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音楽

2023年9月28日 (木)

1196.横浜市歌

本日は、私・稲生も意外と良く知っている『横浜市歌』について、深掘りしていきます。

横浜市立の学校では、制定から110年を経た現在でも、音楽の授業で校歌とともに歌唱指導され、6/2の開港記念日や卒業式、市大会などでも披露されるという『横浜市歌』は、市民の間では単に‘市歌’と称され、広く愛唱されているようです。

長野県における『信濃の国』の愛唱と同じようですね。この‘市歌’により、横浜市民は‘横浜愛’に包まれているとのことです。

Photo_20230924101301 どのような歌か、YouTube で検索してみてください。 横浜市歌(高音質) 市歌ダンス 秘密のケンミンショー 

この森鴎外作詞の『横浜市歌』を歌えない‘はまっこ’は、いないそうです。このことは全国的には、驚くべき事象ですね。

実は、私・稲生は浜松市生まれで今も浜松市在住ながら、多少は馴染みがある歌なのです。

それは、我が愛する横浜DeNAベイスターズの応援において、攻撃時に四球をもぎ取った時、及び勝利を決めた時の最初の曲として、この『横浜市歌』が流れるのです。

もちろん、フルコーラスではないですよ。冒頭の‘わが日の本は島国よ 朝日かがよう海に 連なりそばだつ島々なれば あらゆる国より舟こそ通え’・・・と、ここまでです。

今回、もう少し調べていくとホームラン時の冒頭にも、‘市歌’の難しい部分‘されば港の数多かれど この横浜に優るあらめや’と歌っているようでした。

これらの歌を知りたい方は、 こちら   ついでに、ベイスターズファンになって、一緒に歌ってくださいな(笑)。

2022年12月 7日 (水)

1117.やっぱり男声合唱だね-その2-

尺の関係で、2回に分けました。

司会はS53年卒のNHKアナウンサー柿沼郭さんで、ワセグリ自前での調達であります。今人気の高瀬耕造アナウンサーもワセグリでしたので、後任の司会者にも困ることがありません。なお、柿沼氏は現在OB会会長を務めておられるようであります。

第2グループはS34年からS40年卒で93人、練習を11回も重ねたとのこと。第3グループはS41年からS47年卒で92人、多田先生の「富士山」と「千の風になって」でした。第4グループはS48年からS54年卒で69人、「月光とピエロ」及び多田作品の「雨」の中からの演奏でした。もしも私がワセグリならばこのグループに該当いたします。

第5グループはS55年からS61年卒で84人、第6グループはS62年からH5年卒で53人、ここにはピアノ伴奏で女性がお一人ステージに上っていました。第7グループはH6年からH12年卒で82人、「アカシアの径」のベースソロが、うっとりするような美声でした。そして、ステージを和ませる演出もありました。第8グループはH13年からH19年で101人、この年に卒団したOBも含む一番若いOBのグループです。

そして、オオトリで現役グリーメン80人から90人ほどでした。ここだけ、曲前の説明で人数が示されませんでしたので、ざっと数えてみました。彼らは、12月の定期演奏会で初演を飾る小田和正さんの委嘱作品を披露しておりました。「遥かな友に」も披露したのですが、田舎のグリーメンも愛唱していたこの曲は、ワセグリの中から生まれた曲だったことを知りました。

そして締めは、「早稲田の栄光」の全員合唱でした。この曲は、大学野球の早慶戦で勝利した時のみ歌うそうです。この後は大隈講堂前に移り「早稲田大学校歌」「紺碧の空」「早稲田の栄光」となっていました。杉並の会場から早稲田大学までの移動もあり、ワセグリOBにとっては、とっても忙しい一日だったことでしょう。

どうやら5年ごとに開催されているようで、第2回のオールワセグリフェスティバルは2012.10月、第3回は2017.10月に開催されております。これらは、第1回(前項にリンクあり)に続けてユーチューブで見ることができます。しかしながら、折からのコロナ禍により第4回は、未だ開催できないでいるようです。

