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2021年4月14日 (水)

943.令和3年4月12日の局メグ

4/12(月)は、浜松助信郵便局が移転改称して浜松高林郵便局となった初日でしたので、ここを拾うべく局メグを実施しました。

初日マニアは朝イチが良いとのことですが、私・稲生としては密を避けるため、その前に風景印収集として9局ほど近隣を廻り、10局目として訪問しました。その後さらに5局を廻り計15局廻ってきました。

これまで浜松市内の風景印収集にあたっては、10局縛りをしていたのですが、今回はこれを増量して15局としてみました。それでも、1局目が10:00スタートで、15局目が終了したのが14:30と、正味4時間半の余裕の局メグでありました。

下りストレートの日・ゾロ目の日・上りストレートの日では、それぞれ遠州鉄道沿線・天浜線沿線・東海道本線沿線にこだわってみましたが、浜松市内にはそれ以外のレールは無く、今回はそれらの内側を廻ってきました。

Photo_20210414012001 それでも、1局目の浜松三方原局から浜松北局・浜松葵局・浜松幸局・浜松和地山局・浜松布橋局・浜松鹿谷局・浜松元目局までの8局は、一応、かっての遠鉄奥山線沿線であります。

お目当ての浜松高林局には12:45頃の到着となり、番号札は32番でありました。同業者らしき方は数名ほどで、すでに一息ついている時間でありました。番号札を取っていない方もいるとして、午後の訪問者も若干はあるとして、初日の訪問客は多くても70名ほどではないかと推測されます。

応援の要員と思われる職員は、私の見る限りいなかったので、もし開局時に応援要員がいたとしても、早々に撤収していたのではないかと思われます。記念品があったかどうかは、尋ねることを忘れていました。

ともかく、浜松高林郵便局の初日訪問によって、静岡県の14回目の完訪となりました。

前の記事でもつぶやいたように、浜松市内全107局の風景印コンプリートへの道を歩むことを決定しました。

過去の風景印収集状況を調べてみたところ、浜松市内としては4/5までで41局。それに今回の15局を加えて計56局となり、半分を超えることになりました。残りの51局は、4回ほどに分けて、夏ごろまでに実施していこうかと思っています。

そして、GW時の作業として、浜松市内の風景印収集したものをスキャンして、HPにアップしていくことも決めましたので、これについては楽しみにしていてください。

※写真は、初日訪問を果たした浜松高林郵便局。白を基調とした小綺麗な局舎です。

2021年4月10日 (土)

942.令和3年4月5日の局メグ

先日の4/5(月)は、3.4.5の上りストレートの日ということで、風景印を求めて浜松市内の直営局を10局廻りました。

こういった日に風景印を求める理由は、昨年の令和2年3月4日の局メグの記事で触れていますが、貯金では3-04-05になるのに対して、風景印においては3.4.5と連なって印字されるからであります。

今年は2/1の3.2.1の下りストレートの日、3/3の3.3.3のゾロ目の日において、すでに10局ずつ廻っており、浜松市内の風景印収集は合わせて30局に達することになりましたが、浜松市内の風景印設置局は107局あり、まだまだ一部に過ぎません。

345 私・稲生にとって、貯金通帳への局名ゴム印押印(1000円貯金)が主目的であり、風景印押印はあくまで副産物に過ぎませんが、こういう収集モノは癖になるようで、もう少し集めてみたい気持ちが湧いております。

すなわち、目指せ、浜松市内全107局のコンプリートであります。

これについては、現状の風景印収集状況を一度整理してみて、それから進めていこうかなと思います。

さて、去る2/1は浜松西崎局から浜松局までの遠州鉄道沿線、3/3は天竜局から三ヶ日局までの天浜線沿線と廻りましたので、今回は中野町局から舞阪弁天島局までの東海道本線沿線の10局を選んで廻ってきました。

今回廻った10局では、2局目に廻った浜松橋羽局以外は41年前のS55年に廻っております。で、H12には再訪しており、中野町局・高塚駅前局・舞阪駅前局・舞阪局の4局はH13またはH14に再々訪しております。

浜松橋羽局は、S55年に通算59局目に訪問した浜松宮竹局が、H12.2.21に移転改称した局で、今回は、ここだけが再訪となっており、それ以外の局は、上記に記載の通り再々訪・再々々訪でした。

当日は春のうららかな日で、なるべく局員さんと談笑しながらゆっくり廻るも13時半には終了しており、自分の中で10局縛りをしていなかったら、もう少し廻りたくなるような日でした。

2021年4月 6日 (火)

941.福岡遠征のご報告-その2-

今回の福岡遠征でのトピックスなどをお話ししてみましょう。

実は、相変わらず番号札コレクションをしているのですが、初日の1局目の博多駅東局の番号札には「JT博多ビル内郵便局」と印字されていました。数年前に改称があったそうですが、直すことなくそのまま使用していました。

9局目の福岡麦野局のあとに、金八先生でおなじみの武田鉄矢氏の実家の武田たばこ店に立ち寄り、激写してきました。ネット上に番地が掲載されており、ナビに入れれば迷うことなく見つかりますが、店は閉まっていました。

初日の局メグ後の太宰府天満宮参拝は、50年来の念願でもありました。浜松に住む者にとっては、九州福岡の太宰府天満宮はとても遠方であり、一生に一度死ぬまでにお参りできるかどうかの場所です。45年ほど前の大学受験の頃には、京都の北野天満宮へお参りをし、その1年後には北野天満宮に御礼参りもしておりますが、本家にお参りするのに、それから50年近くかかってしまったということでした。

Photo_20210405212901 ここでは、同居家族と息子夫婦へのお守りを、それぞれ買ったので、天満宮に結構なお金を納めさせていただきました。

二日目は福岡市南区から那珂川市・春日市・大野城市・太宰府市・筑紫野市のいわゆる福岡市郊外の人口増加地域であった上に年度末でもあり、各局は混みあっていました。福岡は九州一の都市であることを実感した次第です。

最終日では、佐賀県基山町の2局をスタート地点としたのですが、その先の鳥栖市・みやき町などは2年半前に佐賀県の初訪問として訪問済みであり、今回の必須の地域でありました。

今回の福岡遠征では、局員さんから「どちらからお出でですか?」と尋ねられた際に「福岡県と一字違いの県からです」と謎解きで答えてみました。ヒントとしては、私の風貌と九州言葉ではなさそうな話し方なのですが、これが正解がなかなか出なくて時間切れになるばかりでした。

「福井」「福島」「岡山」と不正解が出て来ます。結局、正解が出ることは無く、帰り際に「静岡」と正解をつぶやいて局を出ることになるのでした。面白い現象でしたので、今後の福岡遠征でも、使ってみようかと思っています。

