2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

郵便局めぐり・北日本

2024年7月 1日 (月)

1272.道東大遠征その他の小ネタ

7月に入っても北海道ネタをやります!

前の記事で、根室国=93マルチ=根室振興局のように旧国と振興局(=以前の支庁)が一致しているのは、ここだけと述べましたが、14箇所ある振興局・総合振興局単位での完訪となると、昨年夏に達成していた留萌振興局における全32局が1番目の完訪振興局となります。

ここは天塩国=98マルチ=留萌振興局となりますが、根室振興局と違うのは、天塩国=98マルチの一部であると言うことです。それでも、14箇所の振興局・総合振興局の完訪の順番付けとしては、1番目が留萌振興局で2番目が根室振興局となります。

この度、HP上の各明細欄に東京23特別区の時と同様な完訪順番が判るような括弧書きを入れてみました。(留萌根室

Photo_20240628091701 ところで北海道は振興局と総合振興局と呼び分けて旧支庁に大小を付けていますが、個人的にはこの言い回しは嫌いです。14振興局すべてが同等であるべきです。

次に、道東大遠征における事前学習の際に、別海局と本別海局の読み方などが‘べっかい’なのか‘べつかい’なのか、良くわからないとしていましたが、現地の局員さんに尋ねると、どちらでも良いとの返答でした。別海町自身の見解も、Wikiによると‘べっかい’‘べつかい’の双方の読み方を認めるとし、公式表記を求められた場合には‘べつかい’とするとなっています。

北海道の地名は、もともとアイヌ語を日本語の漢字表記に当てはめており、どちらでも良いとの解釈が一番良いということでしょう。○○沼の読みを‘○○とう’と読むのも、‘とう’に沼と言う字を当てたのに過ぎないのでしょうから。現地でも、湖沼の‘沼’は‘ぬま’と呼ぶとおっしゃっていました。

次に、ご報告の本文中でも、国後国道・摩周国道・パイロット国道と書いており、これはカーナビでも表記されていますが、北海道の国道はどこも○○国道と読んでおり、これは言い易いし聞き取り易いと感じます。いわゆる△△街道と同じ言い回しなのかと思いますが、○○国道と言うのが北海道独特であるのが良いと思います。

Photo_20240628093001 続いて、摩周湖観光についての小ネタです。弟子屈方面から先に到着する第一展望台の駐車場は有料Pとなっていて500円取られますが、それをスルーして3㌔ほど進むと第三展望台に着きます。ここは無料です。訪問時は濃い霧がかかっていましたが、そんな朝でも500円取られるのは気分が良いものではありませんので、参考にしてください。

最後に、‘ヒグマ’や‘エゾシカ’および‘キタキツネ’との遭遇結果ですが、‘ヒグマ’には出会いませんでした。このことが一番ホッとしています。

‘エゾシカ’の子どもと思われるシカには1度出会いました。四日目の局メグ終了後に霧深い美幌峠から弟子屈の街に戻る途中のパイロット国道でした。徐行後、こちらは停車しても子ジカは気が付かず、パッシングをしたら気付いて森の中に逃げていきました。

‘キタキツネ’にも1度路上で出会いました。先の霧の摩周湖見学を終えて弟子屈局に向かう時で、道路中央のセンターラインに座っていました。こちらも停車後パッシングをしてみると、なんとキツネは寄って来ようとしたので、これを回避して進みました。だいぶヨレヨレだったので、人間に助けを求めるかのように近づいたのかもしれませんが、こちらは最終日の朝のお仕事が待っていたので、回避して後続車に任せることにしました。

こんなところが道東大遠征時の小ネタであります。この辺で、北海道関連の話題を終わることにいたします。

※写真は、上が旧標津線西春別駅。下が釧路空港のモニュメント。

2024年6月28日 (金)

1271.根室国完訪!と知床ナンバー

今回の道東大遠征において、根室国(=93マルチ)における全44局を完訪しました。記録室・その18に記載のとおりで、67番目の旧国完訪であります。

原則として各県1つの局番号(5桁番号のうちの最初の二桁のこと=マルチと呼ぶ)が当てはめられており、郵便局数の多い東京都は3つ、千葉県・神奈川県・愛知県・大阪府・兵庫県は2つの局番号が附番されているのはご存知とおりですが、北海道においては10個の局番号(=マルチ)が附番されております。

