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音楽

2025年10月19日 (日)

1397.伊藤 整『雪明りの路』

当ブログ『稲生のつぶやき(ブログ)』は、本日にて14年が経過し、15年目に突入しました。これからも、ご贔屓のほどよろしくお願いいたします。

今回の道央大遠征において、初日の1局目として選んだ小樽市西部の忍路地区、及び2局目の蘭島地区、さらには最終日の1局目の塩谷地区は、抒情派詩人としてデビューした伊藤整の故郷であります。彼は、その詩集『雪明りの路』によって、世に出た詩人でありました。

『雪明りの路』は、彼の思春期の面持ちを強く打ち出し、北海道の自然や風土を歌い、女生徒との関わりを抒情的に歌った処女詩集であります。この詩集の中から男声合唱の作曲家・多田武彦先生がいくつかを選んで男声合唱組曲『雪明りの路』さらには『吹雪の街を』を作曲しており、それを歌った男声合唱団員(=グリーメン)は、その詩集を読み漁るばかりか、物語の舞台である塩谷や忍路・蘭島を訪問してみるという言わば聖地巡礼の旅をするものもいるようであります。

そもそも伊藤整なる人物は、どのような方か良くわからないかもしれませんが、戦後の文壇における「チャタレイ裁判」で起訴された人物と言えば、少しは知っている方も出てくることでしょう。この『チャタレイ夫人の恋人』は、戦中の1935年に伊藤整は翻訳しており、戦後の1950年に改めて完訳版を発行するや、大きな反響を呼んだのですが、それがわいせつ文書として摘発され裁判沙汰となった翻訳家であります。

Photo_20251018014701 それが基で、1950年代の伊藤整ブームを呼び起こした流行作家にもなったようですが、私・稲生はそこまでの文学青年ではなかったため、よく存じ上げていませんが、日本に行けるエロ文学というものを文壇に登場させた尊いお方であったようです。

その尊いお方のデビュー詩集『雪明りの路』は、純愛ものというよりも、思春期特有の鬱々とした感情を歌っており、男声合唱組曲としては青年期に入った大学合唱団員にとって、感情移入のしやすい名曲として歌い継がれているものです。私も、静岡大学グリークラブのメンバーとして『雪明りの路』を歌ったのですが、今回、忍路局と塩谷局をその日の1局目として訪問する前に、その集落の海岸部などを散策してみたのです。

伊藤整の徘徊した時期は大正期であり、当時は小樽の海岸部のどの集落も鰊(ニシン)漁で潤っていた頃でしたが、今も昔も寒村であるのは変わらずで、その寒々とした寒村の塩谷から、想いを寄せる彼女の住む忍路まで、徘徊を繰り返したのを、『雪明りの路』では歌っていたのでした。

多田武彦先生による男声合唱組曲『雪明りの路』は、1960年発表の作品ですが、多田先生はその19年後に男声合唱組曲『吹雪の街を』を、発表しており、これも詩集『雪明りの路』から取った6曲を歌いあげております。私・稲生が、グリークラブ卒団後の作品ながら、拙ブログNO.605にて、自己解釈をして記事にしていました。(『雪明りの路』の歌詞は こちら、『吹雪の街を』の歌詞は こちら

今回の小樽訪問は9月10月の程よい気候の時期でしたが、本当の聖地巡礼をするとしたら、吹雪の舞う1月2月の時期に塩谷から忍路まで徒歩で往復することが本当でしょうが、還暦をとっくに過ぎ、もうすぐ古希になろうとしている稲生老人は、そのような元気は毛頭もないことも事実であります。

※写真は、小樽「雪明りの路」の様子、ネットから拝借しました。伊藤整が見た大正期の『雪明りの路』とは、似て非なるものではあります。

2025年3月20日 (木)

1342.静岡大学学生歌『われら若人』

続いては、石井歓先生の作曲による静岡大学の学生歌『われら若人』のお話しです。

大学の公式HPによると、この学生歌『われら若人』は1962(昭和37)年に誕生したとあります。

HP下段の誕生秘話によると、旧制静岡高等学校・静岡第一師範学校・静岡第二師範学校・静岡青年師範学校・浜松工業専門学校を包括・統合して新制静岡大学が誕生していて、全学の学生が入学式などの学校行事で共通して歌える歌がなかったところ、1962年に学生歌作成委員会の手により、公募にて『われら若人』が入選し、これに新進気鋭の作曲家・石井歓先生に委嘱して作られたようであります。

