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郵便局めぐり・西日本

2026年6月29日 (月)

1465.最近の小ネタ(四国・中国‘落ち穂拾い’遠征の中止・‘牟田’について・新幹線ホームドア設置)

今回は最近の小ネタです。

先週の25(木)・26(金)で予定していた四国4県と中国3県の‘落ち穂拾い’&‘マルチ捕り’遠征を中止にしました。

太平洋上を日本に向けて進んできた台風7号と8号のダブル台風が日本列島に停滞している梅雨前線を刺激して、各地に大雨をもたらしているためです。マイカー自走ですので、高速道路の閉鎖などがあれば予定が狂ってしまいますので、自重した次第です。

無職の割には、様々な予定も入っており、8月か9月頃までにリベンジして行こうかと思っております。

次に、‘牟田’という地名についてです。

先回の鹿児島遠征では、初日の7局目に鹿児島草牟田(そうむた)郵便局を訪問していますが、この‘牟田’というのは、九州特有の地名なのかなと感じています。

日本郵便のHP、郵便局・ATM・ポストをさがすで‘牟田’と検索してみると、27件の郵便局がヒットしていて、案の定、全てが九州の郵便局でした。

Photo_20260626112801 27局中、大牟田は18局、三池炭鉱の街ですから当然ですが、今回Wikiでチェックしてみると人口は10万人しかいません。炭鉱都市の衰退は激しいようです。

残りの9局の内訳は、福岡県福岡市に1局、筑前町に1局、筑後地方に2局、佐賀県に2局、熊本県上天草市に1局、鹿児島県鹿児島市に1局、薩摩川内市に1局でした。

ニシムタと言う名のスーパーセンターとホームセンターを展開している企業は、鹿児島市に本社をおいて、熊本県・宮崎県も含んで30店舗もあり、郵便局めぐりの際にも目にすることがあります。

最後は、新幹線ネタです。6/19(金)夕方に浜松駅新幹線ホームで乗客が線路に入り込み、‘のぞみ’に接触して死亡したとのニュースがありました。約3時間の運転見合わせがあり、ダイヤは大きく乱れたようです。

この人・女性と言われていますが、浜松駅においては‘のぞみ’は通過車両のため、中央部に線路があり、そこに向かって逝ったようですが、お騒がせ人物ですね。民事上の損害賠償はいかほどになってしまうのでしょうか?遺族の負担はいかばかりか?遺族を苦しめるばかりでしょう。

この事態に合わせるかのように、6/23(火)の地元新聞に、静岡県内で設置済みの熱海駅を除く5駅(三島・新富士・静岡・掛川・浜松)の新幹線ホームドアを2030年前半までに設置するとの報道がありました。

2030年前半って、いつだよ!とは思いますが、JR東海はようやく重い腰を上げたようです。

 

 

2026年6月25日 (木)

1464.小説『私は忘れない』

表題の小説『私は忘れない』についてですが、事前の予習をしている時に、有吉佐和子が黒島を舞台にした朝日新聞の連載小説を書いていたのを知りました。

地元の浜松浜北の街の大きな書店のいくつかを廻るも、その作品はなく絶版となっており、その後、浜北の図書館に在庫があり、この文庫版を借りて旅行中に読むことにしました。

Photo_20260622190001 有吉佐和子といえば、『恍惚の人』『複合汚染』などで知られる社会派小説家です。彼女の出自に関わる『紀ノ川』『華岡青洲の妻』でも知られています。53歳で病没しており、せめて後20年くらい存命ならば、どれだけ素晴らしいさらなる作品を世に出していたことか、早死にを惜しむばかりです。

本作は、そんな彼女の20代の作品でしたが、連載された昭和34年は今から60余年も前のことで、日本の世の中では高度経済成長のもと、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが三種の神器と呼ばれていた時代でしたが、舞台である黒島では、電気は日没後から3時間ほどだけつき、電話はまだなく、四日に一度やってくる鹿児島からの連絡船は、海が荒れれば欠航となり、欠航が続けばコメなどの生活物資はたちまち不足してしまうという、厳しい環境の島でした。

