1293.身内に甲子園球児がいた!
2名のお笑い芸人のネタのあとは、甲子園ネタであります。
皆様の周りには、高校球児はいらっしゃいますか?本人が野球部出身であればそれはズバリなのですが、身内には何人かいるよと言う方もいらっしゃると思います。その中でも、甲子園に出場したとなると、これはまさしくヒーローであります。
私・稲生は野球部出身でもなく、単なる野球好きが高じてベイスターズファンになっただけの輩なのですが、長男が生まれた頃はかなりのホエールズファンだったころで、長男の名前にホエールズファンならさもありなんという名前を付けてしまいました。
NO.53の最後の方にちょっとだけ触れておりますが、福島県出身のエース・遠藤一彦と京都府出身の守護神・齊藤明夫にちなんで命名しております。一夫ではない方です。
それでも運動神経の方は、私に見事に遺伝してしまったもので、野球はおろか運動系のものは全てダメという経緯を経て今に至っておりますが、結婚した嫁さんの父親が高校球児であったことが、初顔合わせの際に判明したのです。
この方は一般人ですので、匿名で話しを進めさせていただきますが、「小さな大投手」って知っていますか?
ググってみると、ヤクルトの石川雅規投手が一番先に出てきますが、次に出てくるのが田村隆寿投手です。福島県磐城高校のエースで1971年(昭和46年)夏の甲子園に出場し、東京都の日大一高・静岡県の静岡学園・奈良県の郡山高校と勝ち続け、決勝まで勝ち進み、決勝では神奈川県の桐蔭学園に惜しくも敗れたという輝かしい戦績を持っております。私・稲生が中学3年の夏のお話しでした。
炭鉱街の旋風を起こした磐城高校が次に甲子園に出場したのが、3年後の春の選抜大会でした(1974年:昭和49年)。この時の左腕エースが、息子の嫁さんの父親だったのです。高校球児どころか甲子園出場球児しかもエースピッチャーだったのです。
残念ながら一回戦で岡山県の倉敷工業に敗退してしまったのですが、東北代表として甲子園で戦ったという輝かしい実績を持った方が親戚となったのです。磐城高校野球部OB会のページに、その試合の概要が掲載されており、間違いではないことが確認できております。
その後は、青山学院大で準硬式に親しみ、一般企業に就職されていらっしゃいます。私・稲生と同学年であることも判りました。
以上が、私・稲生の身内の自慢話でありました。
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