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実録シリーズ

2026年7月24日 (金)

1472.最近の小ネタ(70歳時がん検診・浜松市プレミアム商品券)

今回は、最近の小ネタです。

私・稲生は今年の誕生日が来ると、とうとう70歳になることになります。そこで、5年刻みで受診できる浜松市のがん検診を受けてみました。

北海道・道東大遠征の前の週である6月最終週・7月最初の週のことです。

胸部レントゲン・心電図・検尿や血液検査などの基本検査のほかに、大腸がん検査(便潜血反応検査)・前立腺がん検査(問診・PSA検査)と受けて、胃がん検査はいわゆる胃カメラによる検査を受けました。

その結果、再検査または不可となるような病変は見つかりませんでした。もうちょっと、世の中に存在しても良いようです。いわゆるお迎えは来ていないようです。

Photo_20260722143301 それから、帯状疱疹ワクチンというのも、接種しておきました。1回接種する生ワクチンによるものと、2回接種を必要とする組み換えワクチンによるものがあるようですが、私のような免疫抑制剤を服用しているものは、後者の方が良いとのことでした。ですので、その週には1回目を接種してあります。2回目は2ヶ月後だそうです。

この組み換えワクチン接種による予防効果は9割程度あるそうで、私の場合、すでに2度帯状疱疹にかかっていますので、なんとか3度目は回避できる見通しです。そう信じております。

これらにかかる費用は、特定健診が500円で、その他は無料で受けられました。帯状疱疹ワクチンなどは2回接種で自己負担額が18,000円×2がかかるようですが、市民税非課税世帯は無料ということで、大変ありがたいことでした。

次に、浜松市プレミアム商品券についてです。

浜松市物価高騰支援商品券事業として、「プレミアム付商品券」及び「生活支援商品券」の二つの事業がありました。(詳しい説明は こちら

Photo_20260722143401 「プレミアム付商品券」の方は、1口3,000円の購入で6,000円分の商品券が当選するとのことで、一人3口まで申し込み可能で、抽選により当選が決まるというもの。我が家では98歳・91歳の両親と69歳・67歳の我々夫婦の計4人分を応募してみて、2口当選が3名、1口当選が1名の計7口が当選しました。

3,000円×7口=21,000円の支払いで42,000円分の商品券をゲットできました。

これの申し込みも引き換えも、私が全て担当してやりましたが、このほど妻に聞いたところ、もうとっくの昔に使い切ったとのことでした。エンゲル係数の大きな我が家では、その消費も早いようです。

「生活支援商品券」については、浜松市による説明(上記括弧内のリンク)の後半に記載がありますが、65歳以上の住民に対して、一人3,000円を配布してくれるとのこと。我が家は4人全員が該当者ですので、3,000円×4人=12,000円分の商品券がゲットできました。

それらの受け取りは、近くの郵便局でできるというもので、前者の方(プレミアム付商品券)は申込時に郵便局を指定できますが、後者(生活支援商品券)の方は市が郵便局を指定して来ており、我々のエリアでは浜名地区の西端にある染地台(いわゆる、きらりタウン)の方など、東南端にある小松郵便局を指定されており、そんな郵便局などどこにあるのか良く判らないなど苦情が殺到したようで、交換を開始してまもなく市内のどこの郵便局で交換しても良いことになりました。

「プレミアム付商品券」などは印刷ミスがあって遅延していたり(プレミアム付商品券がまだ届かない、コラム)、この指定郵便局の混乱など、市が行うイベントでは、毎度のことながら手違い間違いが発生しているようです。これも含んで日本旅行に丸投げしている市役所の責任ですが、今さら怒ってもしょうがないことです。お役所仕事ですから。

2026年4月14日 (火)

1445.最近の小ネタ(経過観察が続く・孫の名言)

今回は、最近の小ネタです。

まずは、4月上旬に実施したCT検査による大動脈瘤の直径ですが、45㍉という判定でした。昨年の値からほとんど変化がないとのことで、経過観察が続くことになりました。

いわゆる執行猶予なのですが、刑事裁判と違うのは、刑法では執行猶予期間が終われば刑の執行が免除されるのに対し、大動脈瘤の場合は、手術を実施することを猶予される、すなわち、もう少し待ってみるというだけのことで、大動脈瘤が良化するわけではないのです。

大動脈瘤の種類は、胸部大動脈瘤で上行大動脈瘤と言うことが判明しました。ステントグラフト内挿術では実施できなくて、人工血管置換術という大掛かりな手術をするのだそうです。

Photo_20260412014401 ですので、私としては体力があるうちにやっておきたい気持ちがあるのですが、さてどうしたものでしょうか?とりあえず来年4月までは、経過観察が続くことになったのは事実です。

次に、もうすぐ4歳になるお隣に住む孫(♀)の名言集です。

97歳と91歳の同居老親のお世話は、正直言って楽しくはありません。歩行訓練を休み休みしながらするのをアシストしたりしていますが、一人で歩いているときに歩行器で段差が越えられず、歩行器ごと転んでしまった際に、頭から落ちてたんこぶを作ったりと事件は絶えません。

そんな中、日々の楽しみは保育園帰りの孫が毎日遊びにきてくれることです。土日祝日も家族で外出しないときには、遊びに来てくれます。

生後6ケ月を過ぎた下の孫も、様々な理由で預かることがあるのですが、まだハイハイを始めたばかりで、お話しはできませんので、こちらは粗相のないように預かることだけであります。

では、5月に4歳になる孫の名言をご紹介したします。

一、「○○○一人暮らししている時は・・・」・・・2歳半までは息子夫婦と孫は、近くのアパートに住んでいたのですが、この時期の出来事を言っているようです。さすがに2歳の子が一人では暮らせません!

