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日記・コラム・つぶやき

2020年7月26日 (日)

866.三浦春馬さんの死

若手俳優の三浦春馬さんが7/18に死去されました。享年30歳。自死でした。

筆者・稲生とは親子以上に年齢が離れており、彼の出演作品のほとんどは見ていないのですが、遠州地方を舞台にしたNHKの大河ドラマ『おんな城主・直虎』において、主役の井伊直虎の許婚で、わけあって夫婦になれなかった井伊直親役を演じていて、とても印象に残っていました。

井伊直親の子が徳川四天王のひとり井伊直政であり、直政の活躍により、井伊家は彦根藩主・譜代大名としての地位を得たのです。

Photo_20200725221901 井伊直親は、井伊家家老・小野政直の讒言により父・直満が今川義元により誅殺されると、8歳にして信州に逃げ延びたのち、19歳で井伊家への帰参がかない井伊家の家督を継いだものの、またもや家老・小野政次の讒言により、徳川家への内通の疑いを掛けられ、申し開きのため駿府へ向かう途中に掛川城下にて、今川家家臣の朝比奈氏に斬殺されてしまったのです。(享年27歳)

本ブログでは、NO535 にて直親の墓を、NO.507 にて三浦春馬さんを含む出演者の写真を掲載しております。

三浦春馬さんの死去の報を受けて、翌7/19に直親の墓にお参りしてきました。その後、写真を撮りに7/21に再び訪れると、墓を掃除している地元の方(女性)に、話を聞くことができました。

井伊家の菩提寺である井伊谷の龍潭寺の墓から分骨されて、直親が住んでいた祝田(ほうだ)集落に墓があり、昭和49年の七夕豪雨により墓が流され、その後、現在の都田川右岸土手に面した場所に墓を移設したとのこと。

周囲には何もなく、ひっそりと直親の墓だけがあり、薄命の春馬さんと共通するような寂しさ、侘しさを感じました。

2020年5月15日 (金)

845.‘のぞみ号’の静岡県内無停車(通過)問題

リニア新幹線に続いては、現行の東海道新幹線における‘のぞみ号’の静岡県内無停車(通過)問題についてです。

もうすぐ、開業から58年が経とうとしているのですが、静岡県内には1本たりとも‘のぞみ号’が停車しません。

1時間当たり8本(平常時ダイヤ)の通過車両のうち、のぞみ4本・ひかり2本・こだま2本となっており、実に5割の車両が通過しており、これらは駅付近であっても減速が小さく、振動と騒音のみを残して走り去っていくのです。

東海道新幹線での停車駅は品川・新横浜・名古屋・京都・新大阪の停車であり、新横浜・名古屋間の走行距離(営業キロ)は337.2㌔です。新横浜駅以遠の首都圏や、それ以遠の乗客にとっては、静岡県内を無停車で通過するのは、エグゼクティブで当然のことのように思われます。

私も、東北新幹線で「大宮の次は仙台に止まります」とコールされたときは、大変晴れ晴れしい気分になったものです。ちなみに大宮・仙台間のそれは321.5㌔であります。その時は、上野駅も通過しましたので、なおさらです。

Photo_20200514113101 話を東海道新幹線に戻しますが、山陽新幹線と合わせた直通運転をしており、東海道・山陽新幹線と呼称されてもいますが、このケースでの‘のぞみ号’では、新大阪・新神戸・岡山・広島・小倉・博多の停車に加えて、山口県内の徳山駅または新山口駅停車というのもあり、私はよく利用させてもらっています。

山口県に行くには、大変便利なものです。ありがたや、ありがたや。

広島・小倉間213.5㌔において、1時間当たり9本の通過車両(山陽・九州新幹線含む)のうち、3本が徳山駅または新山口駅に停車しているようです。(Wikipediaによる)

私たち静岡県民が望んでいる‘のぞみ号’静岡県内停車案は、この山口県パターンであります。1時間当たり2本の‘ひかり号’のうち1本を‘のぞみ号’県内停車パターンにして、のぞみ無停車4本・のぞみ県内停車1本・ひかり1本・こだま2本としてもらいたいのです。

