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地理ネタ

2025年12月11日 (木)

1412.国頭郡⇒島尻郡、村⇒市制施行

先月中旬の沖縄大遠征から、1ケ月が経とうとしていますが、まだまだ沖縄ネタであります。

まずは、本島北部3島は、いずれも1島1村ですが、伊江島が国頭郡で伊是名島・伊平屋島はなんと島尻郡です。これには驚きました。

国頭郡は、沖縄本島の太平洋側の金武町以北と、東シナ海側の恩納村以北の村々からなっており、本島北部と言われる地域なのですが、伊江村は含むものの、伊是名島・伊平屋島の伊是名村・伊平屋村は含んでいません。

正確には、当初は国頭郡であったものの、昭和47(1972)年6.7に、国頭郡から島尻郡に郡域変更をしています。沖縄県が日本復帰したのが昭和47年5.15ですので、その1ケ月以内に変更をしたのです。

Photo_20251210093501 なぜ島尻郡に変更したのか、詳しくわかりませんが、県議会選挙区は国頭郡ですし、衆議院選挙区も名護市・国頭郡と同様の区割りです。

次に、沖縄県には村から一挙に市になった例が多くみられています。

昭和28(1953)年10.1に真和志村⇒真和志市 (後に、那覇市に編入)

昭和31(1956)年7.1にコザ村⇒コザ市 (後に、美里村と合併し沖縄市)

昭和37(1962)年7.1に宜野湾村⇒宜野湾市

昭和43(1968)年7.1に具志川村⇒具志川市 (後に、石川市ほか2町と合併しうるま市)

昭和45(1970)年7.1に浦添村⇒浦添市

平成14(2002)年4.1に豊見城村⇒豊見城市

以上の6市です。

全国的には、これ以外には佐世保市・宇部市・岡谷市・芦屋市および滝沢市の5市があり、全部で11市のうち6市が沖縄県内で誕生したという珍しい例でした。(こちらの記事:Yahoo知恵袋のベストアンサーを参照)

ところで、中頭郡読谷村の人口は41,867人(都道府県市区町村・沖縄県編参照)です。市になるにはまだまだ先でしょうが、そろそろ町になってもおかしくない規模であり、気になっています。

※添付地図は、1972.5.15日本復帰時の沖縄県市町村地図。(それ以降の地図は、こちら

2025年10月 2日 (木)

1392.特例市・中核市・政令指定都市について

北海道・道央大遠征の最中ですので、繋ぎの記事を一つお届けいたします。

記事NO.1356の佐世保市に関する記事の中で、特例市・中核市および政令指定都市について、後述する旨書いておりました。今回は、それについて詳しく記してみたいと思います。

日本の市町村の歴史としては、村⇒町⇒市と発展していきます。基本的には、その逆、すなわち市から町へ、町から村へと戻ることはできません。分立などで市や町から町や村として分かれることはできます。

そのため、昭和の大合併や平成の大合併などの時に、いわゆる3万人市制により市に昇格したあとに、暫時人口が減っていき1万人を切る事態になっても市のままのミニ都市、通称‘なんちゃって市’なども少なからず存在します。(ここの表の789位赤平市以降の4市)

市の中でも発展を遂げ、特例市・中核市・政令指定都市と出世(?)していく都市も結構あります。その時々の、地方行政政策に則った方策により、都道府県から権限移譲をしていくもので、メリット・デメリットも両方を併せ持っており、該当権利のある市による申請により昇格(?)していくもので、この権利を行使しない選択も可能となっております。

日本の大都市制度は、法定人口が20万人以上が必要な特例市、30万人以上が必要な中核市、50万人以上が必要な政令指定都市の3段階となっておりました。もちろん、人口要件以外にも条件があり前述の通りメリット・デメリットがあるため、人口要件だけで特例市・中核市・政令指定都市となっていくわけではありません。

特例市制度は2000(H12)4.1から施行され始まりましたが、2015(H27)4.1より「特例市と中核市の区分をなくそう」と特例市制度を廃止し、中核市の人口要件を20万人以上に緩和し、特例市と中核市を統合することとなりました。

