無料ブログはココログ
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

« 61.県別マップル | トップページ | 63.花粉症 »

2012年3月 2日 (金)

62.我が町・はまきた

これまで3日に一回の記事作成を守ってきましたが、今回より4日に一回、すなわち中3日のローテーションとさせていただきます。変わらぬご贔屓をお願いいたします。

私・稲生の現在の居住地は、静岡県浜松市浜北区です。生まれ育ちはJR浜松駅から南へ徒歩10分ほど行ったところの下町です。(現・中区)結婚後はずっと浜北に住んでいます。途中、駿河の国へ4年ほど遊学していましたが、基本は遠州の人間です。

若いころ、例えば高校の頃、浜北からわざわざ浜松の高校へ通う連中を、遠くからはるばる大変なことよ。と思い、皮肉をこめて‘浜北人’と嘲笑っていましたが、今はその‘浜北人’にどっぷり浸かってしまっています。

※‘浜北人’とは、浜北市根堅で発見された旧石器時代の化石人骨。

それで、この‘浜北’という名称をも、半ば嘲笑っていたのですが、住めば都とはよく言ったもので、最近では‘浜北’に住んでいるのを誇りに思い、‘浜北’という名称にも違和感がなくなりました。

そもそも‘浜北’という名称は昭和の大合併の時期にできたものです。1956(昭和31年)に浜名郡浜名町・赤佐村・中瀬村・北浜村と引佐郡麁玉村の5町村が合併して浜名郡浜北町となり、7年後に市制を施行したのですが、‘浜北町’という名称にするにあたって、浜名・美薗・天竜・浜北などの5つの候補の中(もうひとつは失念)から、当時の県知事が浜名郡の北部に位置するという意味と、5町村の中の大きな2つが浜名町と北浜村だったことから、その2つの頭をとっての意味を込めて‘浜北町’と命名したと、何かの書物で読んだことがあります。

浜松の北にあるベットタウンだから、‘浜北’という安易な名称にもとれる訳で、私・稲生は浜北市を合併後、浜松市が政令指定都市となって、新たに区名を募集して決定することとなった時、これはチャンスとばかり‘緑区’などで応募したのですが、自分の子供たちをはじめとする‘浜北’に生まれ育ったものたちの圧倒的多数の支持により、‘浜北区’が誕生したのです。そうです、‘浜北人’たちは、我が町‘浜北’に誇りを持っていたのです。

それにしても面白いのが、私の暮らす地域が‘浜北市’ではなく‘天竜市’になっていたかも知れないという事実です。今度、浜松市の行政改革により、7つの行政区の再編が検討されていますが、その場合浜北区と天竜区の合体が想定されますが、合体後の区名が‘浜北区’なのか‘天竜区’なのか、はたまた‘緑区’なのか、興味のあるところです。

« 61.県別マップル | トップページ | 63.花粉症 »

遠州ネタ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 62.我が町・はまきた:

« 61.県別マップル | トップページ | 63.花粉症 »