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2020年10月27日 (火)

893.マイカー自走での最南端および最西端訪問局

この記事のアップされる10.27は屋久島一周の局メグをしていることでしょう。今回は、島内のどこかで風景印押印したはがきを投函する予定となっております(郵趣では、これを実逓と呼んでいます)ので、関係者の方々におきましては、その到着を楽しみにしていてください。

では、前の記事の続きとなります。

マイカー自走での最南端訪問局は、いったいどこでしょう?

Photo_20201025043401 私の自慢として、四国4県はすべてマイカー自走で廻り切ったのですが、その中に最南端訪問局があることでしょう。

2017に高知県西部遠征として、宿毛・土佐清水方面を廻っており、初日には大月町の柏島局を廻っております。(北緯32度46分16秒)ここは、対岸の沖の島を間近に眺めることの出来る架橋島でした。

二日目に沖の島に渡っておりますが、往路が市営の定期船、復路はチャーター船を利用しておりますので、もちろんマイカー自走ではありませんので対象外であります。(ちなみに、沖の島の南側にある弘瀬簡易局は北緯32度42分49秒で、後述の足摺岬局よりも南端であります。)

三日目に足摺岬に向かって進んでおり、やっぱり足摺岬局が最南端訪問局でありました。(H29.5.18訪問:北緯32度43分32秒)

という事で、マイカー自走での最南端訪問局は高知県土佐清水市の足摺岬局でありました。

あまりに簡単に答えが出てしまいましたので、最西端の局も触れておきます。

四国地方においては、これも簡単に答えが出ました。四国の地図を眺めていただければすぐにわかるのですが、九州・大分県に向かって張り出している佐田岬の先端近くにある串局であります。(H28.5.13訪問:東経132度2分45秒)

Photo_20201025043501  四国地方におけるマイカー自走での最西端訪問局は愛媛県伊方町の串局でありました。この局から佐田岬灯台の駐車場までは、あと6㌔ほどあります。

それでは、念のため本土側の中国地方における最西端の局も調べてみます。

上記の高知西部遠征で足摺岬方面まで自走で足を伸ばした直後に、『稲生スタイル』として、西は山口県全域にまでマイカー自走で出かけることにするとの宣言をしてしまっていますが、実際には話が違っていて、今年の初めにこれも『稲生スタイル』として、言い訳をしております。

調べがつきました。今年6月に、島根県石見遠征として浜田・益田・江津方面を廻っており、その際の益田市街地の西側となる益田高津浜簡易局が、本土における最西端訪問局となりました。(R2.6.17訪問:東経131度49分16秒)

ということで、マイカー自走での最西端訪問局は、島根県益田市の益田高津浜簡易局ということが判明しました。

※写真は、上がマイカー自走での最南端訪問局:足摺岬郵便局。下が同最西端訪問局:益田高津浜簡易郵便局。

2020年10月24日 (土)

892.マイカー自走での最北端訪問局

先の宮城遠征をマイカーで往復して、宮城県最終局の有壁局が、マイカー自走での最北端地点になりました!?

私も、もうすぐ64歳となりますので、さすがにこれ以上の遠方へは、マイカーで繰り出すことは無さそうです。

ということで、栗原市の有壁局が私の最北端訪問局(北緯38度52分5秒)であると、思い込んでいたのですが、そうではなかったのです。その答えは、後述するとして、最北端訪問局の歴史を紐解いてみましょう。

私・稲生は、日本全国を股にかけて局メグをしているように思われていますが、実は、いまだに北海道(23局)や沖縄(9局)は、さわりだけでほとんど手つかずなのです。

時を20年前の2000に戻すと、こんな感じでした。静岡県のみであります。

そんな中、マイカー自走で行ける所まで局メグを進めていこうとして、2009には無謀にも佐渡島へ渡ったのでした。その際の最北端訪問局が鷲崎局であります。(H21.5.20訪問:北緯38度19分7秒)

Photo_20201023111001 その少し後に能登半島の先端部にも訪問しております。ですが、H21.9.2訪問の珠洲市の折戸簡易局は北緯37度31分34秒で、鷲崎局には全く及びませんでした。

佐渡島・鷲崎局の記録を更新したのが、6年半後に訪問した山形県東根市のさくらんぼ東根簡易局でした。(H27.11.26訪問:北緯38度27分29秒)

さらに1年半後に、宮城県大衡村の駒場簡易局にて、僅かながら記録更新をしていたようです。(H29.4.14訪問:北緯38度29分0秒)

この時には、帰り道がやたらと長く遠く感じてしまったため、今後のマイカー自走を躊躇することとなったのです。

そして、今回の有壁局に至ると思いきや、駒場簡易局の僅か2ヶ月後に記録更新をしていたのです。

秋田県にかほ市の洗釜簡易局であります。(H29.6.22訪問:北緯39度9分53秒)

この時は、新潟県長岡市・新潟市・村上市さらには山形県鶴岡市と廻っていって、せっかくだから秋田県の初訪問を果たしていこうと、日本海沿いに北上し、上浜駅前のこの局を最初に訪問したのでした。新潟県は、すべてマイカー自走でしたので、その延長でありました。

これは、今回のブログの記事を書くのにあたって調べを進めてみて初めて判明したことでした。最北端の記録は太平洋側だとばかり思いこんでいたのですが、しっかり日本海側の秋田県にもマイカーで乗り込んでいたのです。

ということで、マイカー自走での最北端訪問局は、× 宮城県栗原市 有壁局 ⇒ 〇 秋田県にかほ市 洗釜簡易局 でありました。

※写真は、マイカー自走での最北端訪問局であり、秋田県の初訪問局でもある洗釜簡易郵便局。

※緯度データは、 こちらのページ で計測しました。

2020年10月21日 (水)

891.宮城県の完訪について

10/14・15の宮城遠征において、残っていた28局を廻ったことで、宮城県の完訪となりました!!

