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日記・コラム・つぶやき

2026年1月27日 (火)

1426.愛車フィット おそらく最後(?)の車検

去る1.19に愛車HVフィットの車検を取りました。

2013年2月に新規取得した愛車HVフィットですが、あと2年は乗ることが出来るようになりました。

こちらのブログ上では、これが最後の車検などと何度か記事にしており、これでとうとうオオカミ少年ならぬオオカミ爺さんになってしまいました(笑)。

26119hv1 ここまでの愛車HVフィットにまつわるブログ記事を、走行㌔とともに示してみることにします。

13.2.15  NO.151  愛車フィットを廃車に

13.3.3  NO.155  新車で‘落ち穂拾い’

13.3.27  NO.161  新車HVフィットの乗り心地       3,800㌔

16.8.24  NO.468  愛車HVフィットが100,000㌔     100,000㌔

22.3.9  NO.1040  愛車HVフィット最後(?)の車検   196,100㌔

22.7.5  NO.1073  愛車HVフィットが20万㌔突破!    200,000㌔

24.3.11  NO.1242  愛車HVフィット本当に最後(?)の車検       211,800㌔

以上ですが、今回の車検時の走行㌔は225,942㌔でした。

26119hv2 1年当たりの走行㌔など、だいぶ落ち着いてきましたが、実は昨年のうちに今回の車検を通すことになる要因が既にありました。

昨年の正月にバッテリーが上がってしまい、これは寿命であるということで、あと3年乗ることが出来る中古バッテリーを探してもらい交換しました。工賃込みで4,180円也。

8月下旬に‘みちのく一人旅’をマイカーで実施することになり、タイヤの具合を見てもらうと要交換となり、中古タイヤを4本買い替えました。工賃込みで25,000円也。

どちらも安い値段であるように思います。私がピットインしているモータースは、親切・丁寧でしかも安価で対応してくれる良心モータースです。

今回こそ、おそらく最後の車検であるかと思います。

いよいよダウンサイジングにして妻と私で二人で1台とするのか、私用に軽自動車を購入するのかは検討中です。二年後をお待ち下さい。

2025年12月15日 (月)

1413.居城ゼミ同窓会at静岡

去る12/7・8の1泊2日の行程にて、母校・静岡大学居城ゼミ同窓会が静岡の地において開催され、これに参加してきました。

正式な集いとしては、2018(H30)年11月に次いで7年ぶり(ブログNO.691参照)なのですが、2年前にその中の有志が静岡に集まって、居城先生を囲んだ昼食会に臨んでおり(NO.1213にその予定について記載あり)、その日から数えると2年ぶりであります。

Photo_20251211001801 1979(昭和54)年3月卒業の同期は12名おり、今回はその中の7名と指導教官の居城先生の計8名の再開となりました。7日が、偶然にも居城先生の誕生日だったそうで、御年83歳になられました。今回は最初の昼食会のみの参加でしたが、相変わらずお元気な様子でした。

そして、先生の口癖なのか、今回が最後の参加だとおっしゃっていましたが、いやいや我々79年組ゼミ生は、静岡で開催する限りは、いつもお呼びする所存であります。なんなら自宅に押し掛けてしまうかも(笑)。いつまでもお元気でいられますように!

今回のメンバーは、ほとんどが7年ぶりもしくは9年ぶりの再会でしたが、一人だけ卒業以来48年ぶりにお会いする同級生もいました。今はSNSの時代ですので、私の顔の変貌ぶりも予め知られており、私の方は「道ですれ違っても、相手にバレない自信がある」と思っていたのですが、すぐにバレてしまいました(笑)。

さて今回のサブタイトルとして、居城ゼミ50周年とうたっておりますが、ゼミに入ったのは3年次からで、静大に入学してから50年であり、居城ゼミ50周年には2年ほど足りないのが事実です。そして‘皆ほぼ70歳’としていますが、これは1浪をして入った人の年齢で、何人かいるようです。私・稲生は10日前に69歳になったばかりです。

Photo_202512110041017日の昼過ぎに静岡駅に集合し、駅ビル・パルシェ内の店で昼食会を3時過ぎまで開催し、居城先生をお見送りしたのち、県庁別館21階の富士山展望ロビーで、この日の富士山を眺めたのち、宿泊・宴会の地・用宗に移動して旧交を温めたのでした。

