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郵便局めぐり・西日本

2026年2月14日 (土)

1431.沖縄大遠征のご報告-その3-

三日目の最後は、那覇市内に戻りガソリン給油後、おもろまち駅近くの営業所にレンタカーを返却し、ゆいレールにて3駅先の美栄橋駅まで乗車しました。これがゆいレールの初乗車でした。

‘おもろまち’とは、関西弁なら笑いの殿堂の拠点とかがありそうな地域なのかとなりますが、那覇市の新都心地区を示す愛称で、公募で決定したそうです。‘おもろ’は沖縄言葉で‘想い’を意味し、平和への思いも込められているそうです。

Photo_20260213145801 さて最終日は、那覇泊港(愛称は‘とまりん’)を9:30発のニューフェリーあぐににて粟国島に向かいました。この日は快晴で波も穏やかな良い一日でありました。

定刻より5分遅れの11:35に到着・着岸し、写真撮影などをしたのちに11:45発となっているコミュニティバスに乗り込むや、3分早発で出発するではありませんか。ものの5分で役場前バス停=郵便局前に到着です。乗客は、私ともう一人の男性で計2名でした。

今回の粟国島訪問にあたって、プ~やんさんの訪問記を参考にさせていただきました。ありがとうございました。二日目の久高島と三日目の津堅島も同様に参考にさせていただきました。ちょうど、1年前に訪問されており、内容としては真新しいデータでした。

久高島や津堅島では現地滞在時間が短く、予め往復切符を購入することなど、助かる情報がありました。

Photo_20260213145901 さて粟国郵便局で目的を果たすと、3年前に移転新築した村役場に入り、休憩室のような場所で、予め泊港のコンビニで調達しておいた昼食を摂り、室内の展示物などを眺めたりして時間を過ごしたのち、徒歩10分ぐらいで港に戻りました。

粟国港を定刻の13:45に出発し那覇泊港には2分遅れの15:47に着き、ゆいレールの美栄橋駅から終点の那覇空港まで乗車しました。16時台でしたが、かなり込み合っておりました。沖縄は旅行シーズンなのです。それにしても、このゆいレールの開通前は路線バスに頼っていたのでしょうか?かなりの乗客を運ぶことが出来るゆいレールは、もはや那覇市・浦添市の市民そして旅行者の足に欠かせない乗り物となっているようです。

那覇空港6分遅れの19:31に離陸したスカイマークは、セントレアに13分も早い21:07に到着してくれたため、遠鉄空港バスのラス前便21:30発に間に合うことになり、予定より1時間早く帰宅することができました。(本来なら最終便のセントレア22:30発。)旅行の最後に、嬉しいお土産をいただいたようです。スカイマークさん、グッジョブです!

以上が、四日間にわたる沖縄大遠征のご報告です。

※写真は、上が三日目の5局目に訪問した上原簡易郵便局前の丸型ポスト。下が四日目訪問の粟国郵便局。

2026年2月11日 (水)

1430.沖縄大遠征のご報告-その2-

沖縄大遠征についての、もう少し詳しいご報告です。

四日間の訪問局数は、全く予定通りだったのですが、何とか予定を上回る訪問が出来ないのか、トライ&チャレンジは試みてはいました。

Photo_20260213145001 初日は、レンタカーの貸し出しが予定より12分早く、1局目の真玉橋局では13分早く、マックスでは20分も早く、16局目の宮平局でも13分早い訪問をキープしてしましたが、17局目の南風原局への訪問を間違えて、自動車道に入ってしまい大回りしたためのタイムロスがあり、これまでの貯金を吐き出してしまいました。

二日目は、久高島への往復のため、安座真港に10:50に着くのが必着となっており、それまでに7局を予定していたのですが、4局目の奥武簡易局では狭い道路に路駐して訪問したところ、後続車に追い立てられ、車を適当な場所に置くのに時間がかかり、タイムロスを生じさせてしまい、知念局をスルーしての安座真港到着となり、‘もしかして’の1局をこなすことができませんでした。

久高島行きフェリーは所要25分のところ、4分遅れで久高島徳仁港に到着したため、少々あせって簡易局を訪問しました。切符は安座真港にて往復で購入してあり、こういった対策は必要であります。

