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郵便局めぐり・西日本

2024年9月 2日 (月)

1288.宮崎・熊本遠征を延期しました!

8/28に鹿児島県薩摩川内市付近に上陸した台風10号は、熊本・大分と九州を横断し、瀬戸内から四国に進み太平洋に出たあとは、熱帯低気圧となり三重・岐阜・富山と進み日本海側に北上していきました。28日の鹿児島上陸から9月2日まで、実に1週間の間ノロノロと進んだために、九州から東海・北陸さらには関東・北海道まで、いたるところに被害をもたらしました。

当地・遠州浜松では、まだ奄美大島近海にいた8/27夜半頃から、警戒レベル4の大雨警報・洪水警報が頻発しており、近くで落雷による被害があったり、東海道新幹線・在来線は静岡県区間で運休が続いたり、新東名高速・東名高速も県内の区間で通行止めとなったりと、東西の人流や物流がマヒした状態になっていました。台風本体が最接近した9/1頃はそれほどでもなかったのですが、前振りの大雨がひどく続き、随分長いこと雨模様の日々が続きました。

Photo_20240901145301 前の記事で、宮崎・熊本遠征の意気込みを語っていたのですが、宮崎・熊本の九州山地あたりも台風の影響を受けていることが推測され、なにより8/29には九州7県の郵便局窓口がすべて閉鎖されるという想定以上の対応がなされ、8/30も訪問予定の局も閉鎖のままのところも多く、ここはいったん立ち止まってみようということで、8/30のうちに延期の方針を決め、1週間ずらすということで、宿泊先の取り直し、レンタカーの予定日変更、JR切符の取り直しなどをしたのでした。

細かなことを言うと、前泊のアパホテルで400円アップとなったり、初日の宿泊先は5,000円でお釣りの来るホテルでしたが、1週間後は満室で確保できず、阿蘇のビジネスホテルに変更して倍の値段となったり、レンタカーも早割45をキャンセルして取り直したために4,000円ほど高くなったりと、マイナス要素がありましたが、これはやむを得ません。

台風の爪痕が残ってしまって迂回を要したり、はたまた肝心の郵便局の被害により、閉鎖したままとなっていたりと、まだまだ不確定要素が多いのですが、とりあえず9月第二週の郵便局まわりを楽しんで来たいと思っております。

幸いにも、出発まではあと1週間ありますので、出来る範囲で情報収集をしてから、本番に臨んでみたいと思います。

※写真は、新幹線運休中の浜松駅新幹線改札。(8.31撮影)

2024年8月29日 (木)

1287.宮崎・熊本遠征の概要

台風10号が太平洋上を北西にスライスしており、九州地方経由で日本列島を縦断する見込みとなってきました。当初は高知県や紀伊半島辺りが予報中心円であったのが、どんどん北西にスライスしていったようです。(29日7時現在)

東海地方に住んでいる筆者・稲生にとって、地元への直撃が無い事はありがたいのですが、宮崎県北部・熊本県東部の九州山地を含んで訪問予定の宮崎・熊本遠征を控えている身としては、台風による通行止め等が発生するかもしれないことをとても懸念しております。

これは台風とは関係ないのですが、すでに上鹿川簡易局や八戸局の近くに通行止め区間があり、迂回路の確認などで電話を入れてみるつもりだったのですが、これは台風通過後の30日(金)午後に入れてみることにしました。

前置きが長くなってしまいましたが、今回の宮崎・熊本遠征の概要を示してみようと思います。(訪問予定は こちら

Photo_20240828081601 延岡でレンタカーを借りて3日間を廻って行くため、延岡市内に前泊いたします。これは2年半前の4/20から22の局メグ時と同様です。あの時は、二日目に思わぬパンクというアクシデントがありました。今回は、何事もないのが一番なのですが、悪い事は一度だけとは限りません。慎重にそして無理をしない事を胸に刻んで久しぶりの局メグを楽しむことにいたします。

前日の9/2(月)の夕方までに到着すれば良いため、自宅を10時頃出発して延岡駅には18時過ぎに到着するのんびり旅です。前泊地は駅前のアパホテルをとりました。実はアパホテルを利用するのは初めてです。すなわち今回がアパデビューとなります。

