分を示したいと思います。

Photo_20200705154801 大区分としては、長崎市を中心とする県南と、佐世保市を中心とする県北、および五島・壱岐・対馬を合わせて島嶼としました。

県南:長崎市84・西彼杵28・諫早市28・島原52:計192

県北:東彼杵26・佐世保市74・北松浦44:計144

島嶼:五島51・壱岐14・対馬36:計101

であります。

長崎県の場合、何といっても島嶼部の攻略をどうするかが重要であります。島々を渡るには、それぞれの渡船を使う必要があり、中々ボリューム感があり、それでいて一つ一つ確実にこなしていかなければならず、これを全うするためには、今後足しげく長崎方面に通い詰めていく必要があります。それはそれで、楽しみであり、苦しみでもあります。

2020年7月 8日 (水)

861.長崎遠征も中止としました。

7/7からの長崎遠征も、やむなく中止・延期といたしました。

出発前夜の7/6の19時頃までは、旅支度を整え準備万端だったのですが、九州北部の福岡・佐賀・長崎3県の複数の市町村に‘大雨特別警報’が出されてしまい、旅の三日間ともに雨予報が続くということで、長崎遠征を断念することにいたしました。

私が廻る予定の島原半島地方には、特別警報が出ていませんでしたが、スタートとなる諫早市には出ていて、何より長崎本線の特急かもめが肥前山口駅でストップしていたのです。つまり、局メグのスタートを切ることが出来ないのです。

7/6の20時少し前に中止を決断し、まずは宿泊先とレンタカーのキャンセルをしました。電話とネットでの取消で、キャンセル料は発生しませんでした。

新幹線のチケットの払い戻しは、地元JTBの支店で購入しており、そこでしか出来ないため、翌日7/7に手続きをしてきました。

幸いにも、特急かもめが7/7の始発から運休している関係で、博多駅までの新幹線は多少の遅れのみであったにもかかわらず、全行程において自然災害による払い戻しが適用されて、取消料が一切発生せず、全額払い戻しとなりました。

これにより、3月・4月のコロナ禍による旅行中止から、今回の災害中止まで、一切キャンセル料がかからないという、不幸中の幸いな現象となり、ホッと胸をなでおろしております。

長崎遠征は8月下旬に延期することにいたしました。事前のコース作成から、直前の確認まで済ましておりましたので、このまま来年へまわすのは、口惜しい事でしたので、1ヶ月半遅れのリベンジといたしました。

7/7からの2泊3日の行く先を決めるうえで、『七夕豪雨』というキーワードを忘れていて、この時期に西日本を選択したのが、大きな間違いでした。この後、7月最終週に青森遠征をする予定なのですが、7/7からの遠征と差し替えておけばよかったと、反省しております。

私の高校生のころに、浜松にも『七夕豪雨』がありましたし、何年か前の西日本豪雨や九州北部豪雨など、七夕の時期には梅雨末期の大雨が、西日本を中心に毎年のように出現することを、還暦を過ぎたものが覚えていなかったことを、深く反省するものでありました。

とはいっても、のど元過ぎればなんとかで、来年も同じようなミスをしてしまっているかもしれません。そのことが事前に察知された方は、一言アドバイスをしていただければ幸いです(笑)。

2020年7月 7日 (火)

860.大分・熊本遠征から長崎遠征へ

7月上旬の遠征は、大分・熊本遠征を予定していましたが、下記のような理由により、長崎県島原半島遠征に変更いたしました。(※2)

NO.853でも触れたとおり、コロナ禍による自粛の影響により、長崎遠征は来年に持ち越しとしておりました。

7月上旬の遠征は、大分県国東南部・玖珠より、熊本県小国・阿蘇方面を予定しており、往路・中部国際空港から大分空港、復路・熊本空港から中部国際空港の飛行機手配は、NO.853の記事を書き込む前の6/8に完了しておりました。

飛行機を手配し、レンタカーを手配し、宿泊先を手配した後に、遠鉄の空港バスを手配しようとすると、なんと4/11より全面運休となったままじゃありませんか。これはビックリ。