こんな感じで、私・稲生の郵便局めぐりも楽しくコーディネートしながら、進めております。

※写真は、朝倉市の秋月郵便局。秋月は筑前の小京都と呼ばれています。

2021年4月 3日 (土)

940.福岡遠征のご報告-その1-

3/30から4/1の三日間に亘って、福岡県福岡市・那珂川市・春日市・大野城市・太宰府市・筑紫野市および筑前町・朝倉市などを廻ってきましたので、ご報告いたします。

初日は博多駅を10:46に到着し、筑紫口近くの博多駅東局・福岡合同庁舎内を徒歩で訪問後、レンタカーを借り博多区南部・大野城・太宰府と廻り、予定通りの20局。局メグ後は、太宰府天満宮への参拝を果たすことができました。

この日は黄砂が発生しており、往路の新幹線の中で見た景色は、西に行くにつれ霞が濃くなっていくようで心配でありましたが、車の運転などへの悪影響はなく、事なきを得ました。

Photo_20210404132701 二日目は、南区南部の8局から始め、春日・那珂川から大野城南部と太宰府南部の市域が混在する地域を経て、筑紫野中部までの29局を廻りました。実は、1局目のスタートが10分強遅くなってしまい、途中の挽回もあったものの、逆に道間違いやナビの裏切り(?)などもあり、結局最後に予定した太宰府市の東ヶ丘団地簡易局は時間切れとなってしまいました。

最終日は、佐賀県基山町の2局からスタートし、筑紫野より筑前町・朝倉市甘木を経て、小郡市三国に戻ってくるコースを30局廻りました。二日目の取りこぼしの東ヶ丘団地簡易局も途中に組み込みましたが、後々よく考えてみると、初日のラストに訪問しておいても良さそうな場所にありました。

最終日は30局でしたが、ラストの小郡三国が丘局が15:40の終了でしたので、結果的には、ラストの4局前に予定した松崎局を割愛しなくても良かったようです。博多駅筑紫口へのレンタカー返却の所要時間も予定どおりで、復路の新幹線へは時間が余るほどでしたので、その1局がなんとなく心残りでありました。

黄砂ではあったものの晴れの続いた三日間であり、春爛漫の過ごしやすい気候の中の局メグにおいて、福岡県77局、佐賀県2局の計79局を廻ってきました。

福岡県は累計562局で、残りはまだ241局もあるのですが、佐賀県は累計89局にして残りは112局と、来年のテーマ地域にしても良いほどの残局数となりました。

その2では、三日間でのトピックスをお話ししたいと思います。

※写真は、太宰府天満宮。

2021年3月30日 (火)

939.遠州簡易郵便局めぐり Bコース 後半

遠州簡易郵便局めぐりBコースの続きです。

6局目までが平野部にある簡易局に対して、後半の5局は山間部にあります。

森町谷中簡易局の後にコンビニ休憩を挟み、7局目は森町市街地を抜けた先の森町亀久保簡易局です。(12:30頃)②H12.6.27に累計222局目に訪問しております。ちょうど昼時で、局の向かい側にある自宅と思われる家から受託者が出てきて手続きをしてくれました。うろ覚えなのですが、20年前も、同じようなパターンで対応してくれたような気がしました。

ここから上流部に進み、太田川ダムの右岸沿いに北上し、途中から約3㌔ほどは狭隘道路を進み、県道63号を左折して8局目の三倉大河内簡易局に到着しました。(13:00頃)太田川ダムはH20(2008)年に竣工したようで、H12の当時はダムの工事中で、ダンプとのすれ違いがあったりして、中々の厳しい道路であった覚えがありました。

②H12.6.27に累計221局目の訪問でしたが、当時の局舎は現在の受託者と違っていて、坂を上った集落内にあり、場所が分からなくて電話した覚えがありました。今回も、そんな記憶の話などでしばらく歓談してきました。

三倉大河内簡易局からは、県道63号を川沿いに下り、その後県道58号にて春野町方面に進み、国道362号にて気田の町を通り過ぎて、小石間トンネルの側に左折していった先に9局目の春野豊岡簡易局はありました。(14:10頃)途中の春野協働センター(旧春野町役場)には、春野宮川簡易局があり、累計219局目として訪問していますが、R2.4.1より一時閉鎖しております。

Photo_20210327204001 春野町地内に入ると桜はどこも満開に近く、遠州地方では平野部よりも山間部の方が早く開花して満開になっていくことが良くわかりました。寒暖の差の大きい山間部の方が、睡眠打破が進むということでしょうか。

②H12.6.27に累計220局目に訪問しております。20年前は今回と逆順で、春野町から森町に進んでいたようです。ここもH12当時は、集落の別の場所でしたが、受託者が変わり場所を変えておりました。ここの県道389号は、気田森林鉄道として、上流部の門桁集落あたりまで存在していた(S34年廃止)のを、ほぼそのまま使っており、入り口部の小石間トンネルも馬蹄形の狭隘トンネルとなっており、途中での交換待避所でのみすれ違いができるトンネルでした。私は、ちょうど帰りにそのすれ違いを経験しました。

春野豊岡簡易局からは、小石間トンネルを経て国道362号に出て、秋葉神社脇から気田川沿いに走る県道286号と285号でショートカットするように進み、天竜川筋の国道152号に出て、秋葉ダム横をとおり10局目の瀬尻簡易局には15:25に到着しました。

秋葉ダム付近の国道152号は、土砂崩れのため昨年7月から約10㌔の区間が通行止めになっており、その迂回路として使っていた対岸の県道285号も10月に土砂崩れがあり、通行止めとなっていて、それらの迂回路は約60㌔先の三遠南信自動車道と大変なことになっていましたが、なんとか昨年末に解除となっています。このあたりは、天竜川筋でも両側に山が迫っている狭いところで、土砂崩れによる通行止めなどが時々おきる暮らしにくい地域であります。

H12.6.21に累計216局目として訪問しており、H24.12.12に再訪しております。ここは、法人としての龍山町瀬尻自治会が受託者となっております。ここでは、対岸にあった峰之沢鉱山のお話しなどをしてきました。

さらに天竜川筋の国道152号&472号を進み、ラストとなる佐久間町簡易局には、15:50過ぎに到着しました。佐久間駅前局がH17.8.31に廃止となった代替としてH12.9.1に佐久間町簡易局として設置されており、③H17.9.21に累計1802局目として訪問しております。その後、H24.12.12に再訪、R1.12.27に再々訪をしております。

H17の設置当初は、7.1に佐久間町が浜松市に合併した直後で、佐久間町支所として建物内も賑やかでしたが、いつのまにか支所だけが移転しており、簡易局だけが寂しく立地しているようになっていました。ですが、来る4.26より佐久間町浦川にある浜松磐田信金佐久間支店が移転してくるようです。

長くなってしまいましたが、これにて遠州簡易郵便局めぐりのBコースのご報告を終わりにさせていただきます。

※写真は、瀬尻簡易郵便局。

2021年3月27日 (土)

