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映画・テレビ

2026年3月 2日 (月)

1435.ドラマ『マルモのおきて』

続いて観たのは、ドラマ『マルモのおきて』です。

芦田愛菜が6歳から7歳になるころで、前出の『阪急電車』より後に撮影されたものと思われます。そして何より彼女の連続ドラマ初出演にして、準主役を務めた作品で、彼女を一躍有名にした作品でありました。主役の阿部サダヲも民放の連続ドラマ初出演であり、もう一人の準主役の鈴木福の出世作とされています。

東日本大震災の直後の4.24から7.3までの全11話となっており、スペシャルドラマが10.9に、さらに3年後にもスペシャルドラマが放送されています。全11話の平均視聴率は15.8%、最終話では23.9%の高視聴率だったようです。

Photo_20260301104501 私・稲生は、当時このドラマを1度も観ておりませんでしたが、今回は前のめりで全作品を3日ほどで見終わりました。

双子(二卵性)の母親が、育児ノイローゼで家出した後に、男手一つで二人を育てていた父親が末期がんにより急逝する。双子が親戚の事情により別々に引き取られていくところを、父親の親友だった主人公の高木護(まもる)が不憫に思い、無謀ながらも二人を引き取り育てていくという、ファンタジックストーリー。

拾った犬のムックが、時々喋るというファンタジーに加え、主人公のことを「マモル」と言えずに「マルモ」と言ったため、愛称が「マルモ」となり、三人の約束事をノートに書いたものが「おきてノート」とされ、それゆえ番組タイトルが「マルモのおきて」となったのでした。

阿部サダヲが良い演技をしています。14年後には『不適切にもほどがある』で、大ブレイクするのですが、その下地をここでも垣間見せてくれています。

芦田愛菜ちゃんと鈴木福くんは、素晴らしい子役でした。その演技力に感心しました。彼らは、その後も芸能活動を続けており、現在は慶応大学に在籍している高学歴タレントとなっています。子役は大成しないとも言われておりますが、この二人はこれからも芸能界を頼もしく歩んでいってくれることでしょう。

2026年2月26日 (木)

1434.映画『阪急電車』

表記題名の映画をネットで観賞しました。

今から15年前の上映で、副題は「片道15分の奇跡」となっています。

東日本大震災の直後の2011年4月29日の封切りで、私は二度目の人工股関節手術で退院した直後に、地元の東宝シネマで観賞しています。

たまたま、原作の『阪急電車』(作:有川浩)を入院時に読んでいて、それの映画化だったので、映画館に足を運んだ次第です。

どうして、今頃二度目の観賞をしたのかと言えば、当時6歳であった芦田愛菜の子役ぶりを、もう一度見ておきたかったからです。

Photo_20260225152701 阪急今津線の宝塚駅から西宮北口駅までの8つの駅が物語の舞台で、所要僅か15分の中にエピソードが詰まっており、その一つ一つが少しづつ繋がっているというものでした。

主演が中谷美紀(当時34歳)で、準主演として宮本信子(同65歳)・戸田恵梨香(同21歳)・南果歩(同46歳)・有村架純(同17歳)・谷村美月(同20歳)が出演しており、脇役として鈴木亮平・安めぐみ・相武紗季・勝地涼など、今思うになかなか豪華な俳優陣が出演していたのでした。(括弧内は、撮影時年齢)

Wikiでは、阪急沿線出身俳優がたくさん出演している風に書かれていて、戸田恵梨香(神戸市)・南果歩(尼崎市)・有村架純(伊丹市)・鈴木亮平(西宮市)・相武紗季(宝塚市)そして芦田愛菜(西宮市)と書かれています。

映画の方は、ほとんど原作に忠実で、原作先読みのものにとって、違和感がない進行ぶりでした。

物語は、宝塚駅から西宮北口駅までの上りを10月の設定で、反対の下りを翌年3月の設定で、今津線を往復する車中や途中下車しての駅や物語の背景を膨らまして描いております。

