2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

遠州ネタ

2020年6月30日 (火)

858.浜名地区の紹介-その2-

続いては、浜名地区の詳細について、お話しいたします。

小松・内野・平口の3つの大字においては、小松が一番発展してきました。浜北区内を南北に走る二俣街道と、同じく南北に走る遠鉄電車の小松駅があり、浜北区の中心地である貴布祢(北浜地区)にも隣接しており、浜名地区の盟主の地位は揺らぎないものでありました。

ところが1960年代後半より、内野地区の西の丘陵地には、‘浜名ニュータウン’なる分譲地が完成し(行政名は内野台)、国道バイパスが内野・平口地内を縦断していき、さらに21世紀に入り、内野台のさらに西の丘陵地に‘きらりタウン’なる大規模分譲地(行政名は染地台)が大きく形成していくにつれ、浜名地区の重心が東に位置する小松から、西へ西へと移動することとなりました。

2_20200627153601 浜名地区の東のはずれに配置されていた浜名中学校では、人口急増の染地台からの生徒がとっても多く、さらなる将来的な生徒増加に対処すべく、H30(2018)年4月には、国道バイパス沿いに移転しました。それでも、浜松市内市立中学校・全48校中の第1位の生徒数である858人(R2.5.1現在)となっており、近い将来には各学年が10クラスを超えることになりそうです。

また、すでにS58(1983)年には、内野・内野台地区を新しい学区として内野小学校が分離開校していましたが、染地台の人口急増のため浜松市内市立小学校・全96校中での児童数ダントツ1位となる1,425人(R2.5.1現在:2位は蒲小学校1,042人)を数え、その登下校の様子は圧巻であります。

きらりタウン内の2丁目に小学校用地が確保されており、仮称・染地台小学校の開校は、待ったなしの状況ですが、今のところ今年度に動きはないようです。

参考:浜北区人口内訳 北浜地区39,720人、浜名地区24,736人、中瀬地区12,206人、赤佐地区11,854人、麁玉地区11,198人:合計99,714人(2020.1.1現在:浜松市HPより)

さらに参考:浜名地区人口内訳 小松7,417人、平口2,834人、内野3,152人、内野台4,088人、染地台7,245人:合計24,736人

最後に、無理やり郵便局の話にこじつけますが、北浜地区・直営局3、中瀬地区・直営局1簡易局1、赤佐地区・直営局1簡易局1、麁玉地区・直営局1の配置に対し、浜名地区・小松に直営局1、内野台に簡易局1となっており、染地台への郵便局設置は必定となっております。

2020年6月27日 (土)

857.浜名地区の紹介-その1-

今回は超ローカルな、お題で話しを進めてみたいと思います。

Photo_20200615172201 昔、小学校の副読本として「のびゆく浜松」というものがありました。郷土の発展を記したものでありますが、私の住む浜松市は、曲がりなりにも、平成19(2007)年7.1に政令指定都市になっており、「のびゆく浜松」の未来像に沿った形の発展を遂げております。

横浜市を第一位とする政令指定都市の人口ランキングでは第16位となっており、永遠のライバル・静岡市の第20位(ビリ)に対しても、少なからず(約10万人ほど)リードしているのです。

もっとも、浜松市・静岡市ともに、政令指定都市が施行された時よりも、1.5万人、2.0万人それぞれ減少しており、お世辞にも伸び盛りと言えるものではありません。

ところが、私の住む浜北区については、1.1万人増加しており、中区などの5区が減少する中で、唯一増加し続けている「のびゆく浜北区」となっているのです。

〔ここまでのデータ:上段の表を参照してください。〕

次に、浜北区の中の浜名地区について、話を進めていきます。出来るだけ判りやすく話しますので、どうか皆さん、ついてきてくださいね。

私が生まれた年でもあるS31(1956)年4.1(※)に浜名町・北浜村・中瀬村・赤佐村・麁玉村の5町村が合併して「浜北町」が誕生しました。人口は5万人規模だったようですが、市街地形成が十分でなかったとかで、7年後のS38(1963)7.1に、ようやく「浜北市」として市制施行をしました。(※私は、浜松市生まれ(現・浜松市中区)です。)