938.遠州簡易郵便局めぐり Bコース 前半

遠州簡易郵便局めぐりの第三回目として、Bコース・森町・北遠地方めぐりを3/24(水)に実施しましたので、ご報告させていただきます。

概要編で示した際には、Bコースは森町・北遠地区9局としていましたが、最後に廻る予定のCコースの負担を減らすために、Cコース最初の2局を途中に差し込んで11局としました。このため、Cコースは当初の14局からDコースラストに訪問した1局も合わせて3局減らすことになる11局となり、廻りやすくなりました。

今回の11局には、①S55年初訪問局が1局、②H12年訪問局が6局、③H17年以降に新規‘落ち穂’として発生した局が4局となっています。(①・②・③の定義付けは概要欄を参照)

1局目の上中瀬簡易局は、自宅から8㌔足らずの場所で、同じ浜北区内にあります。①S55.4.11に累計114局目として訪問しており、②H12.6.21に再訪しています。ここでは、私の話をよく聞いてもらうこととなり30分近く滞在してしまいました。今後は、この局を簡易局としての馴染みの局にしても良いのかなとも思いました。

Photo_20210326175301 2局目は天竜病院内簡易局です。天竜区の南端部分でありますが、所在地は浜北区内となっています。②H12.6.21に累計209局目として訪問しておりますが、2年ほど前に綺麗な鉄筋コンクリート造りに建て替えられたようです。以前は、木造の昭和の建物でありました。

3局目は豊岡敷地簡易局です。③H25.7.17の貯金業務開始初日に訪問しております。累計では11425局目であり、私はすでにベテラン局メグ家になっておりました。天浜線敷地駅舎内にありまして、桜の木と駅舎のコラボが似合う場所ですが、当地の桜は、まだ5分咲きである上に、少し桜の枝を切ってしまっており、絵になる感じが薄れてしまっている気がしました。

豊岡敷地簡易局の1週間前に貯金業務を開始した井通簡易局も、同日に累計11424局目として訪問しておりますが、貯金開始から4年後のH29.6.27に一時閉鎖されてしまっております。

4局目は匂坂簡易局です。③H21.11.18の再開開始日に累計6304局目として訪問した後、R1.12.27に再訪をしております。この時は、磐田市立総合病院内簡易局が閉鎖する日で、道すがらということで、その前に訪問してみたのでした。

ここは、ローソン店舗内の簡易局であり、長野県坂城町の上五明簡易局(H21.2.18設置)に次ぐコンビニ店舗内の簡易局です。私は、この2店舗のような形態のコンビニ店舗内簡易局が、今後は続いていくのかと思っていたのですが、その後に続く簡易局は無いようです。いや、私が知らないだけで、他にもあるのかもしれませんが・・・

5局目は袋井今井簡易局です。③H23.8.4の貯金業務開始日に累計8559局目として訪問しております。ここでは、若い受託者(補助者かも?)でしたが、私の話を興味深く聞いてくれました。いや、本当は興味深くではなく、聞き上手なだけだったのかもしれませんが、それでも、こちらとしては満足です。

6局目は森町谷中簡易局です。②H12.6.27に累計223局目として訪問後、なぜかH14.8.8に再訪しています。20年前と受託者は変わっていましたが、相変わらずのオンボロ局舎でした。今回、森町名産のトウモロコシ・甘々娘(かんかんむすめ)で有名な鈴木農園にほど近い場所であることに気が付きました。

ここまでで6局ですが、やはり長くなりました。後半の5局に続きます。

※写真は、匂坂簡易郵便局。

2021年3月24日 (水)

937.遠州地方>静岡県西部地域

今回は、静岡県内の地理的要素として、基本的なお話しをさせていただきます。

私の住む浜松市を中心とした地域を、遠州(えんしゅう)地方と呼びます。これは令制国としての遠江(とおとうみ)国のことを示す俗称であります。遠江とは、都近くの琵琶湖が近くの湖・近江であるのに対し、遠くの湖としての浜名湖・遠江からの命名であります。

例えば近隣の尾張国・三河国や駿河国・伊豆国のことを、尾州・三州・駿州・豆州と俗称で呼ぶよりも尾張・三河・駿河・伊豆とズバリ呼ぶことが多いのに対して、遠江とズバリ呼ぶことは少ないです。遠州と呼ぶことの方が多いです。‘とおとうみ’が言いにくいこともあるのかもしれません。

鉄道の駅では同名回避等を目的として、全国的にも旧国を冠して呼ぶケースが多いのですが、浜松市中区から天竜区までの路線を持つ遠州鉄道鉄道線では‘遠州小松’‘遠州小林’など‘遠州○○’としております。旧国鉄線の天竜浜名湖鉄道でも、‘遠江桜木’‘遠江森’‘遠江二俣’は第三セクターとなった際に‘桜木’‘遠州森’‘天竜二俣’とそれぞれ改称しており、唯一‘遠江一宮’のみ現存しています。

余談ながら、遠江を冠した郵便局としては掛川市の遠江大東郵便局が唯一存在しています。ここは大浜郵便局がS58.7月に移転改称して遠江大東局と名乗ったもので、昭和の時代に後付けで遠江を冠した珍しいケースであります。

1_20210323195301 そんな遠州地方(=遠江国)なのですが、駿河国との境界は大井川であります。江戸時代に架橋がされなかった‘越すに越されぬ大井川’であります。大井川右岸が遠江国、左岸が駿河国であります。大井川は東海道の難所で有名ですので、それが駿遠の境界であるのは、判りやすいことではあります。

 厳密には、河口の右岸の吉田町、左岸の旧・大井川町から、大井川を遡っていき旧・本川根町までが大井川が駿遠の境界となっており、その先の上流部の旧・井川村は、右岸・左岸ともに駿河国です。21世紀の今、リニア新幹線トンネルで注目されている静岡県の最北端部分の大井川源流域は、古来から駿河国であります。

そして、大井川右岸が旧遠江国の榛原郡、左岸が旧駿河国の志太郡でしたが、中流域の川根地区では、昭和の大合併の際に大井川を挟んだ地域間の合併があり、中流域における志太郡(伊久身村・笹間村・徳山村・東川根村)は消滅して榛原郡の所属の町(川根町・中川根町・本川根町)となったのです。それでも志太郡は下流部に残っていた(大井川町・岡部町)のですが、平成の大合併により完全に消滅しました。

話が長くなってしまいましたが、タイトルの部分のお話しはここからです。

2_20210323195301 旧遠江国起源の榛原郡を西端として志太郡・安倍郡・庵原郡(以上3郡は、すでに消滅)の4郡のエリアを県中部地域としています。判りやすく言えば、牧之原市・榛原郡(川根本町・吉田町)・島田市・藤枝市・焼津市・静岡市のエリアであります。つまり、大井川水系は、全域において県中部地域となったのです。