そんな中を小中学校の教員たちが、辺地教育の向上を目指して孤軍奮闘をしていく物語ですが、片泊集落と大里集落の伝統的な対立関係があり、私は本を読み始めた際に、例の黒島問題を頭に抱えていたこともあり、途中までで読み進めなくなってしまいました。

なんとか読了したのが黒島訪問を前に宿泊した硫黄島の夜で、この時には岐阜のK氏の出現により黒島問題は解決しており、心が晴れ晴れとしていたために、読み終えることができました。この物語は私がまだ幼児の頃の話で、黒島においても現世の話ではないことが理解できたからです。

有吉佐和子が鹿児島には縁もゆかりもない作家ですが、何ゆえに大隅諸島の小さな島・黒島を注目したのか?この辺のことも定かではありません。

物語の最初の方に、主人公がモデルとして撮影している休憩時に『忘れられた島』として、三島村の写真を目にしたことによって、後日休暇をとって訪問したなどど書かれてはいるのですが、この『忘れられた島』の写真集のアンサーとして『私は忘れない』という小説名にしたのかもしれません。

今度は『恍惚の人』を読んでみようかと思います。

2026年6月21日 (日)

1463.鹿児島・三島村遠征のご報告-その3-

それでは、三島村での訪問状況を真面目に綴ってみたいと思います。

三島村の初日は、梅雨前線の影響で終日の雨でした。それゆえ乗船前のコンビニにて、70㎝の黒いビニール傘(税込1,375円)を購入して、旅に臨みました。このコンビニ傘は、初日の竹島と硫黄島では大活躍しましたが、翌日以降は無用の長物となってしまいましたが高価でしたので、自宅まで持ち帰りました。

Photo_20260620144001 フェリーみしまは竹島に10:45に到着し、目的の場所・竹島簡易局へは11:10ごろ到着し、千円貯金をすることで任務完了です。雨ですので、他の場所への見学をすることもなく、隣の役場出張所で雨宿りをしていると、竹島滞在時間を短縮して出発するとの知らせが届きました。13:30発の予定を12:45発とするとのことです。

1年前の‘がん検診’船では、竹島に10:45に到着して15:10に出発する予定であったのを、今年の当初出発時間は13:30ということで、1時間40分も短縮しており(※)、さすがにこれ以上の時間短縮は無いだろうと油断していましたが、荒天を理由に45分前倒しして、早発するということです。(※訂正:×15:10⇒◎14:30、×1時間40分⇒◎1時間)

同行者となった岐阜のK氏は、離島めぐりゆえ、竹島の色々なところへ出向く予定だったそうですが、雨脚が強く早めに出張所に退避して来られたために、この下船後に知らされた早発対応にも対処できました。これは良かったです。何しろ私の黒島におけるアッシーとなる方でしたので。

竹島を出航して40分後の13:25には2島目の硫黄島に到着しました。この時間に到着して貰っても目的の場所・硫黄島局は、13時から14時までは昼休み休憩の時間なので、港の待合所で時間を潰した後に、平家ゆかりの俊寛が流された島にちなむ俊寛像を見学して、時間を見計らって硫黄島局を訪問しました。その後、私は早々に宿泊先にチェックインしたのは、言うまでもありません。

Photo_20260620144501 この俊寛の流刑地は、三島村の硫黄島以外に、奄美群島の喜界島、長崎県の伊王島との説があるとのことで、同行のK氏から見事な解説をしていただきました。さすが元・高校の日本史の教師であります。

三島村の二日目は、硫黄島を8:50に出航して黒島大里港には10:00に到着しました。この日は昨夜からの雨は上がり、曇りのち晴れの程よい天候でした。

港に宿の方の迎えがあり、チェックイン後に、まずは大里簡易局を訪問しました。その後は、黒島の観光として、黒島平和公園・平等大彗会妙塔・有吉佐和子文学碑を廻った後に片泊方面へ。中間点にある焼酎工場は写真のみで、片泊集落内の最初に位置していた片泊簡易局を訪問し、私の目的は果たすことができたのでした。

