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郵便局めぐり・北日本

2026年7月20日 (月)

1471.釧路総合振興局!釧路国(‘92’マルチ)完訪!!

今回の北海道・道東大遠征において、表記の完訪を果たしました。

釧路総合振興局は、14ある総合振興局・振興局の中で7箇所目の完訪であります。R5.8.23に留萌、R6.6.13に根室、R6.10.4に檜山、R7.6.11に宗谷、R7.10.3に後志、R8.5.21に渡島と順調に完訪を進めてきました。

Photo_20260719162101 14分の7箇所目の完訪ですので、ちょっと話を広げてみます。

各振興局・総合振興局の完訪時局数は、留萌が32局、根室が44局、檜山が36局、宗谷が44局、後志が99局、渡島が138局そして釧路が80局です。

7つのうち、1箇所目から3箇所目の留萌・根室・檜山は振興局で、4箇所目から7箇所目の宗谷・後志・渡島・釧路は総合振興局です。完訪するということは、全てを廻るということですので、小さなところから完訪がなされるのは、至極当然のことであります。

残る7つの総合振興局・振興局は、当然ながら大きな局数を有しており、なかなか一筋縄では行かないところです。稲生調べによると、オホーツク総合振興局管内には126局、上川総合振興局管内には150局、十勝総合振興局管内には110局あり、オホーツクでは残り71局、上川では残り72局、十勝に至っては15局しか廻っていないため95局が残っています。

そして何といっても大票田があるのは石狩振興局です。札幌市が239局を有し、江別市・石狩市・千歳市などの71局を加えて計310局となっており、そのうち訪問済みなのが、札幌市で47局、石狩市で全15局など計70局のみであり、ここを制した際が北海道の完訪を果たすときであるはずです。

Photo_20260719163101 次に釧路国の完訪についてですが、ここで気を付けなくてはいけないのは、十勝総合振興局管内の足寄町に4局、陸別町に1局の‘92’マルチの局があり、これらを含めて85局が釧路国のエリアであり、そこの完訪に至ったということです。

北海道の旧国は、千島国を除いて10国あり、最初に根室国の全44局を、次に天塩国の全71局、後志国の全99局、渡島国の全150局を完訪していき、今回の釧路国の全85局完訪が5箇所目となりました。

ちょうど半分の5国の完訪なのですが、胆振国は全149局のうち18局のみ、日高国は未訪、石狩国は石狩振興局・空知総合振興局・上川総合振興局(一部天塩国・胆振国のエリアあり)から成り立っており、まだ正確に数え切っていませんが、物凄い局数であることに間違いありません。

今回は、統計的な手法で話しを展開してみました。ためになりましたか?それほどでもなかったですね。

※地図は、上が釧路総合振興局のエリア。下が釧路国の当初のエリアを示したもの。地図上の現在の美幌町・津別町のエリアは発足12年後に北見国に編入されている。詳細は釧路国Wikiを参照してください。

2026年7月17日 (金)

1470.北海道・道東大遠征のご報告-その3-

前の記事の続きです。

最初に言い忘れていましたが、今回の遠征時の天候は、曇り時々晴れの日々で、最高気温20℃から22℃で最低気温は15℃程度の過ごしやすい陽気で、梅雨空の本州から逃避してきており、緑の季節に緑の大地をドライブしており、爽やかで気分上々な日々を送ってきました。

Photo_20260716160601 釧路市内に宿泊後の四日目(最終日)は、釧路市街地の中部・西部で24局を廻り、庶路・白糠・音別と初日にスルーしていた局を廻りました。計30局です。すでに釧路町に隣接する釧路市東部は、前回の道東大遠征の際に9局廻っております。

1局目を8年前に新規設置されたイオンモール釧路昭和内局としました。こういったモール内の局は、混みあわないうちに廻るのが吉であります。

11局目としてフィッシャーマンズワーフ局を訪問しました。10~17時の時間スライド局ですが、この日は最終日のため帰路を急ぐと言うこともあり、この恩恵を使うことなく、通常の順番通りに訪問しました。観光客用の魚市場仕様の店舗の中にあり、局前には丸型ポストが鎮座しており、激写してFacebookの丸型ポストの会に投稿しておきました。