17局目の和仁屋簡易局は、片側2車線の国道に面していて路駐は出来ず、1台しかない駐車場に入れるのは至難の業とinukugiyaさんのメモにあったこともあり、集落内に廻り込み路駐をして、片道100㍍ほど歩いて訪問しており、大きなタイムロスを生じさせておりました。

Photo_20260213144901 ラストとした琉球大学病院内簡易局へは、未遂だった前回(25.11月)の時から病院HP内で道順をしっかり予習してあり、問題がありませんでしたが、元々この日は余裕ある行程を組んであり、15:45には終了したのですが、もう少し早ければ、次の日にATM貯金+窓口ゴム印となった沖縄高原局・泡瀬局も行けた可能性もありました。

三日目は、最初に9:00のフェリーで津堅島を往復した後は、勝連半島・海中道路の先の2局と廻りました。12時-13時の昼休み閉鎖局が気になり、このような廻り方になりました。また東具志川局は、完全に昼休中になったため、局前を通り過ぎて4局廻った後に訪問しました。

この日は、丸型ポストの設置が3箇所にあり、Facebookの丸型ポストの会にも入っている身としては、ここはしっかり取材をして激写しておきました。1箇所目は、架橋島の宮城島にある上原簡易局前で、背後にあった避寒桜が満開となっていました。2箇所目は、天願簡易局の局内前室にあり、使用を終えたオブジェとして設置されていました。3箇所目は沖縄パークアベニュー局の入口角にありました。

そのような感じで進めていくと、この日のノルマの23局を時間内にこなすことは出来ず、最後の2局がATM+窓口ゴム印となってしまった次第です。

※写真は、上が久高島簡易郵便局。下が津堅簡易郵便局。

2026年2月 8日 (日)

1429.沖縄大遠征のご報告-その1-

今年最初の局メグとして、沖縄県四日間の郵便局めぐりを実施してきました。

最高気温は18℃から20℃ほどですが、最低気温が14℃から18℃ほどで冷え込みは無く、本州の寒さから避難する避寒の旅でもありました。

初日は、那覇空港近くのニッポンレンタカー波の上営業所を11:20に出発し、那覇市中部・南風原町さらには豊見城市の一部まで廻り、予定通りの20局でした。那覇市街地では、県庁内局・ゆうちょ銀行那覇支店(美栄橋局)・牧志局及び小禄地区のうちの4局が未訪問として残りました。

Photo_20260213143801 二日目は、南城市大里局よりスタートして、八重瀬町・南城市・与那原町・西原町・中城村・北中城村をこなし、最後は宜野湾市に移転した琉球大学病院内簡易局でフィニッシュしました。南城市では久高島への往復により1島1局も拾っていきました。この日も予定通りの20局でした。

三日目は、うるま市平敷屋港を9:00のフェリーで津堅島に渡り、帰着後はうるま市内と沖縄市内を鋭意廻りました。途中3箇所で丸型ポストの激写などもあり、ラスト2局は貯金可能時間での訪問が叶わず、ATM貯金+窓口ゴム印となりました。合わせて23局は、一応予定通りの局数です。

最終日の四日目は、那覇泊港よりフェリーで片道2時間、現地滞在時間2時間15分の粟国島に渡り、一日かけて1島1局を訪問しました。

沖縄県の累計としては、これまでの88局に64局を上乗せして152局。残りは44局となっています。

4日間で64局は予定通りの局数で、4日間の平均では16局、レンタカーを使った3日間の平均では21局でしたが、今後の沖縄県では、沖縄本島に残った18局を廻る日は別として、はるばる遠征しても一日1局や2局程度、良くても9局以内の局数となります。ですので、今回が沖縄県における一番多くの局を廻ることのできた郵便局めぐりでありました。

残りの44局の内訳は、沖縄本島18局、沖縄諸島(久米島・座間味島など)7局、大東諸島2局、八重山列島(石垣島・西表島など)17局となっております。

次の記事では、もう少し掘り下げてお話ししていきたいと思います。

※写真は、初日の14局目に訪問した津嘉山郵便局。(南風原町)

