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地理ネタ

2024年4月26日 (金)

1254.日南市・串間市・志布志市

今回の宮崎・鹿児島大遠征では、宮崎県南部の日南市・串間市と県境で繋がる鹿児島県志布志市を訪問してきました。

九州としては、鹿児島本線側、すなわち福岡県・熊本県・鹿児島県の島原湾・八代海・東シナ海側が主経路であり、日豊本線側、すなわち福岡県・大分県・宮崎県・鹿児島県の周防灘・日向灘・志布志湾側は、どうしても従たる地域に位置付けられます。

このことは残念ではありますが、現在のところの共通認識となっており、新幹線でも高速道路でも、設置順は九州の西側幹線、東側幹線の順になっているのは事実であります。

Photo_20240503182901 さらには東側幹線においては、宮崎県では宮崎市からは山側の都城市方面に進み、鹿児島県では曽於市・霧島市・姶良市を通過して、鹿児島市に向かうため、表題の日南市・串間市・志布志市となると、ほとんど知識がなくかつ残念ながら興味もない状態であることが多いかと思います。

もちろん、これら3市をよく知っている方もいらっしゃることでしょうが、少なくとも私・稲生は、ほとんど知らないと言って良い地域です。ここで、これら3市のことを改めてお勉強してみることにいたします。

日南市についてですが、‘日’‘南’と太陽や南国にちなむ温暖な地のイメージを強く醸し出しているのですが、城下町である飫肥町と港町である油津町を中心とした新市が、どうして‘日南市’となったのか、これまで特段興味もなく良く判らないまま、こんな良い年になってしまったのでした。

今回、Wikipediaで調べてみて、ハタと合点がいったのですが、宮崎県全域を示す日向国の南の意味だと気が付きました。‘飫肥市’なのか‘油津市’なのか、新市名を巡って対立があり、合併がご破算になるかもれないところを‘日南市’という命名が、それを救ったということです。日南市が誕生したのが昭和25年ということで、昭和の大合併の先駆けとしての合併の成功例として、後発の昭和の大合併のお手本となったようです。

Photo_20240503182902 次に串間市ですが、中心部が福島町なのに何故‘串間市’なのか、‘ふくしま’なのになぜ‘くしま’なのか深掘りもしない中、漠然と疑問に思っていたのですが、やはりWikipediaなどによりその疑問は解消することになりました。鎌倉時代後期から1604年まであったのが櫛間城であったとのことで、それによる‘串間市’との命名であり、合点がいったのです。

最後は志布志市についてです。ここは日南市・串間市が昭和の大合併により市制施行したのに対し、平成の大合併時の平成18年(2006)に市となっております。

市となるのは遅かったのですが、志布志という名称は、昭和に合併でできた日南市・串間市と違って、古来からある由緒ある地名です。ですが私が興味あったのは「志布志市志布志町志布志」という、‘志布志’が3つ、‘志’の数を数えると6つとなる‘志布志’尽くしの事です。

ですので、志布志市志布志町志布志1丁目については、住居表示について、ちょこっと写真を撮ってみました。(宮北写真その4に写真あり)

※写真は、上が訪問8日前の4.1に再開した日南星倉簡易郵便局。下は志布志市の志布志大原簡易郵便局。(上は5.3写真追加)

2023年11月16日 (木)

1209.『おいらせ』、『鬼怒川』、『富士川』など

10月の最後の青森遠征においては、散策などをする時間は取れませんでしたが、奥入瀬渓谷の紅葉を愛でてきました。

青森県と秋田県との境界に位置する十和田湖からの唯一の流出河川が、この奥入瀬川であります。

青森県を流れ太平洋に注ぐ二級河川で、十和田湖の子ノ口(ねのくち)から北東に流れ、十和田市焼山で東に流れを変えて、十和田市街地の南側を通過して、上北郡おいらせ町と八戸市の境界で太平洋に注ぐ川であります。(以上、「奥入瀬川」wikiより)