その後もイパドンの墓・白衣観音像と観光をして、大里の宿泊地に帰ってきました。私は、ここまでで、K氏はさらに大里集落内の何箇所かを見て廻ったようです。

最終日は、帰路となり詳細は省きますが、帰りに寄港した硫黄島でのジャンベ演奏は、なかなか見事なのものでした。往路が雨であったため、復路で実施してくれたようです。

それから、黒島での出来事を小説にした有吉佐和子の『私は忘れない』は、昭和33年当時の電信・電話も繋がっていない時代の話でしたが、私は図書館で借りて、遠征中に読んでみました。今から60年以上前の話であり、ある意味時代物の小説でした。

以上の三島村での写真等々は、 こちら でご覧ください。

※写真は、上が硫黄島にある俊寛像。下が黒島にある有吉佐和子顕彰碑(『私は忘れない』)。

2026年6月18日 (木)

1462.鹿児島・三島村遠征のご報告-その2-

前の記事の続きです。

まずは、黒島問題について詳しくお話しいたします。黒島には大里と片泊の2つの集落があり、それぞれ簡易郵便局が設置されています。両局間の道のりは約7.3㌔とかなり離れています。

黒島はフェリーみしまの‘がん検診便’の二日目に廻るのですが、島にある大里と片泊の2つの集落にある簡易郵便局を廻るためには、①徒歩で向かう②レンタサイクルで廻る③レンタカーを借りて廻る④ヒッチハイクなどをして便乗をする の4つの選択肢があるかと思います。

3_20260616201801 ②レンタサイクルは、乗り捨てが出来るのかもわかりませんでしたが、少し前に村の事業が廃止になっていました。③レンタカーについては、宿泊先の宿で借りることができるかもしれませんが、今回宿は確保できたもののレンタカーは借りられませんでした。④ヒッチハイクなどは、これは当日になってやってみなければわかりません。果たして古希を迎えるジジイを憐れんで乗せてくれる車があるのか?①徒歩で向かうしかないようです。

通常の体力・脚力を持った者には、7.3㌔を歩くのはそれほど苦にならないかと思いますが、両足人工股関節でメタボ気味の老人には、相当の覚悟のもとに、歩き出していかないと身体が持たないのです。

ということで、フェリーみしまに乗り込む足も心なしかおぼつかなく、ここは何時間かかかってでも、頑張って歩くしかないことを覚悟して鹿児島港を出航したのでした。

ですがフェリーみしま船内で、黒島問題を解決できる奇跡が生まれました。鹿児島港の切符売場で私のすぐ前で購入した方は、同世代の男性一人旅の方のようで、船内で会話を交わしてみると、黒島大里にてレンタカーを借りていることが判りました。ここで素早く、片泊までの便乗を願い出ると、快諾していただけたのでした。私の曇った眼鏡が、一気に晴れ渡った瞬間でした。

Photo_20260616201901 この方は、離島めぐりをしている方で、私より3歳年下の方でした。私のジャンルである郵便局めぐりをしている方と出会ったことが無かったそうで、フェリーみしま船中では、おおいに話が弾みました。共に昨年訪問していた青ケ島のことや私がまだ訪問出来ていないトカラ列島のことなどなど、話はつきませんでした。

結局、フェリーみしま船内では、初日の鹿児島港から竹島・硫黄島まで、二日目の黒島まで、帰路となった最終日の鹿児島港まで、さらには二日目のレンタカーでの車中に加えて大里は同宿だったため(※)、今回の三島村めぐりでは9割以上の同一行動となりました。(※この方が先にレンタカーを借りていたため、私は借りられなかったようです。)

道中の二日目には、この方は岐阜の方でしたが、私・稲生と同窓の静岡大学の出身であり、しかも同じ人文学部であることが判明し、静大時代の話題まで及び、さらには、帰りの鹿児島空港からセントレアの便まで同じでした。

こんな出会いって本当にあるものなのですね。『事実は小説より奇なり』をまさに体験した旅でした。

おっと、訪問記が一向に進んでいませんでした。仕方がありません。その3に続くことにします。

※写真は、上が三島村3島の地図看板。下ががん検診車(竹島にて)。 

2026年6月15日 (月)