山口県民の現状3本に比べても、1本のみの停車を希望するだけの、ささやかな‘のぞみ’であります。(⇐‘のぞみ’に引っ掛けております。)

ただし、静岡駅と浜松駅の併用です。都市格の観点でも、ここだけは譲れません。浜松人の静岡人に対するライバル意識は強いのです。(浜松VS静岡の話題は、またいつか)

これが実現すれば、リニア新幹線の開通も、予定通りに進むかもしれませんね。(言外をくみ取ってみてください。)

参考:2018年 1日平均乗車人員 静岡駅60,332・浜松駅37,594・小倉駅36,183・新山口駅8,168・徳山駅7,511

2020年5月11日 (月)

844.リニア新幹線の静岡工区の未着工問題

今回は、リニア新幹線の建設の妨げとなっている静岡工区未着工問題を取り上げてみます。

品川・名古屋間の2027年の開業を目指して、JR東海が建設を進めていますが、着工ができていない‘静岡工区’とは、山梨・静岡・長野3県にまたがる全長25㌔の南アルプストンネルのうちの静岡県内における8.9㌔の区間のことです。

大井川の水源域にあたり、工事の際に出る湧水の全量を大井川に戻すよう主張しているのです。その具体的手段が明らかにされないのならば、着工の合意ができないと。

Photo_20200509174901 ◎リニアでJR東海と対立、静岡県の「本当の狙い」 東洋経済 リンク先は こちら

◎静岡県知事の「リニア妨害」(前編) ITmediaビジネス リンク先は こちら

◎狂気に走る静岡県「リニア新幹線を、ぶっ壊す」 PRESIDENT リンク先は こちら

◎着工できないリニア 建設許可を出さない静岡県の「正義」 ITmediaビジネス リンク先は こちら

その他、いくつかの記事も読んでみました。

代償として、東海道新幹線の静岡空港新駅を設置させろ。とか、現在すべての‘のぞみ号’が県内を通過しているが、これを停車させろ。などの条件闘争をしているのではないか?という、気がしないでもないのですが、静岡県側が本当に杞憂しているのは、大井川の環境保全問題です。

国策のリニア新幹線を開通させるにしても、開通後も懸念される水利・環境破壊問題が残るということであります。

本当に難しい問題です。リニア新幹線の他の地域でも、高速道路の建設でも、同様の問題はどこかしらで生じているはずです。自然破壊の問題と、どう妥協していくのか?線引きするのが難しい問題であります。

2027年には、私・稲生は71歳です。5年ぐらい遅れたとしたら76歳です。生きている間にリニア新幹線を開通してもらい、冥途の土産に一度は乗車したいと願っております。

2020年5月 7日 (木)

843.自粛中の過ごし方

緊急事態宣言下では、県外の移動がままならず、趣味の郵便局めぐりは凍結せざるを得ない状況となっています。ましてや、不要不急の外出すら許容されないため、基本的には「stay home」のスタイルをとることとなりました。

この局メグ自粛中の私・稲生の過ごし方についてですが、お話しできる範囲で報告させていただきます。

4月上旬から中旬にかけては、すでに前述しておりますが『貯金通帳の整理・点検』をやってみました。108冊に及ぶ通帳を振り返るのは、古いアルバムを見返すのと同じで、はかどることはありませんが、なかなか楽しい作業であり、興味あることがあっちこっちと行ったり来たりしつつも、一応の完了をみました。

また、さだファンとして、もう少し理解を深めるために小説『精霊流し』『眉山』を読んでみました。『解夏』も手元にありますが、下に述べる取り組みを優先するために、これは手を付けるのを留めております。

次に、4月下旬からは、3つの取り組みを手掛けることにしました。

1.『稲生ホームページ』内の、写真編の見直し

2.ぶらりシリーズのうちの離島編の新規作成

3.『稲生のつぶやき(ブログ)』の読み返し

便宜上、数字を付けましたが、この3つを交互に進めていくことを決めたのです。

1.については、先の『貯金通帳の整理・点検』が、『稲生ホームページ』の明細編とのチェックであったのですが、今度は写真編のチェックを手掛けることにしたのです。コメント部分の体裁を整えてみたり、リンク切れをチェックしてみたりしました。今のところ、1年分を残すのみであります。