Photo_20240628091601 北海道の10個のマルチは旧国の地域区分によって附番されており、十勝国・釧路国・根室国・渡島国・後志国・胆振国・石狩国・天塩国・北見国および一つの特殊な附番として‘90マルチ’が存在しております。

‘90マルチ’は、石狩国・後志国・胆振国・日高国のうち、石狩振興局・後志総合振興局・胆振総合振興局・日高振興局の部分のようですが、今のところ私の予習の範囲外であることもあり、もう少し深掘りしていく機会が必要となります。

根室国=93マルチ=根室振興局のように、旧国と振興局(=以前の支庁)が全く一致しているのは、この根室国だけというのも今回知りました。北海道のマルチ区分は、なかなか複雑で面白そうです。またの機会に深掘りしてみたいと思います。

さて、根室国は今回の大遠征の二日目・三日目・四日目の延べ3日間で完訪としましたが、前述の記録室・その18をご覧いただくと、少ない日数で完訪している旧国がかなりあることが判ります。

Photo_20240628092701 延べ3日で完訪となったのは志摩国(32)・隠岐国(25)、延べ2日なのは若狭国(37)・安房国(46)・佐渡国(49)・淡路国(54)・対馬国(36)であり、壱岐国(14)は一日で完訪をしております。(カッコ内は完訪時局数)

次はご当地ナンバーとしての知床ナンバーについてです。

根室振興局のうち、根室市を除く地域すなわち、別海町・中標津町・標津町・羅臼町の4町と、オホーツク総合振興局のうち斜里町・清里町・小清水町の3町の計7町が交付の対象です。2020年5月からスタートしております。

これは現地の局員さんとの会話で知ったことですが、ご当地ナンバーでも市が対象地域に入っていないのは、この知床ナンバーだけだそうです。根室振興局のうちで根室市だけが釧路ナンバーであるのも、面白い話です。

本州の人間からすると、知床ナンバーを見る機会はそれほどないので、二日目のラストの別海局訪問後、別海町役場でこっそり激写しておきました(笑)。

※写真は、上が納沙布岬灯台。下が某所で見つけた知床ナンバー。

2024年6月24日 (月)

1270.北海道・道東大遠征のご報告-その3-

前の記事の続きとしては、道東大遠征の四日目からです。

中標津に連泊しての1局目は、前日の続きとなる標津忠類簡易局からのスタートです。ここの国道335号は、国後国道と言う名になっており、地図で見ると根室海峡を隔てて約20㌔先に国後島があるのですが、朝霧が漂っていて島はまったく見えません。

6局目の羅臼局のあとは、知床半島東端の岬町簡易局まで進み折り返すのですが、東端といって本当の突先の知床岬までの道路は無く、最果ての地に来たと言う実感が湧くことはありませんでした。

2_20240623174001 羅臼集落に戻り、知床横断道路にて知床峠で休憩をしましたが、折からの霧で羅臼岳は見えませんでした。羅臼集落からの登りの五合目あたりでは、羅臼岳の眺望があったのですが、写真に収めることはできませんでした。ここまで、納沙布岬・野付半島・国後島そして知床峠の眺望は、全て霧の中でした。

知床峠を下っていき、オホーツク海側の海岸沿いに出ましたが、相変わらず見通しは悪く、斜里の街中あたりからは雨が次第に強くなってきました。その後は、摩周国道と呼ばれている国道391号にて川湯局・美留和局・屈斜路局と廻り、タイムアップとなりました。

四日目は19局です。標津局を三日目に前倒ししていましたが、代わりに屈斜路局を廻れたというだけのことで、さらなる増殖はありませんでした。

タイムアップ後には、国道243号のパイロット国道を西進し、屈斜路湖の眺望を見るべく美幌峠に向かったのですが、霧が濃くなるばかりで、美幌峠に着くころには視界が20㍍ほどとなり、何もカメラに収めることはできませんでした。ただ、美幌峠に行ったという事実があるだけのことです。