H26(2014)9.11の初訪問から足掛け7年がかかりましたが、H28は訪問がなく実質6年での達成であります。これで島根県に続き33府県目の完訪府県であります。

宮城県完訪までの道程は、記録室・その15に示してありますので、それをご覧になりながら記事を読み進めていただければ幸いです。

初訪問は、七ヶ宿町・白石市で15局廻りました。前日に福島県会津地域を完訪しており、その余韻を持って山形県と宮城県の、ともに初訪問を果たしたのでした。

翌H27には、9.11に相馬市を廻る前後で亘理・山元と丸森を計14局廻りました。丸森では関東東北豪雨にも引っ掛かりました。11.27には福島県完訪の旅の際に、丸森で2局廻っています。

Photo_20201020165301 1年空いたH29には、1日だけですが、4.14に仙台市青葉区・泉区の外側と富谷市・黒川郡で27局廻りました。この時は、マイカーによる自走でしたが、自宅までの帰り道が遠く長く感じて、以後は新幹線プラスレンタカーでの訪問に改めました。

ここまででは、58局に過ぎませんが、H30・R1・R2に本格的な宮城攻めをしていくのでした。

H30は3月に宮城遠征として、多賀城・塩竃、登米、大崎などを86局廻り、5.31に角田などで6局を増やし、10月にも宮城遠征としてレンタサイクルとレンタカーにて仙台市内と仙南方面を二日で58局廻りました。(仙台・仙南 西コース)

元号の変わったR1には、6月に宮城遠征として仙台市内と松島湾岸で75局廻り、10月にも宮城遠征としてレンタサイクルとレンタカーで仙台市内と仙南方面(前年の東側:仙台・仙南 東コース)を二日で43局廻りました。

そして、今年は宮城県完訪を目標として、6月に気仙沼を16局、9月に石巻を中心に55局廻り、今回の28局の訪問を持って、宮城県内の全425局の完訪としたのでした。

延べ21日のうち、マイカーで頑張ったのは最初の頃と最終回の計7日92局でした。仙台市内はレンタサイクル(2日49局)も活用したりして宮城県に親しみました。

これにて、福島県・山形県・宮城県の南東北地方を制したのですが、次なるターゲットは当然のことながら北東北地方であります。まず来年は岩手県の完訪を目指すことにいたします。ということで、来年の北のテーマ地域は岩手県といたします。

※写真は、登米市迫町の新田郵便局。屋根には、本物の白鳥もビックリするほどのモニュメントが鎮座していました。白鳥は、近くの伊豆沼に飛来するそうです。(18.3.15訪問)

2020年10月18日 (日)

890.最後の宮城遠征のご報告

10/14・15の両日は、宮城県を廻り終えるラストランとしての郵便局めぐりを実施しました。

残りが28局となっており、最後は思い切ってマイカーでの訪問をしてきました。行きの福島県相馬市までは約600㌔、帰りの岩手県一関市花泉町からは約700㌔の自走であり、終わってから顧みて、我ながらよくやったものと、つくづく思いました。

1局目の相馬市の相馬刈敷田局は、完訪済の福島県に出来た‘落ち穂’であり、福島県については、それまですべて自走でしたので、それに倣いマイカーで訪問したのですが、早朝3時半に出発して、予定では12時に到着すべきところを1時間遅れの13時となってしまいました。ともかく、この局を訪問したことで、福島県の4回目の完訪であります。

Photo_20201017165001 このため予定が狂ってしまい、閖上(ゆりあげ)局そして仙台市太白区中部の残り8局を終了したあとに行こうとしていた富谷成田局へは届きませんでした。届かないどころか、太白区での6局目の仙台南局が5人待ちで25分ほどかかり、ここで16時のタイムアップとなりました。

太白区での7局目の仙台長町六局と8局目の仙台長町三局は、不本意ながら、ATM入金+窓口での局名ゴム印押印 といたしました。緊急時対応ということです。ともかく、3年6ヶ月延べ8日を要して仙台市の完訪であります。

大崎市の古川駅前に宿泊先をとっており、二日目の1局目は富谷成田局ということで、その後、約57㌔回送して栗原市方面の本来の1局目であった富野簡易局へは、2時間遅れの11時でありました。それでも、この後は粛々と進めていき、19局目の有壁局にて、宮城県の全425局の完訪を果たしました!!足掛け7年、正味6年での完訪でした。

ここで終わっても良いのですが、16時のタイムアップのゴングが鳴るまでは局メグを続けました。メグラーの悲しいサガとでも言いましょうか?と言っても、残された時間は45分のみであり、一関市花泉町の4局を廻って16時のゴングが鳴り、二日目は23局といたしました。

宮城県の完訪についての概要は、次の記事にて展開していく事にいたします。

※写真は、宮城県の完訪局となった栗原市の有壁郵便局。

2020年10月14日 (水)

889.島根県の完訪について

10/1の西ノ島の3局を最後に廻り終えて、島根県の全370局の完訪となりました!!

H16(2004)8.19の初訪問から足掛け17年がかかりましたが、翌H17からH25までは訪問がなく、実質8年での完訪です。島根県の完訪は、32府県目であります。

島根県完訪までの道程は、記録室・その15に示してありますので、それをご覧になりながら記事を読んでいただければ幸いです。

初訪問の3局は、岡山県内の大学生だった愚息とともに、松本清張の小説『砂の器』の舞台になった仁多町亀嵩(現・奥出雲町)を目指してドライブした際に、途中の局も立ち寄りながらの訪問でした。この日は、広島県の初訪問でもありました。

H26(2014)には、10月に中国遠征として岡山県備中地域、鳥取県米子地域訪問後の三日目に、島根半島東部と玉湯・宍道経由での雲南地域を29局廻っております。

Photo_20201009131801 H27には、9/30から10/2に隠岐諸島と出雲市方面(島根遠征)を3日間で54局、H28には、3月に山陰遠征として兵庫・鳥取を廻ったあとの最終日に安来市などで18局、10月に鳥取県完訪の旅の終了後、松江市・大田市などを51局廻っております。

H29には、7月に島根遠征として奥出雲町・出雲市などを44局、H30には、3/29に北広島町を廻った際に、浜田市波佐局を1局だけ拾い、8月に広島県がらみで飯南町・美郷町・邑南町などの山間部を25局廻りました。ここまでで島根県の6割ほどの225局を訪問しており、残りは145局ほどになっております。

令和に入ったR1(2019)には、6月に島根遠征として、出雲市の残りと大田・江津などを34局廻り、7月に山口・島根遠征として、鹿足郡などの島根県最西南端部を21局廻り累計280局として、90局を残して最終年である本年に臨むことになりました。

今年に関しては、まだ記憶に新しいのですが、6月に石見遠征として浜田市・益田市・江津市で67局廻っておりますが、本来ならば先に松江と隠岐・西ノ島を廻り、秋の時期に石見遠征を考えていたところ、コロナ自粛による影響で、隠岐汽船のダイヤが冬ダイヤとなっており、西ノ島日帰りが不可能であったため、松江・西ノ島と石見遠征を入れ替えた経緯があります。

延べ22日を要しましたが、そのほとんどがマイカーで廻っており、レンタカーだったのは、H27の隠岐・出雲市とR1の鹿足郡などの計4日のみでした。これが出来たのも、中国自動車道と米子道・松江道・浜田道の高速道路網があったからだと考えております。

これにて山陰地方を制したのですが、次は中国地方全体を制すべく、来年の西のテーマ地域は山口県といたします。

※写真は、島根県初訪問時に目的地として立ち寄った亀嵩駅。駅内の蕎麦屋は、清張がらみの写真が満載でした。(04.8.19訪問)

2020年10月11日 (日)

888.〔稲生検定〕の答え合わせ

9/28に突如課した〔稲生検定〕でしたが、前の記事でも答え合わせができずにいましたので、ここでひとつの記事としてページを設け、解答してゆくことにいたします。

出題したのは9/28付けブログNO.884、ヒントを出したのは10/1付けブログNO.885の、いずれも冒頭でした。

問1.西ノ島での3つの郵便局の廻り順を、美田⇒浦郷⇒別府から、別府⇒美田⇒浦郷に変更したのはどういうことなのか?