つまり3段階から2段階になったのですが、特例市から中核市に移行せずに、特例市のままとなっている市を施行時特例市として区分しております。ですので、実質3段階のままであります。

こちらの表が前述の実質3段階などをまとめた表となっております。これら3段階の都市を指定都市としてまとめております。グリグリさんの『都道府県市区町村』のページです。いつもお世話になっております。資料を探すなら『都道府県市区町村』のページに限ります。

特例市施行後、20万人を切った市が5市、中核市に移行した都市でも甲府市・鳥取市・松江市・呉市の4市は20万人を切っております。

政令指定都市については、時間切れにつき詳しく触れることができませんでしたが、横浜市以下20都市が指定を受けております。

2025年5月28日 (水)

1356.佐世保市の市域拡大の歴史

長崎県で県庁所在地の長崎市に次ぐ第二の都市・佐世保市について考察してみます。

今回の長崎大遠征では、訪問した59局中、佐世保市域で37局を廻ってきました。全75局があり、4年5ヶ月にて完訪に至りました。

佐世保市域は、2010(H22)3.31の江迎町・鹿町町の編入を最後に、上の地図のような状態となっております。そして2016(H28)4.1に中核市に指定されております。

2016_20250525193101 中核市とは、詳しくは省略しますが、町から市への昇格後、特例市⇒中核市⇒政令指定都市と発展を遂げていく流れがあり、その中核市のことであります。現在、政令指定都市が20市、中核市が62市、特例市が23市あります。最後の特例市は施行時特例市とも言われております。これらの詳しい事柄については、項を改めることにいたしましょう。

佐世保市は中核市62市の中では、人口56位(230,226人)で面積26位(426.01㎢)となっております。(こちらの表より)人口は下の方、面積は中どころと言った感じです。

さて本題の佐世保市域の拡大の歴史についてです。

1902(M35)4.1に東彼杵郡佐世保村から佐世保市に昇格しました。私の住む浜松市が町から市になったのがM44ですので、それよりも早く市の仲間入りをしております。村から一挙に市になったことからも、軍港の町として明治期に大きな発展をみたことが推測できます。

そして、北松浦郡ではなくて東彼杵郡であったことも驚きました。大村方面から北上している東彼杵郡の北の端に位置していたのです。

戦時下の1942(S17)までに、北は北松浦郡大野町・皆瀬村・中里村、南は東彼杵郡早岐町まで市域を拡大していきました。

1902 昭和の大合併時には、1954(S29)には北松浦郡黒島村と柚木村を編入したのを始め、翌1955(S30)に東彼杵郡江上村ほか2村、1958(S33)に東彼杵郡宮村を編入していきました。

2001(H13)に特例市となった後、平成の大合併時には、2005(H17)には北松浦郡吉井町・世知原町を、翌2006(H18)には北松浦郡宇久町・小佐々町を編入したのち、冒頭で触れた2010(H22)の江迎町・鹿町町の編入により現在の佐世保市域となっております。離島である上五島の北部の宇久町も佐世保市域に含まれているのです。

北松浦郡で町のままなのは、離島の小値賀町と佐々町の2町のみです。小値賀町は僅か54票差で佐世保市との合併反対が上回ったようで単独の道を歩んで行ったようです。佐々町は隣の小佐々町との2町合併で、さざなみ町という名称まで決定したそうですが、その名称問題等でご破算になったようです。

2町ともに財政豊かとは言えず、いずれ他との合併を考えていくことでしょうが、小値賀町の方は、新上五島町と合併するか佐世保市に合併するかの2択がありそうですが、佐々町の方は佐世保市域に囲まれてしまっており、佐世保市への編入しか手立てはなさそうです。

上が2016年の最新パラパラ地図、下が佐世保市誕生当時の1902年のパラパラ地図。

2025年3月 9日 (日)

1339.安房国=安房郡について

先の‘落ち穂拾い’局メグでは房総半島の先端部となる安房国で2局を訪問してきました。安房国のエリアは現在の行政区分としては、館山市・鴨川市・南房総市および鋸南町の3市1町の地域です。〔下図〕