Photo_20250309190901 実は、この学生歌は入学式で流しているようですが、それ以外の時に学生歌を聴いたりする機会は無く、一般の学生には幻の歌となっております。

但し、現在も活動している静岡大学混声合唱団が唯一歌い繋いでいてくれるているのですが、我々静岡大学グリークラブも在籍時には、レパートリーの一つとして歌ったものでした。

東京六大学のような、学生スポーツを応援する機会もないため、お披露目をする機会もなく、ほとんど幻の曲となっています。

そうは言っても、校歌もなければ応援歌もなく、この学生歌を歌い繋いでいくしかない訳で、授業の合間たとえば昼休みに流すとかして、認知度を高める必要もありそうです。

歌詞の内容は、富士山・黒潮・お茶とみかん・浜名湖・三保と県下の小学校・中学校・高等学校などの校歌に使われがちなワードと、未来・文化・真理と若人(わこうど)などで構成されており、昭和中期の香りのする歌詞となっております。

曲の方は、「我ら我ら我ら」を各番ラストに繰り返しており、「ワセダワセダワセダ・・・」と「ワセダ」を7回繰り返す有名大学に似ているところがあります。「ワレラワレラ」「ワレラはシズオカダイガク」と歌っているグリーメンも似ているなあと思いながら歌っていました。

静岡大学学生歌『われら若人』 歌⇒ こちら、制定の歴史⇒ こちら

2025年3月17日 (月)

1341.男声合唱曲『枯木と太陽の歌』

今回は、男声合唱ネタです。

表題の男声合唱曲『枯木と太陽の歌』は、愛知大学・愛知教育大学と静岡大学の3大学グリークラブのジョイントコンサートの合同演奏で歌ったことがありました。

他大学とのジョイントコンサートは、その前年に横浜国立大学グリークラブとの2大学合同で実施し、そのときの合同演奏は多田武彦先生作曲の『富士山』でした。静大の地元・静岡が会場でしたので、とても印象的でした。

Photo_20250302194101 さて、『枯木と太陽の歌』のことです。

作詞 中田浩一郎 作曲 石井 歓

第一楽章 枯木は独りで唄う

第二楽章 花と太陽の会話

第三楽章 冬の夜の木枯らしの合唱

第四楽章 枯木は太陽に祈る

この四曲は組曲ではありませんが、4つ続けて歌うことで、強いメッセージをつかみ取ることができます。すなわち、「孤独なる人間の、人生におけるつきつめた哀歌」というものです。(枯木と太陽の歌:Wikiは こちら )

各大学30名から40名、3大学総勢100名超の大人数の合同演奏は、とても重厚で力強い演奏でありました。参加した私自身にも強いインパクトを与えてくれました。

この『枯木と太陽の歌』は1955(昭和30)年、石井歓先生34歳の時の作品でした。

その7年後の1962(昭和37)年、石井歓先生41歳の時に、静岡大学学生歌の作曲を手掛けておられます。

次のエントリーにて掘り下げてみたいと思います。

※『枯木と太陽の歌』は、ユーチューブでいくつか取り上げられております。私のお気に入りなのは こちら(慶応ワグネル)一度聴いてみてください。

 

 

2024年12月16日 (月)

1316.さくら散る・十一月にふる雨・年の別れ

 男声合唱のお話しです。

タイトルの曲は、すべて多田武彦先生の作品の中にあります。いや、正確には後ろの2曲(十一月にふる雨・年の別れ)については、改訂版により曲が削除されており、まぼろしの名曲であります。

まずは、‘さくら散る’ですが、男声合唱組曲『草野心平の詩から』の最終曲が‘さくら散る’でありますが、後年、作曲家自身により改訂が行われております。(『草野心平の詩から』の歌詞は こちら:稲生作)

冒頭の5連符「ちるちるまいおちる」から「ちるちるおちる」の3連符になったり、途中の「ちる ちるちる」が「はなが ちるちる」になっています。また、組曲の2曲目の‘天’では、「鳥も樹木(きぎ⇒じゅもく)も」などと、私たちが歌った頃の曲から読みの改訂がなされています。(曲は 改訂前 京産大グリー こちら:改訂後 立教グリー こちら