翌日は、用宗海岸を散策後静岡駅に移り、静鉄バスにて大学に乗り込みました。前回以来の7年ぶりの母校訪問です。

ほとんどの者が7年ぶりの母校訪問ですので、そんなに迷うことなく廻ることができましたが、我々が学んだ人文学部棟は、教養部に引き渡され、現在の人文学部(現名称:人文社会科学部)は、かって山の上にあると言われていた教育学部のさらに上に作られており、そこまで向かうのが一番の苦痛でした。そして念願だった(?)学食を第二食堂で摂ったのも、良い思い出造りとなりました。

大学東側にあるイナズマ階段を下りて下宿村散策後、静鉄バスに乗り静岡駅で降車後、解散となったのですが、もう少し宴を張るメンバーもいたようですが、私は、孫の保育園のお迎えが大事ですので、そのまま在来線で帰宅しました。

※写真は、上が居城先生を囲んだ昼食会。下が静大キャンパスでの集合写真。

※この中には、某県の副知事を4年務めた人、某県の教育センター所長まで勤め上げた人、某都市銀行の取締役を務めた人などもおり、私以外はみんな大活躍をされた面々です。

2025年10月31日 (金)

1400.ブログ・LINE・mixi・X・Facebookについて

ライター稲生は、長崎県完訪の旅に出かけており、今回は繋ぎの記事となります。正確には、10/30のうちに帰宅している予定ですが、長崎遠征のご報告をまとめる時間はないため、その間の繋ぎの記事となります。

ちまたに流行るSNSというのは、どういったものでしょうか?SNSとはソーシャルネットワーキングサービスの略で、インターネットでの社会的構築を可能にするソーシャルメディアサービスのことだそうです。

私が中3日を基本として記事を書いている、このブログというのも、SNSの一種かもしれませんが、私・稲生はそれ以外にどんなSNSを使っているのでしょうか?少しご紹介してみましょう。

まずはLINEです。これを始めたのはかなり遅く、4年ぐらい前だったでしょうか。友人や家族と気軽にやり取りできるので、始めてからは便利に使わせていただいております。

隣地に住む息子夫婦が新築する際には、業者と息子夫婦はLINEでやり取りしており、ビジネスにも普通に使っていることに少々驚いたものです。そして今では隣地に住む息子夫婦の家に訪問する際には、必ずLINEで許可を取ってから、訪問するようにしつけられております(笑)。

次はmixiです。このmixiについては13年前に記事にしていました。NO.108をご覧ください。

郵便局めぐり関連を趣味とする仲間うちのネタを知るために、今も繋がっておりますが、私のmixiの使い方としては、郵便局めぐりをしている現地において、その日のご報告あるいは簡単な感想などを、なるべく現地から発信するようにしております。そこでやり取りして、気が付くことも多々ありますので、この発信とその後のやりとりは大事なことかと思っております。

X(旧Twitter)は、アカウントは持っておりますが、こちらからの発信などはやっていません。

Xから発信されるメグラーがかなりいるため、それを閲覧するためにアカウントを持っています。今は主にinukugiyaさんのXから入り、inukugiyaさんのXをチェックするのはもちろん、そこから他の同業者さまのXを閲覧させていただいております。まだ知らない改廃情報など、それなりに役に立つ情報が得られており、Xのチェックは欠かせません。

それからmixiなどからXに移った方が多くいますが、私はそれほど発信する頻度はないため、同業者さまへの閲覧に留まっております。

最後にFacebookです。これも13年ほど前にアカウントをとりました。主に郵便局めぐり関係の閲覧をしようとしていたのですが、最近、自分のプロフィールなどを詳しく開示して、友達も二桁程度に増やして、ある意味本格的に活用をし始めております。

今は郵便局めぐりの同業者の集うグループのいくつかに所属し、mixi同様に現地から、もしくは帰宅後すみやかにご報告をしております。仲間の行動の成果の発表を見ていくのも参考になることがあります。

以上、SNSについては、そんなところです。

2025年5月 6日 (火)

1350.実母の人生

実母が99.99歳の人生を閉じてから、1ヶ月が経ちました。

母は大正14年3月25日に、僧侶の家の第一子として生を享けました。4学年下に弟がいて、母親が早死にをしており、継母のもとに弟が二人いましたが、弟3人は昨年までに死去しております。