2026年1月31日 (土)

1427.沖縄大遠征の準備整う

雪国の皆さん、日々の除雪作業等々、大変お疲れ様です。

私・稲生の住む遠州浜松は、‘遠州の空っ風’が強いものの雪は降ってきません。この1月下旬の大寒波では愛知県から雪が流れてきて、少しは降るのかと期待(?)したのですが降りませんでした。3才の孫は、雪だるまを作りたいと張り切っていましたが、雪は積もらないどころか風花すら舞いませんでした。

そんな中、2月第一週のうちの4日間で、常夏の島・沖縄に行って参ります。この時期の那覇の最高気温は18℃から22℃ほどの予報が出ています。

今回の日程を組むにあたって、まず第一に留意したのは、うるま市の離島・津堅簡易局の臨時休業日でした。HPにも載っていますが2/17の臨時休業で間違いがないか電話にて確認しました。宮城島の架橋島・上原簡易局にも電話してHPどおりの1/16の休業で間違いがないことを確認した上で、飛行機・レンタカー・宿泊の手配をしたのです。

Photo_20260127231701 しかしながら、当日に船の欠航とかで渡れないとか、不測の事態による予想外の臨時休業となっていたら、これはお手上げです。

衆議院選挙期間中となってしまいましたが、これは私の局メグ活動を邪魔しない限り、どうでも良いことです。こちらは昨年11月の内から日程を決め、諸々の予約をしており、私の日程に被らせるなよ!と言いたいところです。

プロ野球が2.1よりキャンプインします。沖縄本島中部南部で2.1から一軍キャンプを張るのは、DeNAが宜野湾、ヤクルトが浦添、中日が北谷となっております。本島北部では阪神が宜野座、日本ハムが名護、楽天が金武であり、2月中旬から讀賣が那覇、広島が沖縄、ロッテが糸満となっています。私の局メグにはそれほどの影響は出ないとみています。

まずは、沖縄本島でレンタカーにて3日間を鋭意廻っていきます。本島中部・南部となりますので、これまで2度ほど経験していたとおりで、道路は混雑気味なのは覚悟をしています。一応、ゆとりある行程を組んでいるつもりです。

二日目に南城市の離島・久高島を、三日目にうるま市の離島・津堅島を、四日目には東シナ海側の粟国島のそれぞれ1島1局を廻ることになっています。海が荒れて欠航になれば、やむなく延期するだけのことですが、さてどうなるのでしょうか。

これまで沖縄県の累計は、僅か88局ですが、今回の行程が予定通りに進めば半分超えとなります。そうなれば、沖縄県も視界良好となることでしょう。

※写真は、うるま市の海中道路。ネットより拝借しました。

2025年12月28日 (日)

1417.奄美地方の完訪!次なるターゲットは・・・

今回の鹿児島大遠征の実施によって、鹿児島県奄美地方(=‘79’マルチ)を完訪となりました。全部で96局を廻りました。(加計呂麻島の西阿室局と かけろま瀬相局はダブルカウントです。)

96局の内訳ですが、北から喜界島9・奄美大島45・加計呂麻島4+1・与路島1・請島1・徳之島24・沖永良部島8・与論島3となります。

訪問後に奄美大島で2局(市局・戸口簡易局)が一時閉鎖中となっています。それから、宇検村で1局(芦検簡易局)・龍郷町で1局(竜郷瀬留簡易局)が一時閉鎖により訪問できませんでした。

喜界島・奄美大島・徳之島・沖永良部島・与論島の5島には、鹿児島からの船便とともに空港もあり、九州本土(鹿児島空港)からの便は悪くはありません。ただし、当然のことながら、太平洋上に位置していることもあり、強風・大雨や台風などにより、欠航や抜港・遅延などの心配が常にあり、訪問延期などの局面もありえます。

Photo_20251229010801 奄美大島南部にある加計呂麻島・与路島・請島は、古仁屋港からの定期船に頼ることになりますが、与路島・請島の2島に渡る定期船では日帰り往復が難しく、さらに欠航率も高いため、チャーター船での訪問、できることなら複数人でのチャレンジをお勧めいたします。

