1111.乗り鉄ならぬ乗りバスのお話し
私のネット生活の原点である、稲生ホームページが11.15にて、満20年を迎えました。勝手気ままなHPですが、これからもよろしくお願いします。
前の記事について、現・浜北区にとって、もう一つ懸案事項があります。
それは、浜名区の後ろの字名に‘浜北’を入れるかどうかという問題です。現在、浜北区の自治会連合組織で検討しているとのことですが、稲生家でアンケートを取ってみたところ、意外なことに紛糾することなく、ほぼ満場一致で決着をみました。
もう少し分かり易く書くと、◎浜松市浜名区小松 とするか ◎浜松市浜名区浜北小松 とするか、という議論です。住所に‘浜北’の痕跡を残すか否かということです。(小松は我が家の住所地ですが、あくまでも例題です。)
浜北に生まれ育った者や慣れ親しんだ者は、‘浜北’を残す方に軍配を上げるものと考えていましたが、さにあらず。長くなるのはイヤだということで、前者の方が良いという意見が、我が家では主流を占めたのです。
これは稲生家での決着でしたが、現在審議中です。自治会役員は守旧派が多いため、稲生家とは逆の判断になるかもしれません。正式結果を待つことにいたしましょう。
さて、表題の件ですが、中学生のころに鉄道ジャーナルを1年ほど続けて購読したにもかかわらず、鉄ちゃんになれなかった私・稲生ですが、それより前の小学生のころは、バスちゃん(こんな言い方はなさそうですが。)でした。
バスマニアといっても、路線バスのバス停名に興味があったのです。これこそ、いまだに地図・地名に興味を持ち続けている私・稲生の原点であると言っても良いでしょう。
最初は、浜松市街図にバス路線を入れてみたり、架空のバス路線を考えたりと机上で楽しんでいたところもあったのですが、小学校高学年になると、行動に移していった時期がありました。
浜松駅まで徒歩10分ほどの下町に住んでいた稲生少年は、浜松駅のバス乗り場から、東循環・西循環・住吉循環・北循環・野口船越循環・浅田循環などの循環バスに乗り、実車体験をしていたのです。
これは当時走っていた浜松市営バスでのことです。市内均一運賃を取っており、当時子供は30円ぐらいだった記憶があります。浜松駅の乗り場から、途中で降りることなく終点の浜松駅まで乗り続けているのですから、車掌さんが不思議がって声を掛けてきたものです。一周では物足らず、二周目もしたいところですが、さすがにそれは許されることはなかったです。
この遊びは小遣いの中でやったのですが、週に1度のペースでやっていくことで、大変満足しておりました。
後年、遠州鉄道に入社して、折しも浜松市営バスが撤退するにあたって、遠鉄バスがその受け皿になり、効率化するために、浜松駅バスターミナルを中間点として位置づけ、通過系統を主に再構築していったのですが、当時、浜松営業所に勤務していた頃に、少し関わることができて幸せでした。
もっとも、私の入社する頃から、グループの中では路線バスは斜陽産業として位置づけられており、その路線バスの計画参画の中心にいなかったことは残念ではありましたが、それはそれで大変なことであったろうと推察しております。
※図は、浜松市街地図の一部。1968年発行となっていて、何やら色々と路線が手書きで書き込まれている。


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