104.遠州大念仏
「遠州地方では、葬式が2度あるようだ。」
よその土地で育ち、その後遠州に住んでいる人々の感想です。どういうことかと言えば、初盆が他の地域よりも派手に行なわれているということです。
自分にご縁のある方の葬式に参列した場合、その故人の初盆にも必ずお参りをする。直接お参りができなくとも、盆供を参列者に託す。これが常識となっています。
そして、初盆を取り行う家にとって一番の行事が、‘大念仏’と呼ばれる踊り集団を招いて、新仏を供養するための念仏踊りをしてもらうのです。この集団は総勢30人くらいで、初盆の家の庭先で踊ってもらうのですが、この方々への接待が金銭的な面も含めて、結構大変であると言われています。
この‘大念仏’は“遠州大念仏”と称されていて、市の無形民俗文化財となっています。そもそも、戦国時代の徳川・武田両軍が、相まみえた三方が原の戦いに起源があります。
三方が原の戦いは、家康唯一の負け戦と言われています。徳川軍は三方が原で敗色濃厚となり浜松城へ逃げ帰ったのですが、それを追ってきた武田軍を、城のすぐ北側の犀ケ崖に布を張り巡らし、地理不案内の武田軍の追っ手が次々と落ちて死んでいった兵士に対する鎮魂の踊りが起源とされています。それが、いつしか初盆の仏への弔い行事に変わっていったようです。
この“遠州大念仏”は、浜松市の東区・浜北区がとくに盛んで、中区の駅南に育った私・稲生は、成人するまで、この踊りを実際に見たことがありませんでした。ですから、初めて見学したときの印象は、それは強烈なものでした。おどろおどろしい雰囲気の心洗われる踊りでした。
今は浜北区に住んでいますので、自分の家で初盆を迎えることになった際に、この‘大念仏’を迎え入れるのか、金銭的負担も大きいので、決めかねているところです。
※20.5.2写真追加
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