私の場合は、幸いにも悪運強く、それ(訪問延期)が無かったことで、目出度く奄美完訪に至ることができました。

それでは以下に、私の訪問過程を訪問順に示してみます。

2022(R4)12/6 23 徳之島(徳之島・天城・伊仙)

  〃   12/7 8 沖永良部島(和泊・知名)

2023(R5)12/5 3 与論島

2024(R6)10/21 23 奄美大島(瀬戸内北部・宇検・大和・名瀬北部・名瀬中部・住用)

  〃   10/22 15 奄美大島(瀬戸内中部・住用南部・名瀬東北部・龍郷)

  〃   10/23 6 与路島・請島・加計呂麻島

  〃   10/24 7 奄美大島(笠利)

2025(R7)12/17 1 徳之島(‘落ち穂拾い’)

  〃   12/18 1 加計呂麻島(‘落ち穂拾い’)

  〃   12/19 9 喜界島

さて、薩南諸島としては、トカラ列島(十島村)と三島村が残っております。来年からは必然的に、ここを攻めていくしかありません。チャレンジすることにいたします。

2025年12月25日 (木)

1416.鹿児島大遠征のご報告-その2-

二日目の宿泊先・古仁屋のサンフラワーシティホテルは、1年前に奄美大島・加計呂麻島・与路島・請島の郵便局めぐりを3名で廻った際に、4連泊したホテルです。

山田洋次監督は、今年も7月と8月に3泊ずつされたそうです。ホテルの息子さんと強い結びつきがあるそうで、かなりのお気に入りの場所となっているようです。

Photo_20251223220901 さて三日目は、9時頃出発するという海上タクシーみなみ丸が、なかなか現れずやきもきしましたが、本当に定刻に現れ、瀬相港にも定刻の9:15に到着しました。乗船客は約10名くらいでした。折り返し瀬相港を着発で出発しており、HP(奄美せとうち観光協会)にある9:25頃発というのは間違いで9:15過ぎの出発のようです。瀬相港にいるときに次の便もチェックしてみましたが、海上タクシーの予定時間は、今ひとつ信頼が置けないようです。

瀬相港には加計呂麻ターミナルと言う名の建物が新しく建っており、その右手に同居する形で、かけろま瀬相郵便局が設置されていました。港から徒歩0分です。そして以前の待合所(NO.1414の写真参照)は、解体中でした。巻貝のモニュメントは、一応、温存されてはいましたが、どこかへ移設するのか取り壊されるのかは不明です。

目的を果たすと、次なる目的地・喜界島まで移動することになります。瀬相港を11:00発のフェリーにて古仁屋に到着後、12:42発のしまバス(路線バス)にて、しまバス本社前乗り継ぎで奄美空港へは5分遅れの15:10着で、奄美大島空港を3分遅れの15:48発で喜界島空港には10分も早い15:55に着陸しました。

Photo_20251223221001 この奄美大島空港・喜界島空港間の飛行機は、離陸したと思ったら、すぐに着陸態勢に入り正味7分で到着してしまいました。翌日廻った喜界島内の某局局長によると、南北大東島間の飛行機が飛ばなくなってからは、ここが日本一短い航空路線となったそうです。良い経験をさせていただきました。

喜界島に宿泊後の最終日は、レンタカーを借り喜界島内の直営局5局と簡易局4局を丁寧に廻りました。直営局5局はいずれも昼休み休業時間が設けてあり。これらにぶつからないように廻りましたが、時間は大いに余裕があり、島の最高地点(標高203㍍)にある百之台公園でしばしの休憩を摂ってみました。

喜界島内の全9局を廻ったことで、奄美群島(‘79’マルチ)の全96局を完訪いたしました。

給油後、レンタカーを返却したのが14時で、喜界島空港15:10発は、機材繰りとか何とかの理由で40分遅れのアナウンスがあり、実際にはさらに7分遅れの15:57に離陸し、鹿児島空港には16:52に到着しました。

鹿児島空港から中部空港の乗り継ぎダイヤが丁度良いのがなく、20:45発のソラシドエアまで3時間半以上の待ち時間が生じましたが、中部空港には15分早着の21:45に到着し、遠鉄空港バスの最終便22:30にて、自宅には予定通りの0:30頃に到着できました。