ヒント:路線バス+徒歩⇒レンタサイクル

答え:路線バス+徒歩の予定から、レンタサイクルに変更したため。

当初は、別府港到着後すぐに、フェリーくにが接続の路線バスにて大津バス停下車後、美田局訪問、その後徒歩で浦郷集落の浦郷局へ、最後にフェリーおき接続の路線バスにて別府まで進み、取り急ぎ別府局に飛び込むというものでした。

別府港12:05着、西ノ島町営バス・隠岐汽船バス停12:19発⇒大津バス停、徒歩1分で美田局到着。美田局訪問後、徒歩にて浦郷へ。国道経由だと2.8㌔34分、集落経由だと4.2㌔50分。天候によってはタクシー利用も。浦郷局訪問後、町営バス・浦郷バス停14:52発⇒別府交通センターバス停15:15着。取り急ぎ別府局に向かい訪問をすまし、別府港に戻り15:45発のフェリーおきに乗船。

Photo_20201009103601 このプランだと、別府での行動が大変慌ただしいので、場合によっては、浦郷からのタクシー利用も考えていました。

ということで、今ひとつしっくりしないまま、先人達のHPを閲覧したりして情報収集を試みていたのですが、自分のHPの記録室・その13の閲覧を機に、島にはレンタサイクルがあるかもしれないとの思いが浮かび、調べたところ別府港に隣接の西ノ島町観光協会が、レンタサイクルの貸し出しをしていることを見つけました。西ノ島の現地滞在時間が3時間40分で、訪問すべき郵便局は3局のみ。これは楽勝です!

あとは、当日の天気で雨が降らないことを願うのみですが、実際には、二日目と三日目を入れ替えて、その条件をクリアしていったのでした。

問2.松江市の魚瀬(おのぜ)簡易局をなぜ再訪するのか?

ヒント:‘御礼参り’

答え:トイレを借りた‘お礼’をするために再訪した。

5年前に隠岐・松江遠征の三日目の1局目に訪問した際に、猛烈な便意をもよおし、周囲にコンビニ・公衆トイレなどが見当たらず、やむなく訪問先の簡易局のトイレを借りたもの。「地獄に仏」とは、このことで、松江市内を廻る際には、絶対に‘御礼参り’をしたいものだと、かねてより考えていました。

手土産の‘うなぎパイ詰め合わせ’を持って訪問させていただき、5年前の話をしたのですが、受託者さんは、残念ながら覚えていないとのことでした。まあ、こちら側の恩義を返すことができたということで、気が済みました。

前の記事で、その理由の分かるページをリンクしてあります。

というわけで、突然の出題となった〔稲生検定〕の答え合わせを終わらせていただきます。

最後に、屋久島遠征のための静岡・鹿児島空路便のことですが、山陰遠征中の9/29にFDAより連絡が来て、往路便の欠航が決まりました。したがって、往路のみ新幹線により鹿児島中央駅まで、そこから空港バスで鹿児島空港に向かうことになりました。

往路の運賃・料金は、FDAにすでに支払い済みの12,500円だけで、新幹線代・空港バス代は建て替え払いとなり、結果的に格安の新幹線乗車が出来ることになりました。

※写真は、隠岐汽船の創立125周年記念品。10/1に乗船した客だけに配ったようです。これはラッキー!!

2020年10月 8日 (木)

887.山陰遠征のご報告-その2-

今回の遠征を山陰遠征としておりますが、初日の宍粟市は兵庫県の播磨国であり、二日目の津山市は岡山県の美作国であり、ともに山陰ではなく山陽であることは、皆様ご存じのとおりでありますが、行程の大半が山陰地方で展開しているため山陰遠征のご報告とさせていただいております。

初日の1局目の宍粟市の伊和簡易局は、一時閉鎖中だった簡易局が、本年4.20に再開と同時に貯金を開始した局で、コロナ禍中でのオープンは、それなりに大変であったようでした。これにて、兵庫県の4回目の完訪となりました。

2局目の宍粟市の奥谷簡易局は、兵庫県のもう一つの‘42’マルチのための再訪ですが、奥谷局・奥谷簡易局の際の訪問に続き、3度目の訪問であります。

3局目の鳥取市の因幡万葉の郷局は、本年6.15に国府局から改称した局です。私の地元にも「万葉の森公園」というのがあり、こちら国府地区も「万葉押し」しかも、郵便局の名前を変えてしまうほどの熱烈な万葉押し」であるようです。

Photo_20201007170901 4局目の鳥取市の国府宮ノ下局は、本年3.23に鳥取岩倉局が移転改称した局で、この2局を訪問して鳥取県の2回目の完訪となりました。

ここから約140㌔西へ移動し、島根県雲南市大東町に残っていた5局を廻り初日を終了いたしました。計9局であります。

二日目は、前の記事で説明したように、松江市内を廻りましたが、最初に松江市西北端の魚瀬(おのぜ)簡易局を再訪しました。5年前の‘御礼参り’であります。(その理由は こちら :手土産は‘うなぎパイ’)

このあと、松江市内の15局を廻り、16局目の松江白潟本町局にて、とりあえず出雲国の完訪であります。

そのあとは前の記事のとおりで、往復で260㌔ほどのドライブによって、遠征1週間前に開局したばかりのイオンモール津山内局を訪問して、岡山県の4回目の完訪としました。

最終日は、5年前に隠岐諸島を攻めた際に、時化のために訪問できずにいた西ノ島への渡島であります。七類港9:30発のフェリーくにがにて西ノ島別府港に12:05着、現地滞在時間は3時間40分であります。

