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2018年9月 7日 (金)

670.甲奴郡の悲劇

今回の広島・島根遠征では、甲奴IC・甲奴郵便局・三次市甲奴町などといった甲奴を冠する地名が見受けられましたが、甲奴地区は以前は甲奴郡として、広島県備後地域の一塊の地域であったのです。

甲奴郡は平成の大合併により消滅した郡です。その直前には上下町・甲奴町・惣領町の3町が存在していました。

上下町は南部の府中市に編入され、府中市上下町となり、甲奴町は福塩線沿いの双三郡吉舎町・三良坂町などとともに三次市に大同合併し、三次市甲奴町となり、惣領町は比婆郡の町村などとともに庄原市に大同合併し、庄原市惣領町となりました。

Photo_2

すなわち、甲奴郡3町は府中市・三次市・庄原市に分散したのです。客観的には、府中市の北端、三次市の東端、庄原市の南端の位置になっています。

今回訪問した先の、とある局長とは、その話になり、甲奴3町が新・甲奴町として、そのまま合併していたら、もっと別の発展の仕方もあったのではないか?との意見でした。

当時の町長・町議会が、そのように決めてしまったと。

東隣の神石高原町や南隣の世羅町のように、郡としてまとまって甲奴3町の大同合併で、町として生き残るのが良かったのかもしれません。

これは、当事者の町民でないとわからない繊細な話です。遠く静岡県に住む一介の地理マニアが、どうこう意見する立場でもありません。

タイトルとしては、甲奴郡の悲劇などと謳い上げてしまっていますが、甲奴3町の大合併ではいずれ立ち行かなくなるのかもしれず、3町分散が正解なのかもしれません。

こればかりは、もう少し後年になってみて、判定がされうることではないでしょうか。

※写真は、甲奴郵便局。

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