明治22年4.1の市制・町村制施行時には、安房郡(2町9村)・朝夷郡(11村)・平郡(11村)・長狭郡(2町9村)の4郡(4町40村)に分かれていました。明治30年に郡の統合があり、4郡は統合し安房郡(7町37村)のみとなりました。

1959 その後、昭和の大合併時までに館山市とその周辺部(11町1村)〔上図〕となり、その後、鴨川町他2町合併(昭和46(1971)年)により鴨川市が発足しました。

そして平成の大合併により、前述した3市1町になっていったのですが、その中でも南房総市は、館山市を囲む7町村の合併により誕生したのですが、下の地図で見てもわかるように館山市を嫌って、館山市に対抗して合併したものです。

これは合併に向けての協議会で喧嘩別れしたことによるのですが、この地図に鉄道路線を入れ込めば、館山市外しの事実は、さらに鮮明に判ることでしょう。

ところで、房総半島の半島名は、令制国の安房国と上総国・下総国に由来していることは、皆さまご存知の通りですが、南房総市については、安房国にある市であるものの、メジャーな房総半島の‘房総’を名乗っております。例えば‘安房市’とするよりも‘南房総市’とした方が、判りが良いということでしょう。

余談ながら、安房国の地域は君津市・木更津市・茂原市・勝浦市などと同様に袖ヶ浦ナンバーであります。車両ナンバーの話です。

2013 この‘袖ヶ浦’という小さな市に自動車検査登録事務所があることに拠るのですが、判りやすくするとしたら‘房総’ナンバーが良い事でしょうが、‘暴走’に通じるということで却下された模様です。まあ、当然でしょうね。他地域の者からの格好の‘からかい’=攻撃材料になったことでしょう。

この安房国における郵便局めぐりとしては、16年半前の平成20(2008)年9.2~9.3の二日間のみで廻り切っております。当時は全46局でした。

その後、今回の2局を含めて4局の‘落ち穂拾い’をしてきました。平成25(2013)年に鴨川市の西條簡易局を、令和3(2021)年に鴨川市の江見駅局を、そして今回の鋸南町の安房勝山駅局と館山市のグリーンファーム館山内局でした。

この安房地域は、千葉県でも遠い所ですので、私の住む静岡県からは尚更遠くにある場所です。平成25年の‘落ち穂拾い’の後には、富津市の浜金谷より東京湾フェリーで帰りました。なぜそうしたのか?実は一度乗ってみたかったという単純な動機からでした。

次に安房地域に出向くのはいつのことでしょうか?‘落ち穂’の発生次第によることでしょう。

2025年2月19日 (水)

1334.人吉・球磨地域について

今回の熊本・鹿児島遠征では、初日・二日目と熊本県球磨地域を廻ってきました。この地域は人吉市を中心とした1市4町5村となっております。

この地域出身の有名人としては、お笑いコンビ・ウッチャンナンチャンの内村光良さんがおりますが、この方はあさぎり町の免田小学校から人吉市の西瀬小学校に転校後、人吉第二中学校・人吉高校と進んだ生粋の球磨・人吉の方のようです。西瀬小学校最寄りの下戸越簡易局で、彼に関する雑談をしましたが、地元が誇る有名人として、認知されているようでした。

Photo_20250215012201 そんな球磨地域ですが、人口は1市4町5村を合わせても75,321人(24.10.1現在)しかおりません。郵便局数は43局です。

今回は初日が22局で二日目も22局の計44局を廻ったのですが、初日の五家荘郵便局は、八代市であるものの川辺川の最上流に位置しており、これも合わせて廻っており、43+1で44局でした。

1市4町5村と、他の地域と比べると合併が進んでいないような気がします。人吉市は3万人を切り、球磨郡ではあさぎり町の13,677人が一番多く、五木村に至っては817人と4桁を割っております。

上の表が球磨地域の人口を羅列した表です。グリグリさんの都道府県市町村の熊本県の市町村のページから抜粋しました。

対して、下の表は五家荘および球磨地域の市町村変遷を調べた表です。これはエイちゃさんの市町村変遷パラパラ地図の熊本県(完全版)の左側部分の変遷のうち、球磨地域の部分を調べ上げた表となっております。表そのものは稲生作であります。