これに対し、旧遠江国のうち、浜名郡・引佐郡・磐田郡・小笠郡(以上4郡は、すでに消滅)と周智郡の5郡のエリアを県西部地域としています。これも判りやすく言えば、湖西市・浜松市・磐田市・周智郡(森町)・袋井市・掛川市・菊川市・御前崎市のエリアであります。

このうち御前崎市は、小笠郡浜岡町と榛原郡御前崎町との合併ですが、人口・面積の多い浜岡を名乗らずに、昔からの景勝地である御前崎を名乗っており、くしくも浜岡原発の名を隠す形になっており、これを私・稲生は‘浜岡隠し’と呼んでおります。

旧御前崎町は、榛原郡時代は県中部エリアでしたが、御前崎市になってからは県西部エリアになりました。労基署・年金事務所・警察署・税務署から免許センターなど公的機関の所属はすべて、県西部エリアの所轄となりました。

気象庁の予報区分も御前崎を含んで県西部エリアとなり、これまで県西部は駿河湾までは達していなかったのが、僅かながらではありますが駿河湾に届くことになり、私・稲生だけかもしれませんが、秘かに喜んでいるものもおります。

ということで、大変長いお話しとなってしまいましたが、遠州>県西部 の件の話題を終了させていただきます。長々とお付き合いありがとうございました。

2021年3月20日 (土)

936.通算20,000局達成!

今回の山口遠征において、通算20,000局を達成しました!通過点ではありますが、大きな節目の数字であります。

苦節42年!実質21年での達成でありました。

苦節42年というのは、郵便局めぐりを始めたのが昭和55(1980)年1月31日でありまして、そこから数えて足掛け42年後の今年(2021)3月11日に20,000局を超えたということです。

実質21年というのは、昭和56(1981)年11月27日(⇐25歳の誕生日でもある)までの1年半ほどで195局廻ったところで、趣味の郵便局めぐりを封印し、18年半後の平成12(2000)年5月31日に、趣味の郵便局めぐりを再開し、昭和の時代に廻った195局を含めて、一から廻り直したため、再開した日から数えて21年目での20,000局達成であったのです。

つまり、23歳から始めて41年後の64歳で20,000局の大台を達成したという、広大なライフワークでもあるのです。

Photo_20210319011301 通算5,000局は、平成21(2009)年2月10日京都府の久御山佐山局でした。再開の日から8年9ヶ月かかっていますが、このときにはすでに、大きな節目を迎えたような感覚がありました。

通算10,000局目は、平成24(2012)年6月29日新潟県の浦浜簡易局でした。5,000局目から3年4ヶ月後ですので、かなりの猛スピードで駆け上がって来てますね。日本海と三方を山に囲まれた静かな漁村でひっそりと達成していますが、浦浜簡易局は半年前に一時閉鎖してしまっております。

通算15,000局目は、平成28(2016)年4月22日茨城県の川根局でした。10,000局から5,000局を積み上げるのに3年10ヶ月かかっていますので、スピードは若干落ちてきてはいるものの、順調な歩みに見えます。

そして直近の5,000局の積み上げには、4年11ヶ月ほどかかりました。たまたまですが、20,000局目の3月11日は東日本大震災の発生から10年の節目の日でした。

東日本大震災の発生の日は、股関節の手術で浜松医大病院に入院していましたが、退院間近のころで、同室の患者と雑談していると、その方がめまいがするというので、気を付けてみると地震が発生していたのでした。その後、テレビをつけてその後の惨状を知ることになりました。

ですから私の10年前の通算記録は、平成22(2010)年12月24日の8,010局でありました。そこから数えると12,000局を積み上げたことになります。

私が郵便局めぐりを続けているのは、知らない街や村を廻っていくことが好きだからです。歳を取りすぎて廻るのが苦痛になったら、辞める覚悟はしていますが、まだまだ楽しい気持ちになっているうちは続けていくつもりです。

この先どこまで積み上げるのかわかりませんが、とりあえずもう少し続けてみることにいたします。

※写真は、20,000局達成の前日に立ち寄った元乃隅神社・龍宮の潮吹。

2021年3月17日 (水)

935.山口遠征のご報告-その2-

それでは、今回の山口遠征でのトピックスをいくつか。

初日は概ね順調でしたが、既出のとおり板持簡易局が機械故障により翌日回しになってしまいました。翌日の1局目に予定していた黄波戸局と、それほど離れていなかったことは不幸中の幸いでした。

二日目は日本海沿い及び一部内陸部に攻め込んでいくコースですが、その13局目の殿居局では、隣接地に大正時代に建築された洋風の旧局舎が保存されており、感動しました。県の指定重要文化財となっているようです。

18局目となった角島局では、千円貯金の他に はがき購入(10枚)・風景印押印・ポスト型はがき購入・角島大橋開通20周年記念切手シート購入と、散財してみました。全長1,780㍍の角島大橋のまわりの海は、綺麗なコバルトブルーで沖縄の海と遜色ないほどでした。

Photo_20210315205301 23局目の宇賀(うか)局では、同字異音であるアナウンサーの宇賀(うが)なつみさんが、一日郵便局長として来局されたそうです。彼女は東京FMの『日本郵便 SUNDAY'Z POST』のパーソナリティを務めております。

最終日は、局メグのスタートする9時ごろから雨が降り出し、時折本格的に降るという悪コンディションの中を、粛々と進むことになりました。予定の27局をしっかり廻り切らないと‘落ち葉’を作ってしまうことになり気を使いましたが、最終局の厚狭局には15:50過ぎになんとか到着できました。その後、新山口駅までの回送の時間と新幹線の乗車時間(17:18発)のこともあり、余裕はありませんでした。

5局目の下関南部町(なべちょう)局は、明治33年新築の局舎をそのまま使用しており、重厚な建築物となっていました。日本最古の現役郵便局舎とうたっていました。ここも一見の価値があります。

22局目の厚保(あつ)局では、通帳更新をお願いしました。111冊目から112冊目への切り替えです。

以上のような感じで、予定の66局を無事廻り切り、山口県での残局数を93局から27局としました。残りの局数は少ないのですが、1島1局の離島が3つあり、そのうち柱島と見島は訪問難易度もかなり高い島であり、コロナ禍での渡島制限などがあれば、それまでであり山口県の今年中の完訪は達成せずということになる可能性も、少なからず残っております。

予定としては、岩国残部と柱島を8月のお盆時期に、見島・萩大島と萩市内等を11月に実施することにしております。

※写真は下関市豊田町殿居の殿居郵便局・旧局舎。

2021年3月14日 (日)

934.山口遠征のご報告-その1-

3/10(水)から12(金)は、本年のテーマ地域でもある山口遠征を実施しました。

当初は宮崎遠征を予定していたのですが、ゆうちょラリーの開催期間が、コロナの影響で2年間での得点を競うことになったこともあり、2020年度中に宮崎県を訪問すべき強い理由もなくなっていました。