Photo_20240623174101 弟子屈に宿泊後の五日目は最終日となります。釧路空港14:45発のフライトの前の13:30頃までは局メグにいそしみます。

その前に、布施明のヒット曲「霧の摩周湖」で有名な摩周湖に向かいました。布施明のデビュー2年目の曲で1966年の発売です。稲生少年10歳の時の作品ですので、遥か彼方のヒット曲なのですが、当時、無名の摩周湖を有名にした曲ですから、弟子屈町民はご当地ソングとして愛した曲であったことでしょう。ですが、文字通り摩周湖は霧の中でした。湖面すら見えず観光用看板が無ければ、何もわからない場所でした。

局メグの方は、標茶・鶴居・阿寒と牧場地を廻り、最後は大楽毛局をフィニッシュとして11局であり、これは予定通りでした。

今回の道東大遠征ではトータル98局としており、釧路総合振興局の80局中の46局(92マルチとしては、他に十勝総合振興局に属する5局あり)、根室振興局は全44局、そしてオホーツク総合振興局では8局でした。

これにて、今回の道東大遠征のご報告を終わりますが、続いてこれらに関連した記事をもう少し続けていくことにいたします。

※写真は、上が靄の中の知床峠、下が霧の摩周湖。

2024年6月21日 (金)

1269.北海道・道東大遠征のご報告-その2-

前の記事の続きは、道東大遠征の二日目からです。

初日最後の厚岸町の糸魚沢簡易局から宿泊地の根室までは、約65㌔で1時間半近くかかりました。そして、二日目の局メグの前には、本土最東端の地・納沙布岬に出向きました。

北方領土である歯舞諸島・国後島も望むことができると言う事ですが、朝霧のため視界が全く悪く、納沙布岬の立て看板と納沙布岬灯台のみが見えたのに過ぎませんでしたが、日本最東端の岬を訪問したのは間違いのないことです。

Photo_20240620193501 納沙布岬灯台では、佐賀ナンバーのオートバイライダーが来ていて、ライダーの方は50代くらいに見えましたが、フェリーを使って来ているものと思い尋ねてみると、オール陸路でここまでやってきたとのこと。これには、大変驚きました。

さて、1局目の珸瑤瑁(ごようまい)局は綺麗な建物でした。建物正面に日本最東端の郵便局と明記してあり、マニアや旅人に優しい計らいでした。この局は13年の台風で以前の建物が損壊してしまい、その1年半後に新築移転したようです。

2局目の歯舞局のあとは、根室市街地の各局を鋭意廻りましたが、途中の根室有磯局から4局ほどは、同業者と同じ時間の行動となりました。彼は徒歩でしたので、その後はお会いすることはありませんでした。

14局目の落石局を過ぎて15局目の厚床局までは約27㌔あり、この辺りから牧場地が散在するような地域に入りました。このような地域は三日目の別海町・中標津町、四日目の斜里町・清里町、五日目の標茶町・鶴居村など、今回廻った地域の大半を占めております。

Photo_20240620194001 結局、二日目は根室市の全15局と浜中町の全6局に加え、別海町の2局を滑り込んで23局でした。この日に、予定局数にプラス1局を果たしたのですが、三日目・四日目は、それを守るばかりでさらなるプラスには至りませんでした。

それというのも、これら牧場地帯に設置されている郵便局は、局間がやたらと長く、熊(ヒグマ)や鹿(エゾシカ)が飛び出てくると脅かされている上に、警察によるネズミ捕りの餌食にもなりたくないため、慎重な運転を第一として進めたことによります。

中標津に宿泊後の三日目は別海町の残りの8局と中標津町の全10局に加え、標茶町の1局と標津町の2局を廻りました。この日は21局です。上記のような理由で局数は伸びませんでした。そしてラストの標津局にて通帳更新をお願いしました、NO.124からNO.125への切り替えです。

8局目の上春別局から9局目の豊原簡易局に向かう道路では、路面で音楽を奏でるメロディーラインがありました。♪オー牧場はみどり~♪と聞こえました。

四日目以降の話に続きます。

※写真は、上が二日目1局目の珸瑤瑁郵便局。風景印も立派で茶色の面積が多かったです。下が三日目11局目の中標津東十二条簡易郵便局。駄菓子屋を兼ねていました。珍しいです。

2024年6月18日 (火)

1268.北海道・道東大遠征のご報告-その1-

6/10から14までの北海道・道東大遠征から無事に帰ってきましたので、そのご報告をいたします。

まずは現地の気候ですが、北海道でも札幌では28℃まで上がった日もあったようですが、道東においては、最高気温が20℃を上回ることはなく、まさにちょうど良い陽気でした。