それにしても、僅か8駅・片道所要15分の間で、話を膨らませることのできる作家・有川浩と脚本の岡田惠和は、凄い才能であると感じた次第です。

2024年9月18日 (水)

1292.シソンヌ長谷川

次は、シソンヌ長谷川についてです。誰の関係者かというと、私・稲生が少しだけ関係しております。

お笑いタレントばかりか俳優としても活躍しているようです。何だか不遜な顔をして、いつの間にかMCなども担っており、芸能界を上手に渡り歩いていきそうなタレントです。

私・稲生の母校浜松市立江西中学校の同窓生なのです。同窓生と言っても22才くらい離れており、ただそれだけのことで応援しているわけではありません。

芸能人となればWikiでいろいろ調べ上げられておりますが、彼の実家は瓜内町の寿司屋・網代寿司とのことです。

Photo_20241219201701 瓜内町は江西地区に属さず、東隣の白脇地区なのですが、瓜内町のうち馬込川西岸は、江西中学校に近いとの理由で、本来の学区の南部中学校ではなく、江西中学校に通うことが可能となっております。

江西中を卒業後は、県立三ヶ日高校に通ったのちに上京して、お笑いの道に歩みを進めていったようですが、この三ヶ日高校に通ったという事実が、私には驚きでしかありません。江西中から三ヶ日高校に通う奴がいたのかと。

三ヶ日高校は、2015・3月に閉校しております。同じ引佐地区の気賀高校・引佐高校と3校が統合されて浜松湖北高校として再出発しております。そして元々三ヶ日高校は、一学年2クラスほどの小規模校だったようです。

疑問なのは、長谷川がどのように三ヶ日高校まで通ったのかということです。

ちょっと調べてみました。瓜内町の自宅から浜松駅・新浜松駅までは2.5㌔ほどですので、チャリで通うとして、①東海道線で新所原駅乗り換えで天浜線にて三ヶ日駅に到着(100分)、②遠鉄電車で西鹿島駅乗り換えで天浜線にて三ヶ日駅に到着(135分)、③浜松駅から遠鉄路線バスにて気賀三ヶ日線にて三ヶ日車庫に到着(125分)、となります。

何もこんなに時間をかけて三ヶ日高校まで通わなくても、高校はたくさんあるのにどうしたものか?三ヶ日高校に何か魅力ある教育や部活などがあり、それを目指したのか?甚だ疑問が残ります。

それでも、三ヶ日高校卒の一番の有名人となってWikiにも記載されていますので、三ヶ日高校OBにとっても自慢の芸能人となっているのは間違いのないことです。

2024年9月14日 (土)

1291.EXITりんたろー。

宮崎・熊本遠征もドタキャンしてしまい、郵便局めぐり関連のネタもないことから、身内の者に縁があるお笑い芸人の話題でもしてみます。

今回は、タイトルに記した若者(といっても38才)は、私の娘の中学校の同級生で知り合いであるとのことで、その方を少し掘り下げてみます。ですので、カテゴリーをとりあえず『映画・テレビ』と『遠州ネタ』の両方に入れておきます。

芸名のりんたろー。は、本名が中島臨太朗なので「りんたろー」としていて、コンビ名「ベイビーギャング」として少し名の出てきたところに、相方の北見何某が無免許運転で逮捕されて、しかも二度目のため北見は所属する吉本興業を解雇され、「りんたろー」は謹慎後の再開時に「りんたろー。」に改名したということらしいです。(この辺はWikiの要約です)

Photo_20241219201101 その後はピン芸人として活動後、17.12月に現在のコンビ名「EXIT」として兼近大樹と組んで売れ始め、その後は皆さんご存知の通りテレビ界の中の人になっている方です。

娘とは生徒会役員関連の仲間だったようで、一度我が家に遊びに来たこともあると、娘も妻も証言しております。おそらく、当時の中学校の近くに我が家があったため、たまたまお招きしたものと推察されます。といっても、複数人でのご訪問だったとのことですが・・・