1_20200615172301 その後は、浜松市の衛星都市として順調に発展していき、政令都市構想の中で、天竜市などの10市町とともに浜松市に編入合併したのがH17(2005)年7.1でありました。

浜名地区とは、旧浜名町のことであり、S26(1951)年11.3に小野口村が町制施行する際に、改称して浜名町になったもので、この‘浜名’は、いわゆる広域地名であります。(借用地名とも言われる。多摩市・伊豆市などと同じ。詳しくはググってみてください。)

その元となった小野口村は、村内の小松・内野・平口の3つの大字の一つずつをとった合成地名であり、当時の大字は3つしかありませんので、判りやすい命名でありました。小野口村の前身に関係する小野田村・平貴村などの細かなことは、長くなりますので、この際割愛させていただきます。

で、浜北町・浜北市・浜北区における浜名地区の位置づけは、簡単にいうとNO.2であります。貴布祢・美薗などの北浜地区が人口・面積(山林部分を除く)及び市内の位置的にもNO.1の座についており、区役所などの主要な施設が北浜地区にあることには、まったく異議がありません。

浜名地区は、昔も今もNO.2でありますが、ここ何年か前より浜名地区の西端に‘きらりタウン’なる大規模住宅地が形成されてきており、浜名地区内や、ゆくゆくは浜北区内においても勢力地図が塗り替えられようとするほどに勢いを増してきております。

〔ここまでの記述:左の地図を参照してみてください。〕

その2 に続く。

2019年8月25日 (日)

768.『月』に行ってきました!(笑)

去る8/5の暑い日に、急に思い立って『月』まで行ってきました!(笑)

Photo_20190824092301 もちろん、38万㌔先の衛星『月』ではなく、浜松市天竜区月のことです。浜北区南部の自宅から「月集落」までは約19㌔30分強の道のりです。

本当の目的地は、「月集落」の手前の伊砂(いすか)集落と対岸の相津(そうづ)集落に架かる『夢のかけ橋』を歩いて渡ることでしたが、どうしても、「↑ 月 3km」の青看板に惹かれてしまい、用事もないのに「月集落」に向かってしまうのです。「月集落」は46世帯86人(2018年)の南北朝時代の落ち武者集落であります。

かっては路線バスのバス停があり、その写真を撮る事で、‘月に行った証拠’としていましたが、とうの昔に路線バスは廃止され、代わりに対岸の国道152号線に「月バス停」がありました。ここは、かって月集落への渡船場だったところで、現在は一軒の民家すらなく、単なる目印としてのバス停に過ぎないようです。

この遠鉄バス「月バス停」も、天竜区西鹿島から水窪まで結ぶ北遠本線が、今年10月に廃止になりますので、もうすぐ見納めとなっています。(北遠本線については NO.719 を参照してください。)

Photo_20190824092401 ここで『夢のかけ橋』についての解説です。船明(ふなぎら)ダム湖に架かる人道橋なのですが、その橋脚は国鉄時代の未成線・佐久間線の橋脚でした。昭和55年(1980年)に佐久間線が幻の路線となってから、この船明ダム湖に造られた4基の橋脚は、長らく負の遺産として無用の長物になっていたのですが、20年後の平成12年(2000年)に、この橋脚を土台としたアーチ橋を架け再整備したものです。左岸の相津側に道の駅・花桃の里が設置されており、そこに車を置いて往復しました。

7/16の山口・島根遠征の時に、岩国市錦町の深須局にて、未成線の岩日北線の話をした際に、地元の佐久間線のこの橋脚のことを思い出していて、久しぶりに『夢のかけ橋』を見学してみようと思ったからでした。