そして追い風となったのは、我がベイスターズが私の前泊日の6/9から交流戦最終日の6/16まで勝ち続けているということです。道東にいる間も、自宅に帰ってきてからも勝ってばかりの7連勝なのです。今もそうなのですが、リーグ戦が再開される6/21の夜までは、ベイファンは気分上々でいられるということです。

Photo_20240620192801 いきなり脱線しましたが、道東大遠征の成果としては、予定の97局に対し1局だけプラスの98局でした。秘かには100局超えを狙っていたのですが、無理をする行動は禁物でしたので、慎重に事を進めていった結果の98局です。言い換えれば、事前に組んだ予定が正確だったということです。

それでは、順を追ってご報告をしていきましょう。

6/9(日)は前泊日でした。遠鉄電車・東海道新幹線・京浜急行にて羽田に移動し、羽田空港12:25発の釧路空港行きにて14:05よりも10分強遅れて到着し、空港連絡バスにて釧路市街地には15:40頃には到着しました。

東横インにチェックイン後、近くで夕食を摂ったのちに、北海道でメジャーなコンビニ・セイコーマートの会員カード:ペコマカードを作りました。年に2度の北海道大遠征を実施する予定であり、郡部にはセイコーマートしか無い集落が多いことから、このぺコマカードは必須アイテムです。

ポイントを貯めてどうこうすることもないのですが、セコマでペコマカードを出す喜びがあるのです。

Photo_20240620192802 6/10(月)が局メグの初日です。釧路駅前のニッポンレンタカーにて借りたのはMAZDA2という車で、北見ナンバーでした。ちょっとスタート時の加速が弱い気がしましたが、それ以外は問題ありません。

1局目を26㌔先の釧網本線塘路駅近くにある塘路局として、釧路市街地に戻り釧路町と釧路東部を廻って厚岸町まで廻りました。予定どおりの24局です。

実は、この釧路市街地をサクサク進めていけば、初日から局数プラスが出来るものと期待していたのですが、この日は五十日(ごとおび)の月曜日だったため、市街地のどの局でも順番待ちがあり、思ったほどサクサクとはいきませんでした。加えて10時半ごろから雨が降りだしてきており、市街地を抜けた先での車の走行でも、初日から飛ばすわけにはいけませんので、慎重を期した結果、予定局数に留まりました。

10局目の釧路武佐局にて北海道の250局目を、20局目の釧路太田局にて通算22,500局目を刻みました。

二日目以降は、その2に続きます。

※写真は、上が初日2局目の遠矢郵便局。北国らしい立派な造りの郵便局でした。下が初日16局目の昆布森郵便局。この頃は雨が強く降っていました。

2024年6月10日 (月)

1266.北海道・道東大遠征の事前学習

6/9(日)を前泊として、6/10から6/14までの道東大遠征を実施しております。この記事がアップされる頃には、その楽しい日々が始まっていることでしょう。

今回の道東方面への大遠征の実施は、昨年夏に留萌・天塩・名寄・士別・旭川などの道北大遠征を終えた段階で決めておりましたが、その行程表を作ったのは、今年の5月中旬と意外と遅いものでした。これは、例の医大受診を待っていたためでありますが、実施すると決めてからは、行程表については、サクサクと決めていくことができました。

事前学習としては、まず現地の天候は最高気温18℃前後・最低気温12℃前後と自宅のある浜松よりも8℃から5℃前後低いということです。風邪をひかないよう厚めの服を用意していくことにいたします。

次に釧路市と釧路町の併存のことであります。釧路東郵便局のあるあたりは、釧路市と釧路町が一体化して市街地を形成しているように見えます。

Photo_20240608200201 こちらの記事を読むと、大正期に札幌・函館・小樽・旭川・室蘭と順次区制を敷いた際に、市街地形成されたところ以外を分離して釧路村としたところから始まったようです。分村した1920年人口は釧路区35,000人に対し釧路村2,300人だったようです。

釧路村は昭和の合併で昆布森村を合併後、町制施行して釧路町となりました。釧路区の方は、大正期に市制施行したのち、長く市域に変化はなかったのですが、平成の大合併にて阿寒町・音別町が合併して、釧路町と鶴居村・白糠町が合併せずに単独自治体で残り、現在に至っております。