飛行機手配の場合、一度ポチッとしたあとにキャンセルするとなると、搭乗日27日前から14日前の場合、取消手数料が半額かかってしまいますので、早々と諦めるわけにはいきません。(別に、払戻手数料1枚につき440円)

中部国際空港(セントレア)行き空港バスに乗る場合、自宅から浜松西インター駐車場までマイカーで25分かけて進み、3日間マイカーを駐車場に置いて(@500)おくのですが、仕方がないのでマイカーにてセントレアまで約1時間35分かけて進み、セントレア駐車場に3日間置くことにしておきました。(@2,400:身障者割引)

ところが、次なる試練がやってきたのです。ちょうど島根遠征から帰ってきた翌日の6/19にANAよりメールが届き、熊本・中部便がコロナ禍による需要減により欠航とのこと。復路の足が断たれたのでした。

別の時間帯の便は割高であり、仕方なく新幹線で帰ることを考え、それも浜松に帰るのではなく。セントレアに帰るという、超変則なプランを考えてみるとともに、復路が欠航ならば、往路をキャンセルしても取消手数料はかからないのではないかと問い合わせをすることにいたしました。

電話が混みあっており、メールで問い合わせたところ、6/22に回答が来て、取消手数料はかからないとのこと。遠鉄空港バスの運行開始の報を待っていたこともあり、二日間ほど保留にしたのちに、6/24に往路もキャンセル、レンタカーキャンセル、宿泊キャンセルをいたしました。結局、すべてにおいて、取消料は発生しませんでした。

何もそこまで苦労して、大分・熊本遠征にこだわることもないのではないか。別の方面への遠征に切り替えれば良いのだ。そういう考えに至り、来年に持ち越しとしていた長崎遠征に変更することにいたしました。さっそく6/24にレンタカーと宿泊先の手配を、6/26に新幹線・在来線特急の手配を完了したのです。

長々と書いてきましたが、本日7/7より9までは、長崎県島原半島の2泊3日の局メグ旅行に行って参ります。なお、当初の大分・熊本遠征は、この秋・冬にでも何とか実施できないか、スケジュール調整をしているところであります。

※1.この稿でいう大分・熊本遠征と3月に中止した大分遠征は、違う行き先のものとなっています。前者の大分・熊本遠征が玖珠・小国・阿蘇方面で、後者の大分遠征が別府・津久見・竹田方面であります。紛らわしいのですが、よろしくお願いします。

※2.その長崎島原遠征も、九州北部に大雨特別警報が出されているため、今回は中止としました。詳しくは、明日の記事にて。

2020年7月 4日 (土)

859.神奈川・千葉の‘落ち穂拾い’&‘マルチ捕り’のご報告

梅雨の晴れ間となった7/2(木)に、神奈川県と千葉県の‘落ち穂拾い’及び‘マルチ捕り’の局メグを実施してきましたのでご報告いたします。

神奈川県と千葉県には、3/16と4/27に、それぞれ移転改称した直営局があり、コロナ自粛解除後の良き日に訪問すべく時期を窺っておりました。そして両県においては、ともに2つの‘マルチ’があるため、それも拾っていく行程を組んで臨むことにいたしました。

1局目は、小田原市東部に発生した移転改称局・小田原国府津局です。(国府津駅前局が3/16に移転改称)神奈川県・千葉県ともにコロナ予防対策として、10時からの時短営業がなされており、新東名高速の駿河湾沼津SAで長めの休憩後、箱根路ドライブを進めつつ、開局時間調整をして訪問しました。(10:05)

Photo_20200704040601 前述の小田原国府津局が‘02’マルチですので、神奈川県に付与されたもう一つの‘09’マルチのうち、秦野市の渋沢駅前局をチョイスし約16㌔35分ほどかけて、2局目として再訪しました。ここの局へは16年ぶりの再訪でありました。(10:50)

ここから、東名高速・首都高・アクアラインなどを経由して千葉県に入り、まずは千葉県の‘10’マルチが付与されている袖ケ浦さつき台局を3局目として再訪しました。休憩込みで約100㌔2時間10分かかりました。(13:10)

千葉県の‘10’マルチは、9局しかないレアなマルチで、そのほとんどが千葉県北東部の東葛地域と千葉市・市原市にしかなく、袖ケ浦さつき台局は‘10’マルチの南端にある局であります。

4局目として、睦沢町に発生した移転改称局・上市場局に休憩込みで約41㌔1時間15分をかけて向かいました。(瑞沢局が4/27に移転改称)瑞沢局時代には風景印を配備していたのですが、上市場局としては配備がなく、千円貯金以外は何もしませんでした。(14:35)

以上の4局でこの日の予定を終了しました。神奈川県は10回目、千葉県は11回目の完訪となりました!