この「りんたろう君」は地頭(じあたま)が良くて、娘曰く地域一番高の北高(※)へ進学するものと思っていたのですが、実際に進んだのは浜松北高校(※浜松市:県立)ではなく、静岡北高校(静岡市:私立)だったのでした。大学は地元の浜松大学(現在は常葉大学浜松キャンパス)に進学していて、Wikiのとおりでプロサッカー選手を目指して奮闘努力をしていたようです。

小学2年から大学4年までサッカーに努力を重ねてプロを目指すも怪我によりこれを挫折しており、単なるそこらのチャラ男ではないようです。その後、お笑いの道に進む決断もどのような理由なのか判りませんが、不確定要素だらけの芸能の世界に足を踏み入れることになり、前述のとおりの相方の不祥事も乗り越え、今の人気お笑い芸人となっていったようです。これは応援したくなりますよね。

地頭の良さもクイズ番組などで披露する機会もあり、豪華マンションに住み、グラビアアイドルの妻をめとり、今は文句なしに成功を収めているようですが、これから先の芸能の世界も大きさも広いし時間も長いのです。これからどうやって成功を続けていくのか、道を外すことは無いのか、地元出身の推しタレントとして、応援していこうかと思っています。

2022年12月25日 (日)

1122.大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から『どうする家康』へ

2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が、12/18に最終回を迎えました。

今年の大河ドラマは、積極的に視聴しました。日曜日は鎌倉殿を観るために、食事の時間や入浴の時間など、それに沿った行動をとりました。それでも1年間は長いので、ナイターを観ていて、8時になったのを忘れてしまい、終わりごろだけを観た週もあったりしました。

稀代の喜劇作家と冠されている三谷幸喜の脚本がとても良かったです。

Photo_20221222211501 武家政権を確立した鎌倉時代を描いており、前半の主役・源頼朝、後半の主役・北条義時ともに、昨日の味方も明日の敵になり得るとの疑心暗鬼により、次々と粛清していくため、本来はおどろおどろしい話になるのですが、その中でも三谷大河では、癒しの時間やら癒しの配役がなされており、ほっこりとするシーンも散りばめられています。

ベースは『吾妻鏡』や『愚管抄』による史実なのですが、それらでは曖昧な事も多く、その辺を逆手にとって、架空の仕事人なども登場させて、話を面白くさせているようです。その上に、SNSの時代ならではの放映後の評判なども加味して、脚本を書き進めていったようでした。

さて、年が明けた2023年の大河ドラマは松本 潤主演の『どうする家康』です。

『鎌倉殿の13人』の最終回の冒頭で、早くも松潤がバトンを繋ぐ演出として『吾妻鏡』を読んでおり、サプライズ出演をしていました。

主演がアイドルですので、そのファンの方々も満足させることができる脚本をお願いしたいものですが、タイトルからして、喜劇テイストな香りがいたします。今年の三谷大河に続いて、視聴率を稼ぐことができそうです。

私・稲生の地元の浜松や静岡・岡崎の観光関係者は、『どうする家康』が好評を博することを祈念しております。私も、来年こそ大河ドラマにまつわる観光地を訪問してみようかと考えております。

※写真は、『鎌倉殿の13人』のうち、最後まで生き残った面々。

2022年9月26日 (月)

1096.映画『アキラとあきら』

表題の映画を観てきました。

池井戸 潤の同名作品の映画化なのですが、この作品には悪い人は出てこないと知人が勧めてくれたので、そうなのかと観ることにいたしました。

竹内涼真と横浜流星のダブル主演の物語で、小さな町工場の息子・山崎瑛と大手海運会社の御曹司・階堂彬の育ちが全く違うふたりが、メガバンク・産業中央銀行の同期入行となって、若きバンカーたちの半生を瑞々しく描く青春ストーリーです。

映画は、新人行員研修の模擬融資での対決シーンで、ふたりの見事な策が飛び交い、以後の語り草になるほどの高評価を得る。融資部長の講評では、なりふり構わず貸す金貸しになるな。相手を見て生きた金を貸すバンカーになれ。の名文句を貰い、とりわけ山崎瑛の心に響いていたのでした。