ここでは、遠征の出発直前に見つけたレンタサイクル(電動アシスト付き:1時間@500円=1500円)にて、秋晴れの西ノ島めぐりをしてきました。最高気温25℃ほどの爽やかなサイクリングでありました。(詳しくは ぶらり西ノ島めぐり にて)(未作成)

帰りは別府港15:45発のフェリーおきにて七類港17:55着であり、往復の航路時間は、なんと4時間45分であります。凪の日でしたのでフェリーの中では良く休養が摂れました。でも、このあとは自宅までの8時間超のロングドライブが待っているのでした。

二日目が17局、最終日は3局であり、三日間で29局だけでしたが、島根県完訪と兵庫・鳥取・岡山3県の再完訪も果たす意義ある遠征でありました。

※写真は、松江白潟本町郵便局。島根県の最終局となる予定の局でした。

2020年10月 5日 (月)

886.山陰遠征のご報告-その1-

9/29から10/1までの2泊3日で実施した山陰遠征のご報告です。

当初は、最後の島根遠征として、夜行1泊2日により残りの23局を拾う旅でしたが、鳥取市に‘落ち穂’ができ、宍粟市にも‘落ち穂’ができて、夜行1泊2日をやめ、マイカーによる2泊3日の遠征とし、さらに津山市にもできた‘落ち穂’を帰りに拾ってから帰路に着くというものでした。

島根県の完訪の旅と兵庫・鳥取・岡山の‘落ち穂拾い’局メグが組み合わさったようなものでした。

その中で、一番の肝となる隠岐諸島・西ノ島への渡島を、よりベストな状態で実施することを優先した結果、西ノ島を最終日に変更し、松江+津山を二日目にしたため、津山へは帰り道での訪問ではなく、松江からわざわざ片道130㌔を往復するという、アグレッシブな行動をとる羽目になりました。

Photo_20201004212501 二日目(9/30)と最終日(10/1)の隠岐諸島は、両日ともに波の高さ約1㍍ほどで、隠岐汽船は通常運航でしたが、9/30では島根県・鳥取県には雷注意報が出ていて、時折雷雨をともなう天候の予報であり、10/1は終日穏やかな天候となる予報となっていたため、9/30当日の朝に変更を決断した次第です。

西ノ島での3局を拾う方法も、当初は路線バス+徒歩であったのを、出発直前の9/25頃になって、別府港にある観光協会でレンタサイクルを貸し出していることを知り、これを使うこととしたため、天候が不安定な中での西ノ島渡島は避けたかったのでした。

そのため、島根県の完訪を飾る最終局も、松江市内から西ノ島に変更となり、島根県は‘離島終わり’となりました。ちなみに、この‘離島終わり’は、一昨年の広島県でもそうでした。

ですから当初の予定では、津山を16時ごろ終了して帰路に着き、約6時間後の22時ごろには帰宅できたのに対して、七類港を18時過ぎに出発して、約8時間かけて高速道路を延々と進み、帰宅したのは午前2時過ぎと、最後はタフなドライブとなりました。

それでも、10/1は『中秋の名月』ということで、帰りの高速道路とりわけ米子道あたりでは、「月に向かって進む」状態となり気分は良かったです。さらに遡った日中のことですが、隠岐汽船の創立記念日が10/1ということで、フェリー乗船時に記念日をいただきました。

明治28年創立で、今年が創立125周年だそうです。これは予期せぬ贈呈品をいただいたもので、西ノ島に渡る日を変更せずに9/30に乗船していたら、いただけなかったのです。

今回の記事では、概要の説明に終始してしまいましたが、旅の中身については、次回以降の記事で展開させていただきます。(そして、稲生検定の解答も・・・)

※写真は、往路で乗船したフェリーくにが。西ノ島・別府港にて。

2020年10月 1日 (木)

885.今年の‘落ち穂拾い’の進捗状況-その2-

前の記事の冒頭で課した〔稲生検定〕の二問ですが、答えは次回の記事、すなわち『山陰遠征のご報告』にて、解答させていただくことにさせていただきます。

ヒントは、問1.路線バス+徒歩 ⇒ レンタサイクル、問2.‘御礼参り’ です。

 

以下、タイトルの話題に入ります。

その後に発生した‘落ち穂’(判明分)については、今のところ次の12局となります。

Photo_20201004212201 〈山形県〉酒田東泉町(酒田市)、〈福島県〉相馬刈敷田(相馬市)、〈埼玉県〉所沢駅西口(所沢市)、

〈東京都〉武蔵小金井駅南口(小金井市)、〈千葉県〉江見駅(鴨川市)、〈長野県〉小市(長野市)、〈富山県〉滑川加島(滑川市)、

〈京都府〉京都ゼスト御池内(京都市中京区)、〈岡山県〉イオンモール津山内(津山市)、〈香川県〉イオンモール綾川内(綾川町)、

〈鳥取県〉因幡万葉の郷(鳥取市)、〈島根県〉イオン松江SC内(松江市)

このうち、京都ゼスト御池内局は9/18に訪局済み、因幡万葉の郷局は9/29に、イオンモール津山内局も10/1に訪局予定、所沢駅西口局・武蔵小金井駅南口局は10月上旬に訪局予定、相馬刈敷田局は10/14に訪局予定であります。

最後のイオン松江SC内局は、移転前の松江東朝日局を今回の遠征でようやく訪問したばかり(予定)なのですが、島根県を完訪する旅が終わってすぐに‘落ち穂’が出来てしまうという、‘いたちごっご’を地で行くケースとなりました。

というわけで、前の記事で訪問保留中の九州・沖縄の6局および山形県・酒田東泉町局、千葉県・江見駅局、長野県・小市局、富山県・滑川加島局、島根県・イオン松江SC内局、香川県・イオンモール綾川内局の計12局が、依然‘落ち穂’として残ることになります。

これらは、今後新たに発生する‘落ち穂’などと絡めて、おいおい拾っていくことになりそうです。

※写真は、9/29に訪問した因幡万葉の郷郵便局。(10/4写真追加)

2020年9月28日 (月)

884.今年の‘落ち穂拾い’の進捗状況-その1-

突然ですが〔稲生検定〕の中級クラスの問題を二問、出させていただきます。

今度の9/29から10/1までの島根遠征における問題です。

問1.懸案である隠岐諸島の西ノ島の3つの郵便局の廻り順ですが、9/24までは美田⇒浦郷⇒別府としていましたが、9/25に別府⇒美田⇒浦郷に変更いたしました。さて、どういうことでしょう?

問2.最終日は松江市内の北部・中部の計15局を廻れば、目出度く島根県の完訪となるのですが、その前に魚瀬(おのぜ)簡易局を再訪する予定であります。さて、その理由は何でしょう?