千葉県内で興味があったのは、香取市の伊能忠敬記念館か銚子方面の銚子電鉄でしたが、どちらも微妙に時間が足りないので、これらの訪問を断念し、真っすぐ自宅へ戻ることにいたしました。途中の海ほたるPAには立ち寄りましたが、自宅へは19:30ごろには到着しました。

※写真は、睦沢町の上市場郵便局。

2020年6月30日 (火)

858.浜名地区の紹介-その2-

続いては、浜名地区の詳細について、お話しいたします。

小松・内野・平口の3つの大字においては、小松が一番発展してきました。浜北区内を南北に走る二俣街道と、同じく南北に走る遠鉄電車の小松駅があり、浜北区の中心地である貴布祢(北浜地区)にも隣接しており、浜名地区の盟主の地位は揺らぎないものでありました。

ところが1960年代後半より、内野地区の西の丘陵地には、‘浜名ニュータウン’なる分譲地が完成し(行政名は内野台)、国道バイパスが内野・平口地内を縦断していき、さらに21世紀に入り、内野台のさらに西の丘陵地に‘きらりタウン’なる大規模分譲地(行政名は染地台)が大きく形成していくにつれ、浜名地区の重心が東に位置する小松から、西へ西へと移動することとなりました。

2_20200627153601 浜名地区の東のはずれに配置されていた浜名中学校では、人口急増の染地台からの生徒がとっても多く、さらなる将来的な生徒増加に対処すべく、H30(2018)年4月には、国道バイパス沿いに移転しました。それでも、浜松市内市立中学校・全48校中の第1位の生徒数である858人(R2.5.1現在)となっており、近い将来には各学年が10クラスを超えることになりそうです。

また、すでにS58(1983)年には、内野・内野台地区を新しい学区として内野小学校が分離開校していましたが、染地台の人口急増のため浜松市内市立小学校・全96校中での児童数ダントツ1位となる1,425人(R2.5.1現在:2位は蒲小学校1,042人)を数え、その登下校の様子は圧巻であります。

きらりタウン内の2丁目に小学校用地が確保されており、仮称・染地台小学校の開校は、待ったなしの状況ですが、今のところ今年度に動きはないようです。

参考:浜北区人口内訳 北浜地区39,720人、浜名地区24,736人、中瀬地区12,206人、赤佐地区11,854人、麁玉地区11,198人:合計99,714人(2020.1.1現在:浜松市HPより)

さらに参考:浜名地区人口内訳 小松7,417人、平口2,834人、内野3,152人、内野台4,088人、染地台7,245人:合計24,736人

最後に、無理やり郵便局の話にこじつけますが、北浜地区・直営局3、中瀬地区・直営局1簡易局1、赤佐地区・直営局1簡易局1、麁玉地区・直営局1の配置に対し、浜名地区・小松に直営局1、内野台に簡易局1となっており、染地台への郵便局設置は必定となっております。

2020年6月27日 (土)

857.浜名地区の紹介-その1-

今回は超ローカルな、お題で話しを進めてみたいと思います。

Photo_20200615172201 昔、小学校の副読本として「のびゆく浜松」というものがありました。郷土の発展を記したものでありますが、私の住む浜松市は、曲がりなりにも、平成19(2007)年7.1に政令指定都市になっており、「のびゆく浜松」の未来像に沿った形の発展を遂げております。

横浜市を第一位とする政令指定都市の人口ランキングでは第16位となっており、永遠のライバル・静岡市の第20位(ビリ)に対しても、少なからず(約10万人ほど)リードしているのです。