宮崎県入りが東海道山陽新幹線+日豊本線というのも、直近の大分遠征と同じ経路であったので、これを連続して実施するのを取りやめ、4月中旬に予定していた山口遠征と差し替えてみることにしました。

山口遠征での三日間の天気は、初日が晴れるも風強し、二日目は晴れで風弱し、三日目は雨でありました。

Photo_20210315205201 初日は、新山口駅を10:33に到着後、レンタカーを借りて宇部市の山の中の2局のあと、美祢市秋芳町より長門市に入り、三隅・仙崎・青海島・深川と廻り最後は俵山局にて終了しました。ラスト直前の板持簡易局では、端末機械に小銭が引っ掛かったようで故障中となっており、やむなく翌日に回すことにしました。初日は15局でした。

局メグ後は、海岸沿いに鳥居が並ぶ景観が美しいパワースポット・元乃隅神社に立ち寄りましたが、コロナの影響で神社内には入れず、強風でしたので海岸端にも近づいてみる気がしなく、結局、写真撮影だけとなりました。

萩市内宿泊後の二日目は、板持簡易局よりスタートして、長門市日置・油谷から下関市に入り、角島を含む豊北町、豊田町の北部2局、最後は豊浦局と、日本海沿いと一部内陸部を廻り24局でした。

二日目の局メグ後は、火の山公園から関門海峡を眺めました。ここは、以前にも訪れた場所でもあります。

そして二日目の4局目となった油谷局にて、通算20,000局の節目を迎えました。感想等は、別記事とします。

下関市長府宿泊後の最終日は、終日の雨となり時折強く降る時間もあって、局廻りには適していない日ではありましたが、下関市中部・東部と美祢南部・楠・山陽と残っていた地域を、なんとか予定通り廻り27局でした。

ともかく予定通りの66局を廻り、黄色いガードレールの県の累計を377局とし、残りは27局となりました。

※写真は、下関南部町(なべちょう)郵便局。明治33年に建築された日本最古の現役郵便局舎。

2021年3月10日 (水)

933.静岡大学と浜松医科大学の再編(統合)延期問題

今回は、私・稲生の地元かつ出身大学である静岡大学と浜松医科大学の再編(統合)延期問題について、つぶやいてみます。

現行の静岡大学は静岡キャンパスに人文社会科学部・教育学部・理学部・農学部、浜松キャンパスに情報学部・工学部があり、全学横断型教育プログラムとして、学部の枠組みを越えた教育を受けることができる地域創造学環も設置されています。(学部記載順は静岡大学HPに拠っています。)

最後の地域創造学環はH28(2016)年度からスタートしているようで、なかなか能動的かつ画期的な取り組みのようですね。

1法人2大学への統合の合意書が交わされたのが2019.4月で、静岡キャンパスの4学部を静岡大学、浜松キャンパスの2学部と浜松医科大学を浜松医科工科大学もしくは浜松国立大学(ともに仮称)として、2022年度からの入学受け入れを目指すこととしました。

お隣の愛知県・岐阜県では名古屋大学と岐阜大学の再編・統合が進められております。大学の運営資金不足と少子化による学生数減少の両方を解決する策であり、時代の流れであると思います。さらに、医学部のなかった静岡大学にとっては、願ったり叶ったりの構想にも思います。

浜松側にしてみれば、従来から進めていた産学共同から産学医共同に幅を広げる話であり、現行の産業の育成・活性化のみならず、新しい産業の創造も考えられ、魅力ある研究体制が構築されうる話であります。

この構想を今年2月に、延期することに決定してしまったのです。主に静岡市と静岡キャンパス側による議論先延ばし戦術によるものです。そのこころは、研究者(大学職員)のポストが減るという、どうやら研究者サイドの死活問題をどうしていくかを詰めていないことにあるようです。

昔から、‘やらまいかの浜松’と‘やめまいかの静岡’という名言(?)があります。‘やらまいか’というのは、‘やりましょう’‘やってみましょう’という意味で、‘やめまいか’は‘やめましょう’‘やめときましょう’という意味です。

浜松人の考えは、まずはやってみるということで楽器産業(ヤマハ・カワイなど)やオートバイ産業(ホンダ・スズキ・ヤマ発)の勃興・興隆に繋がってきましたが、静岡人の考えは、既得権益の保護を図るということで、大店法規制などをしてきました。旧静岡市にイオンがないのも、コンビニの設置が遅かったのも、その影響でした。

4月から新学長となる日詰氏は、人文社会科学部長からの就任となり、統合再編に慎重な立場のようです。もう一波乱あるのかもしれませんが、文科省も進める大学再編の流れに逆らう強い理由が見出せない限り、両大学の再編・統合は避けられないものと考えます。

 

2021年3月 6日 (土)

932.令和3年3月3日の局メグ

去る3/3(水)は、3.3.3の日ということで、風景印を求めて10局ほど浜松市内を廻ってきました。

浜松市内の直営局の風景印設置率が高いことは、すでに3.2.1イベントの日の記事で触れておりますが、いずれはこれをコンプリートしていこうかなという気持ちも芽生えておりまして、今回も浜松市内縛りで行くことにしました。

そして、前回が浜松西崎局から浜松局までの遠鉄電車沿線にこだわってみましたので、今回は天浜線沿線にこだわってみました。

Photo_20210305100801 一応、3繋がりで三ヶ日郵便局が3.3.3の日に廻るのに相応しいのではないかと考え、そこから天浜線沿線での直営局を逆算していき、天竜郵便局を1局目として、天竜西鹿島局・赤佐局・浜北宮口局・都田局と進み、10局目を三ヶ日局で迎えるようにしてみました。

まあ、深い意味はありません。イベント=お祭りですから。

私・稲生の郵便局めぐりとしては、公式訪問としても再々々訪=4回目のところばかりでした。最後の三ヶ日局だけは再々々々訪=5回目でした。

各局において、1回目は40年前のS55年であり、二回目が20年半前のH12年、3回目が18年半前のH14年であります。三ヶ日局だけは3年前に初詣記念訪問として、再々々訪として立ち寄っております。

それでも、各局の風景印を押してもらうのは初めてでしたので、その絵柄の内容については、新鮮な目で見て行きました。地元ですので、おおよその絵柄の意味は理解できており、局員さんとの答え合わせはスムーズに進みました。

次なるイベントは3.4.5のストレートの日であります。まだ、どの方面を廻るのか考えていませんが、楽しみではあります。

2021年3月 2日 (火)

