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2020年2月15日 (土)

819.種子島について語ってみる。

それでは、今回訪問した種子島について、少々語ってみることにいたしましょう。

種子島は、戦国時代の戦い方を大きく変化させた兵器としての「鉄砲伝来の地」であり、今日では「宇宙センター基地のある島」で知られています。また、西之表市安納の名のついた「安納芋」でも有名であります。

明治22(1889)年の市町村制施行時には、北種子村・中種子村・南種子村の3村に分かれていましたが、大正15(1926)年に北種子村が町制改称して西之表町に、昭和15(1940)年に中種子村が町制施行して中種子町に、昭和31(1956)年に南種子村が町制施行し南種子町となり、昭和33(1958)年には西之表町が市制施行して西之表市となり、現在の1市2町の行政区分となっております。

つまり、昭和の大合併や平成の大合併の波に揉まれる中でも、一度も市町村合併をすることなく、3つのの行政区分を維持したまま現在に至っている、誇り高き3つの自治体で成り立っている島であります。

Photo_20200214194501 そんな種子島の現在の人口は1市2町の合計で28,181人(19.10.1推計人口)であり、もっとも人口の多かった1960年頃の63,000人(推計)の半分以下となってしまっております。

種子島内の3行政区のことを、まことに上手に言い得ている言葉として、西之表市が「海の玄関口」、中種子町が「空の玄関口」、南種子町は「宇宙の玄関口」という言い回しがあります。特に、種子島宇宙センターのある南種子町が「宇宙の玄関口」とは、実に見事な言い回しであります。

そんなシマダスなどによる予備知識を頭に入れながら、種子島一周の局メグ時に、大いなる無駄話をしたりして廻ってみて、判った事柄もいくつかありましたので、ご紹介いたします。

南北に長い種子島の東西の海岸は、サーファーが好むサーフポイントが各所にあるようで、サーファー天国であります。今日では、ケイタイで仲間ウチで連絡を取り合い、その日その日のベストなサーフポイントを渡り歩くことが出来るようです。この贅沢な環境に魅せられて、島民となる若者も結構いるようです。

南種子町でしか食べる事ができない「インギー鶏」については、初めて聞きましたが南種子町の特産品のようです。残念ながら、私はグルメではありませんので、それ以上の興味は湧きませんでした。

人工衛星の打ち上げの様子も、詳しくお話しを聞く事ができました。打ち上げの時間帯が、早朝から日中、さらには夜間とまちまちであり、轟音と共に打ち上げられるということで、鳥や犬などの動物も大騒ぎとなるそうです。特に、夜間の打ち上げは空がたちまち明るくなり、それはもう美しい光景であるそうです。種子島の住民は、こういった経験をいつもできるようで、とっても羨ましい環境であると思いました。

そんな話を聞いてみると、私もチャンスがあれば、人工衛星の打ち上げの瞬間に立ち会ってみたい気持ちになりました。それで、次回の種子島入りの際には、そのタイミングでの来島をしてみたいと思っております。それまでに元気でいれば、という条件がつきますが・・・

さて、この秋には、種子島・屋久島地方、すなわち「タネヤク地方」を形成するもう片方の島、種子島のお隣の島・屋久島への訪問を計画しております。

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