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2019年9月 3日 (火)

771.新島・式根島 夜行日帰り局メグのご報告-その3-〈式根島の思い出とともに〉

15分ほどで『連絡船にしき』は式根島・野伏港に到着しました。『にしき』(※1)が到着した場所は、昔と何も変わっていませんでしたが、その手前に高速ジェット船が停泊している場所や、今回、式根島を離れる際に乗船した『フェリーあぜりあ』の外洋に面した場所は、以前はありませんでした。(※1『連絡船にしき』って、新島と式根島を結んでいるから『にしき』なのですね、きっと。)

38年前の野伏港は、新島への連絡船の発着のみで、東海汽船の『さるびあ丸』や高速ジェット船及び神新汽船の『あじさい丸』(※2 後述)は、島の南側にある式根島港での発着でした。野伏港を拡張整備して、これらすべての発着を野伏港に集約したようです。

Photo_20190830050401 野伏港から式根島郵便局に向かう道は、昔と変わらず急坂を登り、その後だらだらと進み、約1㌔弱15分弱でしたが、島の中央にある郵便局の周辺は、昔は郵便局と小学校それに中学校しかなかったのが、現在は民家が立ち並んでおり、38年の歳月を感じました。

さて、38年前の1981年(S56年)8月に、E鉄の新卒社員3年目の私は、観光サービス部に所属し、バス旅行の営業を担当していました。E鉄では主催旅行として「バンビツアー」と称し、色々と手がけており、これは現在でも主力商品として、地元での集客・販売をしております。

そのころ、突然の離島ブームが日本全国に沸き上がり「バンビツアー」でも、新島や式根島へのツアーを用意し、好評を博しておりました。初めのうちは、個別に添乗員を付けて対応していたのですが、そのうち毎日出発するほどの人気コースとなり、現地駐在員を派遣して、お客さんは運転手とバスガイドが、熱海港または下田港まで送り、お客さんだけで神新汽船の『あじさい丸』(※2当時の名称:現在は後継3代目の『フェリーあぜりあ』)に乗船してもらい、新島と式根島に張り付けた現地駐在員が、面倒を見るという形態をとったのです。その方が、効率が良いという訳です。

当時の添乗員は、専属の部隊がいるわけではなく、若手社員が業務の合い間に交代でこなすという、それは酷いものでした。私の担当と主催旅行「バンビツアー」とは、まったく違う部署なのですが、若手社員の宿命で、現地駐在員の役目が廻って来たのでした。そのことは、自分の業務に1週間ほど穴をあける事を意味し、周りの同僚・上司に当面の仕事を委ねて、1週間の島流しに遭うようなものです。物凄く辛い思いを感じながら、『あじさい丸』に乗船した記憶が、これを書いている今、蘇ってきました。

確か、式根島への最初の上陸は、熱海港(※3)から『あじさい丸』で新島港に着き、お客さんとともに『連絡船にしき』にて、野伏港に到着したんだと思います。うら寂しい野伏港に着き、不安が募ったことでしょう。(※3神新汽船は、今は下田港のみの発着ですが、以前は熱海港⇒利島・新島・式根島・神津島⇒下田港 でした。また、今と同じく曜日によって逆パターンになりました。)

Photo_20190830053301 現地駐在員の業務は、実は滅茶苦茶ゆるいものでした。島に到着したお客さんを迎え、民宿の方に引き渡し、落ち着いたころに各民宿に出向き、お客さんに注意事項を話し、民宿にはクーポンを渡すだけです。1泊2日と2泊3日のコースがあったかと思いますが、船への送迎は民宿が全てやってくれますので、帰りの駐在員は港でお客さんの無事を確認すると、お見送りをするだけです。

だいたい昼過ぎに『あじさい丸』がやってきて、その船にお帰りのお客さんをお見送りするというパターンだったと思います。一度だけ、新島発着があり、連絡船も含めてお客さんを案内したことがあったかもしれません。その辺の記憶は曖昧です。

私は、島中央の民宿「ひまわり」を拠点に、午前中は近くの小浜漁港の海岸で泳ぎ、午後に2時間弱の駐在員らしい仕事をし、その後は業務上で借りているレンタバイクで式根島島内めぐりをしていました。島内にある足付温泉と地鉈温泉にも入りました。それはそれは、パラダイスなお仕事でありました。

何時の夜だったか島の祭りがあり、それを見学した日もありました。そして何より鮮明に覚えているのが、我が母校・浜松N高が、最初で最後の甲子園に出場し、その1回戦を式根島でテレビ観戦したことです。(佐賀学園に1-0で勝利)なお、二回戦ではバスの保安要員として甲子園に出向きました。(北陽に1-2で敗戦)(NO.95 にも記載があります。)

1週間の島流しだと思っていた式根島での駐在員業務は、1週間の楽園でのパラダイスであったのです。あまりに素晴らしい楽しい思い出であったので、翌年結婚したばかりの妻と、今度は「バンビツアー」にて、客として式根島に来たほどです。ですから、式根島の方は、厳密には37年ぶりです。

さて、今回の式根島郵便局では、式根島に生まれ育った局員さんが窓口にいらしたので、色々とお話しさせていただきました。離島ブームはとうに去り、私の宿泊した民宿「ひまわり」は廃業していました。野伏港近くの観光協会にも立ち寄り昔話をしたのですが、本土生まれのアルバイトの若者しかいなくて、ここは今一つでした。

こうして新島2局と式根島1局の局メグを無事に終え、13:10発の『フェリーあぜりあ』にて3時間20分かけて下田港に到着し、伊豆急行・JR伊東線・東海道新幹線にて帰ってきました。そして実は、伊豆急行とJR伊東線は初乗車だったりします。同じ静岡県内に住みながら、これはこれで奥手な鉄分の薄い稲生の、長~い呟きでありました。

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