船明ダム湖の湖面では、天竜ボート場を拠点としたカヌーの練習をしていて、それなりに賑やかでしたが、湖の色が濁っていて、そこのところはイマイチなものでした。

まったくの思い付きで、よりによって猛暑の日(天竜35.5℃)に訪問したものですから、景色を心から楽しむことは出来ず、ここはまた後日、例えば紅葉の頃とかに訪問してみても良いと思いました。

※写真は、上が「↑ 月 3km」の青看板。下が『夢のかけ橋』。

2019年4月12日 (金)

730.浜松市行政区再編の住民投票の結果

浜松市では統一地方選挙の投票が4/7(日)に行われ、同時に行政区再編を問う住民投票も実施されました。

浜松市長選・静岡県議選・浜松市議選及び住民投票の4種類の投票が同時に実施されたのですが、私の住む浜北区は、県議選(定数2)と市議選(定数5)がともに無投票でしたので、投票したのは市長選と住民投票でした。

市長選の結果は、現職の鈴木康友氏の4選となり、この方は行政区再編推進論者であります。

Photo_11 そして、住民投票の開票結果ですが、

「3区案」に賛成              132,249     40.99%

「3区案」に反対、「区再編」に賛成    31,722      9.83%

「3区案」に反対、「区再編」に反対   158,629     49.17%

▽投票総数      360,256    ▽有効投票数     322,600   ▽無効投票数     37,656

私の立場は、2番目の反対・賛成です。(詳しくは、NO.518NO.698 を参照してください。カテゴリ:遠州ネタより入れます。)

NO.698で、もう少し熟考する旨を書いていたのですが、当初の6つの案からF案一つに絞られたものを、どうしても賛成する気になりませんでした。つまり、F案以外の「区再編」を良しとしたのです。

で、この結果では反対・反対の「区再編をしない」票が多数を占めたと見る事ができるのでしょうが、区再編を選挙公約に挙げていた鈴木康友市長は、「区再編・賛成」が過半数を占めたと言い出しているのです。つまり、1番目と2番目の合計が50%を超えたというのです。

これって、どうなのでしょうか?私も選んだ反対・賛成の票が、都合良く解釈されていませんか?

反対・賛成の票というのは「もう一度、再編案を見直して、しっかり検討してくれ」というものです。と同時に「浜北区」「天竜区」以外の「中区・東区・西区・南区・北区」を一つの区にする(=これを「3区案」という)のには、明確にノー(反対)を突き付けたのです。

ですから「F案以外の5つの案をもう一度検討してみてください」というものですが、「区再編」賛成の中の割合は19.35%に過ぎず、F案(=3区案)賛成の割合は80.65%もあるため、「区再編」を推し進めた場合、このままF案で押し切られそうです。

ただし「3区案」反対の票は59%であるのは、疑いのないところです。ですから、F案以外のA案からE案もしくは、新案により、議論を推し進めてもらいたいものです。「3区案」を完全に葬り去るためには、3番目の反対・反対とするのが良かったのかなと、今更ながら、失敗したんじゃないかなと思うこの頃です。

※文字だけで話を展開したために、少しわかりづらかったかもしれません。NO.518とNO.698の添付地図を、今一度ご覧になっていただければ、理解が深まるかもしれません。

2019年4月 8日 (月)

729.今年のお花見は船明ダムの桜と気賀の姫様道中の予定が・・・

4/6(土)に、お花見休暇を取り、妻とお花見を実施しました。

まずは、岩水寺さくらの里へ。ここは、知られざるお花見スポットです。

地元・浜松市浜北区に根堅遺跡という旧石器時代の遺跡があり、ここで発見された「浜北人」と命名された人骨は、大変貴重な人骨として東京大学総合研究博物館に保存されているそうです。

で、この根堅遺跡の場所を確認すべく訪問してみると、ここに150から250本ほどの桜が植えられていたのを発見したところだったのです。これは、つい3週間前のことです。