一般的に有名なのは最上流の奥入瀬渓谷ですので、河口付近の町の名を『おいらせ町』というのは、理屈ではわかるのですが、やや違和感があります。‘おいらせ’と名の付く町が、こんな海岸付近にあるのか?と。

Photo_20231114195701 同様な感想を持つ例で、私・稲生の頭の中に浮かぶのが、『鬼怒川』であります。

関東平野東部を北から南に流れ利根川に合流する一級河川であり、利根川の支流では最も長い河川です。名称は当初は毛野国を流れる川として「毛野川」、中世から近世は「衣川」や「絹川」の字があてられ、明治初期から「鬼怒川」の字があてられるようになったものです。(以上、「鬼怒川」wikiより)

私のような北関東に何の縁もないものにとって、最初に‘鬼怒川’に接するのは「鬼怒川温泉郷」です。若い時に観光旅行の手配担当だったこともあり、日光の奥座敷としての「鬼怒川温泉郷」については、いくらかの知識がありました。「鬼怒川」の上流域にある地域のことに過ぎないのですが、‘鬼怒川’と言えば、「鬼怒川温泉郷」のことぐらいしか思い浮かびませんでした。

趣味の郵便局めぐりを実施するようになって、茨城県結城市の絹川郵便局を訪問したころに、絹川=鬼怒川であることに、すごく驚いたことがありました。その後、2015(H27)9月の関東・東北豪雨において、鬼怒川中流域の常総市近辺での越流などの被害がメディアで流れたことで、鬼怒川は栃木県から茨城県西部を流れている河川であることを改めて認識した次第です。

Photo_20231114200101 もう一つ『富士川』についても、同様な感想を持つことがあります。

南アルプス北部の長野県・山梨県の県境付近を源流として、甲府盆地を南流して西八代郡市川三郷町と南巨摩郡富士川町の町境で笛吹川と合流する。ここまでを釜無川と呼ぶ。ここから下流を富士川と呼び、富士山の西側を南下して駿河湾に注ぐ一級河川である。(以上、「富士川」wikiより)

私たち静岡県民にとって富士川と言って一番に思い起こすのは、富士川河口付近右岸に位置する「旧・富士川町」です。今でもJR東海道線の富士川駅や富士川郵便局がありますが、この地域は、平成の大合併により08(H20)11.1に富士市に編入してしまいました。

そして、入れ替わるように山梨県南巨摩郡増穂町と鰍沢町が10(H22)3.8に新設合併して「富士川町」となりました。静岡県の「旧・富士川町」と山梨県の「富士川町」は、法律上はダブって存在しても何ら問題はないのですが、上手い具合に入れ替わりに成立しております。

結論として、「おいらせ」も「鬼怒川」も「富士川」も、その河川のどこをとっても、その名のとおりであり、間違えている あるいは、勘違いしているのは、こちら側の人間の方であるということです。

※写真は、上が鬼怒川ラインの紅葉。下が富士川橋と富士山。ともに、ネットから拝借しました。

2023年3月22日 (水)

1146.『21大都市』

健康寿命日本一!・・・20大都市の中で健康寿命が3期連続1位

上記の文言が、浜松市のHP内の はっけん浜松 のページに記されています。 こちら

2010・2013・2016と日本一になったという記事です。どうやら、この調査は3年おきに実施されているようです。そうなると2019の結果が気になりますね。

私・稲生が気になったのは健康寿命のこともさることながら、『20大都市』という括りです。

HP内の注釈にも記されているように、19政令指定都市に東京都区部を加えたものとされております。

Photo_20230318211101 今回、このお題で政令指定都市のことを論じようとしたのですが、現状の政令指定都市の数は、2012.4.1に政令市に移行した熊本市を含めて20市あり、それに東京都区部を加えれば『21大都市』となることが判明いたしました。これについては、浜松市の該当部署に問い合わせをかけておりますので、少々お待ちください。

政令指定都市は、1956年の創設時には大阪市・名古屋市・京都市・横浜市・神戸市の5都市でした。(※)ですので、私・稲生の小学生当時の認識は、東京都区部を含んだ『6大都市』と呼んでおりました。(※:政令市の設置・追加については、こちらのページに詳しく書かれています。)

