1275.家庭の事情って何?
今日から盆入りです。今年は町内で7件を廻る予定です。それから、友人のお母様がお亡くなりになったので、中央区の実家近くの友人宅も14日となりますが、お参りする予定です。
さて、本題です。NO.1267の中で、三宅島・御蔵島に青ケ島を加えた東京島嶼部へのトライを家庭の事情で今年は取りやめたとしていましたが、その‘家庭の事情’のことを話してみます。
皆さんには興味のないことかもしれませんし、別に話さなくても良いのでしょうが、このブログのネタも最近はそれほどないことでもあり、ちょこっと触れさせていただきます。
今住んでいる家の土地を分筆して息子の家を建てるのです。そのために、現在の家の約半分を解体して更地にする必要があり、今は不要となった諸々のごみを処分することに専念しております。
稲生家の長男である息子は、夫婦と一子の3人で近くのアパートに暮らしていますが、当初は二世帯住宅を建てて暮らしたいと嬉しいことを言ってくれていましたが、我が家は96歳と89歳の老親と同居しており、二世帯では足りなくて三世帯住宅でなければ間に合わない形になります。
老親の方は、この歳で新しい環境で暮らすことは御免こうむるとなり、同居話はしばらく頓挫していましたが、老親がかって自営していた織物工場の工場部分を解体してしまい、そこには90坪ほどの土地ができるため、そこに息子夫婦の新居を建てることとなったのです。
私たち稲生夫婦は、旧宅側に老親と4人で暮らすことになり、なんだかうまい話ではなくなったのですが、現状の稲生家の家族構成ではベターな選択と思い、実施することになりました。
織物業は35年ほど前に廃業しております。数台あった織機を撤去したあとは、空きスペースだったのですが、とりあえずここに不用品を保管しておく悪癖が重なって、不用なごみは溜まりに溜まっておりました。
燃えるごみ・燃えないごみは45㍑のごみ袋に入れて集積所に出したり、その他の有料となるごみ(浜松市では連絡ごみと呼んでいる)と一緒に、清掃センターに自己搬入したり、金属などは業者による無料回収を利用したり、連日の作業が今も続いております。
昭和25年頃建築の織物工場跡には、ビックリするようなごみもたくさんあります。古びた絵画を包んだ新聞にはマッカーサー元帥がどうしたとの記事が載っていて驚いたり、床下から火鉢が山ほど出てきたり、ボロボロになった練炭が出てきたりetc・・・
実印などを入れていた耐火金庫は、ダイヤル番号をガムテープで固定して使っていたのを2歳の孫がダイヤルをいじってしまい、その後番号を合わせてみても開かなくなり、困った挙句に鍵屋に来てもらうも開かず、いよいよハンマーやドリルで壊して開けるしかないといったところに、母が正しい番号を書いたメモ帳を見つけてすんなり開いてしまったなど、ビックリするようなトピックス満載の処分作業は、佳境に入ってきましたが、あと1ヶ月ほどは続いていきます。
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