年代に応じて声の質も変わり、若々しい声も姿も、熟練の声と恰幅の良い姿かたちとなり、その変遷をみていくこともあり、色々と楽しむことができました。

この他、関学グリーOBの新月会など、ユーチューブ上で観賞できるようで、私もこれからの長い冬のひとときを楽しんでみたいと思います。

男声合唱ネタは、またいつか。

2022年12月 4日 (日)

1116.やっぱり男声合唱だね-その1-

今回は、郵便局めぐりとは無縁の話題となります。

私のYou Tube生活は、さだまさし・吉田拓郎から派生して、中島みゆき・南こうせつ・NSPなどのフォークものを聴いていくことが多いのですが、どういう訳か秋も深まるとグリークラブのジャンルを探して、男声合唱に親しむ傾向があります。

プロ野球のシーズン中は、ベイスターズの試合を観るのが忙しく、落ち着いて音楽を楽しむことはできないのですが、プロ野球のオフシーズンは音楽をじっくり味わうシーズンでもあるのです。

男声合唱曲の中で、好むのは多田武彦先生の作品、無伴奏の男声合唱曲です。伴奏付きの曲も聴いたり、清水修先生その他の作曲家による男声合唱曲も聴くのですが、結局のところ、多田作品に戻ってしまうのです。

「柳河風俗詩」「富士山」「雨」「雪と花火」「木下杢太郎の詩から」「雪明りの路」「中勘助の詩から」「草野心平の詩から」「父のいる庭」などなど、何度聴いても飽きることのない組曲ばかりですが、最近のお気に入りは「吹雪の街を」「尾崎喜八の詩から」となっております。

一緒に歌いますか?って、歌いません、歌いません。今や、よそ様に聞いていただくような練習もしていませんし、これから研鑽を積む意気込みも全くありません。せいぜい散歩の時に、人知れず口ずさむだけのことです。

最近になって、面白いというか、素敵なチャンネルを見つけたのでご紹介いたします。

それは、早稲田大学グリークラブOB会のページです。OB会は別名・稲門(とうもん)グリークラブと称し、定期的に活動しているようですが、早稲田大学グリークラブ創立100年を記念して2007年10月に、第1回オールワセグリフェスティバル を開催しております。

You Tube版は こちら 2時間37分10秒にわたる長大版です。

ステージに上がるのは、総勢750人で♂ばかり。もちろん、入れ替わり立ち代わりにステージに上がり歌うわけで、その方々は自分の出番以外は会場での聴衆者となります。一般の観客も、合唱経験者や演者家族を中心にいることでしょうけど、圧倒的に演者兼聴衆者としてのOB会メンバーが占めていることでしょう。

言ってみれば、子どもの音楽発表会のようなステージでありますが、構成は凄いものがあり、見ごたえがあります。

OBを8つのグループに分け、年代の古い順にステージに上がります。第1グループはS12年からS33年卒で55人、最高齢が94歳の御大でありました。この方々、暗譜の方が多くて驚きました。きっと、真面目に練習を重ねていたことでしょうね。

尺が長くなってしまいました。その2に続きます。

2022年7月25日 (月)

1078.吉田拓郎・引退

シンガーソングライターで音楽プロデューサーの吉田拓郎が、今年一杯で引退をするそうで、先日、最後のTV出演としてフジテレビに出演していました。

Wikipediaによると、日本のシンガーソングライターの草分けであり、「ニューミュージックを代表する音楽家」「J-POPの開祖」などと、称されています。

Photo_20220723114101 冒頭のフジテレビの番組「LOVE LOVE あいしてる」(最終回・特番)への出演をもって、最後のテレビ出演となりましたが、25年以上前に5年弱放送されていたこの番組は、娘がKinKi Kidsのファンだった影響で、毎週欠かさず視聴していました。

それまでテレビ出演を好んでいなかった吉田拓郎でしたが、この番組に出演したことで、当時の若い世代(=現在の中年世代)にも、認知されることになりました。もっとも、往年の吉田拓郎を知っている拓郎世代(=シニア世代)には、拓郎があまりにも大人しすぎて、サビのない寿司を食っているような感覚であり、いささか拍子抜けした感覚でもありました。