そして9/3(火)が初日となります。レンタカーを受け取った後に延岡西部・北方・日之影・高千穂・五ヶ瀬・蘇陽と17局+2局程度を見込んでいます。

前述の上鹿川簡易局は険道214号で綱の瀬川を15㌔近く上っていったところにあり、事前の調べでは時間規制が1箇所、通行止め(たぶん迂回路あり)が1箇所判っており、これに台風10号の影響も考えられるため30日の直電により、状況把握してからどうするか決めることにしました。もしかしたら、1局が残ってしまうことになるかもしれません。

二日目(9/4)は、阿蘇・長陽・久木野・高森を経て高千穂北部で終了です。22局-2局となることでしょう。これにより阿蘇地方と西臼杵郡は完訪となります。

最終日は、西郷・北郷・日向中部・門川・延岡南部を廻ります。22局のみです。このコースでは、今回の訪問までに計4局の一時閉鎖局が発生してしまい、少なくなってしまいました。これらが復活すれば‘落ち穂拾い’での再訪問が必要になるため、あまり面白くない状況ではあります。

以上が概要でありますが、これらが予定通りに進めば宮崎県39局、熊本県20局の計59局であり、宮崎県の仮完訪となっていきます。

※写真は、高千穂峡。ここへ行くことは無いと思います。

2024年5月 6日 (月)

1257.福岡・長崎大遠征のご報告-その3-

二日間の五島列島・福江島をあとにして、長崎港には18:15に到着しました。この後、長崎在住の同業者さんと合流し、夕食を共にしました。1時間強の短い時間でしたが会話が弾み、楽しいひと時を過ごすことができました。

ところで、五島列島の訪問状況のことですが、宇久島・小値賀島を含む上五島の23局に続いて、椛島・嵯峨ノ島を含む福江島の24局を訪問したことで、残りは奈留島・久賀島の二島5局となりました。 

Photo_20240504174601 最終日は、長崎市内をレンタカーで廻りました。市内北西部の小江原・式見・福田・西泊地区と市内南部の上長崎・戸町・土井首・香焼・伊王島地区などです。ラスト3局は大浦局・県庁内局・長崎北局を廻り、計27局と予定どおりでした。

長崎市街地の6局は徒歩で廻るべく、今回は温存しておいたのですが、誤算だったのは、来る6.3より市内南部の新戸町簡易局が再開するとの公示がありました。大浦局より南の長崎半島は廻り切ったはずだったのですが、‘落ち穂’が発生してしまったのです。

このあとは、長崎駅17:00発に乗車して、西九州新幹線・長崎本線・山陽新幹線・東海道新幹線そして遠鉄電車と乗り継いで、自宅には23:50の帰宅となりました。西方面からの新幹線最終便での帰宅です。

今回の福岡・長崎大遠征においては、福岡県22局、長崎県51局の計73局を廻っており、福岡県は残り44局、長崎県は残り85局となりました。福岡県はすでにリーチが掛かっており、長崎県も残り2度の遠征をする程度のボリュームとなりました。

Photo_20240504174602 以上で、福岡・長崎大遠征のご報告は終了いたしますが、尺が余っているようなので、福岡県・長崎県の残りの攻略の目論見を示してみます。

まずは福岡県ですが、2泊3日で終了させるつもりです。筑豊地区の田川・嘉麻などに34局残っており、ここを廻ったあとに博多駅に戻り、筑後地方の‘落ち穂’である久留米市の移転改称局1局を拾うべく久留米市に宿泊し、最終日あさイチにこれを拾ったのち博多駅に戻り、レンタサイクルにて残り9局の福岡市内を拾ってゴールとなります。

この中の1局は玄界島ですが、博多港にレンタサイクルを置いて渡島することができるのではないかと考えております。これで行くと福岡県のラストの局は玄界島局か、もしくは市内の某局になることでしょう。離島終わりにするのか、それを回避するのか、これは思案中であります(笑)。

長崎県の方は、佐世保・波佐見・川棚などで44局、奈留島・久賀島および長崎市内と西海市などの41局となりました。離島としては、前者には黒島が、後者には奈留島・久賀島および松島・池島があり、残り二桁といえど時間と手間を要する局が存在しております。