Photo_20241218005701 これらは、改訂前の楽譜で歌ってきた私たちが聞くと違和感を覚えますが、作曲家が変更したとなれば、これは止む無しと言えましょう。

次に‘十一月にふる雨’は、名曲と言われる男声合唱組曲『雨』の中の4曲目でしたが、改訂版においては‘雨 雨’に差し替えられております。‘十一月にふる雨’の歌詞に、「乞食」「非人」という差別用語が含まれていることから、差し替えられたものと思われますが、この‘十一月にふる雨’は、至極名曲であります。(‘十一月にふる雨’の歌詞は こちら:曲もついてます)(曲は 立教グリー こちら

私のパートであるベースのパートソロから始まるこの歌は、シトシトと降ってくる十一月の冷たい雨は、王様の豪邸でも乞食の小屋でも、等しく降り続くとの普遍性を歌っており、とても情緒的な歌に仕上がった曲だったのです。この曲を、多田先生は「なかったものとしてほしい」と明言しており、いわゆる言葉狩りに屈した曲とでも言えましょう。

最後に扱う‘年の別れ’は、男声合唱組曲『人間のうた』の最後の曲でしたが、改訂版においては‘宮城野ぶみ’に差し替えられております。組曲におけるラストの曲は、いわゆるトリを飾る曲なのですが、これも歌詞の中に「唖(おし)の子」という差別用語が含まれているために、この‘年の別れ’を廃し‘宮城野ぶみ’にとって替えてしまったのです。(‘年の別れ’の歌詞は こちら:解説付き)(曲は 改訂前 関大グリー こちら:「もの言えぬ」に差し替え版:慶應ワグネル こちら

このトリを飾る曲のために、それまでの5曲があると言っても良いのであって、それを差し替えられたとあっては、これを歌ってきたグリーメンは呆気にとられてしまうのも無理はありません。多田先生も言葉狩りを気にしすぎてしまったのでは無かったのではないでしょうか。

吉田拓郎の『ペニーレインでバーボンを』も、「つんぼ桟敷」という歌詞があり、こちらは放送禁止歌となってしまいましたが、現代の日本人はいつの間にか心が狭くなってしまったのかもしれません。

これらの事象を言い表すとしたら、今年の流行語大賞受賞の「ふてほど」というそうな。

2023年9月28日 (木)

1196.横浜市歌

本日は、私・稲生も意外と良く知っている『横浜市歌』について、深掘りしていきます。

横浜市立の学校では、制定から110年を経た現在でも、音楽の授業で校歌とともに歌唱指導され、6/2の開港記念日や卒業式、市大会などでも披露されるという『横浜市歌』は、市民の間では単に‘市歌’と称され、広く愛唱されているようです。

長野県における『信濃の国』の愛唱と同じようですね。この‘市歌’により、横浜市民は‘横浜愛’に包まれているとのことです。

Photo_20230924101301 どのような歌か、YouTube で検索してみてください。 横浜市歌(高音質) 市歌ダンス 秘密のケンミンショー 

この森鴎外作詞の『横浜市歌』を歌えない‘はまっこ’は、いないそうです。このことは全国的には、驚くべき事象ですね。

実は、私・稲生は浜松市生まれで今も浜松市在住ながら、多少は馴染みがある歌なのです。

それは、我が愛する横浜DeNAベイスターズの応援において、攻撃時に四球をもぎ取った時、及び勝利を決めた時の最初の曲として、この『横浜市歌』が流れるのです。

もちろん、フルコーラスではないですよ。冒頭の‘わが日の本は島国よ 朝日かがよう海に 連なりそばだつ島々なれば あらゆる国より舟こそ通え’・・・と、ここまでです。

今回、もう少し調べていくとホームラン時の冒頭にも、‘市歌’の難しい部分‘されば港の数多かれど この横浜に優るあらめや’と歌っているようでした。

これらの歌を知りたい方は、 こちら   ついでに、ベイスターズファンになって、一緒に歌ってくださいな(笑)。

2022年12月 7日 (水)

1117.やっぱり男声合唱だね-その2-

尺の関係で、2回に分けました。

司会はS53年卒のNHKアナウンサー柿沼郭さんで、ワセグリ自前での調達であります。今人気の高瀬耕造アナウンサーもワセグリでしたので、後任の司会者にも困ることがありません。なお、柿沼氏は現在OB会会長を務めておられるようであります。