釧路総合振興局管内の67局の直営局を対象に風景印巡りというのを、昨年8.1より今年7.31まで開催しており、そのための台帳を1冊2,000円で販売していました。少し拝見させていただきましたが、中身は各局の歴史など大変充実した詳しいものでした。私も北海道在住なら、このイベントに参加してみたいと思いました。

Photo_20260716160701 15局目にゆうちょ銀行釧路店を訪問しましたが、ゆうちょ銀行への訪問も累計231局目となり、残りは3店舗となりました。札幌東・帯広・那覇です。余談ですが、旭川には中央郵便局があるのに、ゆうちょ銀行化しておりません。これは謎であります。

ラストの音別局は音別町が平成の大合併時に、隣の白糠町ではなく釧路市と合併したため、釧路市の飛び地となっております。それがどうしたとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、マニアにはチェックしておくべきポイントなのであります。

音別局を最後に訪問して、釧路総合振興局管内の80局ならびに釧路国・‘92’マルチとしての85局を完訪としました。

音別局のあとは、釧路市街地の星が浦あたりまで戻り、モダ石油釧路店で給油後、約16㌔離れたニッポンレンタカー釧路空港営業所に返却しました。

釧路空港は二回目の利用であり、前回は空港入口のたんちょうの像の写真を撮って喜んだのですが、よく見ると牧場の牛の親子や魚を捕獲した大型フクロウやヒグマの親子やエゾシカの親子もそれぞれ設置されており、激写してみました。サイズが小さいですが、こちらからご覧ください。

以上で、4日間にわたる道東大遠征のご報告を終わらせていただきます。

※写真は、上がイオンモール釧路昭和内にあったぽすくま。下がフィッシャーマンズワーフ局前の丸型ポスト。

2026年7月14日 (火)

1469.北海道・道東大遠征のご報告-その2-

前の記事の続きです。

北見市街地に宿泊後の三日目は、37㌔先の女満別局を1局目として、北見市に合併した常呂・端野を経て美幌市街地に入ります。4局目の常呂局の局前のポストは、カーリングの街らしくストーンが鎮座していました。

Photo_20260713164701 8局目となる上仁頃簡易局(99775)では、にわかに信じられないことを伺いました。何年か前の話ですが、ある局メグ家が為替番号順に訪問してきて、当時の最後がこの上仁頃簡易局だったとのことです。東京の00001番から順番に廻ってきたとのことです。

日本中の郵便局を廻り切ることが神様級のことなのに、この方は局番号順にこつこつと廻り切ったというのです。Facebookの旅行貯金のグループに、このことを投稿してみましたが、やはり反応は薄く、一つの県たとえば東京都とか愛知県とかを局番号順に廻る方はお見掛けしたことがあるとのコメントをいただいたのみでした。

この受託者さんは、少なくとも上仁頃簡易局の99775までの通帳は拝見しているものの、それより前の通帳は見ていないので、結論としては北海道管内について局番号順に廻り終えたのではないか、と推察することといたしました。それほど、信じがたいお話しでありました。

さて、三日目の局メグに話を戻します。8局目の上仁頃簡易局から9局目の端野局への道が、事前に調べてきた道ではなく、北見市街地寄りの道をナビが指示をしたため、近くの北見春光局に立ち寄るかどうか迷ったのですが、11局目の美幌駅前局の12:30からの昼休み休業が気になっており、これはスルーすることにいたしました。

Photo_20260713164801 13局目の美幌南局は12局目の美幌局から数百メートルの距離にあり、近すぎると思いました。また、14局目の稲美簡易局はATMも設置してある立派な簡易局でした。

18局目の津別局の近くに24.11月から閉鎖中の津別豊永簡易局がありますが、何やら再開の動きがあるようです。ということは、もう一度津別までやってくる必要が出てきたということです。これは、痛いお話しです。