その後、北九州市を加えた『7大都市』、札幌市・川崎市・福岡市の3市を加えた『10大都市』、広島市・仙台市・千葉市・さいたま市の4市を加えた『14大都市』となっていき、静岡市・堺市・新潟市・浜松市・岡山市・相模原市・熊本市の‘なんちゃって政令市’7市を加えて『21大都市』となっていきました。

ベスト21とは、なんとも中途半端ですし、政令市指定後に人口が減り続けている静岡市以下の‘なんちゃって政令市’(厳密には相模原市を除く6市)を外し、人口100万人以上の『13大都市』あたりが妥当な‘大都市’であることでしょう。

(『13大都市』=上記『14大都市』から人口減少により100万人を切った北九州市を除いた都市で、もう少しで100万人を超える千葉市を含む)

実は、この『21大都市』というお題で、ともに‘なんちゃって政令市’の静岡市と浜松市の人口比較を、過去の時代と共に説明しようと思ったのですが、尺も少なくなってしまいましたので、この案件については、後日にさせていただきます。

※添付地図は、政令指定都市20市の位置図

※参考:政令指定都市の人口ランキング こちら

2022年5月20日 (金)

1061.‘ひらがな市名’の是非-その5-

前の記事(その4)の続きです。

Bとした中で、所属する郡名に忖度したのは、いなべ市・かほく市・うきは市・いすみ市・あま市ですが、前述したとおりで、‘ひらがな市名’の流行に乗っかったとも言えるでしょう。

でも、ちょっと待って下さい。

平成の大合併では、郡内を取りまとめて合併を果たし、市となった際に、郡名を漢字表記のままで市名としたところが多くあります。

 登米市・栗原市・北秋田市・仙北市・伊達市・田村市・行方市・稲敷市・香取市・匝瑳市・山武市・佐渡市・南魚沼市・射水市・

 能美市・坂井市・郡上市・山県市・海津市・志摩市・高島市・甲賀市・加東市・朝来市・養父市・宍粟市・宇陀市・赤磐市・真庭市・

 浅口市・美馬市・三好市・三豊市・香美市・糸島市・朝倉市・神埼市・小城市・壱岐市・阿蘇市・天草市・伊佐市・姶良市・日置市・

 曽於市 (以上の45市:平成以降のみ)

これをピックアップするのに結構な時間がかかりましたが、それは置いといて、郡名は昔から漢字表記であり、これを読みにくいからと言って、‘ひらがな市名’にするのはいかがなものでしょうか?

難読市名の東の横綱・匝瑳市や西の横綱・宍粟市のように、読めるものなら読んでみな!と、ドンと構えていて欲しいものです。

合併前の同名市町に忖度したCについても同様なのですが、郡名由来の漢字表記を使ったり、旧市町の漢字表記を使うことによって、合併話が頓挫しかねないゆえの苦肉の策として‘ひらがな市名’としたのなら、部外者がとやかく言うことはできないのかもしれません。

さて、その4でピックアップしなかった残りの9市は、どういうことでしょうか? すなわち、

えびの市・ひたちなか市・あきる野市・さくら市・うるま市・いちき串木野市・つくばみらい市・みどり市・みやま市 です。

難読ゆえに‘ひらがな市名’にしたのは、えびの市・うるま市ぐらいのものです。

メジャーではないゆえに誤読を防ぐために‘ひらがな市名’としたのが、あきる野市・いちき串木野市・みやま市あたりでしょうか?