1461.鹿児島・三島村遠征のご報告-その1-

6/8(月)から11(木)までの4日間は、鹿児島遠征を実施しました。

具体的には、初日は鹿児島市内、二日目から3日間は、フェリーみしまにて三島村の3島(竹島・硫黄島・黒島)を巡ってきました。最終日は鹿児島港に15時に到着しており、鹿児島の街中で2局を刻みました。(訪問詳細は こちら と こちら

Photo_20260613203701 主目的は三島村の3島4局ですが、これが難易度が高く、通常ダイヤでは3島にそれぞれ別日に別ダイヤを使い、都合3回宿泊して廻るしかないところを、年に一度実施する‘がん検診ダイヤ’により、現地2泊をすることで一度の訪問で済むというものです。

私は1ヶ月半前のGW期間に宿泊の予約電話をしましたが、当然のことながら、この短縮便に便乗して旅する方々も多く、硫黄島と黒島で宿泊を希望したのですが、すでに‘がん検診’関係者と便乗者の宿泊がされていて、満室で断られることが多く、それでもなんとか硫黄島と黒島大里にて宿泊予約がとれたのでした。

それでは初日より順を追って、ご報告することにいたします。

フェリーみしまは6/9の鹿児島港7:45発のため、前日にあたる6/8は鹿児島市内の郵便局めぐりです。セントレアからの鹿児島便は定刻より5分早い9:25に到着しました。レンタカーにて九州自動車道を使い、1局目とした武岡ハイランド局には10:40の到着です。

Photo_20260613203801 昨年12/16にも同じ方法で鹿児島市内を廻っており、今回はその続きからのスタートです。前回は鹿児島谷山北部・鹿児島西南部で21局廻っていますが、今回は鹿児島中部であり23局廻ることができました。

街中の局が多かったので、駐車場にはそれなりに苦労をしております。それに いづろ通り・天文館通り周辺の4局は、今回はスルーをしております。街中過ぎて、徒歩で巡るべき場所ですので。

天文館の東横インに宿泊後の二日目は、鹿児島港7:45出航のフェリーみしまに乗船すべく、6時半にはチェックアウトして途中のコンビニで朝食・昼食用の軽食を購入し、コンビニ傘も少々立派なものを購入しました。この日は天候が悪く、トカラ列島の十島村にはレベル4の気象警報が出ており、その北方にある三島村も梅雨時の雨となっていたのです。

そしてフェリーみしまは定刻の7:45発に、1島目の竹島に向けて出航し、3時間後の10:45には無事に竹島に着きました。

実は、3島目の黒島には東西に離れた集落に2局が位置しており、この2局間をどのように廻っていくかの黒島問題があるのですが、これについてはフェリーみしま船内において、見事に解決をしております。黒島問題を含む三島村での詳細は、次回のご報告となります。

※写真は、上が武岡ハイランド郵便局。下がフェリーみしま、竹島にて。

2026年5月11日 (月)

1452.肥後国完訪!その他のお話し

熊本県完訪ということは肥後国の完訪でもあります。

肥後国=熊本県は、水系としては基本的に島原湾・八代海及び東シナ海に注ぐのですが、阿蘇郡小国町・南小国町は大分県日田市・福岡県久留米市を通過する筑後川水系として有明海に注ぎます。小国町・南小国町には9局が存在しています。

阿蘇郡産山村・阿蘇市波野・阿蘇郡高森町東部・上益城郡山都町蘇陽などは、大分県竹田市・豊後大野市を通過する大野川水系として別府湾に注ぎ、もしくは宮崎県高千穂町・延岡市を通過する五ヶ瀬川水系として日向灘に注いで行きます。大野川水系側には4局が、五ヶ瀬川水系側にも4局が存在しています。

Photo_20260509200701 そして球磨郡多良木町槻木は、宮崎県綾町・宮崎市を通過する大淀川水系として日向灘に注いでおり、ここには1局存在しており、槻木峠の往復にて訪問しています。