これらを佐世保の方は2泊3日で、奈留島・久賀島と長崎の方は夜行3泊4日で攻略できるのではないかと目論んでおります。まだ決めていませんが、もしかしたら来年のテーマ地域を長崎県として、狙っていくことになるのかもしれません。

※写真は、下が手熊簡易郵便局。入り口にはトトロの置物が。下が伊王島郵便局。

2024年5月 3日 (金)

1256.福岡・長崎大遠征のご報告-その2-

福岡・長崎大遠征の二日目において、福江島に空路到着後は、福江空港からレンタカー営業所まで送迎バスで移動して、営業所を出発したのは9:45でした。

実は、早朝に博多を出た時には、雨が降っていたのですが、福江島に降り立つ時には晴れており、福江島滞在時は新緑の季節における快晴の二日間を過ごすことができました。

Photo_20240503084101 まずは福江局を皮切りに福江島南東部の福江と富江の局を10局廻ったのち、福江港13:15発の椛島(かばしま)行き定期船に乗船し、手前の伊福貴港に降り立ちました。(13:34着) 6局目の五島黒瀬局と9局目の福江城山町局が、少々難しいところに立地していました。

伊福貴集落の北寄りに簡易局があり、受託者さんは親子でやっていて少々会話が進みました。なぜかリニアの話までしたりして。その後、覚悟を決めて、5.1㌔先の本窯集落まで歩き出します。(13:55頃) 両足人工股関節の高齢者ですが、日ごろのウォーキングの成果を示す時がきました。

いきなり上り坂になっており、大丈夫かいなと内心不安になりましたが、標準時分1時間のところを1時間半をかけて本窯にある目的地の五島椛島局には15:30頃に到着しております。風が強いものの初夏の気候だったので、無事に歩き切ることができたのですが、暑さ厳しき真夏や寒さ厳しき真冬であれば断念していたかもしれません。なお、移動中に本窯方面に向かっていった車は2台だけした。ヒッチハイクは期待できないかもしれないです。

Photo_20240503084001 福江港に戻り宿泊後の三日目は、福江島での二日目となります。まずは北東部にある堂崎天主堂を訪問後、奥浦局から岐宿(きしく)・三井楽と5局を刻み、貝津港11:30発の嵯峨島旅客船に乗り込み、片道13分で長崎県最西端の島・嵯峨ノ島(さがのしま)に到着です。

ここの往路は第二便となる学校給食ダイヤを利用しており、現地滞在時間は1時間7分と手頃ですが、学校行事などで給食が無い日は運休です。今年度から小学校は児童がいなくなって休校で、中学生は3名のようです。(学校だより1号による) ということは、3年後には中学校も休校となる可能性が高いため、第二便は無くなるかもしれないということです。第二便がない場合は、第三便で向かい第四便で帰ってくるため現地滞在時間は2時間12分となります。あくまでも、現行のダイヤでの運航の場合ですが・・・

貝津港に13:03着で戻ってきた後は、福江島の西部に位置する玉之浦など残りの6局を廻りましたが、この日の8局目となった中須簡易局は、集落の奥にあり見つけるのが難しかったです。

15:50過ぎにはレンタカーを返却し、福江港ターミナルに移動して、16:30発の長崎港行きのジェットフォイルに乗り込みました。

その3に続きます。

※写真は、上が福江島の中心局、福江郵便局。下が福江島の海の玄関口、福江港ターミナル。

2024年4月30日 (火)

1255.福岡・長崎大遠征のご報告-その1-

4/23から26までの表記の大遠征から無事に帰還いたしましたので、そのご報告であります。

まずは行程ですが、初日は福岡市内をレンタサイクルで廻りました。翌日は福岡空港より空路福江島入りをして福江島およびその属島を二日間に亘り訪問しました。福江島からはジェットフォイルにて長崎港に進み、最終日には長崎市内をレンタカーにて訪問したもので、なかなか中身の濃い四日間を過ごしてきました。