残りの ひたちなか市・さくら市・つくばみらい市・みどり市は、何とも言えません。漢字の方が良いかもしれませんが、地元の方がひらがなの方が良いとしているのならそれで良いのでしょう。

最後に、‘ひらがな市名’の是非についての結論ですが、これら全てけしからん!とはならず、地元民=当事者が良ければそれで良し!ということで丸く収めたいと思います。

‘ひらがな市名’についての話題を、5回に亘る長きに展開してきましたが、このあたりで終わりにしたいと思います。

P.S. ここまで展開していた‘ひらがな市名’や、これまでの地理に関するネタのカテゴリーを『日記・コラム・つぶやき』から分離して、新設した『地理ネタ』に変更しました。(5.21追加)

2022年5月17日 (火)

1060.‘ひらがな市名’の是非-その4-

前の記事(その3)の続きです。

列挙した29市のうち、同名回避として漢字を避ける意味でひらがな市名にしたと考えられる市がほとんどです。(以下の20市)

 むつ市  (旧国名は陸奥国:A)               さぬき市 (旧国名は讃岐国:A)

 いわき市 (合併した5市4町5村の中に磐城市あり:C、そのうち3町2村の郡名は石城郡:B、所属する旧国名は磐城国:A)

 つくば市 (合併前の町村の大半が筑波郡:B、筑波町あり:C)

 さいたま市(県内に北埼玉郡・南埼玉郡あり:B)        東かがわ市(県内に香川郡あり:B)

 いなべ市 (合併前の4町は員弁郡:B、員弁町あり:C)    かほく市 (合併前の3町は河北郡:B)

 あわら市 (合併した2町の中に芦原町あり:C)        南あわじ市(隣接して淡路市あり:C、旧国名は淡路国:A)

 つがる市 (県内に北津軽郡・東津軽郡・南津軽郡・中津軽郡・西津軽郡あり:B、旧津軽藩:A)

 うきは市 (合併前の2町は浮羽郡:B、浮羽町あり:C)    かすみがうら市(合併した2町の中に霞ケ浦町あり:C)

 にかほ市 (合併した3町の中に仁賀保町あり:C)       ふじみ野市(隣接して富士見市あり:C)

 たつの市 (合併した1市3町の中に龍野市あり:C)      南さつま市(旧国名は薩摩国:A、県内に薩摩町があった:C)

 いすみ市 (合併前の3町は夷隅郡:B)            みよし市 (徳島県三好市あり:C)

 あま市  (合併前の3町は海部郡:B)

この中で、Aとしたのは、旧国名や旧藩名に配慮して、同名回避したということです。(こちら を参照)

旧国名の入った市とは、越前市・伊豆市・出雲市・豊前市・筑後市など、ほとんどが漢字表記のままです。同名回避などをする必要はないと思うのですが、むつ市・さぬき市などは同名回避をして‘ひらがな市名’としました。それとも‘ひらがな市名’の流行に乗っかったのかもしれません。(※むつ市は、元祖ひらがな市名でした。決して、流行に乗っかったわけではありませんでした。)(5.18訂正)

Bとしたのは、所属する郡名に忖度したということであり、Cとしたのは、合併前の同名市町に忖度したということです。これらも、‘ひらがな市名’の流行に乗っかったということでしょう。

その5に続きます。

2022年5月14日 (土)

1059.‘ひらがな市名’の是非-その3-

さいたま市の件についてです。さいたま市は何故ひらがな表記にしたのでしょうか?

新市名を公募したところダントツ1位が‘埼玉市’で‘さいたま市’は2位だったようです。埼玉発祥の地・行田市から待ったがかかったからでした。そのため、ひらがな表記の‘さいたま市’に決まったようです。(こちら を参照)

行田市・加須市などが北埼玉郡、越谷市・春日部市などが南埼玉郡で、川口市から浦和・大宮を経て鴻巣市までは北足立郡でしたから、歴史的には正しく、よく理解できる話です。

ここで余談ですが「佐賀県」を揶揄する歌でブレイクした お笑いピン芸人‘はなわ’が、「さいたま市はひらがな♪ さいたま市はひらがな♪」と‘さいたま市’をも揶揄する歌を歌っておりましたが、彼は埼玉県春日部市生まれで、彼の芸名もまた‘ひらがな’であることは、何とも皮肉な話であります。