 

以下、タイトルの話題に入ります。

私・稲生は、困った時の‘落ち穂拾い’という言葉を、時々使います。

一つは、予定していたスケジュールがキャンセルになったりして、局メグの間隔が空いてしまう状況に陥った際に、その穴埋めとして‘落ち穂拾い’局メグをするというもの。4/3の北陸3県への‘落ち穂拾い’や7/16・17の新潟・山形への‘落ち穂拾い’などが、その例であります。

もう一つの意味は、このブログの記事の内容に隙間ができ、その穴埋め的に‘落ち穂拾い’ネタを取り上げるというもの。今回と次回は、まさにその意味での困った時の‘落ち穂拾い’ネタを取り上げていくことにいたします。

Photo_20200926191201 NO.828の記事で、この記事の掲載日に発生していた‘落ち穂’が19局。その時点で発生することが判明していた‘落ち穂’が11局で、合計は30局でした。このうち、新潟県の新潟松崎局は、間違った情報によったもので、この1局はマイナスすることといたします。よって合計は29局でした。

この29局のうち13局については、すでに拾い終えております。

すなわち、〈宮城県〉志田簡易・北上、〈山形県〉青龍寺簡易、〈新潟県〉高根簡易・あかね町・越後水沢簡易・十日町川治、〈富山県〉富山総曲輪通り、〈石川県〉神野簡易、〈福井県〉小浜大手町、〈千葉県〉上市場、〈神奈川県〉小田原国府津、〈大阪府〉大阪平野駅前 であります。

次に、様々な手を使って、今年のうちに拾う予定の‘落ち穂’が10局あります。

すなわち、〈宮城県〉富谷成田・閖上、〈東京都〉高島平簡易、〈兵庫県〉伊和簡易、〈鳥取県〉国府宮ノ下、〈広島県〉西風新都・広島八幡東・阿品台・グラノード広島、〈山口県〉宇部吉田 であります。

合計29局の‘落ち穂’のうち九州・沖縄にある6局を除いた23局を拾うことができる見通しでありますが、これで良しというわけには参りません。その後に発生した‘落ち穂’が、少なからずあるのです。

これらについては、次回の記事での展開といたします。

※写真は、7/16に訪問した十日町川治郵便局。

2020年9月24日 (木)

883.屋久島チャレンジへの道・さらなる続報

屋久島チャレンジの日は、当初の9/28~30より、1ヶ月順延して10/26~28に変更しました。

種子島・屋久島地方には、9月に台風が近づきやすく、10月下旬ならば、おそらく大丈夫であろうという、根拠のあるようで確証のない理由でありましたが、無事に屋久島そして口永良部島への局メグが完遂できるかどうか、ブログ閲覧者の皆様におかれましては、温かい目で見守っていたたければ幸いです。

Photo_20200923151801  FDA便の往路欠航通知、その後の日程変更、さらにはANA便の欠航通知に対する顛末については、別紙にまとめてみましたので、そちらをご覧ください。

NO.878NO.879では、日程変更のところまでの記述でありましたが、まさかのANAによる10/26の中部⇒鹿児島便の欠航通知が届き、とりあえず、当初のFDA9/28往路便の振替扱いにて予約することで、今のところの空の便を抑えておくことになりました。

それでも、セントレアからの鹿児島便が欠航となるのならば、それよりもローカルな静岡からの鹿児島便の欠航は大丈夫なのか?という不安も生じるのであり、もしかしたら往復便ともに欠航となるのでは?という最悪の事態も考えられなくもありません。

FDAによると10月後半分の就航か欠航かの可否は、9月最終週になるとのこと。直近のシルバーウイークにおいては静岡空港においても、好調な輸送となったようで、これは期待できるのかな?とも思い始めております。

ですが実は、これらの往路便・復路便もしくは往復便が欠航となった際には、地上交通費として片道30,000円を上限として補償してくれることが、確認できております。FDAとは、今回の欠航便の扱いのやり取りの中で、何度か電話によるやり取りをしており、このことについても確認済みであります。

つまり、空路片道12,500円(復路は14,500円)よりも、確実に高額となる新幹線での代替でも補償されるということです。東海道山陽新幹線と九州新幹線により鹿児島中央駅に着き、鹿児島空港までは空港バスを使用。空路に比べれば、はるかに時間はかかるものの、一度は経験してみたいコースであります。

これまでは、熊本駅までは新幹線で利用したことはありますが、鹿児島中央駅までは未知の区間であります。これが、格安で乗車できるかもしれないのです。理想を言えば、片道ぐらいは新幹線でもいいかな、と思っております。

今やFDAからの通知を待つのみでありますが、どっちに転んでも問題はない状況になってきております。

この話は、本番まで続きます。

2020年9月20日 (日)

882.関西5府県‘落ち穂拾い’&‘マルチ捕り’局メグのご報告

9/18(金)に実施した、滋賀県から京都府・大阪府・和歌山県経由の奈良県までの関西5府県跨ぎ局メグのご報告であります。

‘落ち穂拾い’なのは、2局目の京都ゼスト御池内郵便局と4局目の大阪平野駅前郵便局の2箇所です。もちろん‘マルチ捕り’(‘44’マルチと‘41’マルチ)も兼ねております。

‘マルチ捕り’なのは、1局目の幸津川(さつかわ)郵便局(‘46’マルチ)と3局目の大阪平野北郵便局(‘40’マルチ)及び5局目の橋本城山台郵便局(‘47’マルチ)と6局目の五條二見郵便局(‘45’マルチ)の4箇所です。

1局目の幸津川局と6局目の五條二見局は、それぞれ滋賀県と奈良県のラストとなった局(=完訪局)でしたので、いわゆる‘御礼参り’であります。

幸津川局は、約10年ぶりの訪問でしたが、ポスト型はがきはあいにく切らしており、もともと風景印は配備しておらず、千円貯金のみでした。この後、琵琶湖大橋経由で京都市内へ入りました。

Photo_20200920132301 京都ゼスト御池内局は、京都市営地下鉄東西線の京都市役所前駅の地下街にありましたが、マイカーを地下駐車場に適当に止めて、地下街に出てみると、見事に局前に出ることができて、幸せいっぱいな気持ちになりました。

その後は、無料優先で検索したナビの示す通り、国道1号・大阪内環状線にて約2時間半(休憩10分込み)ほどで大阪平野北局に着きました。完訪済みの府県における沿線風景は、いわゆる領地巡回であり、どこかしら懐かしい感覚になるものです。