931.映画『二十二才の別れ』

続いて観たのが、映画『二十二才の別れ』です。副題は「Lycoris 葉見ず花見ず物語」

大林宣彦監督による大分三部作の第二弾として、伊勢正三作詞・作曲による「二十二才の別れ」の大ヒット曲を映画化したものです。2002年の映画『なごり雪』の公開から5年後、曲のヒットした1975年からは実に32年後の劇場公開でありました。

Photo_20210301115901 主役に浜松市出身の筧利夫が務め、劇中のナレーションも行っております。ヒロインは中村美鈴・鈴木聖菜と無名の女優(ほぼ新人)ながら、好演しておりました。脇を清水美砂・長門裕之・峰岸徹・村田雄浩らが固めていました。三浦友和も出てましたし、お笑い芸人・ヒロシも比較的に尺も長く出演しておりました。

主人公の川野俊郎は、福岡に住むエリート独身サラリーマン。出世のため、上海行きを承諾するかどうか迷っていた頃、コンビニで「二十二才の別れ」をくちずさんでいた少女・花鈴と出会う。その少女こそ、かって二十二才の誕生日に別れた彼女の実の娘であった。(映画の世界ならではの偶然性)

故郷の津久見と進学先の東京で同郷の葉子とぎこちない付き合いをしていて、葉子は殺伐たる東京に見切りをつけ、故郷に帰り結婚して生まれたのが花鈴であった。葉子は花鈴を生んですぐに死んでしまう。(ここで、この映画のモチーフである「葉見ず花見ずの物語」が成立)

家を飛び出してきた花鈴にも、同郷の同級生・浩之がいて、彼らも二十二年前の俊郎と葉子と同様に人生に行き詰っていた。そして、自殺しようとアパートを飛び出した浩之を、花鈴に追いかけろと告げる俊郎。二十二年前に葉子を追いかけなくて後悔していたのは俊郎自身であったのだ。

最後は、ハッピーエンドとなるのでご安心ください。

劇中はずっと正やんの歌う二十二歳の別れの曲が流れ、後半には津久見・臼杵あたりのプロモーション紹介のようになっておりました。

この映画は、二年ほど前と今回の二度にわたり鑑賞したのですが、大分遠征に帰って来てからの方が、内容の理解度が良かったです。

さて、大分三部作の第三弾は存在しません。大林監督は昨年82歳で没してますので、永遠に「なごり雪」「二十二才の別れ」の二作品のみであります。

ですが、ファンの中では伊勢正三の楽曲の中から、どれが第三作目に相応しいか憶測が進んでいました。候補作としては「置手紙」「君と歩いた青春」「海岸通」などでした。

2021年2月27日 (土)

930.映画『なごり雪』

♪鳥が鳴いて 川が流れて、野山は今 花が咲き乱れ、汽車は行くよ 煙はいて、トンネル越えれば 竹中だ♪

これは、南こうせつの作詞・作曲による「ひとりきり」の冒頭の一節ですが、最後の竹中が南こうせつの生まれ育った故郷の地名だったことは、知りませんでした。

確かに豊肥本線竹中駅は、トンネルを越えた先にありました。そして竹中地区は、大分市郊外にありながら住宅化の波にも外れて、南こうせつの育った当時のままのような、静かな農村でありました。

Photo_20210226125901 さて、本題に入ります。

伊勢正三の作詞・作曲による「なごり雪」は、イルカによるカバーバージョンがスマッシュヒットを呼び、早春の恋歌として広く知られるようになりました。1976年頃といえば、私が大学生だったころです。

それから20数年を経た2002.4月に、その楽曲を基にした映画『なごり雪』が三浦友和主演により放映されました。副題は「或いは五十歳の悲歌」

大林宣彦監督による大分三部作の第一弾として、伊勢正三の故郷・津久見近くの臼杵市を中心としてロケが行われたようです。

三浦友和演じる梶村祐作は、かっての親友・水田(演:ベンガル)の妻が交通事故で瀕死の重体となっているとの連絡を受け、故郷臼杵に向かう。水田の妻となった雪子(演:須藤温子)は、高校時代に祐作を一途に想い続けていた。それを受け止めきれずに東京に進学した祐作とは、紆余曲折を経て、雪子の片思いは叶わなかったのだった。

簡単なあらすじとしては、そんなところです。劇中では、‘なごり雪’の歌詞がセリフとして取り入れられており、これは斬新ではありましたが、ちょっと強引すぎた気がしました。

私は、今回の大分遠征から帰ってきてからユーチューブにて観賞しましたが、大分遠征の前に観ておかなかったのを、多少なりとも後悔したのでした。

津久見駅には、‘なごり雪’の歌碑があったようで、また宇目局近くの重岡駅が仮想・臼杵駅として、劇中何度も撮影されていたのです。それらのロケ地だけでも訪問しておかなかったことは残念でした。

しかしながら、まだ臼杵市街地は未訪として温存してあり、ロケ地訪問の楽しみは残っています。

追記:デビュー間もない長澤まさみ(磐田市出身)が、水田・雪子の一人娘役で出演していました。

2021年2月24日 (水)

929.大分遠征のご報告-その2-

ここからは、大分遠征でのトピックスです。

これまで大分県へは、空路による北九州空港や大分空港からのアタックであったので、陸路として日豊本線の特急ソニック利用も、大分駅に降り立つのも初めてのことでした。自宅からは、長崎駅や佐世保駅よりも若干早く到着できるようです。

初日は、佐賀関で終了しましたが、局メグ終了後は臼杵の町を少しキョロキョロしてから津久見の宿に向かいました。もちろん、津久見港の下見もしておきました。

Photo_20210223201801 二日目に最初にアタックした保戸島へは、津久見市HPにおいて「3/7までは観光やレジャーを目的とした乗船はご遠慮ください」とされており、乗船当日に渡島を断られたら、それまでと覚悟をして臨みましたが、乗船券売り場では、あっさりと何の問題もなく購入ができました。むしろ、折からの強風により9:10発の往復便が本日のラストであり、それ以降は欠航であったため、そういう意味ではギリギリセーフでありました。

津久見市内のあとは、佐伯市の上浦・弥生・本匠・宇目と佐伯市街地を温存する形で南下していきました。佐伯市街地のある佐伯湾には大入島と豊後大島という2つの離島が控えております。今では豊後大島への便が1日3往復のみとなってしまっており、難易度が高くなっております。

最終日は、大分県北部・西部は前夜からの雪が降り積もるとのことで、豊後大野市の清川・三重から臼杵市の野津を経由して、大分方面に近づいていくコースに変更しました。途中の竹中局の向かい側には南こうせつの実家のお寺・勝光寺があり、そこも激写してきました。

結局、初日に訪問した大在・丹生のすぐ西の川添・別保あたりまで進めることができ、うまい具合に大分市東部は繋がることになりました。そして大分市内の訪問局数は半分を超えました。

今回の旅では、臼杵の町も温存しており、映画『なごり雪』及び映画『二十二才の別れ』のロケ地・臼杵をめぐる旅は、お預けであります。

※写真は、大分市の戸次(へつぎ)郵便局。

2021年2月21日 (日)

