605.男声合唱組曲『吹雪の街を』
前の記事の最後に、多田先生の名曲「雨」(通称:アメロク)のリンクを付けておきましたが、お聴きいただけましたでしょうか?
僅か29歳で病没された早世の詩人・八木重吉の詩に、多田先生が曲を付けたのですが、最後のフレーズが「雨があがるように、しずかに死んでいこう」と、こういう達観した心理状態になって臨終を迎えたいものと、私・稲生も思っています。
さて、タイトルの男声合唱組曲『吹雪の街を』の初演は1979.12.8で、小樽商科大学グリークラブによるものでした。伊藤整の出身地であり母校でもある小樽の地元大学合唱団が、多田先生に委嘱してできた作品です。
1979.3月にグリークラブを卒団した私・稲生は、当然ながら、この『吹雪の街を』を知らなかったのですが、今回、YouTubeにて男声合唱曲を聴いて楽しみ懐かしむというマイブームの中で、この名曲に初めて出会ったのでした。初演から三十有余年、遅きに失したところです。
全6曲の組曲で、1「忍路」2「また月夜」で、伊藤整の育った小樽の寒村で出会った少女との淡い関係を感じさせます。3「夏になれば」は、テナーソロを中心とした曲で、おそらく別の女性でしょうが、愛情のあるエールを送る曲であり、4「秋の恋びと」で、物悲しい秋とともに訪れた別れを示し、5「夜の霰」では、厳しい真冬の雪国の日常を歌いつつ、別れの寂しさ厳しさを暗示し、6「吹雪の街を」で、この恋の破綻した切なさを19歳の青年らしい行動と感情で表現しています。
ここでは終曲の6「吹雪の街を」について、掘り下げてみて、若干の感想(自己解釈)を述べたいと思います。
イントロとして、ベースのパートソロで‘歩いてきたよ吹雪の街を’と言う歌詞で、ピアニシモからピアノで、やや遅くしみじみと3回繰り返し歌い出します。次に他パートで、同じく3回歌った後に、歌の主題部分に入っていきます。
歌詞の内容は、わかりやすく端的に言えば、イジケ男のイジケ節であります。そうでなければ、なかなか吹雪の中を歩いて行くことはできないでしょう。(笑)
18歳ぐらいから22歳ぐらいまでの多感な時期を過ごしている大学グリーのメンバーにとっては、共感できる部分が多く、この曲を歌うグリーメンは、おそらく切々と情緒的に歌うことができることでしょう。
そして最後の局面で、再び‘歩いてきたよ吹雪の街を’とベースのパートソロで3回、全体でもう3回今度はハモッて歌い、曲が終了します。
皆さん、今年のこの寒い冬に、しみじみと味わって聴いてみてください。最初は、何だかつまらなく感じていても、何回か聴いていくうちに、青春時代に味わった淡い思い出が湧いてくるかもしれませんよ。
※6「吹雪の街を」をお聴きください。関大グリーの演奏と思われます。そのまま聴いて行けば、メンネルコール広友会・関学グリー・西南学院グリー・関大グリーの組曲『吹雪の街を』を次々と聴くことができます。 https://www.youtube.com/watch?v=9lO9jY6Z_pk
※歌詞は こちら
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