以上が、今回の鹿児島大遠征のご報告となります。

※写真は、上が加計呂麻ターミナル。下が喜界島ポケットパークにあったモニュメント。

2025年12月22日 (月)

1415.鹿児島大遠征のご報告-その1-

12/16~19の鹿児島大遠征を無事にこなし、自宅に帰ってきました。連続4日間の局メグでしたので、‘大遠征’と呼称してまいります。

バス・飛行機・フェリーすべてが、予定通りに実行されたため、4日間の行程を無事に進めることができました。良い天候に恵まれたおかげです。

それでは初日から、順を追って振り返ってみましょう。

Photo_20251223215301 遠鉄空港バスの1便に乗り、中部国際空港に6:30に到着したのは、前回の沖縄大遠征と同様です。中部空港8:10発予定のソラシドエアは3分遅れにて出発し、鹿児島空港には16分早い9:24に到着です。

ニッポンレンタカーの営業所を出発したのは、9:54と予定より16分も早く、幸先の良いスタートでした。高速利用で1局目の鹿児島星ケ峯局を訪問したのも、10分ほど早い10:32とすこぶる順調で、今日はサクサク進める予感がしていました。

しかしながら、そうは問屋がおろしません。6局目の鹿児島清見局は、谷山電停前バス停があり駐車場が無しとなっており、本当に車が置けないのか事前に電話して確認してあり、局から150㍍ほど離れたコインパーキングに置いて局に向かうと、なんと2軒隣に駐車場スペースがかなりとってあるコンビニがあるじゃないですか。このコンビニ駐車場情報は、さすがに局員さんも言えなかったことでしょう。これなら、事前の問い合わせ無しで、直接飛び込んでみれば、絶対にコンビニに置いたのにと、なんだか損した気分でした。

その他にも、イオンモール鹿児島内局や鹿児島大学医学部内簡易局など、どうしても時間を消費する局もあり、予定の22局を1局下回る21局に留まりました。それでも、鹿児島市内の局は、35局から56局へと増殖し、残りは50局と半分を超すこととなりました。

Photo_20251223215401 鹿児島空港に戻り宿泊後の二日目は、鹿児島8:50発の徳之島便に搭乗したのですが、鹿児島空港の離陸が19分遅れとなってしまい、この後の徳之島での予定がタイトなスケジュールのため、少々焦りましたが、徳之島空港には3分遅れの9:58に到着してくれました。

徳之島内ではオリックスレンタカーの軽自動車を借り、約27㌔先の目手久簡易局を目指します。よりによって目手久簡易局は、空港営業所からは一番遠い場所にあったのです。それでも目手久簡易局のために、徳之島を再訪したことを話すと、ねぎらっていただけました。

折り返し天城町に戻り、ガソリン給油・コンビニ立ち寄り後、レンタカーを返却し平土野港まで送ってもらいました。今度は12:50出航のフェリーあまみに乗船です。約2時間20分の船旅でしたが、身体は休むことができました。

古仁屋港には9分早着の15:01となり、古仁屋の街を散策したり、古仁屋局を再訪後、宿泊先にチェックインをしました。

このあたりで、ご報告-その2-に続くことといたします。

※写真は、上が鹿児島大学病院駐車場から見た桜島。下が徳之島の目手久簡易郵便局。

2025年12月19日 (金)

1414.鹿児島に遠征中!

ライター稲生は、今年最後の局メグとして、鹿児島県に遠征中であります。

順調に行程が進んでいれば、この記事のアップ日(12.19)は最終日として喜界島を廻っていることでしょう。

今回のプランは、初日に鹿児島市内を少し廻ったのちに、二日目は徳之島の‘落ち穂拾い’、三日目は奄美大島南部の古仁屋より加計呂麻島に渡り、これも‘落ち穂拾い’をします。最終日は、喜界島の局メグをしたのちに、鹿児島空港経由で中部空港に戻ってくるコースであります。

鹿児島県における九州本土の局は152局ほど残っており、それが薩摩半島側のみとなっており、ここを集中的に廻っても良いのですが、ここは次の機会にまわすこととし、離島をしっかりケアをする方に舵を切ってみました。