熊本県は概ね東シナ海側にある県なのですが、郵便局めぐりを実施していく中で、一部は別府湾・日向灘側に注ぐ川があるという事実を知りました。

次に、熊本県の全557局を廻ったのですが、既に11局少ない546局になっております。これは記録室・その22をみていただくと判ります。(5/30閉鎖予定の樋合簡易局を含む)

また、未訪問の一時閉鎖局としては、直営局では八代市の上松求磨局・下岳局および球磨村の神瀬局の3局がありますが、いずれも豪雨災害による閉鎖であり、再開は出来ないものと推測しております。

簡易局では人吉瓦屋簡易局・大津美咲野簡易局など9局があります。これらの一部の簡易局では受託者交代により再開する可能性は残されております。特に大津美咲野簡易局は、近隣の簡易局で再開予定があるとの言質をいただいていたのですが、その話は立ち消えとなったようでした。

さらに訪問後廃止となった直営局として、山鹿日吉局の1局があります。ここは輪廻転生してアンビー熊本局となったとされています。

昨年完訪を見た佐賀県・長崎県の肥前国に続いて、今回の熊本県の肥後国を完訪にしたことで、残るは鹿児島県の大隅国・薩摩国、さらには沖縄県の琉球国へと、ターゲットは移っていきます。

2026年5月 3日 (日)

1450.熊本県の完訪について

4/23の熊本市役所内局を最後に訪問して、熊本県の全557局の完訪となりました!!ここが44都府県目の完訪県です。

‘一度は完訪となった都道府県’が44都府県となったということで、まだ‘落ち穂’が発生したままの府県もありますが、残るは鹿児島県・沖縄県及び北海道となったのです。

熊本県完訪までの道程は、記録室・その15にその目次が記載されています。

初訪問はH30(2018)2.20で、熊本地震から1年10ヶ月後のことでした。この遠征の二日目には熊本市内全5区のつまみ食いを実施したりして、熊本に親しみました。三日目には被害の大きかった益城町にも足を踏み入れました。(ブログNO.616NO.617NO.618参照)

Photo_20260502025601 翌年H31/R1(2019)は、3月に山鹿・荒尾などを、12月に宇城や天草などを廻りました。天草の二日間では、三分の二ほどを廻ることができました。(3月がNO.721NO.722参照:12月がNO.803NO.804NO.805参照)

翌R2(2020)はコロナの影響を受けて、計画倒れとなり訪問が叶いませんでした。

R3(2021)は、7月に熊本市南部と下益城郡・宇城市および天草の残りを廻り、9月に小国などを、11月に菊池・和水などを廻りました。(7月がNO.975NO.976参照:9月がNO.988参照:11月がNO.1012NO.1013参照)

翌R4(2022)は、他県とのスケジュールの関係で、熊本県に足を踏み入れることができませんでした。

R5(2023)は、2月に八代・芦北・水俣の県南地方を廻りました。12月には小国町の大分県境近くの1局を拾いました。(2月はNO.1136NO.1137参照)

R6(2024)は、1月2月に熊本市内と玉名市などを廻り、11月に阿蘇地方を廻りました。(1月2月はNO.1232NO.1233参照:11月はNO.1311参照)

昨年となるR7(2025)は、2月に人吉・球磨地方を廻りました。雪中の局メグとなる局面もありました。(ブログNO.1331NO.1332参照)

そして今回の熊本遠征により、完訪となりました。足掛け9年で実質7年での満願成就でありました。

※写真は、ゆうちょ銀行熊本支店前を走る熊本市電。

 

2026年4月29日 (水)

1449.最後の熊本遠征のご報告-その2-

前の記事の続きです。

二日目の行程では、西日本方言で言うところの離合困難な場所がいくつかあり、運転に気を使うケースがいくつかありました。(離合については ⇒ こちら

1局目の清和緑川簡易局への往復において、国道218号から県道に入った後の緑仙峡方面へ進む道路、4局目の甲佐平簡易局から5局目の宮内簡易局に向かう県道、さらには6局目の水越簡易局に向かう県道、7局目の甲佐局へ降りていく県道です。県道と名がついていても、離合困難箇所が結構ありました。