この後、平成の大合併により、たくさんの‘ひらがな市名’が誕生しましたが、本当に‘ひらがな’で良いのでしょうか?このことを、考察してみたいと思います。

そのために、‘ひらがな市名’を漢字に直してみるとどのような表記となるのか、‘しこ名市名’の2市を除いた29市について列記してみます。

 むつ市(陸奥市)    いわき市(磐城市または石城市)    えびの市(葡萄野市:こちら を参照)

 つくば市(筑波市)    ひたちなか市(常陸那珂市)    あきる野市(秋留野市)    さいたま市(埼玉市)

 さぬき市(讃岐市)    東かがわ市(東香川市)    いなべ市(員弁市)    かほく市(河北市)

 あわら市(芦原市)    南あわじ市(南淡路市)    つがる市(津軽市)    うきは市(浮羽市)

 かすみがうら市(霞ケ浦市)    さくら市(桜市)    うるま市(宇流麻市)    にかほ市(仁賀保市)

 ふじみ野市(富士見野市)    たつの市(龍野市)    いちき串木野市(市来串木野市)    南さつま市(南薩摩市)

 いすみ市(夷隅市)    つくばみらい市(筑波未来市)    みどり市(緑市)    みやま市(三山市)

 みよし市(三好市)    あま市(海部市)

こんな感じです。漢字の方が良いのではないかと考えられる市名もありますね。その4に続きます。

2022年5月11日 (水)

1058.‘ひらがな市名’の是非-その2-

前の記事の続きです。列挙した市名を参考にしながら、読んでみて下さい。

一覧表によると31市もあるのですが、とりあえず伊豆の国市・紀の川市は除きます。‘の’は格助詞だそうです。この両市も、自分が‘ひらがな市名’とは思っていないことでしょう。むしろ、大相撲の‘しこ名’のような地名といったジャンルですね。

一番最初のひらがな市となったむつ市は、昭和の大合併の最中に発生した市ですね。ひらがな市名の歴史における、栄えある日本で最初の‘ひらがな市名’として、今も君臨しています。

続く、いわき市えびの市つくば市の3市は、昭和後期における広域合併の結果、ひらがな市名を選択したものと思われます。ここまでの4市の設置により、広域合併において、なにかと揉めるもととなっている市名問題解決策のモデルケースとして、後発の広域合併の先駆けとなったと言ってよいでしょう。

平成初期のひたちなか市あきる野市も同様です。これらは2市もしくは1市1町の合併により発生しております。

ここまでの6市を整理してみます。

田名部町・大湊町の2町⇒(1959.9.1合併市制)大湊田名部市⇒(1960.8.1改称)むつ市⇒川内町・大畑町・脇野沢村の2町1村編入(2005.3.14)

平市・磐城市・常磐市・内郷市・勿来市・四倉町・遠野町・小川町・好間村・三和村・田人村・川前村・久之浜町・大久村の5市4町5村⇒(1967.10.1合併市制)いわき市

飯野町・加久藤町・真幸町の3町⇒(1966.11.3合併)えびの町⇒(1970.12.1市制)えびの市

谷田部町・豊里町・大穂町・桜村の3町1村⇒(1987.11.30合併市制)つくば市⇒筑波町の編入(1988.1.31)⇒茎崎町の編入(2002.11.1)

勝田市・那珂湊市の2市⇒(1994.11.1合併)ひたちなか市

秋川市・五日市町の1市1町⇒(1995.9.1合併)あきる野市

次は、さいたま市です。

県庁所在地である浦和市と隣接の大宮市・与野市の3市が合併して、さいたま市が誕生し、2年後に政令指定都市となりました。上記同様に整理した書き方では、

浦和市・大宮市・与野市の3市⇒(2001.5.1合併)さいたま市⇒(2003.4.1政令市施行)西区・北区・大宮区・見沼区・中央区・桜区・浦和区・南区・緑区の9区設置⇒岩槻市の編入(2005.4.1)岩槻区設置、計10区となる

長くなりました。その3に続きます。

2022年5月 8日 (日)

1057.‘ひらがな市名’の是非-その1-

黄金週間が終わろうとしておりますが、皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか?私は、自宅に籠っておりました。

さて、先日訪問した秋田県にかほ市のような‘ひらがな’表記の市名は、平成の大合併の頃に多く誕生しましたが、この‘ひらがな市名’について、皆さんはどのように思われますでしょうか?