どちらもクリックして拡大してご覧になってください。

下の表において、五木村と山江村は明治22年の市町村制施行以来、ずっと村のままです。山江村あたりは人吉市にほど近いのに、合併せずに頑張っております。いつまで単独村制を維持できるのか、見守ってみたいと思います。

Photo_20250215015701 球磨村・人吉市を走るJR肥薩線は、令和2年7月豪雨により多くの橋梁が流失するなどして、八代駅・人吉駅間および人吉駅・吉松駅間で運休をしております。人吉駅で繋がる第三セクター・くま川鉄道も同様で、人吉温泉駅・肥後西村駅間がまだ運休のままです。つまり、人吉駅には列車が走っていないのです。

それでも、くま川鉄道が26年度中の全線再開を目指しており、JR肥薩線も八代駅・人吉駅間の復旧も決まりつつあるとのことです。肥薩線の該当区間の復旧費用が約235億円とされており、再開されても赤字路線なのは変わらないのに、どうしたものか?と、素人で外野にいる私・稲生などは、驚いているところです。

最後に、五木村発祥と言われている「五木の子守唄」のことですが、稲生が住む浜松市のゴミ収集車が奏でる音楽(オルゴール)がこれだった記憶があります。50年以上も前の少年期の頃です。もちろん、小学校の音楽の時間に教わりましたが、今では放送禁止歌になっているようです。

「勧進」という歌詞が言葉狩りにより、「五木の子守唄」を闇に葬り去らせたようです。♪勧進 勧進♪などと普通に歌えば意味の良く判らない歌詞であって、問題視する方が可笑しいと思うのですが・・・どう思いますか?

2024年12月12日 (木)

1315.8大都道府県、市町のみの都道府県

今回は、ちょっとした地理ネタです。

8大都道府県って知ってますか?

ちょっとググってみると、7大都市圏というのはあるのですが、8大都道府県というのは見当たりません。でも、私は何かの本で見たことがあり、それを示してみます。(人口:2020.10.1国勢調査、面積:同年の全国都道府県市区町村別面積調)

埼玉県(7,344,765人・3797.75㎢)、千葉県(6,284,480人・5157.57㎢)、東京都(14,047,594人・2194.03㎢)、神奈川県(9,237,337人・2416.11㎢)、愛知県(7,542,415人・5173.07㎢)、大阪府(8,837,685人・1905.32㎢)、兵庫県(5,465,002人・8401.02㎢)、福岡県(5,135,214人・4986.51㎢)の8都府県です。

8 東京都を含む南関東と愛知・大阪・兵庫・福岡の8都府県ですが、これらの合計は人口が63,894,492人・面積が34031.38㎢となります。

これら8大都道府県の人口・面積それぞれの合計は、全国の人口・面積のそれぞれ50.65%・9.00%となります。すなわち、国土の僅か9%の面積のエリアに人口の半分が居住しているということになります。

ちなみに北海道(5,224,614人・83424.44㎢)が福岡県よりも人口が多いので、福岡県を北海道に差し替えてみると、人口・面積のそれぞれ50.72%・29.76%となり、面積が3割弱のエリアに広がってしまい、あまり説得力の無い8大都道府県の統計となってしまいます。

次は市町のみの都道府県についてです。ここでは‘市町’のことを‘しまち’と呼びます。首長である‘市長=しちょう’と区別する意味で、そのように発音するのです。

市町のみの都道府県というのは、村が無い都道府県という意味ですが、昭和の大合併直後には、兵庫県・香川県の2県のみでしたが、平成の大合併により、さらに11県において村が無くなったのです。

追加の11県は、栃木県・石川県・福井県・静岡県・三重県・滋賀県・広島県・山口県・愛媛県・佐賀県・長崎県です。兵庫県・香川県と合わせて13県において、村が無くなった県が存在しております。

これらは都市化が進んだわけではなく、単独で村制を維持できずに、周辺市町に吸収・合併されていった自治体が増えたということです。そんなに、喜ばしいお話しではありませんでした。

 

2024年11月16日 (土)