生まれは今の愛知県新城市でしたが、父親は雇われ僧侶とでも言いましょうか、良い条件の寺に度々籍を移しており、遠州地方を転々としたようです。そのため転校ばかりしていました。当時の田舎では転校生は珍しいため、好奇な目で見られてしまい、弟と二人で休み時間に校舎の陰で泣いていたそうです。

昭和25年に結婚して、長男がすぐに生まれ、二年後に次男が、そして5学年下の三男として私・稲生が誕生しております。戦後は男性が圧倒的に少なく、父曰く、トラック一杯の中から母を選んだとのことです。

Photo_20250504185901 普通のサラリーマン家庭で、しかも放任主義でした。私が思うに、子どもが男ばかり三人というのが母の誤算だったのかもしれません。そして子供が独立し、夫婦二人となってからが、母にとっては一番幸せな時期だったことでしょう。

母が64歳の時に、三男である私・稲生のドナーとなって片方の腎臓を提供してくれました。養子に出した三男のために提供してくれた無償の愛であります。おかげで、私はクオリティオブライフを得ることになり、何とか68歳の今日まで暮らしていくことができております。

そうです。母は死んで肉体が無くなっても、母の腎臓は私の身体の中に生き続けているのです。この贈り物を大切にしていくつもりです。

父は80歳で死去しました。その時の母の年齢は78歳です。ここからが母の第二の人生が始まりました。20年以上、一人暮らしを続けていたのですから。

母親だけの一人暮らしとなって、勝手気ままな楽しい生活を謳歌していたようです。父親の遺族年金に加えて自分の老齢年金もあり、その年金額は、結構余裕があったようです。

本人曰く、私は通販病だよ。と言うほどの通販好きで、テレビでやっている通販商品を片っ端から購入しており、これらはすべてを使うことはできなくて、家の中は物であふれていました。むしろ、新品のまま放置されている物が多かったです。

これらのことについて、生前は我々子どもたちは諦めていましたが、母の後片付けをしているにつけ、誰か必死に止めるべきだったと後悔しているところです。それでも、オレオレ詐欺などに引っかかって、財産を取られたわけでもないため、そこのところは救われております。

未だに週三で実家に出向いて、兄弟3人で後片付けが続いております。そして連休明けに四十九日法要があり、7月には初盆供養があります。

一連の行事が済むことで、ようやく落ち着くことができるはずです。

2025年4月 1日 (火)

1345.実母の死去

私事ですが、3/23に実母が死去いたしました。

享年99歳でした。満100歳の誕生日が3/25に迫っていましたが、その2日前に息を引き取りました。

老衰です。ロウソクの灯が消えるように、静かに息を引き取ったのです。天寿を全うしたと言えることでしょう。

Photo_20250504190001 3/27に葬儀を済ませました。2月頃までは折からの寒さも影響したのか、火葬場利用が多く、葬儀の1週間ほどの待ちが生じていたようですが、今はそのようなことは無く、希望の日取りでつつがなく執り行うことができました。

火葬されて骨だけになってしまってからは、もう会うことが出来ない事実が現実と判り、寂しさがじわじわとやってきています。

実母死後の後始末はこれからです。中央区の駅南にある実家は、母が一人暮らしをしていましたので、その後始末が待っております。長男がそこを相続するわけですが、長男も独り身でして、そこで暮らせるようにするまでに、三男である私・稲生や近くに住む次男が人工(にんく)として手伝いをする必要があり、しばらくは実家に通って片付け作業をする日々が続きます。

喪に服すと同時に、諸々の後処理が続きます。そのため、しばらくの間、当ブログの更新をストップさせていただきます。

再開の時期は不明ですが、福岡遠征もキャンセルして延期しており、ネタが揃ってきた頃にはブログも再開していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

write 稲生

 

 

 

2025年1月24日 (金)

1327.鈴木修氏の死去、グリー同期K君の死去

スズキ株式会社の創業家の鈴木修氏が昨年12月に逝去されました。享年94歳でした。

ご存知の通り、自動車メーカー・スズキを世界に名の通る企業に押し上げたカリスマ経営者であります。初代アルトを安価な47万円で販売し普及させ、軽自動車市場を作り上げた上に、インド市場などを新規開拓したフロンティア精神あふれるワンマン経営者です。

この方、経済界だけでは物足らず、日本の政界や静岡県の政界にも大きく影響を及ぼした人物です。森喜朗・小沢一郎も恐れた政界のフィクサーとの話もありますが、地元浜松市では民主党衆議院議員だった北脇康之氏を市長選に担ぎ上げ、その後行政改革で意見が異なると、今度はこれも民主党の鈴木康友を立候補させ、鈴木修氏の掌の中での人事異動を敢行させたのでした。