Photo_20220925142201 原作の方も、集英社文庫で上下巻になっており、取り急ぎ読み進めてみました。

幼少期のことは、映画よりも細かく描かれており、山崎瑛の方は、伊豆の河津町で営んでいた町工場を倒産させてしまい、母親の実家のある磐田に夜逃げしてくるという、厳しいところまで描かれておりました。

この中で、河津に置いてきた愛犬・チビが、1週間以上もかけてボロボロになって磐田の山崎一家までたどり着くということが書かれており、ホンマかいなと呆れてしまったのですが、どうも犬には特殊能力があるようで、大変驚きました。

山崎家の経済事情で大学進学を断念する覚悟をしていた瑛に対して、磐田銀行の若き融資係・工藤が、瑛の大学進学に対して間接的な手助けをするシーンがあり、この物語のとても大事な転換点でありました。それが無ければ、東大にも進学せず、トップバンクへの就職もなく、生きた金を貸すバンカーにもならなかったのですから。

階堂彬の方も、階堂家が順風満帆という訳でなく、階堂家をリードしてきた父親が60代の若さで亡くなり、色々な魂胆から弟が若くして社長となるも、東海郵船グループの舵取りができることもなく、跡取りを放棄してきた兄の彬にお鉢が回ってきて、東海郵船グループ存亡の危機を山崎瑛とともに立ち向かうというもの。

2時間程度の映画にまとめるにあたって、少年期の頃やバンカーとして数々の困難に立ち向かうシーンは省略されており、原作を読んだものからすると物足りない面もあるのですが、逆に少年期の瑛と彬の偶然の出会いのシーンや最終稟議の了承の仕方など、原作と違った脚色もされており、映像的にも良くできておりました。

原作に忠実であるばかりが良い映画ではない訳で、そんなところも見ていくと楽しいかと思います。

 

2022年8月 9日 (火)

1082.吉田拓郎から武田鉄矢へ

先日の吉田拓郎・引退ネタ(NO.1078)を執筆する直前から、それ以降は吉田拓郎の歌やトークなど、かなり聴き込んでしまっております。

そのネタ元は、ユーチューブです。

吉田拓郎のベストアルバムなどの曲集から、若い頃のつま恋・篠島ライブ、パックインミュージック・セイヤング・オールナイトニッポンなどのラジオ番組や、徹子の部屋への出演などなど、全てユーチューブで再現してくれているのです。

たくろうには、やはりカリスマ性があります。

Photo_20220808093301 ビートルズがその後の多くのアーティストに大きな影響を与えたように、よしだたくろうは長渕剛・桑田佳祐・高橋ジョージ・藤巻亮太・あいみょんなどなど多くのミュージシャンに影響を与えております。

その一人に武田鉄矢がおります。彼は坂本龍馬に憧れて高知大学を2度受験したり、グループ名に海援隊を使ったりしたように、吉田拓郎に憧れて彼の脚本・監督・主演映画である『刑事物語』の主題歌を吉田拓郎に依頼しており、なぜか広島弁で歌う「唇をかみしめて」は、哀愁をともなった名曲であります。

ここからは武田鉄矢についてのお話しとなります。

武田鉄矢は、海援隊当時の大ヒット曲「母に捧げるバラード」で一躍有名になって以来ファンになりました。楽器が使えないのは玉に瑕ですが、そのトーク力には魅了されます。

彼の面白おかしいトーク力でタレントとして勝負すればよいものを、トリオの海援隊として音楽で勝負しようと東京に進出したものの、当初は鳴かず飛ばずで、このままなら挫折して故郷福岡に帰るしかないところを、山田洋次監督に見出されて映画『幸せの黄色いハンカチ』に出演したことで、俳優としての能力を発揮していったのでした。

その後は、TBSテレビの金八先生以降の活躍ぶりで、茶の間に広く浸透した俳優・タレントになっていきました。フォークグループ海援隊の方も、その主題歌のヒットなどで息を吹き返し、解散後は武田鉄矢単独でも、細く長くスマッシュヒットを放ち、息の長い俳優・タレントになっていったのです。