Photo_20240503083001 そもそも五島列島の上五島を昨年10月に実施していて、次は下五島(※)の福江島への訪問ということを考えていましたが、福江島に渡るために空路を使うには、福岡に朝の段階で滞在していなくてはいけないため、五島(※)訪問前に前泊として福岡市内を廻ることにして、さらには五島から帰還後も長崎市に夕刻に到着するため、後泊として長崎市に宿泊するのなら、翌日は長崎市内を廻っておこうと考えたものです。

(※五島列島では、中通島を中心とする‘上五島’と福江島を中心とする‘下五島’と呼ぶこともあるのだが、後者の方は単に‘五島’と呼ぶことが一般的である。)

それでは、順を追って四日間の旅を振り返ってみましょう。

博多駅には10:24に到着しました。細かな話ですが、1年前には浜松駅を同様の時間の列車に乗車しても博多駅には10:46に到着しており、今度のダイヤ改正により22分短縮されていました。

Photo_20240503083101 博多郵便局の地下にあるKITTE博多のレンタサイクルを借りて、福岡市中央区16局と博多区・南区・城南区の各2局の計22局を廻りました。このレンタサイクルは、1年前に東区や博多区を廻った際にも使用しており二度目であります。心配だった雨も到着時には上がっており、曇り空ながら気温20℃ほどの快適な局メグでした。

福岡市内は西部・南部・東部と徐々に攻略を進めていて、中央区などの市街地の30局と玄界島の1局を残しており、今回の22局攻略により、残りは9局とカウントダウンに入りました。

ラストの福岡新天町局は10時-17時の時間スライド局でした。局メグ終了後は博多山笠の聖地・櫛田神社を参拝しました。実は最近、40年ぶりに長谷川法世の『博多っ子純情』(全34巻)を読み返しているところです。

博多駅近くの東横イン宿泊後は、福岡空港8:30発の飛行機にて福江空港9:10着で福江島に上陸しました。博多駅・福岡空港間は地下鉄に乗車しましたが、たった2駅ですが市営地下鉄初乗車でした。

福江島での二日間および最終日の長崎市内のことについては、次回以降となります。

※写真は、上が博多区の櫛田神社境内に陳列されている博多山笠。『博多っ子純情』の重要なモチーフです。下が博多郵便局前のハート型郵便ポスト。(下は5.3写真追加)

2024年4月19日 (金)

1252.宮崎・鹿児島大遠征のご報告-その2-

それでは、今回の宮崎・鹿児島大遠征におけるトピックスをいくつか記してみます。その1で挙げた以外のものです。

セントレアの出発時までは、かなりの雨が降り、浜松西インター駐車場からバス乗り場まではビニール傘を必要としましたが、その後の予報では宮崎・鹿児島での四日間には雨マークがないため、現地への傘の持ち込みは不要と考え、空港バスのドライバーに傘を処分して貰おうとするも、やんわり断られたため、空港のトイレに忘れていくことにしました。コンビニのビニール傘を搭乗手荷物で持っていくのは、何やら恥ずかしい気がしており、そのようにしました。

Photo_20240503163101 日南沖の地震の話題については、海岸沿いに位置する局では津波の心配があり、大変気を付けて情報を確認したそうです。今回は、津波の心配はなくひとまず安心したそうです。

初日の13局目の栄松簡易局は、駐車場情報では9台となっており、実際に訪問してみると局の手前に民家が2軒ぐらいは建てられる広いスペースに、駐車場が用意されていました。

初日の8局目の大窪簡易局、2日目の1局目の大隅池田簡易局、12局目の大隅郡簡易局、17局目の大隅大原簡易局、これらは明らかに旧特定局の局舎をそのまま使っている簡易局でありました。

3日目の6局目の串間今町局において、通帳更新をお願いしました。NO.123からNO.124への更新です。

Photo_20240503163201 3日目は、鹿児島県曽於市末吉町を終えてなお時間があったため、都城市中郷局など3局を増殖できました。ですが、四日目の行程は決まっており、24局の予定が21局となっただけで、まわりは既訪問地域のため、四日目の終了が早くなったに過ぎません。それでもレンタカーの返却が早くなり、宮崎空港での出発待ちに余裕の時間ができました。