Photo_10 土曜日だというのに、見物客はまばらで、ゆっくりと観賞したのでした。そして翌4/7(日)には、90歳・84歳の同居両親も、市長選挙への投票のついでに、(この二人は、自力では投票所に行けなくなっていて、車で乗せていったついでに)お花見に連れ出しました。

で、次は船明ダムの桜及び細江町気賀の姫様道中の予定でしたが、船明ダムが天竜区で発生していた山火事の影響で現地まで行ったのに、見学できなくなってしまい、仕方なくプランBに変更することにいたしました。

プランBとは、天竜川をさらに北上して、秋葉ダムの千本桜見学及び水窪町の高根城への登城及び三遠南信道路の新規開通区間(佐久間川合IC・東栄IC間)の実走というものです。秋葉ダムの千本桜はお花見ですが、それ以降はこの時期に行く必然性はないものでした。

この高根城行きは、同行の妻がかねてより希望していたもので、今回のお花見旅行は、妻のご機嫌取りの要素の大きいものですので、ここは従うしかありません。標高420㍍の山際にある高根城は、先の大河ドラマ『井伊直虎』のロケが行われた場所ですが、ちょっとしたピクニック旅行になってしまいました。

当初の船明ダム・姫様道中をプランAとすると、その総走行㌔は約55㌔。対するプランBは約140㌔となり、約2.5倍の誤算の旅となりました。

※写真は、秋葉ダム千本桜前の記念写真。

2019年3月 1日 (金)

719.北遠本線とS型鉄橋

遠鉄電車の終点である西鹿島駅から水窪町までの路線バスがあります。北遠本線といい、現在の遠鉄バス路線の中では、高速バスを除いては最長の営業㌔・約50㌔を走る路線です。

Photo_3 この北遠本線が今年10月に廃止となることになり、その前に一度乗車しておこうと、去る2/26(火)に実車してきました。一日5往復しており、西鹿島駅を9:47発の第二便に乗り込みました。

春野方面との分岐点である山東(やまひがし)バス停からは、私を含め2人のみで、この状態が終点近くの佐久間町城西(しろにし)地区まで延々と続きました。それでも、城西地区の5つのバス停では各1人が乗車し、このあたりは水窪町の生活圏であることが、良くわかりました。

始発の西鹿島駅から1時間36分を要して、終点の水窪町バス停には定時の11:23に到着しました。すぐに‘スーパーやまみち’で少しばかりの食料を調達し、合併したばかりの浜松いわた信金水窪支店に記念訪問したあとは、5㌔ほど下流にある佐久間町の城西郵便局に向かって歩きました。最寄りの水窪郵便局は、公式訪問でも4度伺っていますので、今回はパスした次第です。

城西郵便局はH12.6.21に、まだ通算局数が213局目の時に貯金をしており、18年半ぶりの訪問でした。その際には、S型鉄橋のことや、水窪町に程近い城西地区が、どうして佐久間町なのかを当時の局長に伺った覚えがありました。

Photo_2 すなわち昭和の大合併の際には、佐久間ダムの建設需要で佐久間の街が輝いて見えたとのことでした。そのため、中学生は自転車で10分ほどの水窪中学校に通うことなく、飯田線での電車通学で佐久間中学校に通うとのこと。今や、城西小学校も廃校になり、小学生も電車通学をしています。

その後は、城西駅手前のS型鉄橋(別名:渡らずの鉄橋)を撮影し、城西駅から飯田線で2時間17分かけて豊橋に出て、豊橋・新所原間を東海道本線で9分乗車し、天竜浜名湖鉄道(天浜線)にて1時間11分かけて西鹿島駅に戻り、遠鉄電車にて帰宅しました。

今回の旅は、バス旅メインのつもりでしたが、後段のレール旅の方に費やす時間が多かった鉄旅でした。

※写真は、上が終点・水窪町バス停、下がS型鉄橋。

2018年12月20日 (木)