2.については、「興居島&睦月島・野忽那島」から作業を始め、「新島・式根島」までの7作品が出来ており、あと4作品を作っていこうかと思っています。

3.については、2011.10.19のNO.1の記事から始めて、未だ2013年末のNO.218あたりまでですが、それぞれの記事で、写真がなかったものに適宜・写真を追加したりしております。この作業は、もう少し時間がかかりそうです。

それから、4.29に『局名録2020』が到着しておりますので、これを稲生色に染めていく作業をするつもりです。これについては、そのうち記事にしてみるつもりですが、それなりにボリューム一杯の作業があろうかと思っています。

今のところは、こんな感じです。

2020年5月 3日 (日)

842.新型コロナウィルス-静岡県の感染状況

4/17に緊急事態宣言が全国に範囲を広げて発布されてから2週間。5/6までのところを、延長されることとなりました。とりあえず5月中は宣言されたままでありましょう。

残念ではありますが、いつまでも宣言が出されたままではないはず。宣言の解除される日は必ずやってきます。それを信じて、もう少し我慢の日々を過ごすことにいたしましょう。

相変わらず、東京都を中心に感染者が増え続けておりますが、東京都を中心とした首都圏が下火にならなければ、私の住む静岡県をはじめ、甲信・東北などの周辺部の宣言解除はままならないことでしょう。全国国民が当事者ではありますが、特に東京都及び隣接3県の住民の自粛努力の継続に期待しておりますし、収束するかどうかは、1都3県民の行動如何にかかってきております。そこのところは、自覚していただきたいと思います。

5/2現在、静岡県の累計感染者数は73人です。死者は4/29にとうとう1人出てしまいまいました。

2/27にクルーズ船下船客が自宅待機中に陽性となったのが第1号でしたが、3/28に4例目が出た後、毎日のように感染者が出続け、4月いっぱいでは73人となったのです。

日付別では、4/8の9人が最大で、4/13の5人、3/30・4/10・4/22・4/29の4人と続いております。5月に入って感染者ゼロが続いてはおりますが、どこでクラスターが出るかも知れず、油断は出来ないところです。

市町別では、静岡市の20人が最大で、富士宮市10、浜松市・富士市各7、掛川市・熱海市各5、南伊豆町4、長泉町3と続いております。

静岡県内は、浜松市を中心とする西部、静岡市を中心とする中部、富士市・沼津市および伊豆半島の東部の3区分をすることが多いのですが、西部17・中部21・東部35となっており、東高西低の状態であると言えましょう。これは首都圏からの距離の遠近と関係があるはずです。

人口10万人当たりでは、南伊豆町の50.42、熱海市の13.85、富士宮市の7.78・長泉町の6.94と続いておりますが、静岡県全体では2.01と、全国47都道府県では、下から6番目ぐらいのところにおります。(稲生調べ)

ここ のデータでは、静岡県は1.4人となっておりますが、これは4/17現在のデータ集計であり、それから2.01人まで増加してしまったとみるべきでありましょう。

それにしても東京都の20.1人は、ダントツに多いですし、北陸3県・関西3府県・東京近隣3県や高知県・北海道・沖縄県などと、何処へ飛び火するかも知れず、我が静岡県でも、とりわけ首都圏からの伝播に戦々恐々としている状況であります。

下の方にある年代別をみてみると、やはり20代から50代が多く、次いで60代となっており、活動が活発な年代の感染者が多いのがよくわかります。

以上、拙い分析ではありますが、宣言解除のための処方箋としては、何といっても首都圏の20代から60代までの方々の自粛如何にかかっていると言って良いかと思っております。

2020年4月13日 (月)

835.『浜松いわた信用金庫』の合併後

今日は地元ネタです。あまり興味深い話ではないかと思います。そう感じた方は、どうぞスルーしてください。

私の地元、静岡県遠州地方で浜松信用金庫(通称:浜信)と磐田信用金庫(通称:磐信)が、昨年(2019)1.21に合併して『浜松いわた信用金庫』(通称:なし)としてスタートして、1年が経過しました。(NO.693 NO.707 参照)