20局目の北見相生局を過ぎて、釧北(せんぽく)峠を経て、阿寒湖温泉にある阿寒湖郵便局をラストとして訪問しました。観光客も多かったのですが、エゾシカ(♀)が道路を横切ったのにはビックリしました。

阿寒湖局では、読み終えたばかりの『阿寒に果つ』の話を局員さんにしましたが、ご存じないとのこと。五十嵐淳子は知っているようでした。

ここがラストですので、お土産屋で孫のお土産に‘まりもっこり’を購入後、阿寒湖と遊覧船を写真に納めてこの日の任務を終了しました。

ということで、最終日は-その3-でのご報告となります。

※写真は、上が美幌駅前郵便局。下が阿寒湖観光船のりば。

2026年7月11日 (土)

1468.北海道・道東大遠征のご報告-その1-

7/6から9までの4日間の日程で、道東大遠征を実施して、阿寒に果てることなく(笑)、無事に帰ってきました。

概ね事前の予定通りでしたので、その明細はNO.1466で示してあるとおりであり、ここでは初日より順を追ってご報告していきましょう。

Photo_20260713144001 初日の釧路空港13:55着からのレンタカー受け取り後、14:22に出発しましたが、庶路・白糠・音別をスルーして十勝地方に入り、浦幌町の厚内局を1局目、常室簡易局を2局目としました。空港営業所から厚内局までは48㌔1時間ほどかかりました。

3局目の浦幌局は16時を2分程過ぎてしまいましたので、ATM貯金+窓口押印となりました。まあ、これは仕方がないというか、予定通りでもありました。

白糠町に宿泊後の二日目は、白糠北部の3つの簡易局を皮切りに廻っていきましたが、ここで判ったことは白糠町の計5つの簡易局は白糠町が受託者となっていることでした。これならば、町の方針が変わらない限り閉鎖はないかと推察いたしました。

3局目の北進簡易局から4局目の上浦幌局までは局間が長く、途中の釧勝(せんしょう)峠越えで約31㌔35分ほどかかりました。

5局目となる本別町の銀河線本別駅内簡易局は、2006年に廃止された本別駅を道の駅として営業している建物の中にありました。足寄町に入り、松山千春の実家の前で激写してから局メグ活動を進めました。義妹がロン毛時代の千春のファンだったため、代参としての聖地巡礼をしておきました。

Photo_20260713144201 足寄町の7局のうちの4局、陸別町の2局のうちの1局が、釧路国に属する‘92’マルチであり、釧路国および‘92’マルチを完訪するための必須なる局メグでした。

15局目の陸別局から16局目の勝山局までも局間が長く、池北(ちほく)峠越えで約39㌔45分ほどかかりました。オホーツク総合振興局管内入りです。

勝山局では、丸型ポストが入口に鎮座していました。次の置戸局も同様です。これらは、この日のうちにFacebookの丸型ポストの会にお知らせしておきました。

二日目としては20局廻りました。局間の長い二つの国を跨ぐ峠があったこともあり、局数は伸びませんでした。それでも、ラストの訓子府局は、ジャスト16時とオフサイドギリギリの好プレイでした(笑)。

三日目以降については、次回の記事となります。

※写真は、上が足寄町にある松山千春の実家。下が置戸郵便局。

2026年7月 3日 (金)

1466.北海道・道東大遠征の準備整う

来週の7/6(月)から7/9(木)の4日間は、道東大遠征です。

当初の予定では、月曜から金曜までの5日間に亘る大遠征でしたが、家庭の事情により4日間の遠征となります。それでも、4日以上の遠征を‘大遠征’と呼ぶことにしていますので、道東大遠征であることに違いはありません。

自宅に超高齢者を残して旅に出るため、‘いざ’というときはトンボ帰りが出来るようにしており、さらに留守を守る妻の手前、4日間という短縮日程としました。

年初の予定としては、NO.1419NO.1420でも触れていますが、道東大遠征においては、前泊を含み120局以上廻ることの可能な日程でしたが、これを正味4日間としたため、初日は、釧路空港に13:55に到着後は、申し訳程度に2局か3局廻るだけであり、北見に宿泊しながらも北見市内を廻ることができず、網走方面もカットすることとなり、4日間で70局程度の訪問局数となってしまう予定です。

