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2020年11月13日 (金)

898.『たかが江川されど江川』後編

今回のファミリーヒストリーで初めて知ったのですが、私の住む浜松市東端を流れる天竜川を約50㌔遡った佐久間町大輪に住んでいたのです。(佐久間町に住んでいたのは知っていたが、その詳細の場所までは知らなかった。)

それも5歳から中学2年の満了するまでの10年間です。この少年期に、あの江川卓が、後年、野球選手として大成するための強靭な体力を培っていたとは、大変驚きました。

天竜川下流の広々した遠州平野に住む住民からみれば、佐久間町は猫の額ほどの土地に集落があり、さらに大輪あたりとなると、V字谷の底辺を天竜川が流れていて、その両岸の山の斜面に張り付くように人家が点在する地ですので、とても野球環境に適した土地とは言えません。

古河鉱業の鉱山技師だった彼の父が、地元の山香小学校(2006閉校)・山香中学校(1986閉校)へ通学させずに、9㌔ほど離れた佐久間小学校・佐久間中学校に、路線バスで片道40分かけて越境通学させたというのですから、ご両親は教育熱心だったのでしょう。

Photo_20201107110101 今回のブログを書くにあたって取材と称して、江川と佐久間小・佐久間中で同級生だった知人に学校規模を尋ねてみましたら、小学校では一学年3クラス、中学校では一学年5クラスだったようです。これなら教育環境としては充分な規模だったですね。ちなみに、浜松駅から南に1㌔のところで生まれ育った私・稲生は、小学校では2クラス、中学校では6クラスの学校規模でした。

それから、ファミリーヒストリー放映の数日後に、佐久間町大輪の現地まで、視察に出かけてきました。大輪バス停前には、オンエアでも出ていた渡辺商店がありましたが、あいにく平日で店を閉めていましたので、取材は出来ませんでした。ここは、竜頭山登山口であり、横にはトイレ施設もあり、国道152号を使う人なら誰もが知っている場所でした。

もちろん、天竜川対岸に向かって石投げをしてみましたよ。江川は、ここで小学校低学年から日課として石投げを始めて、6年になったら向こう岸に到達したと本には書いてありました。これによって、正しいフォームで遠投して、地肩を鍛え上げたようです。

ちなみに、天竜川沿いに走る国道152号が土砂崩れにより5.7㌔に亘って通行止めとなっており、対岸の県道を迂回路として使用していましたが、私が大輪に出向いた1週間後には、この迂回路でも土砂崩れがあり、今はこちらも通行止めとなっております。つまり浜松・浜北などの下流からは、佐久間方面には行く事が出来ない状況となっています。(三遠南信道へ迂回)

さらにちなみに、江川が通った佐久間小学校の現在の児童数は19名、2学年ずつの複式学級となっており、佐久間中学校の現在の生徒数は28名、一学年1クラスであります。これじゃあ野球ができませんね。江川自身が、現在の佐久間に一度出向いて、佐久間の変貌を見て欲しいものだと思いました。

江川卓の現役時代は、大嫌いな讀賣巨人軍の象徴として、憎たらしくも君臨していましたが、野球解説者としての江川は、結果論ではない予測でのわかりやすい解説に努め、私の好きな解説者の一人であります。今シーズンも、讀賣系列の解説者であるにもかかわらず、ベイスターズを1位予想していましたし。(結果は、見事なるBクラス沈没)

※写真は、江川のルーツ、佐久間町大輪の大輪橋と天竜川。10.6訪問。

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