897.『たかが江川されど江川』前編
10月上旬のNHKファミリーヒストリーで、昭和の怪物・江川卓を取り上げていて、偶然にも視聴しておりました。
私と江川卓との関係性は、皆様と同じで、栃木の作新学院に凄い投手がいて、公式戦でノーヒットノーラン9回、完全試合2回、36イニング無安打無得点。甲子園では一大会通算最多奪三振60、および8者連続三振。法政大学に進んだ東京六大学では、通算47勝(歴代2位)通算17完封(連盟記録)など、昭和の怪物と呼ばれていたことを良く承知しています。
彼は、高校卒業時のドラフトで阪急ブレーブスに1位指名され、それを拒否して慶応大学を目指すも不合格となり、やむを得ず法政大学の二部に入学し、周知のとおりの活躍をしたあと、大卒時のドラフトではクラウンライターライオンズに1位指名を受けるも、拒否して野球浪人をしアメリカ留学をしたのち、あの有名な「空白の一日」理論で、念願の讀賣巨人軍と契約を交わしたのでした。
これは周囲の大人が、アメリカ留学中の江川をドラフト直前に日本に呼び寄せて、何も問題ないと説き伏せ契約をしたのであって、当の江川に法律の専門知識もあるはずがなく、野球浪人をしてまで入団したかったジャイアンツに入ることができるとなると、たかだか22歳の若者に、今後の世論がどう騒ぐことになるのかなど考える暇もなく、ジャイアンツ球団の意のままに動いたのに過ぎないのでした。
これが有名な「江川騒動」であります。(Wikipediaでは「江川事件」となっている)
年齢は私より一つ上であります。
私はGファンの両親、ふたりの兄のもと、それにつられてGファンでした、小学校高学年までは。いや中学時代までかな?
でも、V9が終わり、ミスタープロ野球・長島茂雄が引退したころから、Gとは決別し、次なる贔屓球団を模索している時に、静岡・草薙球場でキャンプを張っている大洋ホエールズを見つけたのでした。秋季キャンプではないですよ。開幕までのコンディションを整えていく春季キャンプを静岡市でやっていたのです。
ちょうど静岡大学の暇な学生だった私・稲生は、足繁く草薙球場に通ったものでした。野手では江尻・山下大輔・長崎・田代、投手では平松・野村収などが主力だった時期です。一言でいうと、万年最下位の弱いチームでした。
これは、私の持論なのですが、春季キャンプをこの目で見る機会があると、誰しもが、そのチームのファンになってしまうものです。たとえ万年最下位のチームであっても、それは壮絶な激しいトレーニングを目の当たりにするのですから。
「江川騒動」が起きたのは、私が大洋ファンを始めて3年目。「空白の一日」などと、誰が考えても屁理屈でしかない理由で、江川卓と契約し、その年のドラフトをボイコットした讀賣巨人軍を嫌いになるには、充分な出来事でありました。
そんな、ダーティヒーロー江川卓選手が、私の住む浜松市の山の中に5歳から中学2年まで暮らしていたとは。
後編では、そこのところを深堀りしていきたいと思います。
※写真は、江川卓、他3名共著『たかが江川されど江川』(1991年2月発行)今回、amazonで取り寄せて読んでみました。
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