Photo_20260630010101 正味5日間の郵便局三昧のところを、実質3日間の郵便局めぐりであります。

初日に2・3局廻って白糠に宿泊後は、二日目として白糠北部より十勝東部に入り、本別・足寄・陸別を廻った後はオホーツク総合振興局のエリアに入り置戸などで時間まで廻ります。十勝東部では、足寄町に4局、陸別町に1局、釧路総合振興局管内と同じ‘92’マルチが附番されている局がありますので、それらも必然的に廻っていくことになります。

北見市内に宿泊後の三日目は、短縮プランのため、北見市街地や網走などを泣く泣く割愛して、女満別・常呂・端野・美幌・津別と進み、現在は釧路市に編入された阿寒湖局で終了いたします。

そして最終日は、釧路市内を思いっきり廻っていきます。釧路中部・西部と廻ったあとは、庶路・白糠さらには音別を廻り終了となります。ここでようやく、釧路総合振興局管内及び釧路国の完訪となっていきます。

梅雨空の続く本州から、梅雨のない北海道に逃避した格好になりますが、果たして天候の方は吉と出るのでしょうか?6/25・26のマイカー自走での四国・中国‘落ち穂拾い’遠征を台風の影響を心配して中止しただけに、今回の道東行きは、どんな天候のもと旅を続けて行けるのか、その辺のところも重要な要素となることでしょう。

それでは、行ってくることにいたします。

 

2026年6月 3日 (水)

1458.渡島総合振興局完訪!&渡島国完訪!そして道南地方の完訪!!

少し前の北海道・道南遠征において、表記の完訪を果たしており、その話題です。

Photo_20260602013301 北海道は道北・道東・道央・道南と、4つのブロックに分けて呼称することが定番となっており、その4つのうちの1つである道南地方の完訪に至りました。

道南地方は面積・人口においても、4つのうちの最小の地方であり、広い北海道のうちの南西の角を制したのに過ぎませんが、ちょうど北海道にある貯金の出来る郵便局のうちの過半数を超えたことでもあり(※1)、一つの節目をクリアしたと言うことができるのでしょう。(※1 北海道訪問済み累計局数:735に対し 営業中の貯金取り扱い局数:1429、これに訪問後すでに廃止・一時閉鎖している局数:12あり)

改めて道南地方は、檜山振興局管内の7町と渡島総合振興局の2市9町の合わせて2市16町からなっており、檜山振興局管内の36局、渡島総合振興局管内の138局、合わせて174局を廻り切ったのでした。

2市とは函館市70局と北斗市13局であり、ほぼ半数を占めていました。残りの16町では91局となり、ゆうちょラリーで言うところの3ポイント局であります。

訪問後に廃止となってしまった局が、花石局(今金町)石倉局(森町)山越局(八雲町)と3局あり、同様に訪問後一時閉鎖となっているのが七飯大川簡易局(七飯町)の1局があります。また、訪問時も現在も一時閉鎖中の簡易局が、函館市4・松前町1・福島町1・北斗市1の計7局があります。

最後に令制国としての渡島国ですが、すでに今回の道南遠征のご報告の冒頭(ブログNO.1455)で説明しているとおりで、後志国に属する15局(=95マルチ)すなわち奥尻町4・せたな町8・今金町3(花石局を含む)および胆振国に属する9局(=96マルチ)すなわち長万部町3・八雲町のうち6(山越局を含む)を道南地方の合計174局から引いた局数である150局となります。

実は、今年の北海道訪問の本命は道東と道央の2回を実施することでしたが、もうひとつのテーマ地域の熊本が3日間のみで終了しており、それでは北海道をさらに1回廻っても良いのかと道南遠征を追加しておいたのですが(ブログNO.1420のラストの文)、諸事情により、まずは3日間で完了する道南遠征を先に実施することにしたのでした。