第2グループはS34年からS40年卒で93人、練習を11回も重ねたとのこと。第3グループはS41年からS47年卒で92人、多田先生の「富士山」と「千の風になって」でした。第4グループはS48年からS54年卒で69人、「月光とピエロ」及び多田作品の「雨」の中からの演奏でした。もしも私がワセグリならばこのグループに該当いたします。

第5グループはS55年からS61年卒で84人、第6グループはS62年からH5年卒で53人、ここにはピアノ伴奏で女性がお一人ステージに上っていました。第7グループはH6年からH12年卒で82人、「アカシアの径」のベースソロが、うっとりするような美声でした。そして、ステージを和ませる演出もありました。第8グループはH13年からH19年で101人、この年に卒団したOBも含む一番若いOBのグループです。

そして、オオトリで現役グリーメン80人から90人ほどでした。ここだけ、曲前の説明で人数が示されませんでしたので、ざっと数えてみました。彼らは、12月の定期演奏会で初演を飾る小田和正さんの委嘱作品を披露しておりました。「遥かな友に」も披露したのですが、田舎のグリーメンも愛唱していたこの曲は、ワセグリの中から生まれた曲だったことを知りました。

そして締めは、「早稲田の栄光」の全員合唱でした。この曲は、大学野球の早慶戦で勝利した時のみ歌うそうです。この後は大隈講堂前に移り「早稲田大学校歌」「紺碧の空」「早稲田の栄光」となっていました。杉並の会場から早稲田大学までの移動もあり、ワセグリOBにとっては、とっても忙しい一日だったことでしょう。

どうやら5年ごとに開催されているようで、第2回のオールワセグリフェスティバルは2012.10月、第3回は2017.10月に開催されております。これらは、第1回(前項にリンクあり)に続けてユーチューブで見ることができます。しかしながら、折からのコロナ禍により第4回は、未だ開催できないでいるようです。

年代に応じて声の質も変わり、若々しい声も姿も、熟練の声と恰幅の良い姿かたちとなり、その変遷をみていくこともあり、色々と楽しむことができました。

この他、関学グリーOBの新月会など、ユーチューブ上で観賞できるようで、私もこれからの長い冬のひとときを楽しんでみたいと思います。

男声合唱ネタは、またいつか。

2022年12月 4日 (日)

1116.やっぱり男声合唱だね-その1-

今回は、郵便局めぐりとは無縁の話題となります。

私のYou Tube生活は、さだまさし・吉田拓郎から派生して、中島みゆき・南こうせつ・NSPなどのフォークものを聴いていくことが多いのですが、どういう訳か秋も深まるとグリークラブのジャンルを探して、男声合唱に親しむ傾向があります。

プロ野球のシーズン中は、ベイスターズの試合を観るのが忙しく、落ち着いて音楽を楽しむことはできないのですが、プロ野球のオフシーズンは音楽をじっくり味わうシーズンでもあるのです。

男声合唱曲の中で、好むのは多田武彦先生の作品、無伴奏の男声合唱曲です。伴奏付きの曲も聴いたり、清水修先生その他の作曲家による男声合唱曲も聴くのですが、結局のところ、多田作品に戻ってしまうのです。

「柳河風俗詩」「富士山」「雨」「雪と花火」「木下杢太郎の詩から」「雪明りの路」「中勘助の詩から」「草野心平の詩から」「父のいる庭」などなど、何度聴いても飽きることのない組曲ばかりですが、最近のお気に入りは「吹雪の街を」「尾崎喜八の詩から」となっております。

一緒に歌いますか?って、歌いません、歌いません。今や、よそ様に聞いていただくような練習もしていませんし、これから研鑽を積む意気込みも全くありません。せいぜい散歩の時に、人知れず口ずさむだけのことです。

最近になって、面白いというか、素敵なチャンネルを見つけたのでご紹介いたします。

それは、早稲田大学グリークラブOB会のページです。OB会は別名・稲門(とうもん)グリークラブと称し、定期的に活動しているようですが、早稲田大学グリークラブ創立100年を記念して2007年10月に、第1回オールワセグリフェスティバル を開催しております。