NO.707の最後で述べたような、妄想・支店統合案こそ用意してありませんが、現実には既に10件の店舗再編が実施(実施9件、予定1件)されておりますので、これをご紹介しておきます。

Photo_20200412143801 その内訳は、出張所廃止1、統合3、移転して店舗内店舗3、建て替えのため店舗内店舗(建て替え後統合)3であります。

1.出張所廃止1件は、旧磐信の磐田駅前出張所の窓口を廃止して相談特化型店舗とし、窓口業務を旧磐信本店の磐田本店営業部へ統合したものです。(旧磐信▲1)

2.統合3件は、竜洋西⇒竜洋、磐田南⇒岡田、磐田⇒磐田本店営業部の3件で、いずれも旧浜信を旧磐信に統合したものです。これは、磐信の牙城である磐田市域に後発として進出した浜信店舗が、重複店舗として統合されたということです。(旧浜信▲3)

3.店舗内店舗3件とは、実質統合であるのですが、店番号を残し顧客の利便不都合を少なくしているだけのことです。葵西⇒三方原、海老塚⇒駅南、久能⇒袋井中央の3件ですが、最初のものは旧浜信同士の統合であり、残りの2件は旧磐信が統合されたということです。(旧浜信▲1、旧磐信▲2)

4.建て替えのための店舗内店舗3件は、西ケ崎⇒小松、上新屋⇒浜松北、原島⇒天王なのですが、建て替えをする店舗(左側)はいずれも旧浜信であり、当面移転する店舗(右側)はいずれも旧磐信であります。ここで大事なことは、建て替え後は右側の店舗が統合(または店舗内店舗)となるということです。ということで(旧磐信▲3)

また、3の海老塚および4の小松・浜松北・天王は、全て浜信の牙城である浜松市域に後発として進出した磐信店舗が、重複店舗として統合に至ったのであり、旧磐信職員としては、苦労して開拓していった地の拠点を失っていくことであり、忸怩たる思いであろうと推察されます。

これらのことをまとめると、旧磐信同士1、旧浜信同士1、旧浜信を統合3、旧磐信を統合(または店舗内店舗)5となりました。

※参考とした ページ

※写真は、なかなか立派な造りで驚いた三方原支店。合併直前の19.1.16撮影。

2020年3月28日 (土)

831.歌人・村木道彦先生

前の記事の続きとなります。

ラジオ深夜便では、番組の進行役のことをアンカーと読んでいます。コアな深夜便ユーザーとなると、アンカーたちによる「深夜便のつどい」に出向いて、親睦を図るらしいのですが、私の場合は、いつでも初心者であり、決してコアな深夜便ユーザーになることはないかと思います。

さて、1ヶ月ほど前のある夜の放送で、「ほむほむのふむふむ」というコーナーを聴くともなしに聴いていたところ、これは歌人・穂村弘氏による短歌の話であることがわかり、そのつながりで、高校1年の時の担任の教師・村木道彦先生のことを、突然思い出したのでした。

私なりに背伸びをして入学した浜松N高校で、最初に遭遇した教師が、この村木先生でした。厳密には、入学前の受験の時に、私の教室を担当していて、なんだか聡明そうなハンサムな青年教師だという第一印象がありました。

Photo_20200416201301 村木先生は、神奈川県出身の慶應ボーイの国語教師で、まだ20代後半の青年教師でしたが、自分のことを自虐的に田舎教師と仰っておりました。その授業は、時々かなり脱線し、お話しはとても楽しかったことを覚えております。ある時、これはホームルームの時だったかと思いますが、学校の近所をクラス全員で散歩したこともありました。

そして、自らの歌人としての作品についての、お話しもしていただき、こんな作品を作っただの、いろいろ解説をしてくださいました。時には、生徒に短歌を作らせたりして。

私は、あいにく短歌に興味を持つことができませんでしたが、浜松N高OBとして私より3期先輩の康珍化さんが、村木先生に師事し歌人となった後に、作詞家として、高橋真梨子の「桃色吐息」杏里の「悲しみが止まらない」岩崎良美の「タッチ」KinKi Kidsの「全部だきしめて」チェッカーズの「ギザギザハートの子守歌」中森明菜の「北ウイング」などのヒット曲を紡ぎ出しております。

