1285.実録・帯状疱疹、‘走馬灯’と‘お花畑’
まだまだ病気の話ですいません。得意の郵便局めぐりが休止中のため、それらに関する話題が特段ないため、もう少しお付き合い願います。
前回、インフルエンザで入院治療した話をしましたが、よく思い出したところ、帯状疱疹でも入院していました。確か腎臓移植をして7年くらいたったころでした。まだ40歳になる前だったと記憶しています。
腎臓移植後は、時間を経るにしたがって警戒を緩めてきました。最初の頃は電車通勤の際にマスクを着用して流行性感冒に気を付けていましたが、1年経過した頃にマスク着用を解除したり、2.3年すると仕事終わりの麻雀も復活して、日付の変わってから帰宅したりと、十分に普通の生活ができていました。
そんな矢先に帯状疱疹にかかってしまったのです。1週間ほどの入院治療で治癒に至ったのですが、その時の心情はとっても残念で落ち込んだものでした。高齢者などに多く罹る帯状疱疹となってしまい、やっぱり俺は病人なんだと。その後は、無理は禁物というワードを手にして、通常の生活を刻むように心掛けたものです。
ですので、それ以降はインフルエンザも帯状疱疹にも罹患しておりません。でも今は高齢者となり、前述のものに加え新型コロナなど、それらにかかれば回復はかなり遅れるということを肝に銘じて行動をすることにしています。
次に、‘走馬灯’と‘お花畑’についてです。この二つとも私は経験しているのです。
腎臓に関する最初の手術を29歳の頃にした(NO.1282参照)のですが、この時に‘走馬灯’をみたのです。幼き頃から小学校・中学校・高校・大学そして社会人・結婚・家族と、それぞれが動画で出現し、次々とスライドショーとなって進んで行きました。
手術が終わって覚醒したときに、これが‘走馬灯’というものなんだなと、感心したものです。
でも、不思議なものですが、次の大きな手術・腎臓移植手術や50代の2度にわたる人工股関節手術では、‘走馬灯’は出現しませんでした。命に係わる危機だと身体が認識しなかったからなのでしょうか?
最後に‘お花畑’についてです。これは腎臓移植後3年ほど経過した日に経験しました。
妻と小学校低学年の長男・幼稚園の長女の4人で、休日に静岡方面の旅行をしたのですが、私の母校・静岡大学を見せて上げたいと大学に向かい、一番大きなB301教室を見学した頃から、私は下痢気味となり、トイレで用を足したのちに、芝生に突っ伏して気を失ったようです。
この時の私の脳内は綺麗な‘お花畑’が展開していて、ずっとこうしていたいと思ったのですが、遠くから妻が「パパ起きて!パパしっかりして!」との声が聞こえて来て、我に返ったのです。
私の身体に危機が迫っていたのかもしれませんが、私の脳内では、とっても気持ちの良い時間であったのです。妻が近くにいたから、この世に引き戻してくれたのかもしれません。
その後は、皆さんご存知のように、単独行動を主として日本全国を回っておりますが、気を失ったことはなく過ごしております。
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