よしだたくろう は、これまでの反体制で連帯を呼びかけるフォーク(=フォークの神様・岡林信康に代表される)とは一線を画し、日々の生活の中で抱いた心情を日常的な言葉で歌うことで、支持を得ていき、次第に団塊世代のカリスマとなっていったのですが、拓郎の音楽の影響を受けた後続のアーティストがたくさん現れており、その影響力は、計り知れないものです。

団塊の世代のあとを、トボトボと歩く私・稲生の世代(昭和30年代前半くらいの人々)では、Tシャツ・ジーパンにギターを抱えてたくろうの歌を歌うのが、この上なくカッコいいスタイルでありました。普段は冴えない若者でも、ギター片手に歌を歌えば、みんなモテたものです。

「イメージの詩」「今日までそして明日から」「人生を語らず」「どうしてこんなに悲しいんだろう」「元気です」「夏休み」「祭りのあと」「落陽」などなど、数え切れないほどの名曲を生み出してくれた吉田拓郎御大の曲を、連日聴いている今日この頃であります。

2020年4月20日 (月)

837.続「さだまさしの世界」-part2-

緊急事態宣言が、当初の7都府県から一挙に全国に拡大されました。こうなったら、覚悟を決めるしかありません。おうちに籠っておとなしくしていましょう!

さて、さだまさし、愛称・まっさんの積み上げてきた作品群ですが、公式なものとしてだけでも500曲を超えております。この創作活動のたくましさに感心するのですが、さらに賞賛すべきは、年間100回以上のコンサートを続け、通算では4,000回を優に超える前人未到の記録を持っていることであります。改めて、敬意を表するものであります。

Photo_20200417213501 part1に続きまして、私のお気に入りのまっさんの作品を紹介して行こうかと思います。よろしく、お付き合い願います。

「精霊流し」・・・グレープ時代の大ヒット曲。長崎の初盆行事である精霊流しを有名にした曲。事故死した従兄の精霊流しの思い出がモチーフになっている。

「朝刊」・・・グレープ時代のソロ曲であり、珍しくネクラではない新婚夫婦生活を歌った曲。曲中の「高田の背番号も知らないくせに」は、Gのレフト高田である(背番号8)。

「無縁坂」「縁切寺」・・・これもグレープ時代の曲。後日、文京区湯島の無縁坂や鎌倉の東慶寺を訪問した時には、さだマニアとしてとても感慨深かった。

「つゆのあとさき」「飛梅」「晩鐘」・・・ソロになって2枚目のアルバム「風見鶏」に収録された曲。すでに「雨やどり」でヒットを飛ばしていた。

「秋桜」「檸檬」・・・ソロ3枚目のアルバム「私花集」の中に、「案山子」「主人公」とともに収録されているが、「秋桜」は山口百恵に提供した曲のセルフカバーである。「檸檬」は、その後シングル盤としてリリースされた。

Photo_20200417213601 「風の篝火」「歳時記」「まほろば」「春告鳥」「空蝉」「療養所(サナトリウム)」「木根川橋」「パンプキン・パイとシナモン・ティ」・・・いずれも、アルバム「夢供養」に収録されている。このアルバムには、私の好みの曲が詰まっている。

「親父の一番長い日」・・・「関白宣言」の次作ソロ曲。異例の曲の長さのため、放送局がとっても苦労したという。B面の「椎の実のママへ」は、「精霊流し」で出てきた叔母のことを歌った切ない歌。

「償い」・・・交通事故の加害者の青年が、被害者の妻に何年も何年も謝罪を続けるストーリー。何度聴いても涙が出て来て止まらない歌。

「戦友会」・・・「櫛の歯が欠けるように、仲間が減ってゆく・・・」東日本大震災後の生さだで、被災地の中学生がリクエストしたというエピソードもある。

まだまだ紹介しきれないのですが、以降は、ご自分でマイ・フェイバリィット・ソングを見つけてください。

私も、さだまさしさんのすべての曲を掌握している訳もなく、自宅謹慎を余儀なくされているこの時期を機会に、もう少し理解を深めていきたいと思います。

2020年4月17日 (金)