大阪平野北局のあとは10分ほどで大阪平野駅前局に到着し、千円貯金とポスト型はがきの購入を済ませました。ここまでで予定より20分ほど遅れております。

その後は、和歌山県のかつらぎ広口簡易局を予定しており、ナビの通りに進むも、この簡易局は15時までの変則営業のため、これが間に合わないと判断し、スペアとして用意していた橋本城山台局を目指すことにしました。かつらぎ広口簡易局だと15:20着となるのに対して、橋本城山台局には15時前に到着したのでした。

最後となる五條二見局へは、20分ほどで到着しました。ここでは通帳の更新などもしてもらい、たっぷり20分以上は滞在させていただきました。(通帳NOは、109冊目から110冊目に)

風景印はないものの、ポスト型はがきは購入しました。実は、8年前に奈良県の完訪局として、ここの五條二見局にて、何か記念になるものはないかと‘ご当地フォルムカード’を所望した際に、それがなく、代わりにポスト型はがきを購入したのが、その後のポスト型はがきを収集するきっかけになった局なのでした。(NO.58 参照)

というわけで、無事に5府県6マルチ6局を訪問して、意気揚々と帰路に着いたのでした。自宅へは21時前に到着しました。総走行㌔は約630㌔でした。

※写真は、京都ゼスト御池内郵便局。

2020年9月17日 (木)

881.宮城遠征のご報告-その2-

屋久島に本当に行けるのか、気がかりな方もおられるかと思いますが、何とか損をしない方法を考え付きましたので、ご心配なさらぬようお願いいたします。このことにつきましては、今回の宮城遠征のご報告と関西‘落ち穂拾い’&‘マルチ捕り’局メグのご報告が終了しましてから、改めてお話しさせていただきたいと存じます。

それでは先日の宮城遠征の二日目・最終日のご報告であります。

二日目は、東松島市矢本・石巻西部より女川・雄勝・北上の三陸南端沿岸部、その後西進し、河北・涌谷・松山・鹿島台・南郷、最後は松島北部にて終了しました。女川・北上などの震災復興工事中の道路状況がナビの案内と一致せず、このあたりで時間を取ってしまい、最後の南郷・松島北部は必須でしたので、涌谷局のあとは、小牛田局・松山局の小回りで済ますBプランといたしました。計20局であります。

Photo_20200916163101 8局目の雄勝局は、まだ仮設店舗でしたが、建設中の市役所雄勝総合支所近くに移転のようです。女川局と北上局は、すでに移転オープンしておりました。

大震災時の逃げ遅れによる津波被害で多くの犠牲者が出た旧大川小学校跡地にも、足を運ぶ予定もあったのですが、前述のとおり女川から北上において時間を要してしまったため、これは割愛いたしました。

最終日は、宿泊地最寄りの石巻河南インターより三陸自動車道にて歌津インターまで進み、南三陸町の3局を廻ったあとに、登米市南部・涌谷北部・美里町小牛田を経て、大崎市古川に出来た‘落ち穂’である志田簡易局を拾い、最後は約23㌔移動して栗原市築館での4局をメグって終了としました。計23局でした。

南三陸町には震災以来休止中の歌津局が、来年度には再開するとの話があり、ここはもう一度訪問することになります。

21局目の伊豆町簡易局では、山形県や高知県などでいただいた例の栞をいただけたのですが、栗原市のマスコットキャラクター‘ねじりほんにょ’が描かれておりました。

さて、今回の宮城遠征では、三日間で55局を廻り累計を397局とし、宮城県の残りが28局となり、いよいよリーチがかかりました。10月中旬に、宮城県完訪の旅を実施する予定でありますが、完訪記念にマイカーで訪問しようかと考えております。

※写真は、登米市登米郵便局。登米市の読みは‘とめ’、登米郵便局の読みは‘とよま’です。こういうねじれはマニアには堪らないです。(同様のねじれの例として、千葉県山武(さんぶ)郡と山武(さんむ)市があります。)

2020年9月14日 (月)

880.宮城遠征のご報告-その1-

9/8から10までの宮城遠征のご報告です。

本年のテーマ地域であり、9月ごろの実施というのは、年初にすでに決めておりました。というのも、登米市を中心に廻ったのが、2年前の3月だったのですが、国内有数の穀倉地帯を廻ったのにも関わらず、何もない荒涼とした田園地帯の風景を見る事になってしまい、これは時期が悪すぎたと反省をしたからであります。

今回は、石巻とその周辺そして南三陸・登米・大崎などを廻ってきており、稲穂がすくすくと育ちつつある田園地帯を廻ってきました。

初日は、仙台駅より仙石東北ラインに初めて乗車して、石巻駅手前の陸前山下駅にて、レンタカー会社のお出迎えをしてもらい、11時半過ぎより石巻市内に繰り出しました。最高気温が32℃近くの残暑の中でありました。

Photo_20200916124701 13:20過ぎに10局目の渡波局を終えた後は、牡鹿半島先端部の鮎川までの約30㌔には、荻浜局・大原浜局と震災後休止中の局があるものの、これらは再開する予定もなく、しばらくは鮎川局に向けて南下していくドライブでありました。

14:20前に鮎川局を終え、網地島ラインの出るホエールタウンおしかに向かいました。切符売場があったそうですが、あいにく見つけることが出来ず、直接フェリー・マーメイドⅡに乗り込みました。

実は、出発前日の網地島ラインは、午後便が欠航になっており、当日も風が強めに吹いていたので、無事に出航するのか心配しておりましたが、私が宮城にいた3日間は通常運航であったようです。それでも、田代島の大泊港は抜港となり、私の下船する網地島長渡(ふたわたし)港も、何便かは抜港したようで、どうやらこの航路は、欠航が多いようであります。

鮎川港14:35発で長渡港14:50着(1分早着)で、徒歩1分で目的の場所である網地島郵便局に着きました。貯金を終え局長と多少の雑談をしても長々と居続けるわけにもいかず15:15ごろには局を辞し、長渡浜渡船待合所で16:38発の帰りの便を待つのですが、これがエアコンもなく暑くてたまらず、山形県の知人から仕入れた島内バスの時刻表を頼りに(待合所にも掲示されています)16:02発の島内バスで網地浜に向かいました。(@200)

10分強で網地港に着き、写真撮影などをしているうちに旅客船シーキャットが到着し、16:26発(2分遅発)にて長渡経由で鮎川港には16:52(2分遅れ)で到着しました。コロナの影響でレンタカー会社も時短営業をしており、18:30までには返却しなければならず、早々に石巻市内に向かっていくことにいたしました。

ということで、初日は12局。二日目以降は次回の記事でご報告いたします。

※写真は、網地島への往路で乗船したフェリー・マーメイドⅡ。

2020年9月10日 (木)