You Tube版は こちら 2時間37分10秒にわたる長大版です。

ステージに上がるのは、総勢750人で♂ばかり。もちろん、入れ替わり立ち代わりにステージに上がり歌うわけで、その方々は自分の出番以外は会場での聴衆者となります。一般の観客も、合唱経験者や演者家族を中心にいることでしょうけど、圧倒的に演者兼聴衆者としてのOB会メンバーが占めていることでしょう。

言ってみれば、子どもの音楽発表会のようなステージでありますが、構成は凄いものがあり、見ごたえがあります。

OBを8つのグループに分け、年代の古い順にステージに上がります。第1グループはS12年からS33年卒で55人、最高齢が94歳の御大でありました。この方々、暗譜の方が多くて驚きました。きっと、真面目に練習を重ねていたことでしょうね。

尺が長くなってしまいました。その2に続きます。

2022年7月25日 (月)

1078.吉田拓郎・引退

シンガーソングライターで音楽プロデューサーの吉田拓郎が、今年一杯で引退をするそうで、先日、最後のTV出演としてフジテレビに出演していました。

Wikipediaによると、日本のシンガーソングライターの草分けであり、「ニューミュージックを代表する音楽家」「J-POPの開祖」などと、称されています。

Photo_20220723114101 冒頭のフジテレビの番組「LOVE LOVE あいしてる」(最終回・特番)への出演をもって、最後のテレビ出演となりましたが、25年以上前に5年弱放送されていたこの番組は、娘がKinKi Kidsのファンだった影響で、毎週欠かさず視聴していました。

それまでテレビ出演を好んでいなかった吉田拓郎でしたが、この番組に出演したことで、当時の若い世代(=現在の中年世代)にも、認知されることになりました。もっとも、往年の吉田拓郎を知っている拓郎世代(=シニア世代)には、拓郎があまりにも大人しすぎて、サビのない寿司を食っているような感覚であり、いささか拍子抜けした感覚でもありました。

よしだたくろう は、これまでの反体制で連帯を呼びかけるフォーク(=フォークの神様・岡林信康に代表される)とは一線を画し、日々の生活の中で抱いた心情を日常的な言葉で歌うことで、支持を得ていき、次第に団塊世代のカリスマとなっていったのですが、拓郎の音楽の影響を受けた後続のアーティストがたくさん現れており、その影響力は、計り知れないものです。

団塊の世代のあとを、トボトボと歩く私・稲生の世代(昭和30年代前半くらいの人々)では、Tシャツ・ジーパンにギターを抱えてたくろうの歌を歌うのが、この上なくカッコいいスタイルでありました。普段は冴えない若者でも、ギター片手に歌を歌えば、みんなモテたものです。

「イメージの詩」「今日までそして明日から」「人生を語らず」「どうしてこんなに悲しいんだろう」「元気です」「夏休み」「祭りのあと」「落陽」などなど、数え切れないほどの名曲を生み出してくれた吉田拓郎御大の曲を、連日聴いている今日この頃であります。

2020年4月20日 (月)

837.続「さだまさしの世界」-part2-

緊急事態宣言が、当初の7都府県から一挙に全国に拡大されました。こうなったら、覚悟を決めるしかありません。おうちに籠っておとなしくしていましょう!

さて、さだまさし、愛称・まっさんの積み上げてきた作品群ですが、公式なものとしてだけでも500曲を超えております。この創作活動のたくましさに感心するのですが、さらに賞賛すべきは、年間100回以上のコンサートを続け、通算では4,000回を優に超える前人未到の記録を持っていることであります。改めて、敬意を表するものであります。

Photo_20200417213501 part1に続きまして、私のお気に入りのまっさんの作品を紹介して行こうかと思います。よろしく、お付き合い願います。

「精霊流し」・・・グレープ時代の大ヒット曲。長崎の初盆行事である精霊流しを有名にした曲。事故死した従兄の精霊流しの思い出がモチーフになっている。

「朝刊」・・・グレープ時代のソロ曲であり、珍しくネクラではない新婚夫婦生活を歌った曲。曲中の「高田の背番号も知らないくせに」は、Gのレフト高田である(背番号8)。