スズキの企業ぐるみの選挙は、恐ろしい程の集票マシーンでありました。ですから、スズキグループの推した市会議員・県会議員の数は多い上に、前述のような浜松市長や地元選出の国会議員も皆鈴木修氏の息がかかった者が選出されています。

Photo_20250120110201 あの、悪目立ちした川勝平太・前静岡県知事も、時々の鈴木修詣でを欠かさず、当選を重ねたのです。

一介の有権者に過ぎない私・稲生が言うのもおこがましいのですが、経済界のカリスマが政界とりわけ地方政治の事柄に手を出しすぎではなかったのでしょうか?まあ、その功罪には意見が分かれるところです。

次に、私の同級生のK君の死去の話です。昨年12月のことで、享年67歳でした。

浜松西高、静岡大学と私と同じ道を進み、静大グリークラブでは最終的に4人となった同期卒団生のひとりでした。静大グリーでは、学生指揮者となり、彼の厳しい指導の下「木下杢太郎の詩から」を定期演奏会で指揮した一方、「アメロク」のソリストとしても美声を披露していたのがK君でした。

教員の道に進み、確かな判断力と指導性を発揮して、50代そこそこから小学校長を何箇所も歴任し、満期定年を迎えた方です。突然の訃報に驚きつつもお通夜に参じると、彼の功績からか大変多くの参列者がいました。上島小学校にて定年を迎えており、遺影となった定年退職時の彼の姿は威風堂々として、自信に満ちたものでした。

奥様のお話しから判ったことは、2年ほど前から重い病気に罹り、あっと言う間に亡くなってしまったようであります。本人の意向か遺族の意向か判りませんが、新聞紙面での葬儀連絡には何の肩書も入れてなく、本来なら叙位叙勲となるほどの功績もあったのにこれを辞退したようでした。

この御両名に対して、謹んで心よりお悔やみ申し上げます。合掌。

※写真は、初代アルト。

2024年9月10日 (火)

1290.宮崎・熊本遠征の中止(再延期)、‘勝ち切る覚悟’

9/9前泊9/10~12の宮崎・熊本遠征を中止としました。理由は、本人が帯状疱疹に罹患してしまったからです。

本当に情けないお話しですが、二度目の帯状疱疹の罹患です。一度目は腎臓移植後7年経過のころで、自分自身絶好調と思っていた時でしたので、その時は大変がっかりしたものです。

今回は、先週の月曜日に右胸に少々の違和感があり、その後しばらくたって前腹の赤いブツブツを見つけ発見したものです。すぐに町医者にかかり塗り薬と飲み薬を処方していただき、金曜日から飲み始めて4日が経過したところです。

赤いブツブツは前腹から右回りに背中まで達しており、自分としては特に痛くはないものの、これ以上大きくならないで縮小していってもらわなければならないのですが、金曜日に飲み薬を始めてから次第に縮小していく方向になってきました。あと2日ぐらいで収まってしまうのかと思っています。

さて、宮崎・熊本遠征の中止にあたっては、宿泊キャンセルについては3日間ともにキャンセル料はかかりませんでしたが、レンタカー代では基本料金の20%となる3,320円をしっかり取られました。JRの払い戻しもすでに1回変更していましたので、今度は取消手数料として4,040円かかっております。手痛い出費はこの2件でした。

Photo_20240909132701 今年のテーマ地域が宮崎と北海道としていますので、今回の宮崎・熊本遠征に当たる地域についてはどうしても今年のうちに回って行く必要があり、10月は道南大遠征と奄美大島大遠征の2大イベントが控えており、そうなると11月か12月に宮崎・熊本遠征を回すことになろうかと思っております。

次にベイスターズネタであります。

先週まで台風接近に伴う4試合の順延を挟んで6連勝中でしたが、土曜日の讀賣戦で手痛い1敗を喫してしまい、大型連勝がストップしてしまいました。その試合は2-1と1点リードの9回裏2死後、ストッパーの森原がサード柴田の一塁悪送球で走者を残したところから同点とされ、延長12回裏にも2死までこぎつけて、佐々木があと一人打ち取れば負けはないところをオコエにサヨナラホームランを打たれてしまって敗戦したものです。ですが、翌日の日曜日には8-0の大勝となり、前日の敗戦の痛手は払拭されました。