1308.ナンバープレートの実態・不思議-その3-

ナンバープレートの実態・不思議について、もう少し続けてみます。

今回もウォーリーを探せをお願いします。NO.1306のウォーリーは川越ナンバーでした。川越メンバーなどと遊んでみたのですが、探すことができたでしょうか?NO.1307でのウォーリーも1箇所だけです。ヒントは、ナンパーです(笑)。

前回の記事で紹介した私の地元静岡県よりも人口の大きな県で紹介していないのは、神奈川県と福岡県です。

神奈川県(人口約920万人)は横浜ナンバー・川崎ナンバー・湘南ナンバー・相模ナンバーの4地区に区分されていて、ご当地ナンバーなどは特になくスッキリしています。余談ながら、私は相模ナンバーを見ると、サガミと読めずにスモウと読んでしまいます。潜在意識があるのか、どうしてもスモウとしか読めないのです(笑)。相模ナンバーの方、ごめんなさい。

Photo_20241111084001 福岡県(人口約510万人)も4地区だけでスッキリしています。すなわち福岡ナンバー・北九州ナンバー・筑豊ナンバー・久留米ナンバーです。一見、筑豊ナンバーがご当地ナンバーかと勘違いしそうですが、1985年に飯塚市に筑豊自動車検査登録事務所が設置され運用を開始しているようです。

さて、県別のナンバーの基本は1県1ナンバーです。現在でも1県1ナンバーなのは次の15府県です。

秋田県・富山県・福井県・滋賀県・京都府・和歌山県・鳥取県・徳島県・愛媛県・高知県・佐賀県・熊本県・大分県・宮崎県・沖縄県です。人口約250万人の京都府が京都ナンバーだけなのは、意外かもしれませんが、さすが威厳ある古都・京都であるとも言えましょう。

1県2ナンバーで二つともご当地ナンバーではないのは6県あります。調べてみたので、触れさせてください。

山形県・岐阜県・兵庫県・広島県・長崎県・鹿児島県です。それぞれ何ナンバーと何ナンバーか、頭の中で考えてみてください。

1県2ナンバーで一つがご当地ナンバーの場合、県庁所在地名が県名と相違していて、県庁所在地プライドによりご当地ナンバーを創設している例が見受けられます。

宮城県の宮城ナンバーに対して仙台ナンバー、石川県の石川ナンバーに対して金沢ナンバー、香川県の香川ナンバーに対して高松ナンバーです。これと反対のケースが25年5月から交付開始される北海道十勝総合振興局の帯広ナンバーに対して十勝ナンバーです。帯広市以外は十勝ナンバーになるのですから。

これらの検証は こちらのHPで確認できます。ナンバープレート情報局>管轄マップ 各都道府県の地図をクリックすると詳細が判ります。

まだまだナンバープレートに関する話題は尽きないのですが、当ブログではこの辺りで終了とさせていただきます。

(ウォーリーを探せ:NO.1307の正解は浜松ナンパーでした。NO.1308にはウォーリーは居ません。)

2024年11月13日 (水)

1307.ナンバープレートの実態・不思議-その2-

前の記事の続きです。

まずは、ウォーリーを探せです。前の記事で1箇所だけナンバーと記載せずに別の文字を敢えて記載しておりましたが、判りましたか?気が付かなかった方は、もう一度よく読み直してみてください。ヒントはメンバーです(笑)。

Photo_20241111084301 日本一の人口を擁する東京都(人口約1,410万人)では、品川ナンバー・練馬ナンバー・足立ナンバー・八王子ナンバー・多摩ナンバーの5地区に加えて、ご当地ナンバーとして世田谷ナンバー・杉並ナンバー・板橋ナンバー・江東ナンバー・葛飾ナンバーの5地区さらには25年5月から交付予定の江戸川ナンバーの計11種類となっております。

広大な面積を持つ北海道(人口約510万人)では、札幌ナンバー・函館ナンバー・旭川ナンバー・室蘭ナンバー・釧路ナンバー・帯広ナンバー・北見ナンバーの7地区に加えて、ご当地ナンバーとして苫小牧ナンバー・知床ナンバーの2地区さらには25年5月から交付予定の十勝ナンバーの計10種類となっております。