928.大分遠征のご報告-その1-

2/16から18の三日間に亘り、大分遠征を実施して参りましたので、そのご報告をいたします。

ちょうど寒波の来た時期と重なってしまい、最高気温としては初日が12℃であったものの、二日目は7℃で強風、最終日は5℃で終日の‘なごり雪’となり、最終日は竹田・産山(熊本県)あたりの予定だったのを急遽変更したほどです。

昨年はコロナの影響により、大分遠征を二度にわたり中止しており、今回の遠征についても、1月中旬の予定を1月下旬に変更し、さらには2月中旬へと延期を余儀なくされている中、私の住む静岡県における県境を跨ぐ移動の自粛も解除され、大分県へも慎重に行動することを条件に移動OKとなったため、満を持しての大分入りでありました。

Photo_20210223135401 浜松駅から東海道山陽新幹線にて名古屋乗り換えにて小倉駅へ。さらに特急ソニックにて大分駅には12:36に到着しました。

大分駅内局に立ち寄り後、レンタカーを借り佐賀関方面へ向かい12局。駅内局と合わせて初日は13局でした。大分市内では市議選の最中でした。

津久見宿泊後の二日目は、9:10発の保戸島行き高速船で往復しましたが、強風のため次便以降は欠航となったほどでした。保戸島では35分の滞在時間がありましたが、保戸島局の訪問と、集落内にある県道612号(歩行者しか通れない道:通称コレデモ県道)の県道標識の撮影のみでした。

津久見港に戻って、津久見市内の残り7局訪問のあと、佐伯市上浦・弥生・本匠・宇目と廻り、最後は木浦鉱山局という、何故にこんな山の中に直営局があるのか疑問の残る局で終了しました。二日目は20局です。

豊後大野市宿泊後の最終日は、大分県北部・西部を中心に雪の予報が出ており、レンタカーも車検切れ2週間前のツルツルのノーマルタイヤであったため、竹田・産山方面へ行くのは自重し、豊後大野市から大分市内に戻っていく行程に変更して廻りました。結果的には、当初の25局予定を30局と局数を伸ばすことができました。

三日間で63局となり、大分県の累計は94局から157局へと増やすことができました。

その他のトピックスなどを交えて、その2に続きます。

※写真は、初日に訪問した大分市の辛幸簡易郵便局。ログハウス風の局舎で、手造りだそうです。

2021年2月18日 (木)

927.遠州簡易郵便局めぐり Dコース 後半

 遠州簡易郵便局めぐりDコースの続きです。

5局目として、浜岡北原簡易郵便局に向かいました。牧之原台地の尾根沿いにあり、この尾根が県西部と県中部の境界です。簡易局は尾根沿いの道路の西側にあるため、御前崎市であり県西部であります。

実は、この簡易局はかって上朝比奈郵便局と言う名の特定局として存在しており、その時代であった①S55.5.15に累計126局目として訪問しております。上朝比奈局はS61.3.31に廃止となり、すぐに浜岡北原簡易局が設置されております。その浜岡北原簡易局には②H12.7.18に累計237局目として訪問しております。

現在の受託者さんのお母様が上朝比奈局の局長だった方で、そのまま浜岡北原簡易局を始めた方でした。

6局目は浜岡小泉簡易郵便局です。ここは③H23.3.22に訪問しております。再開貯金開始からは1ケ月半ほど過ぎておりました。ここは、自動車整備工場の敷地内で営業しております。

7局目は新野簡易郵便局です。ここは③H23.10.12に訪問しており、再開貯金開始の二日目でした。6年半後のH30.3.1には新野左馬助展示館や浜岡河津桜見学の際に再訪しております。ここは、ログハウス風のオシャレな造りをしております。受託者さんの手造りの局舎だそうです。

Photo_20210213220801 8局目は比木簡易郵便局です。ここは③H22.11.8の貯金業務開始日当日に訪問しております。現地へ行くと、確かに局舎に見覚えがありました。

9局目は白羽簡易郵便局です。ここは③H23.10.12に新野簡易局の後に訪問しております。ここの読み‘しろは’となっていますが、前のJAの時代からのままであり、本当は‘しろわ’であります。

ここまでの御前崎市内5局のうち、浜岡北原簡易局を除いた4局は、JA委託の簡易局(貯金非扱い)からの再開によりできた局です。これらが出来た都度、私は都合がつく限りの早めの訪問をしてきました。

もう一つ、白羽簡易局のみ旧榛原郡御前崎町であり、平成の合併により県中部から県西部に所属が変更になった地域であります。わかりやすく言えば静岡ナンバーから浜松ナンバーに変わってしまった地域です。

さて、怒涛の御前崎市の5局を終え、約19㌔離れた牧之原市の榛原細江簡易郵便局へ。ここは②H12.7.18の訪問であり、浜岡北原簡易局・小笠丹野簡易局・牛渕簡易局と同日に訪問しております。この局には赤電話が現役で使用されており、とても驚きました。

この時点で15時前でしたので、予定外であった湯日簡易郵便局へ。榛原細江簡易局からは約9㌔ほどのところで、富士山静岡空港の北側の茶畑に囲まれた場所にあります。3年半前の③H29.6.1の貯金業務開始日当日に訪問しております。

ここはH21に郵便先行で再開していて、なんと8年半も経過してから貯金業務を開始しており、そのあたりの事情などを伺ってみました。受託者の代替わりがあって、その際に貯金を加えたそうです。

以上がDコースの詳細に亘るご報告でしたが、H22以降の初訪問だった局が7局もあり、さすがに11年以内のことゆえ、記憶に残っている局ばかりでした。

※写真は、ログハウス風の新野簡易郵便局。過去2回の訪問時に比べて局舎の色が変わっているように感じました。

2021年2月16日 (火)

926.遠州簡易郵便局めぐり Dコース 前半

遠州簡易郵便局めぐりの第二回目として、Dコース・東遠地方めぐりを2/12(金)に実施しましたので、ご報告させていただきます。

概要編で示した際には、Dコースは東遠地区10局となっていましたが、これに島田市の湯日(ゆい)簡易局を加えまして11局を廻ってきました。

東遠地方とは掛川市・菊川市・御前崎市あたりのことを言いますが、その先の牧之原市・吉田町および島田市の大井川右岸も広義では東遠と言ってよく、その西側の磐田市・袋井市・森町は中遠地方と言っております。

今回は、中遠地方の磐田市の旧竜洋町にある1局・袋井市の旧浅羽町にある1局を経て、東遠のうちの菊川市2局・御前崎市5局さらには牧之原市1局・島田市南部の1局の計11局となりました。

この11局には①S55年訪問局は無く、②H12年訪問局が4局、③H17年以降に新規‘落ち穂’として発生したものを拾った7局となっております。(①・②・③の定義付けは概要編を参照)