今回の6連勝の最初の頃、チーム終盤のスローガンとして‘勝ち切る覚悟’を押し出しています。今は、このスローガン通り‘勝ち切る覚悟’を持って残り22試合を戦い抜いてもらいたいものです。現在4位の位置ながら、最後にはどの順位で決着するのかファンは見守っております。

2024年8月25日 (日)

1286.我が家のごみ処分作業、郵便局めぐりの再開準備

NO.1275家庭の事情って何?の続報です。

我が家の工場部分の解体工事が始まりました。

といっても、8/20から工事開始となったのですが、今のところ足場を組んだり、電気や水道の系統を断線・断水しただけで、本格的な解体作業には着手していません。これから約1ヶ月かけて解体作業が進んでいくことになります。

私にとって忙しかったのは、工場部分にあった様々な物を処分したり、場合によっては残る住居(旧宅)に移動したりとする作業でした。これが8/19をもって、何とか終了したのです。

私と妻が主となり、息子や娘さらには妻の妹夫婦も巻き込んで、相当な労力を費やして、一応の終わりをみたのです。

市の清掃センターに自己搬入ということで、連絡ごみ・可燃ごみ・不燃ごみなどを度々運びました。その回数は、30回以上に及びました。清掃センターで扱ってくれない事業用の廃棄物たとえば事務机などや金属製のもので金目になるものは、民間業者の無料回収を利用しました。その他、リサイクルとして使えそうな品物たとえば火鉢・食器セット・瀬戸物などは妻の妹の担当として、リサイクルショップに持っていってもらいました。

Photo_20240823134501 96歳の父親と今月90歳になる母親は、杖を突いてようやく歩くことができるほどですので、全く戦力になりません。それどころか「これは取っておきたい。これもまだ使うかもしれない。」などと、我々処分をスピーディーにしたい夫婦にとっては、全くの抵抗勢力でありました。

最後は、やっつけ仕事で旧宅に移動しただけの物も多々ありますので、今後はこれを整理して片付けていく仕事が残っております。そして8/19までに処分を終えるというスケジュールは、暑さとの戦いでもあり、このようなスケジュールにした息子を恨んだものです。

次に、趣味の郵便局めぐりに関する話題です。

このことは現在、開店休業状態となっておりますが、上記の作業が一応の終わりを見たので、次の郵便局めぐりすなわち9/2に前泊とする宮崎・熊本遠征の準備に取り掛かることになります。

宿泊手配・レンタカー手配・JRの乗車券手配は全て完了しており、残るは局メグ日程の最終調整に入って行きます。

移転改称や一時閉鎖を追っかけるメンテナンス作業は、逐次行っておりましたが、それほど大きな案件はなかったです。しいて言えば山口県の長門大泊簡易局が、これまで扱っていなかった貯金業務も取扱開始をして9.2に再開することぐらいかと思います。(私の訪問を待つ‘落ち穂’たちは こちら

最後に、ポスト型はがきについてです。このほど各局にある在庫限りでの販売終了となったそうです。この話題は、もう少し膨らませそうですので、次回の記事で展開していくことにいたします。(訂正:×次回の記事で、○後日)

※写真は、解体前の我が家。

2024年7月28日 (日)

1279.東海道新幹線60周年、富士山静岡空港開港15周年

まずは、東海道新幹線が本年10.1にて満60年となります。

東海道新幹線の思い出については、50周年の時にブログNO.289に記事にしてあります。ですので、今回はパスをしておきます。

次に、富士山静岡空港が本年6.4に15周年を迎えました。関連して、航空会社のFDA(フジドリームエアラインズ)も7.23に15周年となりました。

富士山静岡空港については、東京国際空港(羽田)と中部国際空港(セントレア)に挟まれた静岡県民にとって、要らないのではないかな?と、私・稲生は開港前から疑問に思っていました。中途半端な空港は、運航本数も少ししか確保できないため、その利用者の確保に苦労するのではないのか?と。

Fda_20240725155501 外国人客によるインバウンド需要は確かにあるものの、それでも採算が取れないとなると、その赤字の穴埋めは県民の血税になるため、そのような空港は要らないのではないかと。

そうは言っても、開港して幾ばくかの飛行コースが就航している以上、それを利用するのは別問題です。使えるものは使っておくに限ります。

私の富士山静岡空港デビューは7年前のことです。人生初の鹿児島県入りをする(NO.596)のに富士山静岡空港の往復を使いました。しかも、空港ターミナル入口で地元民放テレビ局にインタビューを受けてしまいました。(NO.598)これは人生初のテレビ出演でした。