前回から見てきた愛知県・埼玉県・千葉県及び今回の東京都・北海道で種類が多くなっている理由としては、管轄内に所定ナンバーの自治体の人口よりも大きな人口(車両登録台数)を持つ自治体が積極的にご当地ナンバーを採用していることが挙げられるようです。

千葉県では習志野ナンバーに対して市川ナンバー・船橋ナンバーがご当地ナンバーとして発足していて、袖ヶ浦ナンバーに対して市原ナンバーが同様にあり、野田ナンバーに対して松戸ナンバー・柏ナンバーがあるなど、自動車検査登録事務所のある自治体名の都市よりも大規模な都市がご当地ナンバー取得に動いた結果、10種類になってしまったものと思われます。

その対極にある例としては、前の記事で触れた神戸ナンバー・姫路ナンバーの2種類のみの兵庫県を挙げれば説明がつきやすいと思われます。兵庫県では神戸市・姫路市に対して他の都市は、ひれ伏しているようです。

Photo_20241111110001 それでも、尼崎市・西宮市・宝塚市・伊丹市あたりが阪神ナンバーを創設でもしたら別ですし、淡路ナンバーとか但馬ナンバーなどのご当地ナンバーを作るのも、有りなのかと思います。

ところで私の住む静岡県(人口約350万人)は5種類のナンバープレートで区分されています。静岡ナンバー・浜松ナンパー・沼津ナンバーの3地区に加えて、ご当地ナンバーとして伊豆ナンバー・富士山ナンバーの計5種類です。

富士山ナンバーは皆さまご存知のとおり山梨県の富士吉田市ほかに許可した富士山ナンバーと静岡県の富士市・御殿場市などに許可した富士山ナンバーとの合作であります。富士山という日本最高峰の山の名を使用するのには、静岡・山梨両県の調整が必須ですので、両者がケンカしないように2つの県の跨ぐ形とした例であります。

なお伊豆ナンバーと富士山ナンバーの2種類のご当地ナンバーの交付により沼津ナンバーは、沼津市・長泉町・清水町のエリアだけになり、ある意味 希少ナンバーとなってきました。(NO.36沼津ナンバー 参照)

このナンバープレートの管轄のお話しは、もう少し続けることにいたします。

2024年11月10日 (日)

1306.ナンバープレートの実態・不思議-その1-

今回は地理ネタの変形とも言える話題です。

まずは最近知ったことから。大阪ナンバーがありますが、大阪市居住者は大阪ナンバーではありません。

大阪ナンバーは寝屋川市にある大阪陸運支局のエリアで、大阪市住之江区にある なにわ自動車検査登録事務所と、和泉市にある和泉自動車検査登録事務所の管轄ではない地域、すなわち陸運支局直轄の地域に付与されているナンバーであります。

Photo_20241107075601 そのエリアは、大阪府北部の豊中市・池田市・豊能郡から京都府寄りの高槻市・島本町・枚方市、さらには大阪市東部に隣接する守口市・門真市・東大阪市・八尾市などの16市3町です。

そして大阪市内ではなにわナンバーが付与されます。

これらのことは、地元大阪府民には常識なのかもしれませんが、他県のものには不思議な話に映ります。

ついでに大阪府(人口約870万人)全体のナンバーの種類は、大阪ナンバー・なにわナンバーと和泉ナンバーおよびご当地ナンバーである堺ナンバーの計4種類となっております。

お隣の兵庫県(人口約530万人)は神戸ナンバーと姫路ナンバーの2種類のみで、下に話題とする他県のナンバーの種類に比べると少ないような感想を持ちます。

例えば愛知県(人口約740万人)ですが、なんと8種類に区分されております。その内訳は名古屋ナンバー・豊橋ナンバー・三河ナンバー・尾張小牧ナンバーの4地区に加えて、ご当地ナンバーとして岡崎ナンバー・豊田ナンバー・春日井ナンバー・一宮ナンバーの4地区があります。

愛知県に近い人口を持つ埼玉県(人口約730万人)では、愛知県にほぼ近い7種類に区分されております。その内訳は大宮ナンバー・所沢ナンバー・熊谷ナンバー・春日部ナンバーの4地区に加えて、ご当地ナンバーとして川口ナンバー・川越メンバー・越谷ナンバーの3地区があります。