振り返ってみると、ずぶの素人である武田鉄矢を起用していった山田洋次監督が、武田鉄矢の俳優人生の恩人であったといえることでしょう。

2022年6月24日 (金)

1070.大河ドラマ『鎌倉殿の13人』

先日の北関東・福島遠征時に、愛車HVフィットの走行㌔が20万㌔を突破した事柄について、もう少し深掘りしてみようかと思っておりましたが、これについては、もう少々お時間を頂戴させてください。

執筆にあたって、郵便局めぐりとの関連性を調べるために、HVフィットを乗り始めてから20万㌔突破の日までに、『稲生の郵便局めぐり』を、マイカー・徒歩・レンタサイクル・レンタカーの4区分にて、どの手段で訪問したのかを調べることにしたのです。

これが結構手間のかかる作業で、着手はしたものの本格的に進めるのは、長崎対馬遠征から戻って、その後処理も終わってから、ということにいたしました。従って、そのご報告は後程ということで、ご了解いただきたいと思います。

ですので今回のお題は、私・稲生が毎週夢中になって見ている大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に変更いたします。

鎌倉幕府の成立の史実は、多少は知っているものの、どのように武家政権が樹立されたのか?源頼朝がどのような人物なのか?そして、このドラマの主人公である北条義時は何者なのか?等々、知らないことが多く、ドラマを通して判っていく事柄が多くありました。

13 『鎌倉殿の13人』が始まって、半分が過ぎようとしていますが、ここまでの主役は、大泉洋演ずる源頼朝です。小栗旬演ずる北条義時は、脇役に過ぎませんが、彼は武家政治の統治の仕方を、源頼朝をお手本に学習している最中といったところでしょうか?

ただし、源頼朝の生きざまを調べていくと、斬殺の繰り返しであることが良くわかります。裏切りもあったことでしょうが、ボタンの掛け違いによる軋轢などで、信じ切れずに抹殺していくということの繰り返しなのです。

頼朝の兄弟は、異母兄弟を含んで9人の男子がいたとされていますが、頼朝の死までに1人を除いて皆死亡しています。義経・範頼は、頼朝が殺したも同然でした。残っていた1人・阿野全成も頼朝の死後、頼朝の嫡男・源頼家により誅殺されています。

役者小栗旬は、「みんな大泉が悪い」とのメッセージ・マスクを着用して、ドラマに臨んだとのことですが、独裁者の元に仕えるものとしては、この黒歴史を学習するしかなかったのが、この時代の武士というものであったのでしょうか?

ここまで書いていくと、壮絶なる黒いドラマとなりそうですが、さすがに稀代の喜劇作家・三谷幸喜の脚本です。暗くなるところを補って余りある演出を随所に示しております。時々クスリと笑えるのです。

これがあるために、暗い教科書を渋々読み進めていくのとは、また一味違った色あいが出ているのです。読後感ならぬ放映後の観賞感では、じわじわとそれらの場面が湧き出してきます。そして次週もまた見逃すことなく、楽しみに時を待つのです。

これが「ハマる」ということでしょうか?毎週日曜の夜8時が、待ち遠しくなるのです。

大泉頼朝の死後は、小栗義時の本領発揮となるのでしょうか?史実では、これまで以上のサバイバルゲームとなっているようです。これは、むごい話なのですが、楽しみなのかもしれません。

2022年6月 4日 (土)

1065.映画『大河への道』

日本初の実測地図を作った伊能忠敬を題材にした映画『大河への道』を鑑賞してきました。私のHNの由来にもなっている伊能忠敬殿の映画ですので、映画の公開前から気になっていましたが、去る6/1にようやく観ることができました。

Photo_20220603221001 この映画は、落語家の立川志の輔の新作落語を原作として、これに興味を抱いた俳優・中井貴一が企画(プロデュース)したもので、主演も務めております。

現代パートと江戸時代パートの組み合わせにより成り立っており、ほとんどの演者は両方に役を得ており、一人二役となっています。(ただし、北川景子はインチキ祈祷師も演じており三役である)