836.続「さだまさしの世界」-part1-

今回は音楽ネタです。先週の4/10に68回目の誕生日を迎えた現代の吟遊詩人・さだまさしさんのお話しであります。

彼は、バリバリの現役でありまして、4/10には「緊急事態宣言の歌」をユーチューブにアップして、皆を啓蒙しておりますので、一度聴いてみてください。( こちら )

今回のタイトルは、4年ほど前に NO.358さだまさしの世界 というブログをアップしておりまして、その為、続「さだまさしの世界」とさせていただきました。

「さだまさしの世界」は、全12巻・174曲になるCD集であり、今でも時々聴いております。特に、マイカーでの遠征では、このうちの4巻ほどを持っていき、車内で思う存分聴いているのです。直近では、4/3の北陸遠征で聴いておりました。

Photo_20200416201302 さて、4/10のさだまさしさんの誕生日のラジオ深夜便のにっぽんの歌・こころの歌では、深夜3時から約1時間の間に選定された8曲を聴く事ができました。ちょっと、一言コメント付きで、紹介してみます。

1.「案山子」・・・都会に暮らす息子を父親目線で歌い上げ大ヒットとなったが、さだの25歳の作品で、実は弟のことを思い描いた詩であった。

2.「線香花火」・・・2年半でグレープとしての活動を解散し、ソロとなって最初の歌。

3.「雨やどり」・・・初のオリコンシングルチャート1位を獲得した曲。グレープ時代の大ヒット曲「精霊流し」は、残念ながら1度もオリコン1位を獲得していない。

4.「関白宣言」・・・社会現象となる大ヒット。これより、語り物が定着していった。

5.「道化師のソネット」・・・さだが主演・音楽も担当した映画『翔べイカロスの翼』の主題歌。このあと、佐田家のルーツを探る映画『長江』の制作で膨大な借金をこしらえた。

6.「しあわせについて」・・・映画『ひめゆりの塔』主題歌。2年前にヒットした映画『二百三高地』の主題歌「防人の詩」で好戦的右翼と揶揄されたのだが、ここでは真逆の日和見的左翼と評価されたとのこと。

7.「風に立つライオン」・・・アフリカの大自然のスケールの大きさに圧倒される歌。後に、大沢たかおの企画により映画化された。

8.「主人公」・・・さだまさしファンによるファン投票で1位を獲得したファンに最も愛されている曲。

ざっと、こんな感じでありますが、全500曲に亘る作品群ですので、この8曲の紹介で足りるはずもなく、この話は、次回に続けていくことにさせてください。

2018年1月15日 (月)

605.男声合唱組曲『吹雪の街を』

前の記事の最後に、多田先生の名曲「雨」(通称:アメロク)のリンクを付けておきましたが、お聴きいただけましたでしょうか?

僅か29歳で病没された早世の詩人・八木重吉の詩に、多田先生が曲を付けたのですが、最後のフレーズが「雨があがるように、しずかに死んでいこう」と、こういう達観した心理状態になって臨終を迎えたいものと、私・稲生も思っています。

さて、タイトルの男声合唱組曲『吹雪の街を』の初演は1979.12.8で、小樽商科大学グリークラブによるものでした。伊藤整の出身地であり母校でもある小樽の地元大学合唱団が、多田先生に委嘱してできた作品です。

1979.3月にグリークラブを卒団した私・稲生は、当然ながら、この『吹雪の街を』を知らなかったのですが、今回、YouTubeにて男声合唱曲を聴いて楽しみ懐かしむというマイブームの中で、この名曲に初めて出会ったのでした。初演から三十有余年、遅きに失したところです。