もっとも、浜松市・静岡市ともに、政令指定都市が施行された時よりも、1.5万人、2.0万人それぞれ減少しており、お世辞にも伸び盛りと言えるものではありません。

ところが、私の住む浜北区については、1.1万人増加しており、中区などの5区が減少する中で、唯一増加し続けている「のびゆく浜北区」となっているのです。

〔ここまでのデータ:上段の表を参照してください。〕

次に、浜北区の中の浜名地区について、話を進めていきます。出来るだけ判りやすく話しますので、どうか皆さん、ついてきてくださいね。

私が生まれた年でもあるS31(1956)年4.1(※)に浜名町・北浜村・中瀬村・赤佐村・麁玉村の5町村が合併して「浜北町」が誕生しました。人口は5万人規模だったようですが、市街地形成が十分でなかったとかで、7年後のS38(1963)7.1に、ようやく「浜北市」として市制施行をしました。(※私は、浜松市生まれ(現・浜松市中区)です。)

1_20200615172301 その後は、浜松市の衛星都市として順調に発展していき、政令都市構想の中で、天竜市などの10市町とともに浜松市に編入合併したのがH17(2005)年7.1でありました。

浜名地区とは、旧浜名町のことであり、S26(1951)年11.3に小野口村が町制施行する際に、改称して浜名町になったもので、この‘浜名’は、いわゆる広域地名であります。(借用地名とも言われる。多摩市・伊豆市などと同じ。詳しくはググってみてください。)

その元となった小野口村は、村内の小松・内野・平口の3つの大字の一つずつをとった合成地名であり、当時の大字は3つしかありませんので、判りやすい命名でありました。小野口村の前身に関係する小野田村・平貴村などの細かなことは、長くなりますので、この際割愛させていただきます。

で、浜北町・浜北市・浜北区における浜名地区の位置づけは、簡単にいうとNO.2であります。貴布祢・美薗などの北浜地区が人口・面積(山林部分を除く)及び市内の位置的にもNO.1の座についており、区役所などの主要な施設が北浜地区にあることには、まったく異議がありません。

浜名地区は、昔も今もNO.2でありますが、ここ何年か前より浜名地区の西端に‘きらりタウン’なる大規模住宅地が形成されてきており、浜名地区内や、ゆくゆくは浜北区内においても勢力地図が塗り替えられようとするほどに勢いを増してきております。

〔ここまでの記述:左の地図を参照してみてください。〕

その2 に続く。

2020年6月23日 (火)

856.島根遠征のご報告-その2-

今回の島根遠征では、直営局39局、簡易局28局の計67局でしたが、直営局はすべて‘お宝局名ゴム印’でした。

ですので、直営局では、局ごとのオリジナル絵柄の内容を聞く必要があり、簡易局では、ついついいつものように雑談が弾んでしまい、各局における訪問内容は濃いものになってしまっております。つまり、コロナ以前に戻った局メグでありました。

違っていることは、双方がマスク着用であることと、飛沫防止シート越しの会話であることぐらいでした。島根県ぐらいの田舎ですと、人柄がすごく良い方が多いので、こういったご時世であっても、いつもの楽しい局メグが出来たように思いました。

Photo_20200622215601 では、今回の島根遠征を振り返ってみましょう。

初日の1局目の今福局で、石見西部地方の‘お宝局名ゴム印’導入を知り、廻る楽しみが倍増しました。

5局目の安城局は‘やっピー’、二日目3局目の匹見局は‘わさまる’という地元ゆるキャラでしたが、二日目29局目の周布局のゆるキャラは、周布局のオリジナルキャラクターということで、‘すふまる’と私が名付けてみました。

最初のころの某簡易局では、他の簡易局の飛沫防止シートのことを、私に尋ねてこられて驚きました。その後、この防止シートについて注意して廻ってみましたので、最後のころに尋ねられたとしたら、的確に答えることができていましたが、その時はうまく答えられずに残念なことをしました。

最終日の某直営局では、今回の石見西部地区のイラスト入り局名ゴム印の一覧表を、局長よりいただき、答え合わせができました。局名の前の局ごとのオリジナル絵柄に加えて、局名の後ろに5つの部会ごとの統一絵柄があるのがとてもよいと思いました。