「無縁坂」「縁切寺」・・・これもグレープ時代の曲。後日、文京区湯島の無縁坂や鎌倉の東慶寺を訪問した時には、さだマニアとしてとても感慨深かった。

「つゆのあとさき」「飛梅」「晩鐘」・・・ソロになって2枚目のアルバム「風見鶏」に収録された曲。すでに「雨やどり」でヒットを飛ばしていた。

「秋桜」「檸檬」・・・ソロ3枚目のアルバム「私花集」の中に、「案山子」「主人公」とともに収録されているが、「秋桜」は山口百恵に提供した曲のセルフカバーである。「檸檬」は、その後シングル盤としてリリースされた。

Photo_20200417213601 「風の篝火」「歳時記」「まほろば」「春告鳥」「空蝉」「療養所(サナトリウム)」「木根川橋」「パンプキン・パイとシナモン・ティ」・・・いずれも、アルバム「夢供養」に収録されている。このアルバムには、私の好みの曲が詰まっている。

「親父の一番長い日」・・・「関白宣言」の次作ソロ曲。異例の曲の長さのため、放送局がとっても苦労したという。B面の「椎の実のママへ」は、「精霊流し」で出てきた叔母のことを歌った切ない歌。

「償い」・・・交通事故の加害者の青年が、被害者の妻に何年も何年も謝罪を続けるストーリー。何度聴いても涙が出て来て止まらない歌。

「戦友会」・・・「櫛の歯が欠けるように、仲間が減ってゆく・・・」東日本大震災後の生さだで、被災地の中学生がリクエストしたというエピソードもある。

まだまだ紹介しきれないのですが、以降は、ご自分でマイ・フェイバリィット・ソングを見つけてください。

私も、さだまさしさんのすべての曲を掌握している訳もなく、自宅謹慎を余儀なくされているこの時期を機会に、もう少し理解を深めていきたいと思います。

2020年4月17日 (金)

836.続「さだまさしの世界」-part1-

今回は音楽ネタです。先週の4/10に68回目の誕生日を迎えた現代の吟遊詩人・さだまさしさんのお話しであります。

彼は、バリバリの現役でありまして、4/10には「緊急事態宣言の歌」をユーチューブにアップして、皆を啓蒙しておりますので、一度聴いてみてください。( こちら )

今回のタイトルは、4年ほど前に NO.358さだまさしの世界 というブログをアップしておりまして、その為、続「さだまさしの世界」とさせていただきました。

「さだまさしの世界」は、全12巻・174曲になるCD集であり、今でも時々聴いております。特に、マイカーでの遠征では、このうちの4巻ほどを持っていき、車内で思う存分聴いているのです。直近では、4/3の北陸遠征で聴いておりました。

Photo_20200416201302 さて、4/10のさだまさしさんの誕生日のラジオ深夜便のにっぽんの歌・こころの歌では、深夜3時から約1時間の間に選定された8曲を聴く事ができました。ちょっと、一言コメント付きで、紹介してみます。

1.「案山子」・・・都会に暮らす息子を父親目線で歌い上げ大ヒットとなったが、さだの25歳の作品で、実は弟のことを思い描いた詩であった。

2.「線香花火」・・・2年半でグレープとしての活動を解散し、ソロとなって最初の歌。

3.「雨やどり」・・・初のオリコンシングルチャート1位を獲得した曲。グレープ時代の大ヒット曲「精霊流し」は、残念ながら1度もオリコン1位を獲得していない。

4.「関白宣言」・・・社会現象となる大ヒット。これより、語り物が定着していった。

5.「道化師のソネット」・・・さだが主演・音楽も担当した映画『翔べイカロスの翼』の主題歌。このあと、佐田家のルーツを探る映画『長江』の制作で膨大な借金をこしらえた。

6.「しあわせについて」・・・映画『ひめゆりの塔』主題歌。2年前にヒットした映画『二百三高地』の主題歌「防人の詩」で好戦的右翼と揶揄されたのだが、ここでは真逆の日和見的左翼と評価されたとのこと。

7.「風に立つライオン」・・・アフリカの大自然のスケールの大きさに圧倒される歌。後に、大沢たかおの企画により映画化された。

8.「主人公」・・・さだまさしファンによるファン投票で1位を獲得したファンに最も愛されている曲。

ざっと、こんな感じでありますが、全500曲に亘る作品群ですので、この8曲の紹介で足りるはずもなく、この話は、次回に続けていくことにさせてください。