私・稲生は幸いなことに漢字表記の市に住んでおりますが、政令指定都市・さいたま市も誕生しており、大変多くの住民が‘ひらがな市’に居住しており、自分の居住地をひらがな表記で書くのも珍しいことではないようになっております。

住所などは、単なる記号と同じようなもの。と考える人は、何も思うことはないのでしょうが、気になる人は気になるもので、今回は、そこのところを考えていきたいと思います。

現存している‘ひらがな市名’は、こちら の表にあるとおりで、31市あります。そのうち、ひらがな表記のみの市は23市です。

ここでは、市制施行日順に並べ変えてみます。

 むつ市(青森県)   1960(S35)8.1       いわき市(福島県)  1966(S41)10.1

 えびの市(宮崎県)  1970(S45)12.1      つくば市(茨城県)  1987(S62)11.30

 ひたちなか市(茨城県)1994(H6)11.1      あきる野市(東京都) 1995(H7)9.1

 さいたま市(埼玉県) 2001(H13)5.1       さぬき市(香川県)  2002(H14)4.1

 東かがわ市(香川県) 2003(H15)4.1      いなべ市(三重県)   2003(H15)12.1

 かほく市(石川県)  2004(H16)3.1       あわら市(福井県)  2004(H16)3.1

 南あわじ市(兵庫県) 2005(H17)1.11      つがる市(青森県)  2005(H17)2.11

 うきは市(福岡県)  2005(H17)3.20      かすみがうら市(茨城県)2005(H17)3.28     

 さくら市(栃木県)  2005(H17)3.28       伊豆の国市(静岡県) 2005(H17)4.1     

 うるま市(沖縄県)  2005(H17)4.1       にかほ市(秋田県)  2005(H17)10.1

 ふじみ野市(埼玉県) 2005(H17)10.1      たつの市(兵庫県)  2005(H17)10.1

 いちき串木野市(鹿児島県)2005(H17)10.11  紀の川市(和歌山県) 2005(H17)11.7   

 南さつま市(鹿児島県)2005(H17)11.7      いすみ市(千葉県)  2005(H17)12.5

 つくばみらい市(茨城県)2006(H18)3.27     みどり市(群馬県)  2006(H18)3.27

 みやま市(福岡県)   2007(H19)1.29     みよし市(愛知県)  2010(H22)1.4

 あま市(愛知県)   2010(H22)3.22

以上となります。結構、たくさんありますね。

これらの解説等については、次回といたします。

2022年4月27日 (水)

1054.東男と京女・後編

前の記事の続きです。東男の次は京女についてです。

京都府には京田辺市と京丹後市の他に京丹波町というのもあります。

京田辺市・・・H9(1997)4.1に綴喜郡田辺町が市制施行したもの。一旦、田辺市になり、即日、京田辺市に改称している。和歌山県田辺市(1942.5.20市制施行)との同名回避で京田辺市とした。

京丹後市・・・H16(2004)4.1に中郡峰山町・竹野郡丹後町ほか4町が合併し市制施行したもの。丹後町は中心部とは離れており、広義の丹後地区の前に京都府下にあるという意味で‘京’を付けたもの。

Photo_20220424081601 京丹波町・・・H17(2005)10.11に船井郡丹波町ほか2町が合併したもの。合併前の丹波町と区別する意味で頭に‘京’を付けたもの。

京田辺市は、同名回避として京都府の意味の‘京’を付けていますが、京丹後市・京丹波町は同名なものはなく、京都府下であることを強調したかったようです。

それでも京丹波町の場合は、丹波国は兵庫県・京都府の両県に跨っており、H16(2004)11.1には兵庫県丹波市が氷上郡6町の合併により誕生していることもあり、ある意味同名回避として、丹波市との混同を避けたとも言えましょう。