これも家庭の事情により、道東と道央の廻り方を、それぞれ4日間で廻っていく必要があり、当初作成した行程表を見直したうえで実施したいものと考えております。

2026年5月26日 (火)

1456.最後の道南遠征のご報告-その2-

前の記事の続きです。

二日目は、北斗市の残り2局のあとは、函館市に入り中部・南部と廻っていきました。当初は、函館市内を25局廻って行き、14:30頃には終了する予定でしたが、これではあまりにも早すぎると思い、最終日に廻る予定だった函館花園局・湯川温泉局・函館東局をコース内に入れ込み函館市内を28局としましたが、それでもこの日の最終局の函館弁天局には15:15頃の終了となりました。

Photo_20260525195101 この日のコース中には、10年前9年前のフルムーン旅行の際に、隙を見て訪問していた局が5局ありました。すなわち函館中道局、函館日乃出局・函館堀川局・函館駅前局・函館大手局の5局です。これらの再訪をする時間はあったのですが、あまり意味のないことですのでやめておきました。

函館市内を廻って感じたこととしては、市電が走り競馬場もあり、空を見上げれば飛行機(旅客機)が飛んでおり、なかなかインフラの充実した文化都市のように感じました。それでいて、人口は25万人を割っており、そのためか交通量も少ないため、局メグ的には廻りやすい都市でした。

私の住む浜松市は、人口が80万人弱と多いためか車が多く、公営ギャンブルとしてはオートレース場があるものの、空を見上げれば自衛隊のエイワックスが低空を飛んでおり、文化都市とは決して言えない都市です。

二日目は早めに終了したため市内最南端の立待岬に立ち寄ってみました。ですが風が強く、雲も湧き上がっており、今ひとつの景観でありました。

Photo_20260525195301 最終日は、函館市東部の亀尾局を1局目として、東部・北部の17局を廻っていきました。

特段のトピックスもありませんが、函館市・道南地方の最後となる日の局メグとあって、カウントダウンをしながら廻っていきました。

13:20までに予定の17局を廻り終え、モダ石油で給油をして新函館北斗駅のニッポンレンタカーには14時過ぎの返却となりました。14:48発の東京駅乗り換えにて浜松駅には20:46の到着となりました。

最後になりましたが、新函館北斗駅前に鎮座しているご当地ゆるキャラについてです。

北斗市の公式キャラクター・ずーしーほっきーと言います。北斗市の特産品ホッキ貝とふっくりんごをモチーフとしたキャラクターで、可愛さよりキモさが売りとのことです。

売店にて、孫のお土産にどうかとグッズをみてみましたが、このキモさは4歳の孫には無理ではないかと判断して、シマエナガをお土産にチョイスしてみました。

※写真は、上が最終日の8局目の函館本通郵便局。下が新函館北斗駅前のベンチに腰かけているゆるキャラ・ずーしーほっきー。

 

2026年5月23日 (土)

1455.最後の道南遠征のご報告-その1-

5/19(火)から21(木)までの3日間にて、最後の道南遠征を実施しました。

新幹線による往復にて、木古内町・北斗市及び函館市内を合わせて60局廻り、道南地方の完訪に至ったのです。

函館市の全70局、渡島総合振興局の全138局、檜山振興局管内の36局と合わせて道南地方の全174局の完訪となりました。

Photo_20260522203401 令制国としての渡島国では150局です。すなわち、道南地方(174局)-後志国のうちの檜山振興局管内(=95マルチ:15局)-胆振国のうちの渡島総合振興局管内(=96マルチ:9局)=150局なのです。

今回の60局を上乗せして、北海道の累計は735局となり、ようやく半分を超えることになりました。

それでは、順を追って振り返って行くことにします。

浜松駅発の東京行き1番は‘こだま’で、浜松駅6:20発で東京駅は8:00着です。4本目の6:58発でようやく‘ひかり’が来ますが、それは東京駅8:15着となり、私の乗車した東京駅8:18発の‘はやぶさ’には間に合いません。西行きはもっとひどいです。4本目の8:31発まで‘ひかり’はありません。こんなところが静岡県民がJR東海を毛嫌いする理由のひとつかもしれません。