698.浜松市の行政区再編案は住民投票へ

本日は、地元・浜松市の行政区再編について、その後の状況をお伝えいまします。

AからFまでの6案(NO518参照)を、浜松市と市議会が色々と検討していった結果、来年4月に住民投票でその是非を問うことになりました。

私も長い事浜松市民をやっていますが、住民投票で議論に参加するのは、おそらく初めてではないかと思います。市長も議会も、思い切った手段を取ったものです。

で、話はここからなのですが、その是非を問う内容については、

(1)新3区案での区再編を2021.1.1までに行うこと。 賛成・反対

(1)で反対したもののみ、(2)区の再編を同年までに行うこと。 賛成・反対

となっています。

Photo_3 少しわかりずらいですが、(1)で新3区案で良いですか?を問い、反対のものは再編そのものを行うことに賛成ですか?反対ですか?

となるのです。

すなわち、浜松市と議会は、AからFまであった6案のうち、F案に絞って市民に問うことにしたのです。

では、F案とはどんなものでしょうか?添付した図を見て下さい。添付の地図のとおりですが、現行の天竜区と浜北区はそのままの区割りとしておき、残りの中区・東区・南区・西区・北区の5つの区をひとつにまとめるというものです。

これはもう大問題ですよね。A区(中区などの5区)の人口671,788人、B区(=浜北区)の人口95,900人、C区(=天竜区)の人口30,292人なのです。

C区の人口が一桁間違えていませんか?と突っ込みたくなるかもしれませんが、山間部のみですのでこんなものです。早晩3万人を割ることでしょう。

それよりも問題なのはA区です。67万人と巨大な区割りをしたものです。平成の大合併前の浜松市全域と舞阪町・雄踏町・三ヶ日町・細江町・引佐町のエリアを全て含んで、一つの区とする案を提示してきたのです。

ありていに言えば、東区から北区までの4つの区役所を廃止して、経費の削減をしていきましょう、という案ですね。

これはどんなものでしょうかね。幸か不幸か私の住む浜北区は温存されますので、この住民投票案でも傍観者でいられるのですが、A区の住民はどういう反応を示すのでしょうか?

問題の住民投票は来年の統一地方選挙と同時に行われるとのことですので、投票する側としては、もう少し熟考する時間があります。私も、ハッキリとした考えがまとまり次第、こちらのブログで展開したいと思いますので、今日はここまでとしておきます。

※地図は毎日新聞からの転載。

2018年4月 8日 (日)

628.旧・大野分校跡地の桜

4/5(木)に桜見学をしてきました。

今年の桜見学は、諸事情により、なかなかその機会を得ることが出来ずに、里の桜はほぼ終わってしまいましたが、4/5にようやく時間が取れ、地元新聞に満開を知らせる記事が載っていた天竜区水窪町の旧・大野分校の桜を見学してきました。

浜松市市街地の北部に位置する浜北区の自宅より、約70㌔・2時間もかかりました。

自宅より東方面では三島あたりへ、西なら四日市あたりへ行く事の出来る時間ですが、ここも間違いなく浜松市内なのです。

Photo

当日は、自宅を8:40に出発して、船明ダムを超えてすぐの、月集落入口に掲出されている「月まで3㌔」の有名な青看板を9:40頃に撮影しました。

さらに進み、秋葉ダム北側より、国道152号崩落の為に対岸の県道に迂回し、ここは片側通行で15分ほど時間待ちをしました。

そこからは、水窪の町まで国道152号を進みますが、以前に比べてトンネルなどでショートカットされており、時間は短縮されてきたように思いました。

水窪の町を過ぎ、ロックフィルダムで知られる水窪ダム方面へ進み、分岐点を直進して山裾を登っていくと大野集落がありました。

この大野集落の出身の方々は、分校の桜が満開の時に毎年里帰りして、桜を愛でるそうです。そらく、このブログのアップされる8日かと推察いたします。とても、良い習慣であると思います。(※)

