1356.佐世保市の市域拡大の歴史
長崎県で県庁所在地の長崎市に次ぐ第二の都市・佐世保市について考察してみます。
今回の長崎大遠征では、訪問した59局中、佐世保市域で37局を廻ってきました。全75局があり、4年5ヶ月にて完訪に至りました。
佐世保市域は、2010(H22)3.31の江迎町・鹿町町の編入を最後に、上の地図のような状態となっております。そして2016(H28)4.1に中核市に指定されております。
中核市とは、詳しくは省略しますが、町から市への昇格後、特例市⇒中核市⇒政令指定都市と発展を遂げていく流れがあり、その中核市のことであります。現在、政令指定都市が20市、中核市が62市、特例市が23市あります。最後の特例市は施行時特例市とも言われております。これらの詳しい事柄については、項を改めることにいたしましょう。
佐世保市は中核市62市の中では、人口56位(230,226人)で面積26位(426.01㎢)となっております。(こちらの表より)人口は下の方、面積は中どころと言った感じです。
さて本題の佐世保市域の拡大の歴史についてです。
1902(M35)4.1に東彼杵郡佐世保村から佐世保市に昇格しました。私の住む浜松市が町から市になったのがM44ですので、それよりも早く市の仲間入りをしております。村から一挙に市になったことからも、軍港の町として明治期に大きな発展をみたことが推測できます。
そして、北松浦郡ではなくて東彼杵郡であったことも驚きました。大村方面から北上している東彼杵郡の北の端に位置していたのです。
戦時下の1942(S17)までに、北は北松浦郡大野町・皆瀬村・中里村、南は東彼杵郡早岐町まで市域を拡大していきました。
昭和の大合併時には、1954(S29)には北松浦郡黒島村と柚木村を編入したのを始め、翌1955(S30)に東彼杵郡江上村ほか2村、1958(S33)に東彼杵郡宮村を編入していきました。
2001(H13)に特例市となった後、平成の大合併時には、2005(H17)には北松浦郡吉井町・世知原町を、翌2006(H18)には北松浦郡宇久町・小佐々町を編入したのち、冒頭で触れた2010(H22)の江迎町・鹿町町の編入により現在の佐世保市域となっております。離島である上五島の北部の宇久町も佐世保市域に含まれているのです。
北松浦郡で町のままなのは、離島の小値賀町と佐々町の2町のみです。小値賀町は僅か54票差で佐世保市との合併反対が上回ったようで単独の道を歩んで行ったようです。佐々町は隣の小佐々町との2町合併で、さざなみ町という名称まで決定したそうですが、その名称問題等でご破算になったようです。
2町ともに財政豊かとは言えず、いずれ他との合併を考えていくことでしょうが、小値賀町の方は、新上五島町と合併するか佐世保市に合併するかの2択がありそうですが、佐々町の方は佐世保市域に囲まれてしまっており、佐世保市への編入しか手立てはなさそうです。
上が2016年の最新パラパラ地図、下が佐世保市誕生当時の1902年のパラパラ地図。
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