なお、江津市は大田市・邑智郡とともに石見東部地区になりますので、2年ほど前に‘お宝局名ゴム印’が導入されているものの、局名の前に各局オリジナル絵柄があるのみです。

三日目8局目の浜田神在坂簡易局は、貯金も17時までやってくれるありがたい簡易局ですが、コロナによる自粛のため、今回は16時までとなっていました。

また、4局目の浜田駅裏簡易局は、全国で唯一の駅裏局であり、随分前の話ですが、「はらたいらに千点」でおなじみのクイズダービーで出題されたそうです。この問題を作った方は、相当の郵便局マニアとお見受けしました。

さて、これにて石見国を完訪し、島根県の残りは、出雲国の松江市・雲南市に20局、隠岐国の西ノ島町に3局となりました。これらは、秋に刈り取りたいと思っております。

2020年6月20日 (土)

855.島根遠征のご報告-その1-

コロナ自粛緩和後、第二弾の局メグとして、山陰・島根遠征を6/16から18の三日間で実施しました。

当初は、次週の6/23~25の予定でしたが、6/25に所用が発生したため、1週間前倒しして実施しました。島根県は、自家用車で訪問することを決めておりましたので、頑張って行ってきました。

自宅を早朝4時に出発して、新東名道・伊勢湾岸道・新名神道・名神道・新名神道・中国道・浜田道にて約630㌔、途中の休憩込みで9時間かかりました。まだ自粛の動きの中であり、道路は空いていました。

初日は、当初の着手予定が14時だったのが、1時間ほど早くスタートできたため、予定の8局にプラス3局が出来て11局でした。浜田市の金城町・弥栄町及び三隅町であります。このプラス3局の前倒しが、二日目・三日目の行程にも大きく寄与することになりました。

Photo_20200622211601 天候の方は、梅雨の最中ではありましたが、初日は五月晴れ(最高気温29℃暑い)、二日目は晴れ時々曇り(最高気温25℃ちょうどいい)でしたが、三日目はさすがに終日の雨(最高気温22℃どんどん雨脚が強くなる)でした。

1局目の今福局で、いきなり‘お宝ゴム印’に遭遇しました。この4月から浜田市・益田市・津和野町・吉賀町からなる石見西部地区にも一斉配備されたそうで、局名の前には各局オリジナルの絵柄が、局名の後ろには5つの部会ごとの統一絵柄が配置されており、赤や青や緑色などのカラフルな色で押印していただき、通帳が色鮮やかで大変賑やかになりました。

益田市内宿泊後の二日目は、益田市匹見町・美都町及び益田中部・益田西部及び浜田南部で31局でした。31局中簡易局が15局もあり、天候も爽やかで、この日は特に楽しく廻ることができました。

局メグ終了後は、浜田城址や浜田市街地および道の駅なども見学したりして、浜田地区に親しみました。

浜田市内宿泊後の最終日は、浜田中部・国府及び江津西部・江津中部で25局で終了しました。そして、三日間では67局訪問により石見国の完訪となりました。

14:30頃の終了でしたが、これ以上、周辺部に未訪局はなく、雨脚も強くなってきましたので、早々に引き上げることにしました。もし天気が良ければ廃止された三江線の天空の駅・宇津井駅の訪問も脳裏に浮かんでいたのですが、それは断念することとなりました。

次の記事では、遠征の詳細について、もう少し掘り下げてお話しすることにいたします。

※写真は、初日に訪問した浜田市弥栄町の安城(やすぎ)郵便局。

2020年6月16日 (火)

854.三陸海岸沿岸の郵便局

先日(6/4)の気仙沼市内16局の訪問により、気仙沼以北の三陸沿岸地方の郵便局訪問をひととおり廻り終えました。

東北地方への初訪問が、今から10年前のH22(2010)年6月のいわき市内全83局(当時)であるほどの奥手であった私・稲生は、岩手県への初訪問も、今から2年半前のH29(2017)年10月でありました。

その時はまだ三陸沿岸へは到達せず、初めて岩手県の太平洋側に到達したのは次の訪問時であり、H30(2018)年6月に大槌・釜石・陸前高田を廻ってきました。たった2年前のことであります。