879.屋久島チャレンジへの道・続報

屋久島遠征の日程ですが、変更することにいたしました。

1ヶ月後ろにずらして、10/26・27・28といたしました。これなら台風の心配は少なく、口永良部島へのフェリーでの往復も、波が荒くなることも確率的には低くなることでしょう。あとは、私の普段の行いを清らかに正しくして臨めば、運は我が方に味方してくれることでしょう。

9/7(月)にブログをアップしたあとに決断して、その日の午前中には、飛行機・レンタカーの変更は終了いたしました。飛行機関連では、前述の記事で見込んだ以上の8,480円の増額負担となりましたが、これはこの夏に降って湧いた政府のGoToトラベルキャンペーンによる‘お小遣い’で賄うことができそうです。

宿泊先の宮之浦のビジネスホテルへは、9/7の夕方に電話を入れて変更いたしました。今回の大型台風10号は、屋久島へは9/6(日)の昼間から夜間に襲来しており、その翌日午前中というのは、さすがに手控えたものの、9/8からの宮城遠征の出発前には、手配を済ませておきたかったため、現地の様子を伺いがてら宿泊日の変更を申し入れた次第です。屋久島は、半日ほどの停電こそしたものの、そんなに大きな被害は生じなかったそうです。

10/26から28の2泊3日ですが、初日は屋久島への移動にあてる日であり、いわゆる前泊というものです。

これも、セントレアまでの空港バスが未だ運休中のため、自宅からのマイカーによる移動による静岡・鹿児島往復便を申し込んだのですが、FDA側が客数が少ないことを理由として往路欠航としたために、急遽往路のセントレア発を手配し、往路のセントレアまでは東海道新幹線・名鉄線にて、復路の静岡空港からは空港バス・東海道線と、ある意味面白いコースとなりました。

おまけに、FDA側の往路欠航補填として、自宅からセントレアまでの列車と飛行機代は30,000円を上限として補填していただけるという事が判り、往路45割12,500円の支払いで、東海道新幹線1,550円・名鉄特急2,030円及び中部・鹿児島便スーパーバリュー45K13,940円の計17,520円を補填してもらえるようです。支払額以上の手厚い補填をしてもらえるようで、何だか得をした気分です。

最後に、GoToトラベルキャンペーンについてですが、私の場合、元々そのようなものがなくても趣味の旅は実施するわけでして、何ら旅行需要を喚起したものに呼応したわけではありませんが、貰えるものはありがたく貰っておこうというスタンスで、これに対応してみました。

これまでに、7/28・29及び8/4の東横イン、8/5のルートインの計4泊分は還付申請として、8/17付けで申請済みであり、推計7,700円が還付される予定であります。(これらは、申請後2ヶ月を目途に振り込まれる予定)

8/25・26で連泊した島原東洋パークサイドホテルは35%引きで支払っており、これのお得額は3,080円でした。さらに、只今実施中の宮城遠征ではルートインに2泊する予定であり、これのお得額は2泊で4,199円であることが判っております。

ここまでの、お上からの‘お小遣い’は、14,900円ほどになり、何やかやとおいしいキャンペーンであると喜んでおります。

(9/11追記)

宮城遠征を終えたばかりの9/11に、ANAより10/26便の欠航の通知メールが届きました。はてさて、本当に屋久島遠征が実施できるのでしょうか?どのように対応したかは、追ってお知らせしたいと思います。

2020年9月 7日 (月)

878.屋久島チャレンジへの道

明日9/8から、本年のテーマ地域として設定している宮城遠征を実施します。これについては実施後、速やかにご報告していきたいと思います。

そして、9月下旬に屋久島・口永良部島への渡島を予定しており、今、九州地方を襲っている大型台風10号の被害が気になっております。

先に言っておきますが、9月下旬に屋久島に行くスケジュールを組んでしまったことを、すでに悔やんでおります。

そもそも9月は、台風襲来の可能性が高い時期です。そして鹿児島県は、それを避けることが出来ない地であり、屋久島へは、空路にて鹿児島空港より乗り込むことになっており、もしかしたら、往路は実現できても復路が欠航すれば、屋久島に余分に滞在する羽目になるかもしれません。

そして口永良部島へは、屋久島宮之浦港よりフェリーにて往復するのですが、これが欠航する確率は、鹿児島・屋久島間の飛行機の欠航確率よりも、かなり高そうであります。欠航しないとしても、波が荒ければ、到着の遅延等で口永良部島への島流しとなる可能性もあり、いくら何でも、それだけは避けたいと思っております。

そもそも口永良部島へは偶数日運行の午前便にて、口永良部の現地滞在40分間があるため、これを利用して郵便局だけを訪問するプランでありますが、先人達の訪問記などを調べていくと、宮之浦遅発・口永良部延着、帰りは10分前にタラップを外す・・・などで正味13分しかなかった。などという恐ろしい経験をした記述もあったりして、これはいよいよ海が‘べた凪の日’にしか実施できそうもないかと思い始めているところです。

鹿児島・屋久島間は、8月上旬に早々とJACのスーパー早得便で予約しており、また鹿児島空港までは、往路は中部空港より出発、復路は静岡空港へ到着と変則(当初、FDAの静岡空港往復の予約でしたが、FDAより往路欠航が通知されたため、ANAの中部空港発に変更したもの)となってましたが、取消手数料がネックでした。

色々調べていくと、JACについては10/24まで、ANAについても来年1/31までの搭乗日限定の‘取消手数料無料’キャンペーンがあり、それに乗っかれば‘払戻手数料’440円のみで日程変更が可能ですが、割引額が変わってきており、同様にFDAの方も割引額が悪くなっており、凡そ7,500円ほどの追加出費となるようです。

いずれにしましても、今後の台風発生の状況を踏まえつつ、延期の道も探りながら、9/15頃までには結論を出していきたいと思っております。

2020年9月 3日 (木)

877.長崎遠征のご報告-その2-

長崎県島原遠征の最終日は、雲仙岳の麓、標高700㍍にある雲仙温泉に配置された雲仙郵便局からのスタートです。この日は、朝から雨が降っており、雲仙温泉付近は霧雨の状態で、視界が悪くなっておりました。

ここの雲仙温泉には、若いころに添乗員として別府・熊本を経由しての最終日に宿泊したことがあり、約37年ぶりの訪問でありました。硫黄の臭いの立ち込める雲仙地獄は、特に思い出深いものでした。