同名回避には、旧国名を付けるケースや東西南北を付けることが一般的ですが、大阪狭山市のように府名を付けるケースもあり、京田辺市・京丹後市・京丹波町は県名を付けるところを、京都だけが許される漢字一文字の‘京’をステイタスのように付けたものと考えております。

すなわち、京都田辺市・京都丹後市・京都丹波町ではなく京田辺市・京丹後市・京丹波町なのであります。冒頭のお題でも、京都女とは決して言いませんよね。あくまでも京女なのです。

以上が「東男と京女」の話題でしたが、局メグが停止する5月に入るにあたって、同名回避の例としての旧国や東西南北を付けるお話しや、ひらがな市名、その他、市名にまつわる考察など、折を見て記事にしてみたいと思っています。

※写真は、京田辺市の中心局・山城田辺郵便局。和歌山県田辺郵便局との同名回避として、ここでは旧国名を付けております。(H22.3.10訪問)

2022年4月24日 (日)

1053.東男と京女・前編

今回のお題は『東男京女』、ひらがなで書くと『あずまおとこきょうおんな』に関するお話しです。

粋な江戸の男しとやかな京都の女の間の相性はとても良いと言った意味のようですが、こちらのブログでは、それを解説するほどの見識は持ち合わせておりませんので悪しからず。

市名のお話しです。

東京都に東村山市・東大和市・東久留米市、埼玉県に東松山市があります。対して、京都府には京田辺市・京丹後市が存在しております。今回は、それらに関係する市名およびその周辺に関する話題を稲生流の解釈にて深掘りしてみようかと思います。

東村山市・・・S39(1964)4.1に北多摩郡東村山町が市制施行したもの。かっての村山郷の東のはずれの意味で、西隣に東大和市・武蔵村山市がある。

Photo_20220423023001 東大和市・・・S45(1970)10.1に北多摩郡大和町が市制施行したもの。一旦、大和市となり、即日、東大和市に改称している。先に市制施行していた神奈川県大和市(1959.2.1市制施行)との同名回避で東大和市とした。

東久留米市・・・S45(1970)10.1に北多摩郡久留米町が市制施行したもの。一旦、久留米市となり、即日、東久留米市に改称している。福岡県久留米市(1889.4.1市制施行)との同名回避で東久留米市とした。

東松山市・・・S29(1954)7.1に比企郡松山町ほか4村が合併し市制施行したもの。愛媛県松山市(1889.12.15市制施行)との同名回避で東松山市とした。

東村山市は、元々東村山町だったので除くとして、東大和市・東久留米市・東松山市は、同名回避対照市(大和市・久留米市・松山市)に対して東にあるので頭に‘東(ひがし)’を付けたと言われておりますが、私・稲生の解釈では、もう一つの視点として敢えて‘東’を付けたものと推察しております。(※2)

一般的に同名回避の方法として、旧国名を付けたり東西南北を付けたりしますので、これら3市は方位を示す‘東’を付けたとされておりますが、これら3市は旧令制国では武蔵国であり、いわゆる広義の東国であります。

ここで出てくるのが後述する‘京’を付けた市名との対比であります。‘東’は都から見れば東国のことを指しており、‘東(ひがし)’=‘東(あずま)’であります。坂東とも言われた関東地方の武蔵国あたりを指す言葉でもあります。

それゆえ、敢えて武蔵大和市・武蔵久留米市・武蔵松山市とはせずに‘東’を名乗ったのではないかと、私・稲生は解釈するに至りました。つまり、方位としての‘東’と東国としての‘東’の両方の意味を持つということです。(※2)

後編では、頭に‘京’を付けた2市ほかのお話しをしていきます。

※1.全国の同名回避市の詳細については こちら を参照してください。

※写真は、東大和市の大和郵便局。東久留米郵便局や東松山郵便局とは違って、改称せずに頑張っています。(H22.3.16訪問)

※2.もう一つの視点、つまり・・・以下の語句を追加。(5.4)