全6曲の組曲で、1「忍路」2「また月夜」で、伊藤整の育った小樽の寒村で出会った少女との淡い関係を感じさせます。3「夏になれば」は、テナーソロを中心とした曲で、おそらく別の女性でしょうが、愛情のあるエールを送る曲であり、4「秋の恋びと」で、物悲しい秋とともに訪れた別れを示し、5「夜の霰」では、厳しい真冬の雪国の日常を歌いつつ、別れの寂しさ厳しさを暗示し、6「吹雪の街を」で、この恋の破綻した切なさを19歳の青年らしい行動と感情で表現しています。

ここでは終曲の6「吹雪の街を」について、掘り下げてみて、若干の感想(自己解釈)を述べたいと思います。

イントロとして、ベースのパートソロで‘歩いてきたよ吹雪の街を’と言う歌詞で、ピアニシモからピアノで、やや遅くしみじみと3回繰り返し歌い出します。次に他パートで、同じく3回歌った後に、歌の主題部分に入っていきます。

歌詞の内容は、わかりやすく端的に言えば、イジケ男のイジケ節であります。そうでなければ、なかなか吹雪の中を歩いて行くことはできないでしょう。(笑)

18歳ぐらいから22歳ぐらいまでの多感な時期を過ごしている大学グリーのメンバーにとっては、共感できる部分が多く、この曲を歌うグリーメンは、おそらく切々と情緒的に歌うことができることでしょう。

そして最後の局面で、再び‘歩いてきたよ吹雪の街を’とベースのパートソロで3回、全体でもう3回今度はハモッて歌い、曲が終了します。

皆さん、今年のこの寒い冬に、しみじみと味わって聴いてみてください。最初は、何だかつまらなく感じていても、何回か聴いていくうちに、青春時代に味わった淡い思い出が湧いてくるかもしれませんよ。

※6「吹雪の街を」をお聴きください。関大グリーの演奏と思われます。そのまま聴いて行けば、メンネルコール広友会・関学グリー・西南学院グリー・関大グリーの組曲『吹雪の街を』を次々と聴くことができます。  https://www.youtube.com/watch?v=9lO9jY6Z_pk

※歌詞は こちら

2018年1月12日 (金)

604.多田武彦先生が死去

男声合唱界の巨匠・多田武彦先生がご逝去なさいました。亡くなられたのは、昨年12月12日で、享年87歳でした。

多田先生におかれましては、心よりご冥福をお祈り申し上げいたします。

男声合唱をやっていた者にとっては、多田武彦先生なくしては、合唱が成り立たないほどの数々の名曲を作り出しており、男声合唱団・グリークラブのメンバーは、これらの曲を合唱することで、誇り高く晴れ晴れとした充実感を醸し出す、そんな男声合唱の醍醐味を創り出してくださった作曲家です。

京大男声合唱団の学生指揮者として活躍後、富士銀行(現・みずほファイナンシャルグループ)勤務の傍ら、作曲活動を続けられた‘日曜作曲家’でしたが、多田作品なくして男声合唱は語れないほどの数々の作品を発表されました。

Photo

男声合唱組曲ベースで94の組曲。男声以外に19の組曲。単曲ベースに直すと719曲だそうです。

私が静大グリークラブに入部して、初めて出合ったのが『柳河風俗詩』です。そして『富士山』『雨』『雪明りの路』『中勘助の詩から』『草野心平の詩から』『三崎のうた』『木下杢太郎の詩から』などの男声合唱組曲に取り組むことができたことは、大変光栄なことでした。

静大グリーを卒団して、すでに40年。男声合唱曲で思い出すことができるのは、そのほとんどが多田作品です。

実は、あの昨年10月の「志戸平温泉」以来(NO.583参照)、男声合唱の観賞をするというマイブームが訪れてきており、年末年始でも、関学グリーを中心とした多田作品を、ひたすらYouTubeで聴いていたのでした。

次回は、私が今、お気に入りの多田作品のひとつ『吹雪の街を』について、述べていくことにいたします。

※多田先生自ら「臨終における鎮魂歌」として作ったと言わしめた、男声合唱組曲『雨』その6「雨」をお聴きください。(1967.5.28初演、多田氏36歳時の作品です。)

https://www.youtube.com/watch?v=uC2IyshbyE4

※歌詞は こちら

2017年10月31日 (火)