いきなりのJR東海批判でしたが、東京駅発2番となる8:18発の‘はやぶさ’は、新函館北斗駅には12:15に到着しました。

Photo_20260522203601 ここからレンタカーを借りて、1局目の北斗北局には12:40頃の着手でした。2局目の渡島清川簡易局、3局目の東前簡易局は、それぞれ昨年3月・今年4月に移転再開しており、タイミングよく拾うことができました。ただし、東前簡易局へは少々道を間違えてしまいました。

9局目の渡島当別局は道南いさりび鉄道(旧JR江差線)渡島当別駅内にあり、JR東日本であれば渡島当別駅局と改称し、初日は鉄ちゃんと局メグ家で大いに賑わうケースかと想像いたしました。局前には丸型ポストが設置してあり、SNSで発信しておきました。

ラストに訪問した木古内局前にはゆるキャラ・キーコが乗っかった郵便ポストがあり、向かい側の道の駅にはキーコの口から投函できる‘キーコポスト’なるものがありました。

初日は北斗市の9局、木古内町の4局を廻り13局でした。局メグ後は函館江差道という無料の高規格道路で北斗市方面に戻りました。

というわけで、ご報告はその2に続きます。

※写真は、上が渡島当別郵便局&渡島当別駅。下がキーコポスト。

 

2026年5月19日 (火)

1454.道南地方完訪の旅、準備整う

この記事のアップされる5/19(火)は、この日から21(木)の3日間の日程で、北海道・道南地方を廻っています。

そのご報告は、帰宅後にすみやかにしていくこととなりますが、まずは予習した事柄を取り上げておくことにいたします。

道南地方の完訪となる予定の今回の遠征は、新幹線で往復して2泊3日で60局を廻ります。その中でも函館市内で45局を廻るのですが、驚くことに昼休み休業を実施している局が一つもありません。これはありがたいことです。

inukugiyaさんが作成してくれている休業時間の存在する郵便局の北海道編をみても、札幌市から旭川市・釧路市・岩見沢市など、多くの直営局でこの昼休み休業制度が適用となっている中で、函館市・北斗市では1局たりとも該当局がないという大変ありがたい地域であります。道南地方にエリアを広げると檜山地域に少々該当局があるものの、渡島地域には今のところ松前局・福島局の2局が該当するのみです。

Photo_20260516173001 次に、スタート地点となる北斗市は、北海道で一番新しい市です。と言っても平成の大合併の時期である2006(平成18)年2.1に上磯郡上磯町と亀田郡大野町の2町が合併して北斗市となったもので、すでに20年が経過しておりますが、珍しいことに合併と同時に、代表地点の郵便局名を改称しております。

上磯町にあった4局、すなわち上磯局⇒北斗局、上磯浜分局⇒北斗浜分局、上磯昭和局⇒北斗谷好局、上磯町役場内簡易局⇒北斗市役所内簡易局となり、大野町にあった大野局は北斗北局となりました。平成の大合併時には、多くの合併がありましたが、その多くは未だに旧地名を使用することが多い中(例・大宮○○局・浦和○○局、清水○○局、浜北○○局)、珍しい事例であるとinukugiyaさんもその表中で触れています。

北斗市誕生の10年後の2016(平成28)3.26に、北海道新幹線が新函館北斗駅まで開通しましたが、JR大野駅が新函館北斗駅に改称すると同時に、大野駅前局が新函館北斗駅前局に改称しております。(局名改称実施日は開業前日の16.3.25)

ついでに調べたので触れさせてください。江差信用金庫は函館信用金庫と合併して「道南うみ街信用金庫(通称:うみしん)」となりました。その合併した年月日は2017(平成29)1.23で、新幹線開業10ヶ月後でした。本店は江差町に置いてあります。道南地方には、もう一つ渡島信用金庫(通称:おしん)がありますが、本店は森町にあります。

