1350.実母の人生
実母が99.99歳の人生を閉じてから、1ヶ月が経ちました。
母は大正14年3月25日に、僧侶の家の第一子として生を享けました。4学年下に弟がいて、母親が早死にをしており、継母のもとに弟が二人いましたが、弟3人は昨年までに死去しております。
生まれは今の愛知県新城市でしたが、父親は雇われ僧侶とでも言いましょうか、良い条件の寺に度々籍を移しており、遠州地方を転々としたようです。そのため転校ばかりしていました。当時の田舎では転校生は珍しいため、好奇な目で見られてしまい、弟と二人で休み時間に校舎の陰で泣いていたそうです。
昭和25年に結婚して、長男がすぐに生まれ、二年後に次男が、そして5学年下の三男として私・稲生が誕生しております。戦後は男性が圧倒的に少なく、父曰く、トラック一杯の中から母を選んだとのことです。
普通のサラリーマン家庭で、しかも放任主義でした。私が思うに、子どもが男ばかり三人というのが母の誤算だったのかもしれません。そして子供が独立し、夫婦二人となってからが、母にとっては一番幸せな時期だったことでしょう。
母が64歳の時に、三男である私・稲生のドナーとなって片方の腎臓を提供してくれました。養子に出した三男のために提供してくれた無償の愛であります。おかげで、私はクオリティオブライフを得ることになり、何とか68歳の今日まで暮らしていくことができております。
そうです。母は死んで肉体が無くなっても、母の腎臓は私の身体の中に生き続けているのです。この贈り物を大切にしていくつもりです。
父は80歳で死去しました。その時の母の年齢は78歳です。ここからが母の第二の人生が始まりました。20年以上、一人暮らしを続けていたのですから。
母親だけの一人暮らしとなって、勝手気ままな楽しい生活を謳歌していたようです。父親の遺族年金に加えて自分の老齢年金もあり、その年金額は、結構余裕があったようです。
本人曰く、私は通販病だよ。と言うほどの通販好きで、テレビでやっている通販商品を片っ端から購入しており、これらはすべてを使うことはできなくて、家の中は物であふれていました。むしろ、新品のまま放置されている物が多かったです。
これらのことについて、生前は我々子どもたちは諦めていましたが、母の後片付けをしているにつけ、誰か必死に止めるべきだったと後悔しているところです。それでも、オレオレ詐欺などに引っかかって、財産を取られたわけでもないため、そこのところは救われております。
未だに週三で実家に出向いて、兄弟3人で後片付けが続いております。そして連休明けに四十九日法要があり、7月には初盆供養があります。
一連の行事が済むことで、ようやく落ち着くことができるはずです。
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