千葉県(人口約620万人)に至っては、なんと10種類に区分されているのです。人口の割に多すぎる気がしないでもありません。

その内訳は千葉ナンバー・習志野ナンバー・袖ヶ浦ナンバー・野田ナンバーの4地区に加えて、ご当地ナンバーとして成田ナンバー・市川ナンバー・船橋ナンバー・市原ナンバー・松戸ナンバー・柏ナンバーの6地区が存在しているのです。

東京都は25年5月交付開始の江戸川ナンバーを加えて11種類、北海道は25年5月交付開始予定の十勝ナンバーを加えて10種類ですが、これらの詳細は尺の関係で次号にいたします。

2024年10月19日 (土)

1300.二海郡、95マルチと96マルチ

今回の道南大遠征では、渡島半島にある檜山振興局(旧・檜山支庁)と渡島総合振興局(旧・渡島支庁)の中だけを廻ってきました。

この檜山振興局と渡島総合振興局は、檜山支庁と渡島支庁の時代には、渡島半島の分水嶺を境界として、きれいに西と東に分けられており、西は日本海、東は太平洋に面して判りやすい区分でありました。

2010.4月に支庁から振興局に改組される4年半前に、檜山支庁に属する爾志郡熊石町と渡島支庁に属する山越郡八雲町が合体して、新たな郡名である二海郡八雲町として発足し、渡島支庁に属することになりました。太平洋と日本海の両方の海に面する町ということで、二海郡と名付けたことでしょうか。

これにより、檜山支庁は八雲町熊石地区を挟んで南北に分離してしまいました。

Photo_20241015191801 新たな郡名を作って名乗るということは、平成の大合併の際には、いくつか見受けられていますが、ご存知でしょうか。

岡山県御津郡加茂川町と上房郡賀陽町が合併して加賀郡吉備中央町になりました。福井県三方郡三方町と遠敷郡上中町が合併して三方上中郡若狭町が誕生しました。石川県鳳至(ふげし)郡能都町・柳田村と珠洲郡内浦町が合併して鳳珠(ほうす)郡能登町となりました。

昔の郡役所が置かれていたころと違い、今の郡の役割は、単なる呼称に過ぎなくなっているため、郡名の変更に対する考えはハードルが低くなっていて、結構自由に命名しているようです。

上記の二海郡と合わせて4つの新たな郡が生まれておりますが、これで落としはないと思いますが、もしあれば教えてください。

次に、95マルチ96マルチについての話題です。

NO.1271の中ほどで少々触れていますが、北海道の旧国のうち石狩国・後志国・胆振国・日高国のうち、それぞれの本体部分である石狩振興局・後志総合振興局・胆振総合振興局・日高振興局に属するものは90マルチとなっており、これらは札幌・小樽・室蘭をはじめとして、何と1,300局近く存在しております。(※1)

それに対して95マルチは、後志国のうち後志総合振興局に属さない地域、すなわち奥尻町・せたな町・今金町・八雲町熊石地区現行15局だけとなっています。96マルチに至っては、胆振国のうち胆振総合振興局に属さない地域、すなわち長万部町と八雲町八雲地区の野田生以北であり、現行9局のみとなっています。(※2)

これを調べて判ったのですが、この90・95・96マルチを区分した担当者は、随分いい加減な配分をしたものだと感じました。せめて後志総合振興局はすべて95マルチとして、胆振総合振興局はすべて96マルチとしておくべきだったと思います。もう少し、思慮深く後世の者も納得するマルチ区分をして欲しかったところでした。

※写真は、95マルチの完訪となった せたな町の久遠(くどお)郵便局。なお、96マルチの方は長万部町の2局が未訪です。

※1 ×1,300局近く ⇒ ○700局近く 大嘘を書いてしまいました。訂正します。90マルチは90001から90999までしか附番出来ないため、理論上でも999局しか存在しませんでした。その後の稲生調べにより附番無しと廃局を差し引いて700局弱しか存在しませんでした!(10/25 15時過ぎ記載)

※2 訂正:八雲町熊石地区は渡島国でした。‘94’マルチのエリアでした。