現代パートでは、町おこしのために大河ドラマを誘致すべく奮闘する市役所の物語をコメディ風に描き、江戸時代パートでは、地図作りの苦労の様子をシリアスに描いており対照的です。でも、それが上手く融合しており、この塩梅は絶妙であります。

そして驚くべきは、本来の主役となるべき伊能忠敬には配役が付いていないのです。冒頭の死去のシーンでは顔が布で隠されており、測量の旅に出掛けるシーンでは、影武者を使っており、これを名もなき役者が務めているというのです。

こんな変わったタッチの映画は初めてであります。

個人的には、伊能忠敬の大河ドラマは、実現して欲しいものです。飛行機もドローンもない時代に、天文学や測量学などを駆使して、実測により日本全土を歩き尽くし、実に正確な日本地図を作り出した偉人の物語は、山あり谷ありの物語です。

伊能忠敬の生い立ちから、佐原の名主としての功績、50歳で隠居したのち、江戸に出て天文学などを学び、10回に亘る測量の旅での計測手段、その労苦など、大河ドラマとしての強みとして一年をとおしての物語にすることで、日本中の人々に広く知らしめることになることでしょう。

ということで、香取市の伊能忠敬記念館には、機会あらば訪問してみたいものです。

2022年1月12日 (水)

1024.大河ドラマ『青天を衝け』

第6波がやってきましたね。昨年1月と同様な状況じゃないですか。これじゃあ、2月上旬の大分遠征は止めた方がよさそうな雰囲気になってきましたね。うーん、結論はもう少し粘ってみてからにしてみます。

ということで、今回のお題は昨年暮れに終了した大河ドラマ『青天を衝け』についてです。すでに今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がスタートしていて、初回では色々な人物の紹介がされており、はるか昔の話の割には現代風にアレンジされていて、面白そうな演出になっていて、これなら毎回続けて見ても損はないドラマになりそうです。

いかんいかん、澁澤榮一翁のドラマに戻ることにしましょう。

主人公の渋沢栄一は、2024年から変更される一万円札の顔となる人物です。ですので、これからもお世話になりたい有難い人物であります。

渋沢栄一の生きた生涯は、江戸時代末期から昭和のはじめまでの91年間に亘ります。幕末から明治・大正・昭和初期までであり、みんなの好きな幕末や明治初期の動乱の時代が含まれており、人気も出やすい時代背景でありました。

Photo_20220110083801 そのうえ「今晩は、徳川家康です」などと、常人では到底考えにくい徳川時代の開祖・家康様を起用して、その放映回の時代背景を解説すると言うユニークな演出から始まっており、つかみは抜群でありました。

農家の長男に生まれ、養蚕の経営と繭玉の製造販売では、商業的な知識が求められ、のちの欧州視察時に近代的な経済システムなどの諸制度を吸収する素地があったようです。

封建制度化の領主への奉納制度に反発を覚え、尊王攘夷の思想に目覚め、幕末に散る可能性もあったところを、たまたま知り合った一橋家家臣平岡円四郎の推挙により、のちの徳川慶喜に仕えることになり武士の身分を得て、彼の将来が変わっていったのです。

その後のヨーロッパ随行時に大政奉還を迎え、日本にいなかったことも渋沢に良い方向に向かわせたような気がします。

明治政府内の民部省での改正掛長として、国立銀行制定等にかかわったあとは官を去り、実業家として日本最初の銀行・第一国立銀行を創業し、その他にも多くの地方銀行の設立に関わったり、製紙会社・ガス会社・印刷業・保険会社・鉄道・海運・紡績・セメント等々、枚挙にいとまがないほどの事業の設立・運営に携わることになり、まさに「日本資本主義の父」と呼ばれるにふさわしい人物でした。

『青天を衝け』は、渋沢栄一翁の一代伝記物語でしたが、明治期の近代産業化への超特急な変容ぶりを、彼の行動を通じて見せてくれました。渋沢栄一翁は、時代を切り開いてくれた偉人でありました。

今後、発行される新一万円札紙幣を手にする度に、彼の功績を思い起こす必要があるかもしれません。(いや、そんなことはないか)

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