また「サラダ記念日」で著名な歌人・俵万智は、村木道彦氏の歌にハマってしまったと、その著書に書いていて、後続の歌人に少なからず影響を与えたようです。

そんな恩師・村木先生でしたが、次にお目にかかったのは、浜松市立高校が男女共学になる年に、新しい校歌を作成した際に、その校歌の作詞者として、地元のローカルニュースとなった2004年3月でありました。今でもユーチューブにありますが、新校歌のお披露目式に列席されておりました。

私の脳裏にあった青年教師の村木先生ではなくて、老境にはいった村木先生の動画を拝見させていただきました。もっとも、14歳も年の離れた私も、すっかり禿げてしまっているのですが・・・

※写真は、2008年に発行された村木道彦先生の「存在の夏」。私も、ネット注文でこの本を手にしてみたのですが、その内容は、さっぱり理解できませんでした。私には短歌を読む能力すらなかったのを、改めて知ったのでした。

2020年3月25日 (水)

830.ラジオ深夜便

皆さん、コロナウィルス対策を万全にして、自らに被害が及ばないように、気を付けましょう!

私は、3月の遠征を2回とも延期することで、不要不急の外出を控えたつもりですが、そろそろ欲求不満が溜まってきました。4月の遠征は、これを解消すべき必要な外出として、何としても実施したいと思っています。

さて、深夜のラジオ番組と言えば、「昔・オールナイトニッポン、今・ラジオ深夜便」ということになります。今回は、そんなお話しをしてみましょう。

オールナイトニッポンは、現在でも続いている深夜ラジオ番組ですが、皆さんの記憶にあるパーソナリティは誰でしょうか?

私は、糸居五郎・斉藤安弘・亀渕昭信・高島秀武などによる番組黎明期から第一次黄金期のパーソナリティで、局アナが受け持っていた時代に熱心に聴いておりました。ちょうどその頃が、学生時代だったこともあったのですが、その後のタレントパーソナリティ時代には、次第にフェードアウトしていったのです。

Photo_20200324175501

そして今は、NHKのラジオ深夜便です。オールナイトニッポンを聴かないこともないのですが、話が合わないというか、世代が合わないのです。

ラジオ深夜便は、たまたま夜中に起きた時に聴くだけですが、にっぽんの歌こころの歌で昭和の懐メロを流していたり、ロマンチックコンサートで映画音楽を聴いたりと、特に気に入らない限り、NHKを聴くことにしています。

いわゆる、‘ながら音楽’‘聞き流し’といった形式でしょうか。手元で自分がやっていることを邪魔しない番組なのであります。これは、若い頃の受験勉強の合間にオールナイトニッポンを聴いていたのと、そんなに変わらない感覚なのかもしれません。そういう意味では、昔も今も深夜のラジオの効能は変わっていないということになるのでしょうか。

でも、昔と違っているのは、番組で出てきた歌手や曲名を、Wikipediaなどで、掘り下げてみることが多くあるということです。ただ、雑然と聴いているのではなく、ラジオから聞こえた音楽などの詳細を、同時進行で調べてみることで、知識が深まることがあるのです。この前も、五木ひろしの名曲「千曲川」は、もともと笛吹川だっだことをウィキペディアで調べたのでした。1つのトリビアを得たところです。

懐かしい曲や歌手なども、ウィキペディアなどで掘り下げてみることで、一つの音楽がいくつにも膨らんだ知識を生み出すことになり、これはこれで、楽しい21世紀型の聴き方なのかもしれません。

次の記事では、ラジオ深夜便で聴いた事から連想してたどり着いた、あるエピソードをお話ししてみたいと思います。

2020年2月19日 (水)

820.「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」-野村語録より

戦後初の三冠王となり、指導者としても3度の日本一を成し遂げた名将、野村克也氏が逝去されました。

彼の現役時代は、セリーグのON時代の裏側のパリーグの野球であったため、そんなに詳しくないのですが、右打者で、しかも足も遅い打者でありながら、三冠王を成し遂げたとなると、これは相当の天才か、はたまた策士であったことと、想像するばかりであります。