4日目の10局目の都城一万城局は、通算10,000局の節目に、ここの局を訪問するマニアが多いため、そんな話題で局長との会話が進みました。

これをもって、児湯郡以南の宮崎県南部の完訪となったのですが、都城市で一時閉鎖していた乙房簡易局が5.1から再開することが、遠征中の4.11に発表となり、これは大変痛い事態となりました。

これにて、宮崎・鹿児島大遠征のご報告は終わりますが、前述の痛い事態の話題等、‘落ち穂’にまつわる話題を次の記事でしていきたいと思います。

※写真は、上が日南市の栄松簡易郵便局。本文に記したように手前に駐車場が広くとってありました。下が都城一万城郵便局。(下は5.3写真追加)

2024年4月16日 (火)

1251.宮崎・鹿児島大遠征のご報告-その1-

4/9から12までの宮崎・鹿児島大遠征のご報告です。4日以上の遠征を‘大遠征’と呼んでおります。

出発前日に日南市沖で震度5弱の地震があり、現地の様子を心配しながら臨んだのですが、各局で尋ねてみても被害は報告されておらず、なおかつ余震もなく、いわゆる平常運転での4日間でありました。

Photo_20240503162401 天候の方も、名古屋空港(セントレア)出発時には結構な雨が降っていましたが、現地では雨が上がったあとの晴れの日の連続の日々でした。新緑のまぶしい日差しの中での局メグが実施できました。

初日は、宮崎空港を11時過ぎに出発して日南市方面に南下して、1局目の油津局には12:10頃の到着となり、日南・南郷及びラストは都井局と16局を廻りました。5局目の日南星倉簡易局は、去る4.1に移転再開した簡易局で、ここは上手に拾うことができました。

局メグ終了後は、10㌔ほど南下して都井岬へ向かいました。都井岬灯台は入場できるのが16:30までとのことで残念でした。ここからは270度の太平洋を眺めることができるそうです。なお、県道36号は、御崎馬の繁殖地ということで協力金400円が徴収されます。

二日目は、大隅半島の南部・南端部を廻りました。すなわち、錦江町・南大隅町・肝付町です。まだまだ道路事情も良くないところがあり、局間も長く局メグははかどりません。この日は22局でした。ここでは3.1に移転再開した船間簡易局を18局目として拾うことができました。

Photo_20240503162301 三日目は、日南市の南西のはずれにある榎原(よわら)局という難読局を1局目として、串間市・志布志市・曽於市末吉さらには都城市南東部の3局までを廻り28局でした。16局目の四浦簡易局は推定世帯数10~15世帯の限界集落にあり、ここへの往復は二日目の14局目に往復した辺塚簡易局に負けず劣らず、難易度の高い簡易局でした。そして、四浦簡易局の局舎はとても年季の入った局舎でした。

最終日となる四日目は、都城駅前の宿泊地から50分ほど進んだ小林市三松簡易局を拾ったあと、都城市街地と三股町を廻り21局。終了は14:30頃となり、このあと1時間以上をかけて宮崎空港に戻りました。

四日間トータルでは宮崎県が46局、鹿児島県が41局の計87局でした。ほぼ予定通りの旅ができました。

次の記事では、ここに挙げた以外のトピックスをいくつか取り上げていきたいと思います。

※写真は、上が都井岬灯台。下が初日の1局目となった油津郵便局。(下は5.3写真追加)

2024年2月28日 (水)

1239.沖縄・宮古島遠征 おまけの一日

沖縄・宮古島遠征の最終日の帰路は、下地島空港を18:35の定刻を5分遅れて離陸して、2時間半後に富士山静岡空港に着き現地解散するだけの行程でした。

それまでの3日間は概ねスケジュール通りで、楽しく充実した旅行でありました。今回のツアーの参加者は総勢60名で、確か75名の募集だったのでしたが、参加者はそれぞれの宮古島の思い出を胸にして、故郷の静岡に帰るばかりでありました。

Photo_20240226155801 離陸して1時間半ほど経過したところでしょうか。室内の明かりが消えて、真ん中の通路のみ点灯する非常灯の状態になりました。私は、ちょうど持参の本で読書でもしようかというところでした。機内の飲料サービスも途中でストップしてしまいました。ベルト着用サインも消えております。