Photo_20260427195601 4局目の甲佐平簡易局の入口横には、立派なお墓が鎮座していました。その後、気になってこの地域のお墓を見ていくと、サイズが大きめなお墓が多いことに気が付きました。

13局目の払川簡易局の局前には朱色の丸型ポストが設置されていましたので、激写してSNSに挙げてみました。三日目3局目の海東局も同様でした。

本来なら16局目となるはずであった下岳局は、R7(2025)の八月豪雨で裏山が崩壊し、局舎が大きく損傷し閉鎖中です。道すがらですので、現地を確認しておきました。

この閉鎖中の扱いが、『郵便局・ATM・ポストを探す』において、長らく営業中の取扱いになっており、3月頃から電話にて当時の下岳局局長に削除依頼をしていたこともあり、また当時下岳局の局員だった方も、近くの局で勤務していることもわかり、二つの局で長目の会話となり、時間をとってしまいました。

Photo_20260427201601 最終日は終日の雨となり、特にホテルAZを出たばかりの時に大雨となってしまったため、コンビニで傘を購入したものの、写真撮影に邪魔になることもあり、最終局面の熊本市役所の駐車場から出て3局を廻る時のみ、使用しただけでした。

3局目となった宇城市小川町の海東局は、前述のとおり丸型ポストがありましたが、局舎の外側に時計が設置してあり、それなりに映える建物でした。

八代市鏡町の有佐局から美里町堅志田局までの8局をこなし、約20㌔ほど北上して熊本市に残った15局を拾いに行きます。

ですが、昼休み休業をとる郵便局が4局あり、これが11:30からが2局、12:00からが1局、13:00からが1局となっており、それらをかいくぐって廻ることになり、なかなか気を使いました。

最終局面に入ったラスト5局では、街中につき駐車場問題がありましたが、それぞれ事前の下調べをしており、何とかなりました。最後が市役所駐車場に車を置いて、熊本安政局⇒ゆうちょ銀行熊本支店⇒熊本市役所内局と廻りました。

そんなところが、最後の熊本遠征のご報告ですが、次のエントリーでは熊本県の完訪について、まとめてみたいと思います。

※写真は、上が二日目13局目の払川簡易郵便局。下が三日目3局目の海東郵便局。どちらにも丸型ポストが設置されていました。

2026年4月26日 (日)

1448.最後の熊本遠征のご報告-その1-

4/21(火)から23(木)までの3日間にて、最後の熊本遠征を実施しました。

昨年2月の人吉・球磨地方の2日間を最後に、残り61局とリーチをかけていて、熊本県を今年のテーマ地域に掲げており、満を持しての熊本行きでした。

新幹線を名古屋・新神戸乗り換えにて、熊本駅には11:16の到着です。新幹線口にてニッポンレンタカーを借りて、1局目の熊本細工町局には11:45の着手となりました。

熊本市中央区の中東部で11局、東区の北部で4局廻った後は、‘落ち穂拾い’として、昨年3.21に新規設置された合志市のアンビー熊本局、菊池市泗水町の泗水桜山団地簡易局を廻り、初日は17局でした。

Photo_20260425204601 嘉島町に宿泊後の二日目は、山都町の清和緑川簡易局という山奥よりスタートし、山都町で3局、甲佐町で2局、御船町で1局、美里町で7局と廻り、八代市の泉町で1局、八代市東陽町で2局、氷川町で1局、八代市千丁町・鏡町などで4局の計21局でした。

ここでは、山間部が多いことと閉鎖中の下岳局の現地調査等に時間を取られ、予定を2局下回る結果となりました。

氷川町に宿泊後の三日目は、前日に残ってしまった八代市鏡町の有佐局よりスタートし、氷川町1局、宇城市小川町4局、宇城市豊野町1局、美里町1局をこなしたのちは、熊本市の東区6局、北区2局および中央区7局を廻り切って、目出度く熊本県内の完訪問となりました。