Photo_20200217195901 現役を引退してからの彼の人となりについては、自ら話をし、またマスコミを通じて、色々と「野村イズム」を提唱してきており、野球好きの我々に、少なからず影響を与えてきた野球人であります。

私は、ご存知・弱小球団の横浜DeNAベイスターズのファンなのですが、彼のヤクルト監督時代の「野村再生工場」「弱者の戦術」といった、GやSのような金満野球に対して、知恵を絞って戦う姿勢には、大変興味があり、また参考になることが多々ありました。

考える野球、頭を使う野球を日本のプロ野球界に根付かせてくれたのが「ID野球」であったと思います。データ野球ではありますが、これに打者心理・投手心理・守っている選手の心理など、その時々のケースに合わせた戦術を考えていく野球が、常に展開されていることを教えてくれました。

今後は、彼の愛弟子をはじめとして、野村野球に影響を受けた後継者たちが、プロ野球をさらに進化させ、発展させてくれることを願ってやみません。

合掌。

2020年2月15日 (土)

819.種子島について語ってみる。

それでは、今回訪問した種子島について、少々語ってみることにいたしましょう。

種子島は、戦国時代の戦い方を大きく変化させた兵器としての「鉄砲伝来の地」であり、今日では「宇宙センター基地のある島」で知られています。また、西之表市安納の名のついた「安納芋」でも有名であります。

明治22(1889)年の市町村制施行時には、北種子村・中種子村・南種子村の3村に分かれていましたが、大正15(1926)年に北種子村が町制改称して西之表町に、昭和15(1940)年に中種子村が町制施行して中種子町に、昭和31(1956)年に南種子村が町制施行し南種子町となり、昭和33(1958)年には西之表町が市制施行して西之表市となり、現在の1市2町の行政区分となっております。

つまり、昭和の大合併や平成の大合併の波に揉まれる中でも、一度も市町村合併をすることなく、3つのの行政区分を維持したまま現在に至っている、誇り高き3つの自治体で成り立っている島であります。

Photo_20200214194501 そんな種子島の現在の人口は1市2町の合計で28,181人(19.10.1推計人口)であり、もっとも人口の多かった1960年頃の63,000人(推計)の半分以下となってしまっております。

種子島内の3行政区のことを、まことに上手に言い得ている言葉として、西之表市が「海の玄関口」、中種子町が「空の玄関口」、南種子町は「宇宙の玄関口」という言い回しがあります。特に、種子島宇宙センターのある南種子町が「宇宙の玄関口」とは、実に見事な言い回しであります。

そんなシマダスなどによる予備知識を頭に入れながら、種子島一周の局メグ時に、大いなる無駄話をしたりして廻ってみて、判った事柄もいくつかありましたので、ご紹介いたします。

南北に長い種子島の東西の海岸は、サーファーが好むサーフポイントが各所にあるようで、サーファー天国であります。今日では、ケイタイで仲間ウチで連絡を取り合い、その日その日のベストなサーフポイントを渡り歩くことが出来るようです。この贅沢な環境に魅せられて、島民となる若者も結構いるようです。

南種子町でしか食べる事ができない「インギー鶏」については、初めて聞きましたが南種子町の特産品のようです。残念ながら、私はグルメではありませんので、それ以上の興味は湧きませんでした。

人工衛星の打ち上げの様子も、詳しくお話しを聞く事ができました。打ち上げの時間帯が、早朝から日中、さらには夜間とまちまちであり、轟音と共に打ち上げられるということで、鳥や犬などの動物も大騒ぎとなるそうです。特に、夜間の打ち上げは空がたちまち明るくなり、それはもう美しい光景であるそうです。種子島の住民は、こういった経験をいつもできるようで、とっても羨ましい環境であると思いました。

そんな話を聞いてみると、私もチャンスがあれば、人工衛星の打ち上げの瞬間に立ち会ってみたい気持ちになりました。それで、次回の種子島入りの際には、そのタイミングでの来島をしてみたいと思っております。それまでに元気でいれば、という条件がつきますが・・・

さて、この秋には、種子島・屋久島地方、すなわちタネヤク地方を形成するもう片方の島、種子島のお隣の島・屋久島への訪問を計画しております。

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