1397.伊藤 整『雪明りの路』
当ブログ『稲生のつぶやき(ブログ)』は、本日にて14年が経過し、15年目に突入しました。これからも、ご贔屓のほどよろしくお願いいたします。
今回の道央大遠征において、初日の1局目として選んだ小樽市西部の忍路地区、及び2局目の蘭島地区、さらには最終日の1局目の塩谷地区は、抒情派詩人としてデビューした伊藤整の故郷であります。彼は、その詩集『雪明りの路』によって、世に出た詩人でありました。
『雪明りの路』は、彼の思春期の面持ちを強く打ち出し、北海道の自然や風土を歌い、女生徒との関わりを抒情的に歌った処女詩集であります。この詩集の中から男声合唱の作曲家・多田武彦先生がいくつかを選んで男声合唱組曲『雪明りの路』さらには『吹雪の街を』を作曲しており、それを歌った男声合唱団員(=グリーメン)は、その詩集を読み漁るばかりか、物語の舞台である塩谷や忍路・蘭島を訪問してみるという言わば聖地巡礼の旅をするものもいるようであります。
そもそも伊藤整なる人物は、どのような方か良くわからないかもしれませんが、戦後の文壇における「チャタレイ裁判」で起訴された人物と言えば、少しは知っている方も出てくることでしょう。この『チャタレイ夫人の恋人』は、戦中の1935年に伊藤整は翻訳しており、戦後の1950年に改めて完訳版を発行するや、大きな反響を呼んだのですが、それがわいせつ文書として摘発され裁判沙汰となった翻訳家であります。
それが基で、1950年代の伊藤整ブームを呼び起こした流行作家にもなったようですが、私・稲生はそこまでの文学青年ではなかったため、よく存じ上げていませんが、日本に行けるエロ文学というものを文壇に登場させた尊いお方であったようです。
その尊いお方のデビュー詩集『雪明りの路』は、純愛ものというよりも、思春期特有の鬱々とした感情を歌っており、男声合唱組曲としては青年期に入った大学合唱団員にとって、感情移入のしやすい名曲として歌い継がれているものです。私も、静岡大学グリークラブのメンバーとして『雪明りの路』を歌ったのですが、今回、忍路局と塩谷局をその日の1局目として訪問する前に、その集落の海岸部などを散策してみたのです。
伊藤整の徘徊した時期は大正期であり、当時は小樽の海岸部のどの集落も鰊(ニシン)漁で潤っていた頃でしたが、今も昔も寒村であるのは変わらずで、その寒々とした寒村の塩谷から、想いを寄せる彼女の住む忍路まで、徘徊を繰り返したのを、『雪明りの路』では歌っていたのでした。
多田武彦先生による男声合唱組曲『雪明りの路』は、1960年発表の作品ですが、多田先生はその19年後に男声合唱組曲『吹雪の街を』を、発表しており、これも詩集『雪明りの路』から取った6曲を歌いあげております。私・稲生が、グリークラブ卒団後の作品ながら、拙ブログNO.605にて、自己解釈をして記事にしていました。(『雪明りの路』の歌詞は こちら、『吹雪の街を』の歌詞は こちら)
今回の小樽訪問は9月10月の程よい気候の時期でしたが、本当の聖地巡礼をするとしたら、吹雪の舞う1月2月の時期に塩谷から忍路まで徒歩で往復することが本当でしょうが、還暦をとっくに過ぎ、もうすぐ古希になろうとしている稲生老人は、そのような元気は毛頭もないことも事実であります。
※写真は、小樽「雪明りの路」の様子、ネットから拝借しました。伊藤整が見た大正期の『雪明りの路』とは、似て非なるものではあります。










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