大野分校で20分ほどお花見をし、その後水窪ダムに立ち寄り後、水窪の町で昼食をとりました。町で唯一といってよい食事施設は、賑わっていました。

水窪郵便局で記念貯金をしたあとは、天竜川に架かる原田橋が崩落したために、川原を使った臨時の橋を通行して浦川・東栄方面に進みました。この臨時の橋は、雨が多く降ると通行止めになる、いわゆる沈下橋といってよいでしょう。上流の佐久間ダムが放水するときも、もちろん通行止めになります。

その後、三遠南信道路の無料区間を通って帰宅しました。原田橋に変わる臨時の橋のところからは60㌔65分ほどの道のりでした。

※8日の地元紙・朝刊によりますと、7日に、ざっと60人の地元民・元地元民が集まり花見会が開催されたとのことでした。こちらは、樹齢170年の山桜ということです。

2018年3月 6日 (火)

619.新野左馬助公展示館と浜岡砂丘・白砂公園

今年の長い冬がようやく終わりを告げる気候になってきました。いわゆる三寒四温というパターンの気候です。

3/1(木)は、春を感じるために、御前崎市まで遠出をしてきました。妻のご機嫌取りを兼ねてものです。

まずは、御前崎市新野の新野左馬助公展示館へ。自宅からは車で1時間ほどかかりました。

Photo_2 昨年1年間放映されたNHK大河ドラマ『おんな城主・直虎』(=井伊直虎)において、直虎の伯父として、虎松(=のちの井伊直政)の父・直親が今川方に誅殺された直後に、左馬助は虎松の助命を嘆願し、保護したのです。

いわば、井伊家の断絶を守ったのが新野左馬助であります。井伊家が継続し、幕末に大老となった直弼の代に、直弼の異母兄・井伊中守が新野家を再興するという、井伊家の報恩の念を知ることができます。

その後、近くの新野簡易郵便局を再訪しました。ここは、6年ほど前に新しく貯金業務を開始した際に訪問していますが、ログハウス風の局舎が印象的です。局長氏によると、自宅もログハウス風の造りで、両方とも自分で作ったとのことです。

そして、あらさわふるさと公園及び浜岡砂丘・白砂公園に移動し、春を先取りして感じる事ができる河津桜の見物をしてきました。

こちらは、今年の寒さの影響で、2分から5分咲きといったところでしょうか、この週末から次の週末まで、まだまだ見頃は先のようでした。(※3.8付けの新聞に、満開となったとの記事が載ってました。3.8追加)

※写真は、新野左馬助公展示館にて。

 

2017年10月20日 (金)

579.井伊の隠し里=久留女木の棚田

このブログのアップされる10/20には、すでに岩手遠征から帰ってきていることになっていますが、その翌日ということで、岩手遠征のお話しは後日とさせてください。

今回は、10/11と12に井伊の隠し里=久留女木の棚田を訪問したお話しです。いわゆる直虎ネタです。

Photo_2 この久留女木の棚田は、NHK大河ドラマに全面協力しており、まずは昨秋の稲の収穫期にここで撮影をしており、10/11には主演の柴咲コウのクランクアップの撮影場所にもなったようです。

私は7/12に最初に訪問しており(記事NO.553参照)、その際に、稲穂が実った時期にもう一度来てみようと思っていて、休みには高知遠征をしたりで、なかなかその機会がなく、10/11の午後にようやく訪問したのですが、折悪しく大河の撮影の日と重なってしまいました。

そのため翌10/12に再びチャレンジしてきました。今度は、棚田の隅から隅まで、さらに山を越えたところにある「竜宮小僧の湧水」まで足を延ばして来ました。

当地遠州地方の稲田は9月下旬ごろから、遅くとも10/9の3連休までに刈り取られることが多いため、今回の棚田訪問が10/11・12になってしまったことは遅きに失した感があったのですが、おそらく大河ドラマの撮影協力のため、10/11の撮影予定であったために、稲刈りを遅らせていたのではないかと推察いたします。

私・稲生にとってもラッキーな方に延ばしていただき、懸案事項を無事に処理できたようで、大変有意義な一日を過ごすことができました。