Photo_20251212144601 まずは、奄美群島に渡る前泊的な意味で、鹿児島空港に降り立ちますので、鹿児島市内を廻っていきます。鹿児島空港近くでレンタカーを借りますので、高速を使っても1局目に着手できるのは11時頃です。20から22局の予定ですが、無理はしないつもりです。

次に、奄美群島の完訪・終了を試みます。徳之島は3年前に、当時の島内全23局を廻っているのですが(※)、その際に一時閉鎖中だった伊仙町の目手久簡易局が、訪問8ヶ月後の23.8.1より移転再開しており、これを拾うチャンスを窺っていました。徳之島には、これ以外の一時閉鎖中などの未訪問局は存在しないので、喜界島を廻る際に拾っていくことにしました。(※ブログNO.1118NO1119NO.1120参照)

もう一つ奄美大島南部の加計呂麻島に‘落ち穂’ができました。加計呂麻島内の西阿室局が今年7.7に、かけろま瀬相局に移転改称しています。加計呂麻島には、奄美大島側の古仁屋港から、2つの港すなわち生間(いけんま)港と瀬相港に定期船フェリーが就航していますが、今度の局は瀬相港内に出来ており、加計呂麻島内の足を確保する心配はありません。これを三日目に拾います。

三日目のうちに奄美空港から喜界島に渡り宿泊後、四日目の喜界島内は全9局のため、のんびり廻ることが出来ます。但し、直営局5局すべてが昼休み休業を採用しており、これに気をつけながら廻ることになります。喜界島では、時間余りのための観光もどきの行動もできるハズです。

このような島から島へ渡るコースでは、途中のどこか一つでも欠航や大きな遅延などがあると、計画倒れになってしまいます。最悪の場合は島流しもあり得ます。

天気予報では、まずまずの天候となっています。無事に帰ってきましたら、次回の記事にてご報告させていただきます。

※写真は、加計呂麻島・瀬相港にて。24.10.23撮影。

2025年12月11日 (木)

1412.国頭郡⇒島尻郡、村⇒市制施行

先月中旬の沖縄大遠征から、1ケ月が経とうとしていますが、まだまだ沖縄ネタであります。

まずは、本島北部3島は、いずれも1島1村ですが、伊江島が国頭郡で伊是名島・伊平屋島はなんと島尻郡です。これには驚きました。

国頭郡は、沖縄本島の太平洋側の金武町以北と、東シナ海側の恩納村以北の村々からなっており、本島北部と言われる地域なのですが、伊江村は含むものの、伊是名島・伊平屋島の伊是名村・伊平屋村は含んでいません。

正確には、当初は国頭郡であったものの、昭和47(1972)年6.7に、国頭郡から島尻郡に郡域変更をしています。沖縄県が日本復帰したのが昭和47年5.15ですので、その1ケ月以内に変更をしたのです。

Photo_20251210093501 なぜ島尻郡に変更したのか、詳しくわかりませんが、県議会選挙区は国頭郡ですし、衆議院選挙区も名護市・国頭郡と同様の区割りです。

次に、沖縄県には村から一挙に市になった例が多くみられています。

昭和28(1953)年10.1に真和志村⇒真和志市 (後に、那覇市に編入)

昭和31(1956)年7.1にコザ村⇒コザ市 (後に、美里村と合併し沖縄市)

昭和37(1962)年7.1に宜野湾村⇒宜野湾市

昭和43(1968)年7.1に具志川村⇒具志川市 (後に、石川市ほか2町と合併しうるま市)

昭和45(1970)年7.1に浦添村⇒浦添市

平成14(2002)年4.1に豊見城村⇒豊見城市

以上の6市です。

全国的には、これ以外には佐世保市・宇部市・岡谷市・芦屋市および滝沢市の5市があり、全部で11市のうち6市が沖縄県内で誕生したという珍しい例でした。(こちらの記事:Yahoo知恵袋のベストアンサーを参照)