Photo_20210213180601 まず1局目は、自宅から約13㌔ほど南下した天竜川左岸にある旧竜洋町の十束簡易郵便局です。6年半ほど前の③H26.7.23の移転再開日当日に訪問しており、ここではまさかの「‘とつか’ってどういう意味ですか?」と質問されてしまった思い出のある局でした。(NO.270 参照)

今回、改めてお話しして判ったのは、この受託者さんが知りたかったのは、私の解説した十束村が竜洋町の一部であることではなく、‘とつか’の意味でありました。彼女はその後、本当の‘とつか’在住の客に、その由来を聞いたそうです。おおよそ10個の集落の集合体が十束村であるようでした。まあ、さもありなんと言うべき由来ですね。

2局目として10㌔ほど東に進んだ先の旧浅羽町の西浅羽簡易郵便局へ。ここは9年半ほど前の③H23.7.8の貯金業務開始日当日に訪問しております。

ここでは、押してもらった局名ゴム印に付いていた絵柄であるマスクメロンについてのお話しや、私が若かりし頃このあたりを通過していた路線バスに関連して、狭い道が多かったことなどを話してきました。

3局目は、エコパ前・掛川インター・菊川インターなどを素通りして約25㌔ほど進んだ菊川市の牛渕簡易郵便局へ。ここは②H12.7.18に累計241局目として訪問しておりますが、局舎も当時と変わっていないそうですが、残念ながら私の記憶に残っていませんでした。

4局目は、同じ菊川市の小笠丹野簡易郵便局です。②H12.7.18に牛渕簡易局の二つ前の累計239局目として訪問していたのですが、ここも私の記憶に残っていないのは残念なことでした。公民館の中にありましたが看板も無く、ややわかりにくいかもしれません。

ということで、残りの7局は、後半に続けていくことにいたします。中1日でのアップとなります。

※写真は、西浅羽簡易郵便局。

2021年2月12日 (金)

925.大河ドラマ『麒麟がくる』

去る2/7(日)をもって、NHKの2020年・大河ドラマ『麒麟がくる』が終了しました。コロナ禍の影響を受けて途中の約2ケ月間の休止もあり、年跨ぎのロングランとなりました。

戦国時代最大の番狂わせである本能寺の変を実行した首謀者として、一般的には悪者として認知されている明智光秀を主人公とするドラマでしたので、戦国の歴史を大まかにたどっていく過程においては、信長・秀吉・家康の周辺人物に過ぎない亜流の人物でありますが、このドラマを最初から熱心に観た後の感想としては、主君・織田信長を討つに至った必然を、光秀側からわかりやすく描いた好作品でありました。

Photo_20210210095301 タイトルの『麒麟がくる』からして、戦国の平定を成し遂げるべく奔走した人物を描いていく過程の物語であり、光秀にとっての麒麟は信長とばかりに主君に仕え、信長にしても光秀を重用し、天下統一を目指していたのですが、主君信長の急進的な行動・言動に数々の疑念を抱いた末の謀反であったのでした。

クライマックスの本能寺の変の描かれ方では、光秀は軍の先頭にたたず、事を見守っているだけで、淡々としたものでありました。そしてその後の敗戦に至る所は、ナレーションのみ(いわゆるナレ死)でありました。このあたりは、我々古手の視聴者には物足りなく感じたところでありました。三日天下に終わったところも、掘り下げてもらいたかったとも思いました。

ともかく、少し前の大河ドラマ『軍師勘兵衛』や『真田丸』などと同様で、別角度からの戦国時代を見させていただきました。

続いての大河ドラマは『青天を衝け』というタイトルで、日本の近代資本主義の父・渋沢栄一が描かれることになります。戦国時代に次いで人気の幕末から明治のお話しであります。

『麒麟がくる』の余韻に浸る間もなく、2/14からスタートしますので、これも毎回楽しみに観賞していくことにしたいと思います。

2021年2月 8日 (月)

924.令和3年2月1日の局メグ

先日の2/1(月)は、3.2.1のストレートの日ということで、風景印を求めて浜松市内の直営局を10局廻りました。

こういった語呂合わせイベントは、令和元年11月11日における飯田風越局への訪問を頂点として、令和2年3月4日のストレートの日にも行っております。

今年は3/3(水)が3.3.3のゾロ目の日、4/5(月)が3.4.5のストレートの日もあり、それらの日にも風景印を求めることになります。

風景印にこだわる理由は、令和2年3月4日の記事にも書きましたが、貯金通帳へは3-02-01と印字されるのに対して、風景印には3.2.1と印字されるからです。

浜松市内には108局の直営局がありますが、そのうちの107局に風景印が設置されております。しかも、各局のそれぞれのオリジナル絵柄であります。設置率は99%。実に優秀な地域であるようです。

321_20210205105401 40年ほど前に、伊豆半島を廻った際に、地域のスタンプラリーのイベントをやっていて、それに乗っかる形で貯金をしながら風景印も集めた際には、地域ごとに同じ絵柄であった記憶があります。あれから伊豆方面の局には行ってませんので、今でも地域ごとの同一絵柄であるのかは定かではありませんが、浜松地域においては、ほぼ全部の局で設置され、かつオリジナル絵柄なのは、日本でも珍しいのではないかと思います。

念のため唯一の風景印未設置局である天竜区の熊切局の局長にその理由を尋ねてみると、10年ほど前に廃止したとのこと。絵柄が当局にふさわしくないとのことでした。

さて2/1には浜松西崎郵便局から南下して浜松郵便局(ゆうちょ銀行浜松店)まで、遠鉄電車の駅の順番通りに新浜松駅に向かっていきました。

西ケ崎駅・積志駅・さぎの宮駅及び上島駅・曳馬駅・助信駅には、同名の郵便局があり、それを拾っていきましたが、自動車学校前駅には浜松有玉局を、八幡駅には浜松野口局を、遠州病院駅・第一通り駅には浜松馬込局を、新浜松駅には浜松局を該当させました。

駅めぐりとしての遠鉄電車として、12.11月に第二次高架化がされていましたが、写真も撮らずに放置していたため、上島駅・曳馬駅・助信駅では、その写真撮影もしております。そして、このたびようやくHP内に公開もしておきました。

もう一つ、通称電車通りにある浜松助信局が、この春に通称飛龍街道沿いに浜松高林局として移転改称するのですが、その進捗状況をチェックしてきました。すでに白が基調の局舎が出来上がっておりました。浜松助信局の局長によれば4月以降の開局のようであります。

ということで、4回を予定している遠州簡易郵便局めぐりイベントに加えて、3回もある語呂合わせイベントも廻ることになり、いずれも累計数に加わることのない‘お遊び訪問’であるとはいえ、それなりに退屈しない日々を送ることになりました。

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