以下は、説明を端折りますが、‘○○沼’は‘ぬま’ではなく‘とう’と読む。根室市温根沼簡易局・別海町尾岱沼郵便局。

92マルチは釧路国管内であるが、十勝総合振興局管内の足寄町8局中4局および陸別町2局中1局の計5局も92マルチである。これらは、釧路国エリアらしい。

別海町に西春別駅前郵便局があり、それを深掘りして調べてみると、1989年に全線廃止された標津線の駅前であった。

などが判りました。

まだ良く分からないのは、「別海町」は‘べつかい’ちょうであり、その集落名としては‘べつかい’と‘ほんべっかい’とWikipediaには書いてあるのに、日本郵便では‘べっかい’郵便局と‘ほんべつかい’郵便局となっており、逆の表記である。

浜中町の霧多布半島は、島ではないか?こちらの記事によると1960年のチリ地震で半島が分断されて島になったとしております。

時間切れにより、まだまだ調べ足りない事項がたくさんありますが、そもそも何も知らない道東地方だったのですから、無になって景色を愛でながら歩みを進めてみたいと思います。それでは、行って参ります。訪問後の報告をお楽しみに!

※写真は知床峠。ネットから拝借しましたが4日目に立ち寄りますので、良い写真でしたら差し替えたいと思います。(6.24追記:靄の中で羅臼岳は見えず、差し替えることはできません。)

2024年6月 6日 (木)

1265.上信越・南東北‘落ち穂拾い’遠征のご報告-後半-

上記遠征の二日目は、鶴岡市の宿泊地から約26㌔で1局目の酒田東泉町郵便局に到着です。

ここの局は20.11.16に移転改称した局で、前日の新潟上山局以上に保留としていた期間が長く、私としては気になっていた局でしたが、今回新潟を拾い、その後仙台も拾うということで、それらに関連付けて廻ることができました。

Photo_20240604084801 駐車場が11台も置ける大きな局になっていました。と言っても、以前の酒田千日町局は記憶がなく、写真でしか確認できませんが・・・

さてここからは最上川をさかのぼっていくのですが、途中の舟形から村山までは東北中央道(無料区間)を利用しました。2局目となる仙台市青葉区の作並簡易郵便局までは、約123㌔2時間40分(休憩込み)かかりました(11:50頃)。

2局目の作並簡易郵便局は、作並局の局種変更局で本年1.24にJR作並駅構内に設置されています。作並駅も立て替えられたようで、新しい駅舎内に駅業務併設で運用されていました。

次に約15㌔ほどで3局目となる仙台錦ケ丘郵便局に向かいました(12:35頃)。この局は23.7.26に新規設置されていますが、先の作並局が23.7.1に廃止されており、その輪廻転生となります。仙台市郊外の愛子駅の南の山側に位置する新興分譲地にありました。

ここからも、ロングドライブとなります。東北道の仙台宮城ICより仙台南部道路・常磐道にて、4局目にしてラストの双葉局に向かうのですが、ちょっと時間が早かったので、手前の浪江局へ再訪後、5局目として双葉局に向かいました(15:25頃)。約120㌔2時間半(休憩込み)でした。

Photo_20240604084901 この浪江局を訪問したのは、震災から6年後の17.4.13でしたが、近くのあぶくま信金浪江支店ではちょっと良いことがありましたっけ。

今回再開した双葉局は東京電力福島第一原子力発電所のお膝元で、東日本大震災から13年を迎える今年の3.7に移転再開したものです。一連の原発閉鎖関連での基幹局としては最後の再開となる局です。随分と時間が経過してしまいました。しかしながら、まだ基幹局でない直営局や簡易局などは閉鎖されたままの局があるのも事実であります。

言い忘れましたが、作並簡易局・仙台錦ケ丘局および双葉局は同業者有りの旅でした。山形在住のSさんが休みを取ってお付き合いしてくれました。ただし、錦ケ丘局から双葉局の途中は別行動でしたが・・・

さて、双葉局近くのガソリンスタンドで給油して帰路に着きましたが、圏央道経由で約540㌔7時間50分(休憩込み)かかりました。二日目をまとめると約825㌔であり、初日と合わせて約1,520㌔の運転しっぱなしの二日間でありました。