ところで、中頭郡読谷村の人口は41,867人(都道府県市区町村・沖縄県編参照)です。市になるにはまだまだ先でしょうが、そろそろ町になってもおかしくない規模であり、気になっています。

※添付地図は、1972.5.15日本復帰時の沖縄県市町村地図。(それ以降の地図は、こちら

2025年12月 7日 (日)

1411.やんばる急行バス

今回の沖縄大遠征で、複数回乗車した‘やんばる急行バス’について、掘り下げてみたいと思います。

Wikipediaによると、沖縄中央観光を母体としていて、高速バスを2013より運行開始したとなっております。今世紀に入ってからの新規参入会社のようです。観光バスを廃止して、乗合バスに特化した会社でもあるようです。

私は2年半前に、本部港から与論島へ向かうフェリーに乗船するため、路線バスを探した際に、この‘やんばる急行バス’を見つけたのでした。その時は、名護市役所前バス停から本部港バス停まで乗車しております。(ブログNO.1217参照)

Photo_20251204003801 そして今回は都合5回も乗車してきました。二日目に、世冨慶バス停から本部港バス停まで。(ブログNO.1408参照)三日目は、本部港バス停から運天港バス停までと、運天港バス停からホテルマハイナウェルネスリゾートオキナワバス停まで。(ブログNO.1409参照)最終日の四日目は、名護市役所前バス停から運天港までと、運天港バス停から那覇空港バス停まで利用しました。(ブログNO.1410参照)

ですので、‘やんばる急行バス’の車内での様子まで、かなり詳しくなりました。特に最後の乗車では、始発の運天港から終点の那覇空港まで通しで乗車しており、乗車時間は3時間半でした。

この時の運転手は、かなりぶっきらぼうな口調で、客が先に行き先を言わないと「どこまで!」と、連呼したりして、お笑い芸人の小峠のような口調で、風貌も小峠に似ており、いつの間にか小峠が運転手をしているようにしか見えなくなってしまいました(笑)。

ワンマン運行ですので、実は運転手は結構大変であります。後述しますが、ダイヤ時間も厳しいもので、運転に余裕はありません。三日目に沖縄バスの路線バスを乗ったのですが、これは田舎ののんびりした路線バスだったのですが、それに比べるまでもなく、運転手の負担は大きなものと感じました。

運賃の支払いですが、完全前払い式です。乗車時に行き先を告げて支払いを済ますと乗車できるというものです。前扉しかありませんので、支払いが完了しないと座席につけないのです。

2_20251204004301 運賃支払い方法が、実に多種多様なものまでOKとなっており、これには昭和生まれの小生は、とても驚きました。PayPayなどのQRコード決済、Suica・PASMOなどの交通系やWAON・nanacoなどのコンビニ系の電子マネーそれに各種クレジットカードももちろんOKでした。観光地ゆえ、外国人観光客も乗車します。私は、Suica・PASMO・nanacoを使いました。

これをワンマン運行で運転手ひとりで対応するのですから、見ている方も驚くばかりです。この運転手さんがどれだけ給料をもらっているかはわかりませんが、取り分を多くしてやって欲しいものだと、外野ながら、思ったものでした。

ダイヤ時間ですが、相当厳しいです。私の乗車した‘やんばる急行バス’では、すべてが定時より遅れてしまっています。(詳しくは各ブログ記事を参照してください。)私が感じたのは、名護市以遠で運天港までは、ほぼ地元ということでもあるようですが、前方のマイカーやレンタカーをなかば煽るような運転シーンも見受けられました。いつ事故が起こるとも限らないのです。

トータルの時間を長くしたくないのかも知れませんが、定時運行もしくはそれに近い運行をしなければ、乗車している乗客も目的地についた後の乗り継ぎに支障が出ることでしょうし、途中のバス停で待っている乗客の方も、待ちくたびれることでしょう。

この会社では、ダイヤやバス停の変更を頻繁に行っているとWikiにあり、今後の改正に期待しておくことにしておきます。『沖縄を、好きになるバス・やんばる急行バス』とHPのトップページに喧伝しており、乗客がそのとおりに愛用してくれることを私は期待しております。

※写真は、‘やんばる急行バス’。ともに終点の運天港にて。

より以前の記事一覧