583.♪志戸平温泉 第5号の番傘に♪

10/31(火)のチケットが手配できました。私の所属する浜松尚典会のルートにより、1枚手配できたのです。福岡で2敗していますが、一つ勝たねば始まりません。第3戦をハマスタで応援することにいたします。

本題ですが、岩手県は何度か述べていますが、人生初訪問です。

で、10月上旬に岩手県の地図を購入し、訪問予定コースをいろいろと考えていたところ、花巻市の志戸平に簡易郵便局があることが判りました。

この「志戸平」という文字を見た途端、あるフレーズが突然呼び起こされたのです。

Photo♪志戸平温泉 第5号の番傘に♪

知らない人が大半でしょうが、草野心平の詩の「雨」という詩の冒頭です。

男声合唱組曲に『草野心平の詩から』という名曲があり、その組曲の4曲目が「雨」であり、テナーソロの“志戸平温泉・・・”から始まる曲なのです。もし興味ある方はYouTubeにおいて『草野心平の詩から』と検索していただいて、関学グリーもしくは慶應ワグネルの演奏がアップされていますので、それを聴いてみてください。

この曲を皮切りに、多田武彦氏の作品の数々、例えば『雨』『中勘助の詩から』『雪と花火』『木下杢太郎の詩から』『柳河風俗詩』『父のいる庭』『蛙』『富士山』『三崎のうた』など無伴奏男声合唱を、ひたすら懐かしく聴く日々が始まりました。時には、主旋律や自分のパート(B2=ベース)を口ずさんでみたりしながら・・・

すると、遠く40年前の学生時代にタイムスリップした心地よい時間がやってくるのです。

ということで、「志戸平」の文字を地図上で見つけたことをきっかけとして、若き頃に親しんだ男声合唱曲をYouTubeでバックグラウンドのように聴きながら、しばらく時を過ごす日々が続いております。

※写真は、志戸平簡易郵便局。個人的には志戸平温泉簡易郵便局であってほしかった。

※拙HP内 『男声合唱の夕べ』 も参照してください。

2015年6月21日 (日)

358.さだまさしの世界

地元新聞の裏一面の全面広告に掲載されていた、通販大手のユーキャン発売によるCD集・全12巻の『さだまさしの世界』を衝動買いしてしまいました。一括払いで約3万円のお買い物でした。

Photo_20200417203501 6/18の午前中に物が来て、まだ3日。第7巻までしか聴いてませんが、十分楽しんでいます。

さだまさしは、ご存じのとおり、今や日本を代表するシンガーソングライターであります。日本で一番多くのソロコンサートを行った歌手であり、そのトークも軽妙でなかなかのもので、トークだけを納めたCDも発売されているほどです。

小説家としての才能も確かで、自伝的小説『精霊流し』はベストセラーとなっています。その他には、なにより噺家であります。そして映画監督として作成した映画『長江』では大きな借金を抱えてしまったことでも知られています。

そんなさだまさしですが、私が好んだころのさだまさしは、まだ『関白宣言』によって大ヒットする前の事で、『精霊流し』『無縁坂』『縁切寺』といったネクラ路線真っ只中の頃、周囲にさだのファンであることを知られるのが恥ずかしい気がしていた頃です。彼は若いころ痩せぎすで、神経質な表情が出ていて、密かなファンだった私・稲生も、後にこれほど立派な歌い手になろうとは、思ってもみませんでした。

しかしながら、彼の音楽性の豊かさを、惚れ惚れとするほど感じていたことは確かで、LPレコードも数枚購入し、浜松でコンサートがあれば、観に行ったものでした。そうすることで、あのMCに惹かれたこともあり、ますますさだのとりこになっていくのでした。

今回CD集を聴きながら思うことは、彼の歌の引き出しの多さです。

愛・偲・憩・恋・惹・愁・悲・想・慈・憶・悠・志

この12文字が、CD集のそれぞれの巻のタイトルなのですが、1巻に13~18曲、計174曲が収録されています。これらの曲は、今後も繰り返し聴いていくことになることでしょう

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