すでに東日本大震災から7年3ヶ月が経過していましたが、未だに仮設店舗で営業している郵便局もたくさんあり、震災後の復興の現実の厳しさも実感してきました。

昨年となるR1(2019)年5月には大船渡を廻り、同年11月には青森県階上町から南下して洋野・久慈・野田・普代・田野畑・宮古・山田まで一気に廻ってきました。

Photo_20200614160301 一方宮城県側としては、H30(2018)年3月に気仙沼の本吉地区を廻り、今回の気仙沼への訪問によって、気仙沼市以北への三陸沿岸部が青森県階上町まで繋がったのです。残る南三陸町・石巻市は、9月ごろには訪問できるかと思っています。

津波で甚大なる被害を被った沿岸部でしたので、それぞれの港湾では、メガトン級の防潮堤が入り江ごとに築かれておりました。これで100年に一度クラスの大津波に対しても、万全の備えが出来たようであります。

しかし弱点も見つかりました。毎年のように発生する豪雨への備えであります。山から海岸部まで一気に集中して降り出す大雨を海に流しきれずに、沿岸部に居を構えている集落に水害をもたらすのです。ちょうど巨大防潮堤がダムのように立ちはだかり、沿岸部集落がダム湖の中にいるようになり、随所に水害をもたらしているのです。

例えば、昨年11月の宮古市市街地南部の高浜簡易局では、局の周辺に土嚢が積まれており、どういうことかと尋ねてみると、先日の台風被害により山からの一気の豪雨が海に流れ切らずに、周辺の田畑を池のようにして、集落には床上浸水・床下浸水をもたらしたとのこと。このような状況に至ったのは、目の前にそびえるスーパー堤防が出来てからの現象であるとの説明を受けました。(当時の報告ブログ:NO.795参照)

そのときの台風とは、死者1,200人以上を出した狩野川台風並みのものがやってくるとの触れ込みで、静岡県東部に上陸して千葉県に抜けていったものの、長野県の千曲川沿いや福島県阿武隈川沿い、三陸地方沿岸部に被害をもたらした台風19号のことです。(台風19号の死者は86人)

宮古市街地の閉伊川南岸部にある宮古小山田局も、H28(2016)年に移転新築したばかりの局舎が床上浸水となり、訪問時も一時閉鎖中でありました。すなわち、この局は‘落ち穂’として残ってしまっております。普代村の堀内(ほりない)局も裏山が崩れ、20日ほど閉鎖されていたようです。

田野畑村の島越局が来年の再開するとの情報があり、また前述の宮古小山田局への‘落ち穂拾い’もあり、まだまだ三陸沿岸への訪問は、完全には終わっておりません。

※写真は、いまだ仮設で営業していた山田郵便局。19.11.20訪問。

2020年6月12日 (金)

853.2020年の年間プランの修正

2020年は、東京オリンピックイヤーとして、躍進すべき輝かしい年になるはずでしたが、予期せぬコロナ禍になってしまい、趣味の郵便局めぐりも慎重に進めるしかない状況になってしまいました。

実は2020年の年初には、早くも年間プランを発信しておりました。すなわち 1/2ブログで『島根・宮城』について、1/5ブログにて その他の地域を含む年間プランについて発表しております。

そして、ここまで4つの遠征を中止してしまっております。3月上旬の大分遠征、3月下旬の山口・広島遠征、4月上旬の宮崎遠征、4月下旬の岩手・宮城遠征です。これらは、いずれも飛行機や新幹線及びレンタカー・宿泊の手配を済ませていたものを、やむなくキャンセルしております。幸いにも、コロナ禍による特殊事情によりキャンセル料は発生しませんでしたが。

Photo_20200610101701 そのうち、岩手・宮城遠征は、先日(6/3・4)に実施済み、山口・広島遠征は8月下旬に、宮崎遠征は11月下旬に、それぞれ延期して実施する予定を立てておりますが、大分遠征は来年以降に回さざるを得ません。

『島根・宮城』両県の完訪については、最低でも実現を死守したいと思っていますが、島根県では隠岐の西ノ島への渡島が、6月いっぱいは2隻体制(冬季ダイヤ)での運航となっており、日帰りでの往復が出来ず、6月下旬の島根遠征は、石見方面と差し替えて実施することといたしました。