Photo_20200902104002 その後、雲仙市小浜町で3局、雲仙市千々石町で2局を廻り、雲仙市愛野町から始まった島原半島めぐりは終了しました。雲仙市16・島原市15・南島原市20の計51局でありますが、前述の閉鎖簡易局1局の今後の動向が気になるところです。

その後は、諫早市飯盛町、長崎市東長崎地区、諫早市多良見町から諫早市内を時間まで廻りました。16:11発の特急かもめに乗車する関係で、局メグは15:30には打ち切り、最終日の局数は26局でありました。

三日間では76局を廻り、昨年初訪問したばかりの長崎県の累計局数は、9局から85局と9.4倍増となりました。

今回も、風景印及びポスト型はがきの収集も若干実施しておりますが、島原半島での風景印配備状況としては、雲仙市6・島原市4・南島原市1の計11箇所しかなく(稲生調べ)、少な目な気がしております。

初日が瑞穂局・南高湯江局、二日目が島原江戸町局・南有馬局、最終日が雲仙局・千々石局の6箇所で収集してみました。東長崎や諫早市内でも収集する予定もあったのですが、帰りの時間が気になり、貯金優先で臨んだため、これは割愛することになりました。

次回の長崎遠征は、12月に佐世保・松浦・平戸方面を廻る予定となっております。

※写真は、旧・大野木場小学校の被災校舎。

2020年8月31日 (月)

876.長崎遠征のご報告-その1-

8/25〜27に実施した長崎県島原遠征のご報告です。

ご存知の通り7/7〜9に実施予定のところを、後に令和二年7月豪雨となった大雨の影響でキャンセルした遠征をリベンジしたものです。

今回は、猛暑の中での遠征でしたが、台風8号が沖縄から九州の西部海岸部に北上してくる状況で、島原では時折の小雨程度の影響でありました。むしろ、良いお湿りでありました。

Photo_20200831083001 7/22から始まったGoToトラベルキャンペーンにより、もともと安価な宿泊料(1泊朝食@4400)が35%オフとなり、これは良い思いをしました(ここへ連泊)が、お盆直前に一時閉鎖した簡易局(南有馬吉川局)が発生し、これが後に再開した際には、厄介な‘落ち穂’となる可能性も出て来ました。

諫早駅を6分遅れの12:39に到着し、レンタカー会社近くの諫早永昌局に立ち寄り1局目とした後、諫早東部・森山・吾妻・瑞穂・国見から有明北部まで廻りタイムアップとなりました。初日は16局でした。

局メグ後は島原城に向かい見学をしたり、国道251号や‘がまだすロード’などで島原市内を走って廻り、島原市を体感してみました。

二日目は、続きとなる有明南部から島原・深江・布津・有家・西有家・北有馬・南有馬・口之津・加津佐さらには雲仙市の両串山まで廻ることができました。34局でした。

島原市内の宿泊地に戻るルートが雲仙温泉経由のルートとなり、これは翌日の予習にもなり、最後に平成の噴火の際に火砕流によって破壊された旧・大野木場小学校への見学もしてみました。火砕流は、思った以上に山すそまで迫ってきたものだと驚きました。

最終日については、次の記事にてお知らせします。

2020年8月27日 (木)

875.コロナ禍における結婚式

先週、コロナ禍における結婚式に出席してきました。

このご時世ですので、極力出席を避けたかったのですが、息子の結婚式でしたので、新郎の父親が欠席するわけにはいかず、出席した次第です。

今年2月に籍を入れ、8月に結婚式を行うことを、昨年のうちに決めていたようで、私としては、どうして入籍直後に式を挙げないのか不思議でしたが、まさか入籍後の春先にコロナ騒動が降って湧くとは知らず、むしろ、先見の明でもあったのかもしれません。

Photo_20200824192101 ですが、私の知っている結婚式とは、だいぶ違っておりました。

挙式・披露宴は親族のみ。すなわち、新郎側3名と新婦側5名と御両人の計10名だけによる、ある意味純粋な結婚式でありました。

式では、神父も周りの付き人もみんなフェイスシールドを着用し、列席者はマスク着用です。

披露宴では、会社同僚や友人などの列席はないため、余興など一切なく、新郎側のテーブルと新婦側のテーブルの2テーブルのみの、いささか寂しい宴でありました。

式は浜松で執り行われましたが、新婦は埼玉県出身でしたので、新婦御両親は車にて来浜し、前泊及び当日泊をして、帰られました。

私としては式の翌日に、浜松市内をご案内したかったのですが、相手側が躊躇しており、それもかなわず、これといったおもてなしもできずに終わったのです。

両家の行き来は、コロナ禍が落ち着いてからということになりました。

2020年8月23日 (日)

874.「暑さ日本一のまち」補足

先日の記事の補足説明です。

当浜松市も「暑さ日本一のまち」の称号を得たことで、浜松市民という理由だけで、なぜか祝福のメッセージが届いたという声も聞かれております(笑)。

8/16.17と40℃超えとなった浜松の最高気温は、その後の暑さは35℃程度が続いており、一度高熱を出したものの、その後は平熱に戻ったといったところです。

そもそも暑さを争う常連ではなかった浜松市中区が、なぜ日本最高の気温を記録したのでしょうか?

戦前の記録ながら長いこと最高気温の記録を持っていた山形や、関東の熊谷・館林や青梅もしくは中部の多治見、四国の江川崎などの暑さ常連の地は内陸部にあり、熱が溜まりやすい地形であるのに対し、浜松は海岸沿いであり、海からの涼しい風が吹いていて、最高気温とは無縁の地でありました。

浜松市は中区(高丘町)・天竜区(船明)・天竜区佐久間の3つの観測地点を持ち、後の2つは内陸部の特徴が出て、時折県内最高気温を記録してきましたが、中区では、それらとは無縁の場所でありました。

あるところの解説によると、1.強い日差し、2.朝の気温が高かった、3.浜松の地形、4.高気圧の配置、5.フェーン現象の5つを挙げて解説しております。

1.連日の晴天で、日中の日差しが強烈であった。

2.前日の最高気温が40℃超えで、朝の最低気温が27.8℃と下がり切らないまま朝を迎えた。

3.南側は海に面しているものの、北西部には山が連なっている。

4.強い太平洋高気圧に覆われ、高気圧の中心の西にあった浜松には右回りの北西風が吹いていた。

5.山越えのフェーン現象が起き、長野県からの熱風に加え、愛知県からの熱風も加わったダブルのフェーン現象となった。

まさに気温が上昇する条件がピッタリ合ったということでしょうか。

こちら の浜松市HP内にある 「浜松の日本初・日本一」に、一つ大きな日本一の称号が加わったのでした。

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