※写真は、上が酒田東泉町郵便局。下が双葉郵便局。

2024年6月 3日 (月)

1264.上信越・南東北‘落ち穂拾い’遠征のご報告-前半-

5/29(水)・30(木)の1泊2日にて、長野・群馬・新潟と山形・宮城・福島の上信越・南東北遠征を実施してきました。

当初は、5/28・29だったのを台風1号が梅雨前線を刺激したことで、静岡・長野・群馬あたりを含む天候も芳しくないことから、1日順延しての実施となりました。

まずは初日についてです。自宅から1局目の上田市の大屋駅局までは、新東名・中部横断道・中央道にて小渕沢ICで下車して大門峠経由で向かいました。約270㌔4時間弱かかりました。

Photo_20240602184001 ここで気が付いたのは、茅野あたりから大門峠経由の上田までは国道152号であるということです。152号と言えば、地元の浜松浜北を通過する国道です。浜松から天竜・水窪に向かい、長野県の南信濃・高遠・茅野・丸子経由で上田に至る国道で、地図で見ると一直線に進むルートで、浜松・上田間は約260㌔となりますが、青崩峠と地蔵峠の2箇所の通行不能区間があり、これらを迂回するため国道151号と中央高速を使うと約400㌔8時間と出ました。

決して南信州経由で向かうことはないのですが、浜松と上田は、2箇所の通行不能区間はあるものの、一つの国道で繋がっていることが判りました。

大屋駅局は、2.26に大屋局が しなの鉄道大屋駅内に移転改称した局です。ここでは風景印と小型印をセットにして収めた大屋駅開局記念帳をいただき、それに押印して貰いました。なお、この小型印は5.31までしか押印できない期間限定ものでした。

続いて日本ロマンチック街道と名付けられた国道145号などで約78㌔2時間(休憩込み)で、2局目の中之条町の伊参(いさま)簡易局に着きました(11:25頃)。

Photo_20240602184101 伊参簡易局は、JA受託で貯金不可の簡易局から再開したもので、2年前に再開した下沢渡簡易局と同様に、風景印とポスト型はがきがある簡易局です。両方とも、ありがたく押印・購入させていただきました。

ここからは、関越道月夜野ICより一挙に新潟市内に進みます。約200㌔3時間10分(休憩込み)で新潟市中央区の新潟上山局に着きました(14:50頃)。

この新潟上山局は、22.7.4に新規設置された局でしたが、ここの局のためだけに新潟県に出掛けることは出来ないため、しばらく保留にしていたところ、長野・群馬と‘落ち穂’が発生したため、これが繋がり、1年11ヶ月遅れの‘落ち穂’回収となりました。

二日目の1局目が酒田市の局のため、新潟に長居をするわけにはいきませんが、日本海東北道(略して日東道)新潟中央IC入口で給油してすぐに北へ進みました。新潟のGSのガソリン単価は@161と安かったです。初日の宿泊先の鶴岡までは、約146㌔2時間半と長かったです。

初日をまとめると、1局目の上田市へは約270㌔、上田市から中之条町経由新潟市までが約278㌔、新潟市から宿泊先の鶴岡市までが146㌔で計694㌔となりました。

いわゆる領地巡回の旅でしたが、高速道路が多く、新潟県内などは稲の生育を目視で見張る旅のようになりました。二日目に続きます。

※写真は、上が大屋駅。下が新潟上山郵便局。

2023年11月 4日 (土)

1206.青森県の完訪について

10/26の五戸局を最後に訪問して、青森県の全345局の完訪となりました!!38府県目の完訪です。

青森県完訪までの道程は、記録室・その15にその目次が記載されております。

初訪問は、R1(2019)11.19と比較的最近で、青森県が47都道府県の中のラストの着手でした。それから足掛け5年、詳細としては3年11ヶ月にて完訪としたのですが、これまでの38府県の中では、その要した期間が6番目に早い方での完訪県でした。(記録室・その21参照)

初訪問は八戸駅前局でした。人生初の青森県入りでしたので、テンションが高めのブログ(NO.794)を書き込んでおりました。局メグの方は、岩手県の三陸北部の久慈・宮古方面へ向かう際の入口として、7局を刻んだだけでした。