その後、2019年には北九州への往復、2020年には福岡への往復と鹿児島への往復、2021年には熊本往復と鹿児島往復、2022年には福岡往復、新千歳・丘珠の往復と鹿児島往復、2023年には鹿児島往復、今年は宮古島の往復とコンスタントに利用を重ねてきました。

新型コロナの時期には、セントレアへの空港バスが休止中で、富士山静岡空港の方を使っていくしかない状況でもあり、また出発中止などもありましたが、その時々で利用できる便については、使っていくという姿勢は持っております。

空港へはマイカーで行きますが、無料の駐車場があるのはありがたいことです。ですが、少し前から空港正面の大半は有料化してしまい、無料の駐車場は、奥に追いやられております。この流れで言うと、全て有料化するのも時間の問題ではないかと思います。

最後にFDAについてです。富士山静岡空港の開港に合わせて設立された地元静岡の商社・鈴与が経営する航空会社ですが、静岡空港だけでなく名古屋空港(小牧)や神戸空港の3つの空港を拠点として、予想以上に幅広く営業網を広げており、奮闘努力をしているのが良く判ります。

私が好きなポイントとしては、他社にはないほどの機体の色がカラフルなところです。

 

2024年7月13日 (土)

1275.家庭の事情って何?

今日から盆入りです。今年は町内で7件を廻る予定です。それから、友人のお母様がお亡くなりになったので、中央区の実家近くの友人宅も14日となりますが、お参りする予定です。

さて、本題です。NO.1267の中で、三宅島・御蔵島に青ケ島を加えた東京島嶼部へのトライを家庭の事情で今年は取りやめたとしていましたが、その‘家庭の事情’のことを話してみます。

皆さんには興味のないことかもしれませんし、別に話さなくても良いのでしょうが、このブログのネタも最近はそれほどないことでもあり、ちょこっと触れさせていただきます。

今住んでいる家の土地を分筆して息子の家を建てるのです。そのために、現在の家の約半分を解体して更地にする必要があり、今は不要となった諸々のごみを処分することに専念しております。

稲生家の長男である息子は、夫婦と一子の3人で近くのアパートに暮らしていますが、当初は二世帯住宅を建てて暮らしたいと嬉しいことを言ってくれていましたが、我が家は96歳と89歳の老親と同居しており、二世帯では足りなくて三世帯住宅でなければ間に合わない形になります。

老親の方は、この歳で新しい環境で暮らすことは御免こうむるとなり、同居話はしばらく頓挫していましたが、老親がかって自営していた織物工場の工場部分を解体してしまい、そこには90坪ほどの土地ができるため、そこに息子夫婦の新居を建てることとなったのです。

私たち稲生夫婦は、旧宅側に老親と4人で暮らすことになり、なんだかうまい話ではなくなったのですが、現状の稲生家の家族構成ではベターな選択と思い、実施することになりました。

織物業は35年ほど前に廃業しております。数台あった織機を撤去したあとは、空きスペースだったのですが、とりあえずここに不用品を保管しておく悪癖が重なって、不用なごみは溜まりに溜まっておりました。

燃えるごみ燃えないごみは45㍑のごみ袋に入れて集積所に出したり、その他の有料となるごみ(浜松市では連絡ごみと呼んでいる)と一緒に、清掃センターに自己搬入したり、金属などは業者による無料回収を利用したり、連日の作業が今も続いております。

昭和25年頃建築の織物工場跡には、ビックリするようなごみもたくさんあります。古びた絵画を包んだ新聞にはマッカーサー元帥がどうしたとの記事が載っていて驚いたり、床下から火鉢が山ほど出てきたり、ボロボロになった練炭が出てきたりetc・・・

実印などを入れていた耐火金庫は、ダイヤル番号をガムテープで固定して使っていたのを2歳の孫がダイヤルをいじってしまい、その後番号を合わせてみても開かなくなり、困った挙句に鍵屋に来てもらうも開かず、いよいよハンマーやドリルで壊して開けるしかないといったところに、母が正しい番号を書いたメモ帳を見つけてすんなり開いてしまったなど、ビックリするようなトピックス満載の処分作業は、佳境に入ってきましたが、あと1ヶ月ほどは続いていきます。

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