ということで隠岐西ノ島への渡島を含む島根遠征の方は10月に延期しております。宮城遠征は9月と10月に予定しております。これらは、台風やコロナ禍の第二波などで、さらなる延期も考えられますが、何としても今年中の実施を死守したいものです。

その他の地域で、今年の実施が難しくなったのは、北海道(4泊5日)、利島・神津島(夜行日帰り)、三宅島・御蔵島(夜行1泊)、柱島・岩国(1泊2日)、長崎遠征(2泊3日)、秋田遠征(2泊3日)、岩手・秋田遠征(2泊3日)それに前述の大分遠征(2泊3日)です。これらは、泣く泣く来年以降に延期といたしました。

離島は、医療体制が整っていないことから、島民は来島者に対して拒否感が多いようです。そのため、上記の伊豆諸島の4島と山口県の柱島は、延期としましたが、前述の隠岐・西ノ島や柳井・平郡島及び屋久島・口永良部は、今のところ実施の予定にしております。

こうして、計画を修正してみましたが、社会の動静がどう変わっていくのかわかりませんので、その際は、再びみたびの修正を余儀なくされるのかもしれません。

※写真は、鹿児島行きJAC(日本エアコミューター)。種子島空港にて。(今年2.6訪問)

2020年6月 8日 (月)

852.岩手・宮城遠征のご報告

コロナ禍により、休止を余儀なくされていた郵便局めぐりでしたが、緊急事態宣言が5/14に39県が解除され、5月末までは県を跨ぐ移動も自粛させられたものの、6月に入り、首都圏(1都3県)と北海道への訪問以外の自粛も解除されたため、さっそく6/3・4にて、岩手県と宮城県への遠征を実施してきました。

初日は、水沢江刺駅11:38着にて、レンタカー会社を11:55にはスタートし、1局目を姉体郵便局として、奥州市9局と一関市8局の計17局を廻ってきました。

姉体局はMLB日本人プレーヤーの大谷翔平の故郷です。ここでは、ポスト型はがきと風景印を所望しましたが、大谷翔平に関する絵柄は特にありませんでした。

Photo_20200607182201 8局目の赤生津簡易局から9局目の南股簡易局へは、約17㌔の移動距離がありました。この間にある局は、2年前に訪問済みでした。厳美局や一関台町局でもポスト型はがきと風景印押印をお願いしました。ポスト型はがきと風景印押印については、所々で集めていくスタイルで臨むようにしました。

気仙沼宿泊後の二日目は、唐桑半島にある中井簡易局を1局目として、気仙沼市内16局と一関市室根町の3局の計19局でした。この日の序盤で、ちょっとした事件があり、かれこれ1時間強のロスタイムを生じさせてしまったため、予定より6局ほど少ない結果になってしまいました。

ちょっとした事件とは、郵便局に関するものではなく、自動車事故でもなく、自分自身に関することでしたが、その詳細を語るのはNGとさせていただきます。今年は宮城県の完訪を目指しておりますので、気仙沼市16局を廻り切ることができたことだけでも良しとしておきます。

7局目で大島局を廻りましたが、去年4.7に気仙沼大島大橋が開通して、離島から架橋島になっており、難なく廻ることができました。この日は、唐桑局と大島局、気仙沼田中前局の3か所でポスト型はがきと風景印押印をお願いしました。

二日間で36局で、内訳は岩手県20局、宮城県16局でした。

一ノ関駅にレンタカーを返却し、一ノ関駅17:48発のはやぶさに乗車し、自宅へは23:15頃の到着となりました。

岩手県は新型コロナ感染者ゼロの優秀な県ですので、よそ者の訪問に相手も警戒したことでしょうが、こちらも相当緊張して臨みました。そういう意味では、いつもの無駄話をして廻ることの多い稲生流の局メグとは勝手が違う、おとなしい局メグに終始しました。これが、新しい局メグ方式という事なのでしょう。これからは、この方式で廻ることになりそうです。

※写真は、架橋島となっている大島郵便局。架橋前は、気仙沼港からの大島汽船で浦の浜港に渡り、約1㌔の道のりを徒歩約15分かけて局に向かっていたようです。

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