Photo_20231031185901 翌年R2(2020)の夏には、津軽半島での3日間(NO.868NO.869参照)を過ごし、次年R3(2021)には、下北半島などで3日間(NO.965NO.966参照)を進めて、青森県に親しんできました。

またR3の秋には、岩手県完訪の前哨戦として、三戸方面を訪問してきました。(NO.1007参照)

昨年となるR4(2021)は、弘前や鰺ケ沢・深浦などの津軽地方を3日間(NO.1067NO.1068参照)にわたり訪問して、ここまでの青森県の累計が233局で、残りを114局として、今年はテーマ地域として臨みました。(その後、2局が一時閉鎖して残りは112局に。)

今年は、ご案内の通り、5/30~6/1に八戸・三沢・七戸などで62局(NO.1167NO.1168参照)廻り、残りを50局として、今回の最後の青森遠征となりました。

青森県の完訪を果たしたと言うことは、陸奥国の完訪でありますが、東北地方の完訪はもとより本州全土の完訪でもあります。もちろん、東京島嶼部での残り3島や完訪後の‘落ち穂’を拾い切れていない数局もありますが、一つの節目を迎えたことは間違いのないことであります。

今後は、北は北海道、南は九州・沖縄と、遠方のみが残っていることになりますが、稲生の野望を達成するのに、近道はありません。コツコツと一歩一歩 いや 一局一局 歩を進めていくのみであります。

※写真は、青森県の完訪局となった五戸郵便局。

2023年10月31日 (火)

1205.最後の青森遠征のご報告-その2-

前の記事で、旧・浪岡町について、南津軽郡所属だったのが、東津軽郡であった青森市に合併してしまったことを書きましたが、東津軽郡と北津軽郡・南津軽郡・中津軽郡からなる津軽平野の境には分水嶺があり、東津軽郡・青森市側からは、岩木山が見えません。

それに対し津軽平野側からは、深浦町あたりを除いて、天気さえ良ければ岩木山を拝むことができます。浪岡あたりのりんご畑からも岩木山が良く見えました。

Photo_20231028165301 旧・浪岡町と青森市の境目には青森空港が出来ており、それの繋がりで勢いのある青森市と一緒になったようです。おかげで、浪岡警察署は青森南警察署と名称変更しております。岩木山が見える津軽平野にあるのだから、南隣の黒石市と合併しても良さそうなものですが、財政力豊かな都市になびくのは、いずれ地域でも同じようです。

さて、前の記事の続きです。

二日目の20局目の黒石市の温湯(ぬるゆ)局からは、国道102号で十和田湖北側まで進み、西岸沿いの国道454号を進んで、約44㌔50分の予定でしたが、国道454号が通行止めになっており、十和田湖北側から東岸沿いを進む国道102号・103号で最終局の十和田湖郵便局に向かうことになったため、約55㌔70分かかってしまい15:50過ぎのギリギリの到着になってしまいました。

そのため予定では15:20には局メグを終了し、その後十和田湖・奥入瀬渓谷の紅葉を愛でるつもりでしたが、その余裕はなく、十和田湖はともかく、奥入瀬渓谷に至っては、日没後の適当な写真撮影のみとなってしまいました。

Photo_20231028165302 十和田市街地のルートイン宿泊後の三日目は、奥入瀬渓谷の起点となっている十和田湖温泉郷の焼山局よりスタートし、十和田市内の残部7局及び五戸町の3局の計11局を廻って早めの終了としました。

五戸町の3局を順序良く廻ると一番東側の上市川局がラストとなるのですが、青森県のラストの局ですので、ここは敢えて遠回りをしてラストを五戸局といたしました。

今回の青森遠征を整理しますと、初日は18局、二日目は21局、三日目は11局の50局であり、これにより青森県で貯金可能な345局を廻り終えたことになります。ということで、青森県の完訪であります。

それでも、直営局としては、前述した青森橋本局の1局、簡易局は17局が一時閉鎖中です。(17局のうち4局は訪問済み)すなわち、一時閉鎖中の局で、その去就が気になる局が14局もあるため、‘落ち葉’の発生する確率は限りなく多いという状況での一応の完訪であります。

次の記事では、青森県の完訪の道程を振り返ってみることにいたします。

※写真は、上が日没後の奥入瀬渓谷。下が十和田西二十二番郵便局。

より以前の記事一覧