これは尋常ではないと思っていましたが、しばらくして機長よりアナウンスがありました。電気系統のトラブルがあり、機内での修復が出来ない状態となったので、これから最寄りの高知空港に着陸します。とのアナウンスでした。

これを聞いて、機内の乗客は騒ぐのかと思いきや、それほどでもありません。参加者に子供連れがいなかったこともあるのかもしれませんが、皆さま大人の対応であります。

当時のメモによると、高知空港には20:35の到着でした。素人目には、通常の着陸だったように感じました。ですが、そこから約10分は滑走路上に止まったままで動くことはありません。不安が無かったと言えば噓になります。もし、火災が発生したら?あの滑り台を降下していく緊急脱出だったらどうしようか?など、動きのない10分の間に、色々なケースが頭によぎりました。

Photo_20240226161201 結局、空港側のレッカー車両のようなもので、飛行機は空港ビルの方に運ばれて通常どおりの降機、そして預け荷物の受け取りをして、その後は高知空港におけるFDA職員の指示を待ちました。

21:30前には、高知市内のホテルで宿泊をして、翌日の高知空港発は11:00である旨説明がありました。空港からホテルまでの往復のタクシー代はFDA負担なので安心してくださいとのことです。もちろん宿泊代もFDA負担です。

高知市の中心部のクラウンパレス・新阪急ホテルに60名全員の宿泊手配ができました。これは良かったです。例えば、土曜の夜とか、緊急着陸が種子島空港だったら、こんなに大勢の宿泊確保は難しかったことでしょう。夜8時過ぎからの手配で、この結果は上出来です。

翌朝の朝食後、高知城を城下より眺めて証拠写真を撮りました。後で考えると、近くの郵便局を訪問して‘64マルチ’でもゲットしておいても良かったのですが、ホテルを9:10のタクシー配車だったので、これは残念なことでした(笑)。

この程度のイレギュラーで済んだので、今は稀有な経験を積んだことで済んだのですが、もしも胴体着陸だったら無傷ではなかったかもしれませんし、色々考えると飛行機での旅行の恐ろしさを実感した事件でした。

※写真は、上が高知城。下が事故機、高知空港発の飛行機内より。

2024年2月25日 (日)

1238.沖縄・宮古島遠征のご報告-その3-

宮古島遠征の最終日となる三日目は、多良間島への往復です。

多良間島は、宮古島の西方約67㌔にあり、石垣島からは東方約35㌔のところにあります。石垣島からの方が近いのですが、宮古島からのフェリーが一日1往復、飛行機が一日2往復しており、生活圏は完全に宮古エリアの島であります。行政区分としては宮古郡多良間村なのですから。

Photo_20240503160302 私は宮古島の平良港9:00発のフェリーで2時間、帰りは多良間島・普天間港を13:00発で同じく2時間のフェリー往復にて、多良間島の1局を拾ってきました。

当日はいきなりの試練がありました。平良港の多良間島行き乗り場を間違えていたのです。手持ちの県別マップルにも記載されている埠頭に着くも、船は無いし誰もいないのです。たまたまいた釣り人に聞くと、マリンターミナルの方だと言うことで、取り急ぎ向かったので、受付へは8:45の到着となってしまいました。折しも雨が降り続いており、朝から肝を冷やしました。前日に下見をしたというのに、トホホなことでした。

落ち着いてからスマホのグーグルマップで調べると、マリンターミナル側から出ているように正しく表示されておりました。何のことは無い、車を止めた目の前が乗り場だったのです。往復1㌔弱15分近くの無駄な歩きをしてしまいました。

天気の方は急速に晴れて快晴となり、宮古ブルーならぬ多良間ブルーの綺麗な海を堪能しました。そして、サトウキビ畑ばかりの風景は宮古島以上の‘ザ・オキナワ’でありました。

Photo_20240503160301 普天間港から多良間郵便局までは、村営バスで往復しました。港から約3.8㌔あり、レンタサイクルとかを検討したのですが、港での貸し出しはなく、このバスを使う以外には方法がありません。ですが、村のHPにある時刻表によると11:20に港を出発して役場には11:50着、帰りは役場に12:05発で港に12:35着となっており、役場近くの郵便局を巡るのに与えられた時間は15分しかありません。