すなわち、23局目の熊本市役所内局をラストとして、熊本市・熊本県・肥後国の完訪となりました。

もう少し、詳しく見ていきましょう。

まずは三日間の天気は、初日が晴れ、二日目が曇り、三日目が終日の雨でした。

初日の6局目の九品寺東局にて、通算23,400局目としましたが、この局は熊本市街地の局ながら、‘熊本’を冠していないため、前の局が熊本九品寺一局であることも踏まえ、‘熊本九品寺五局’と改称したらどうかと、無責任発言をしてしまいました。これを局長が真に受けて改称してしまえば、‘落ち穂’が発生することになり、余分な一言だったと反省しております。

16局目のアンビー熊本局は、敷地内に入ったものの、広い敷地のどのあたりか良く判らず、電話をして尋ねてしまいました。次の簡易局も必須であるため、時間切れを恐れての対応となりました。このアンビー熊本局は、24.9.21廃止の山鹿日吉局の輪廻転生といわれております。

二日目の宿泊地の嘉島町のホテルAZからは、九州中央自動車道という無料の高速道路があり、小池高山ICから山都通潤橋ICまでの約21㌔を20分足らずで利用できており、山奥の清和地区に行くのに、便利に利用させていただきました。

この続きは、ご報告・その2とさせていただきます。

※写真は、初日の4局目に訪問した熊本新市街郵便局。

2026年2月14日 (土)

1431.沖縄大遠征のご報告-その3-

三日目の最後は、那覇市内に戻りガソリン給油後、おもろまち駅近くの営業所にレンタカーを返却し、ゆいレールにて3駅先の美栄橋駅まで乗車しました。これがゆいレールの初乗車でした。

‘おもろまち’とは、関西弁なら笑いの殿堂の拠点とかがありそうな地域なのかとなりますが、那覇市の新都心地区を示す愛称で、公募で決定したそうです。‘おもろ’は沖縄言葉で‘想い’を意味し、平和への思いも込められているそうです。

Photo_20260213145801 さて最終日は、那覇泊港(愛称は‘とまりん’)を9:30発のニューフェリーあぐににて粟国島に向かいました。この日は快晴で波も穏やかな良い一日でありました。

定刻より5分遅れの11:35に到着・着岸し、写真撮影などをしたのちに11:45発となっているコミュニティバスに乗り込むや、3分早発で出発するではありませんか。ものの5分で役場前バス停=郵便局前に到着です。乗客は、私ともう一人の男性で計2名でした。

今回の粟国島訪問にあたって、プ~やんさんの訪問記を参考にさせていただきました。ありがとうございました。二日目の久高島と三日目の津堅島も同様に参考にさせていただきました。ちょうど、1年前に訪問されており、内容としては真新しいデータでした。

久高島や津堅島では現地滞在時間が短く、予め往復切符を購入することなど、助かる情報がありました。

Photo_20260213145901 さて粟国郵便局で目的を果たすと、3年前に移転新築した村役場に入り、休憩室のような場所で、予め泊港のコンビニで調達しておいた昼食を摂り、室内の展示物などを眺めたりして時間を過ごしたのち、徒歩10分ぐらいで港に戻りました。

粟国港を定刻の13:45に出発し那覇泊港には2分遅れの15:47に着き、ゆいレールの美栄橋駅から終点の那覇空港まで乗車しました。16時台でしたが、かなり込み合っておりました。沖縄は旅行シーズンなのです。それにしても、このゆいレールの開通前は路線バスに頼っていたのでしょうか?かなりの乗客を運ぶことが出来るゆいレールは、もはや那覇市・浦添市の市民そして旅行者の足に欠かせない乗り物となっているようです。

那覇空港6分遅れの19:31に離陸したスカイマークは、セントレアに13分も早い21:07に到着してくれたため、遠鉄空港バスのラス前便21:30発に間に合うことになり、予定より1時間早く帰宅することができました。(本来なら最終便のセントレア22:30発。)旅行の最後に、嬉しいお土産をいただいたようです。スカイマークさん、グッジョブです!

以上が、四日間にわたる沖縄大遠征のご報告です。

※写真は、上が三日目の5局目に訪問した上原簡易郵便局前の丸型ポスト。下が四日目訪問の粟国郵便局。

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