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2024年4月19日 (金)

1252.宮崎・鹿児島大遠征のご報告-その2-

それでは、今回の宮崎・鹿児島大遠征におけるトピックスをいくつか記してみます。その1で挙げた以外のものです。

セントレアの出発時までは、かなりの雨が降り、浜松西インター駐車場からバス乗り場まではビニール傘を必要としましたが、その後の予報では宮崎・鹿児島での四日間には雨マークがないため、現地への傘の持ち込みは不要と考え、空港バスのドライバーに傘を処分して貰おうとするも、やんわり断られたため、空港のトイレに忘れていくことにしました。コンビニのビニール傘を搭乗手荷物で持っていくのは、何やら恥ずかしい気がしており、そのようにしました。

Photo_20240503163101 日南沖の地震の話題については、海岸沿いに位置する局では津波の心配があり、大変気を付けて情報を確認したそうです。今回は、津波の心配はなくひとまず安心したそうです。

初日の13局目の栄松簡易局は、駐車場情報では9台となっており、実際に訪問してみると局の手前に民家が2軒ぐらいは建てられる広いスペースに、駐車場が用意されていました。

初日の8局目の大窪簡易局、2日目の1局目の大隅池田簡易局、12局目の大隅郡簡易局、17局目の大隅大原簡易局、これらは明らかに旧特定局の局舎をそのまま使っている簡易局でありました。

3日目の6局目の串間今町局において、通帳更新をお願いしました。NO.123からNO.124への更新です。

Photo_20240503163201 3日目は、鹿児島県曽於市末吉町を終えてなお時間があったため、都城市中郷局など3局を増殖できました。ですが、四日目の行程は決まっており、24局の予定が21局となっただけで、まわりは既訪問地域のため、四日目の終了が早くなったに過ぎません。それでもレンタカーの返却が早くなり、宮崎空港での出発待ちに余裕の時間ができました。

4日目の10局目の都城一万城局は、通算10,000局の節目に、ここの局を訪問するマニアが多いため、そんな話題で局長との会話が進みました。

これをもって、児湯郡以南の宮崎県南部の完訪となったのですが、都城市で一時閉鎖していた乙房簡易局が5.1から再開することが、遠征中の4.11に発表となり、これは大変痛い事態となりました。

これにて、宮崎・鹿児島大遠征のご報告は終わりますが、前述の痛い事態の話題等、‘落ち穂’にまつわる話題を次の記事でしていきたいと思います。

※写真は、上が日南市の栄松簡易郵便局。本文に記したように手前に駐車場が広くとってありました。下が都城一万城郵便局。(下は5.3写真追加)

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コメント

>稲生さん
久しぶりに書き込みします。栄松簡易局、懐かしいです。私はこの局を1996年に訪問していまして、旅行貯金の通算15局目になります。宮崎県初貯金、初めての簡易局訪問でもあります。当時は積極的に局に行くのではなく、見つけたら貯金するという駆け出しの頃の話です。
レンタカーで鵜戸神宮から都井岬まで走らせていて、たまたま道路沿いに見つけたでの寄ったのですが、まだ本格的に局巡りを始める前で、本来の旅行貯金でした。その次がレンタカーを返却した鹿児島空港で、今はなき空港内簡易局がありました。
私の記憶が曖昧かもしれませんが、当時は広々とした駐車場などなくて、局の前にちょっと停めさせてもらったような気がします。ひょっとしたら局舎も建て替えられたかもしれません。一般の民家が簡易郵便局を経営してるんだと、初心者にとってはとても驚きでしたので。

プ~やんさん、コメントありがとうございます。

簡易局の楽しみは、現地へ行って初めて知ることが、往々にしてあることですね。
直営局は、だいたい想像の範囲内で収まりますが、簡易局はバラエティに富んでいると思います。
美容院や理容室の併設、酒屋さんやよろずやさんの併設、はたまた畳屋さんが兼ねていたりと。
栄松は、何かとの併設ではないですが、駐車場がとても大きく確保してあるのが特徴的でした。
それから、この日に廻った日南星倉簡易局は、2Fがホテル(1Rのみ)になっているそうです。これも想像の上を行ってますね。

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