どうやらこの時刻表は出鱈目でした。所要時分が30分となっていますが、10分足らずで到着しております。帰りはサービスで前浜港やら製糖工場やらに立ち寄ってくれました。それでも、12:35には港に着いたのです。

ともかく、所定の目的を果たし、平良港に置いていたレンタカーで伊良部大橋を渡り、ガソリンを給油後レンタカーを返却したのが16時前でした。ツアーとしての集合時間は17:45、下地島空港から静岡に向けての出発時間は18:35発でした。ですから、お土産を買う時間はたっぷりありました。

この宮古島遠征では、最終日の多良間局を含み14局の増殖をし、沖縄県の累計は55局となりました。

さて、チャーター便が予定通りに富士山静岡空港に着くことはなく、高知龍馬空港に緊急着陸したのですが、それを説明する尺が無くなってしまいました。このことを次の記事で説明することにしますので、もう少しお待ちください。

※写真は、上が多良間島往復で乗船したフェリーたらまⅢ。多良間島・普天間港にて。下が多良間郵便局。(下は5.3写真追加)

2024年2月22日 (木)

1237.沖縄・宮古島遠征のご報告-その2-

宮古島遠征の二日目は、本来の目的である郵便局めぐりの一日です。

ですが、宮古島10・池間島1・伊良部島2の計13局のみであるため、時間はたっぷりあります。局メグの冒頭で宮古島の南西端にあたる来間島への訪問をしておきました。前日の池間島灯台・東平安名崎と合わせた3地点を廻ったことで、三角形の形をした宮古島の3辺を廻ったことになりました。

Photo_20240503155601 宮古島地方は、平成の大合併時に宮古島市となっており、それまでは平良(ひらら)市および下地町・上野村・城辺(ぐすくべ)町・伊良部町の1市3町1村でありました。

郵便局めぐりとしては、下地局から反時計回りに上野・城辺・平良と廻り、最後に伊良部大橋を渡って伊良部島の2局を廻りました。この日は、曇りベースの一日で、最高気温23℃で7㍍ほどの風速がありましたが、時折晴れるので、そこそこの旅行日和でした。

1局目の下地局の局舎屋根には、シーサーが2体鎮座しており、これからいくつ拝めるのか期待しましたが、他の局には見られず、結局ここだけでした。

3局目の砂川簡易局は日本郵便での登録名は‘すながわ’とノーマルなのですが、地元では‘うるか’と呼んでいるようです。交差点の地名表記のフリガナが‘uruka’でした。私はinukugi:webで予習しており、それを受託者さんに確認をとった次第です。

Photo_20240503155901 7局目の池間局を終えて、前日に見かけた‘カニの標識’を撮影後、池間大橋展望台より、しばし激写してみました。前日は祝日ということもあり、駐車場が満杯で入るのを断念しておりました。ここはお土産屋さんの屋上に展望台があり、何かしら購入すれば展望台に上がることができます。

11局目の平良久貝局のあとには、伊良部大橋の宮古島側の撮影スポットで激写しております。ここも前日には盛況だったため後回しにしていました。さらに、ラストとなる13局目の伊良部局を終えたのが14:30でしたので、海の駅:いらぶ大橋というところも見学しましたが、ここからの伊良部大橋の眺めは、手前にホテルなどの障害物があり、今ひとつでした。

平良の琉球銀行で資金調達をした際に、ATMからは二千円札を払い出ししました。本土では、絶滅したハズのあの首里城・守礼門の描かれた二千円札ですが、沖縄県ではいまだにしっかりと流通紙幣でありました。

さらに、翌日の多良間島行きの乗り場確認と駐車場確認のため、平良港に下見に行きました。これで翌日のスタートも万全だったハズでしたが・・・

この最終日の多良間島往復の話と高知空港への緊急着陸といった大事な話は、次回にさせていただきます。お楽しみに(笑)。

※写真は、上が1局目に訪問した下地郵便局。屋根のシーサーに感激しました。下が池間大橋(下は5.3写真追加)

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