以上の薄っぺらい事前調べは、どこかで役に立つかもしれません。いや、そうとは限りませんが・・・

それでは、訪問後の報告をお待ちください。

※写真は、五稜郭タワーから眺めた五稜郭。(16.9.30訪問)

2025年10月19日 (日)

1397.伊藤 整『雪明りの路』

当ブログ『稲生のつぶやき(ブログ)』は、本日にて14年が経過し、15年目に突入しました。これからも、ご贔屓のほどよろしくお願いいたします。

今回の道央大遠征において、初日の1局目として選んだ小樽市西部の忍路地区、及び2局目の蘭島地区、さらには最終日の1局目の塩谷地区は、抒情派詩人としてデビューした伊藤整の故郷であります。彼は、その詩集『雪明りの路』によって、世に出た詩人でありました。

『雪明りの路』は、彼の思春期の面持ちを強く打ち出し、北海道の自然や風土を歌い、女生徒との関わりを抒情的に歌った処女詩集であります。この詩集の中から男声合唱の作曲家・多田武彦先生がいくつかを選んで男声合唱組曲『雪明りの路』さらには『吹雪の街を』を作曲しており、それを歌った男声合唱団員(=グリーメン)は、その詩集を読み漁るばかりか、物語の舞台である塩谷や忍路・蘭島を訪問してみるという言わば聖地巡礼の旅をするものもいるようであります。

そもそも伊藤整なる人物は、どのような方か良くわからないかもしれませんが、戦後の文壇における「チャタレイ裁判」で起訴された人物と言えば、少しは知っている方も出てくることでしょう。この『チャタレイ夫人の恋人』は、戦中の1935年に伊藤整は翻訳しており、戦後の1950年に改めて完訳版を発行するや、大きな反響を呼んだのですが、それがわいせつ文書として摘発され裁判沙汰となった翻訳家であります。

Photo_20251018014701 それが基で、1950年代の伊藤整ブームを呼び起こした流行作家にもなったようですが、私・稲生はそこまでの文学青年ではなかったため、よく存じ上げていませんが、日本に行けるエロ文学というものを文壇に登場させた尊いお方であったようです。

その尊いお方のデビュー詩集『雪明りの路』は、純愛ものというよりも、思春期特有の鬱々とした感情を歌っており、男声合唱組曲としては青年期に入った大学合唱団員にとって、感情移入のしやすい名曲として歌い継がれているものです。私も、静岡大学グリークラブのメンバーとして『雪明りの路』を歌ったのですが、今回、忍路局と塩谷局をその日の1局目として訪問する前に、その集落の海岸部などを散策してみたのです。(※忍路局は訪問5ケ月後の26.2.28に廃止されてしまいました。:26.5.13追記)

伊藤整の徘徊した時期は大正期であり、当時は小樽の海岸部のどの集落も鰊(ニシン)漁で潤っていた頃でしたが、今も昔も寒村であるのは変わらずで、その寒々とした寒村の塩谷から、想いを寄せる彼女の住む忍路まで、徘徊を繰り返したのを、『雪明りの路』では歌っていたのでした。

多田武彦先生による男声合唱組曲『雪明りの路』は、1960年発表の作品ですが、多田先生はその19年後に男声合唱組曲『吹雪の街を』を、発表しており、これも詩集『雪明りの路』から取った6曲を歌いあげております。私・稲生が、グリークラブ卒団後の作品ながら、拙ブログNO.605にて、自己解釈をして記事にしていました。(『雪明りの路』の歌詞は こちら、『吹雪の街を』の歌詞は こちら

今回の小樽訪問は9月10月の程よい気候の時期でしたが、本当の聖地巡礼をするとしたら、吹雪の舞う1月2月の時期に塩谷から忍路まで徒歩で往復することが本当でしょうが、還暦をとっくに過ぎ、もうすぐ古希になろうとしている稲生老人は、そのような元気は毛頭もないことも事実であります。

※写真は、小樽「雪明りの路」の様子、ネットから拝借しました。伊藤整が見た大正期の『雪明りの路』とは、似て非なるものではあります。

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