一、「そんなことは、こっちのセリフだよ!」・・・これは先月に発せられた言葉です。いったいどこで覚えたのか?じいじばあばは、ビックリしました。

一、「じいじ、勇気出して!」・・・これは孫とばあばがクリアしたパズルを、じいじがやる気がなくて、グズグズしていた時に発せられた言葉です。さすがにじいじは勇気を出してチャレンジしてみました。(笑)

 

2026年2月 4日 (水)

1428.実録・仲間たちが減っていくシビアなお話し

ライター稲生は、沖縄にいます。ですので繋ぎの記事ですが、少々シビアな話題です。心してお読み下さい。

去る1.25に、一つの葬式がありました。最近の当地の葬儀は、一般弔問者は通夜に参列して、告別式は身内・親戚で行なうのが一般的になっており、私も1.24の通夜に参列してきました。

60歳女性、死因は大動脈解離ということでした。私の腎臓移植仲間です。

浜松医大病院で、私と同じ時期に腎臓移植をした患者は、皆元気になって患者仲間として、交流が続いていました。特に、退院して1年から数年は交流が盛んでした。

Photo_20260131104501 平成元(1989)年の前後の時期は、浜松医大病院の泌尿器科は腎臓移植が盛んでした。教授・助教授にその道の権威ある人材がそろい、頻繁に腎臓移植が行われてきました。中には、アメリカから空輸で運ばれた腎臓を移植した方もおられました。

冒頭の彼女は、私より9歳下の可愛い女性でした。私が腎臓移植したのが33歳でしたので、その頃の彼女は24歳だったのです。地元の信用金庫に勤めており、通夜の際も弔問客がたくさん押し寄せていました。

身長も150㎝くらいで小柄な方で体重も多くなく、腎臓の使用具合から言えば、私より具合よく過ごしていたと思っていたのですが、私より早く突然、亡くなってしまいました。

大動脈瘤の破裂は、本当に怖いものです。一発で命が終了してしまうのですから。果たして彼女は、自分の身体に大動脈瘤があったのを知っていたのかどうか?上半身のCT検査をすれば発見できるのですが、それをしていたのかどうか?本人が死去しており、それを知る良しもありませんが、腎臓移植者には、上半身のCT検査を義務付けてほしいものです。今度の泌尿器科受診の際に、私の主治医に提案してみることにします。(ブログNO.1349を参照してください。)

他にも、ここ2.3年で3名の仲間が亡くなられました。

患者仲間で、その後も年賀状のやり取りをしていたのは、8名ほどいましたが、そのうち4名が亡くなってしまったのです。私もいつ死亡するかわかりません。このブログが、ストップしたままでしたら、生死不明となっていると考えておいてください。

皆様も、ご自身のお身体には充分にお気をつけください。

2025年5月 2日 (金)

1349.実録・大動脈瘤はあるかもしれない

大動脈瘤についてのお話しの続きです。

この大動脈瘤は、破裂すればおしまいという恐ろしいものですが、この病変は、普段は全くの無症状で、通常の生活を謳歌することができます。

私は、たまたまCT検査により見つかったもので、その疑いがあるからCT検査をしたのではなく、全身のチェックをかけたところ大動脈瘤があることを見つけたものです。

Photo_20250428123701 あれは確か二本目の股関節手術を実施した時でした。13年前の東日本大震災の起こる直前の時期でした。左足の方でしたが、当初の一本目の右足手術から3年後に実施した二本目の手術は、二本目ということで気が緩んでいて、当時の最短記録である10日間で退院した直後に、湯船に浸かってしまい、手術した傷口から菌が入ってしまい痛みを生じさせ、僅か1週間で再入院をする羽目になったのです。シャワーで済ませば良かったのでしょうが、折しも1月の寒い時期だったため、温まりたいと言う欲求があり、ミスをしてしまいました。

それで、再入院して一日4回の点滴治療を繰り返して、菌を排出したのですが、移植した腎臓を悪くしないように、比較的弱い薬で処置したため、正常値に戻すまでに1ヶ月半という長期の期間がかかってしまいました。

一日4回の点滴治療はベッドに寝て静養して、1回1時間足らずで終わるため、あとは暇な時間が続きました。リハビリの時間があり、そこで1時間ぐらいかかりますが、それ以外は暇を持て余していました。病棟・外来棟を歩きまわったり、昼食時や夕食時は誰よりも早く食堂に出向き、食べ終わるため、食堂のおばちゃんから、あなたはどこが悪いのですか?と言われてしまうほどです。

当時の朝ドラ「てっぱん」(ヒロイン:瀧本美織)などは、一日4回は観ていました。すなわち、朝も昼もBSと地上波で視聴しており、さらには土曜日に1週間分をまとめて放映したものも観ており、それも入れると5回です。ただし、3/11に例の東日本大震災があり、その後は「てっぱん」どころではなくなり、最後まで楽しめませんでした。

そういった暇対策として、全身のメンテナンス検査を主治医に依頼した中の一つとして、上半身のCT検査があり、それにより胸部大動脈瘤を見つけられてしまったのです。

私の実録が長くなってしまいましたが、大動脈瘤というのは、見つけていないだけで普通の人も持っているかもしれない病変なのです。司馬遼太郎も藤田まことも、カラータイマー=大動脈瘤を持っているという自覚が無く、突然大動脈瘤が破裂して死に至ったのかもしれません。

CT検査というのは、何らかの必然的な理由がなければ検査してくれませんが、消化器系や肺の検査とかがあれば、大動脈の方も調べてもらうと良いと思います。経験者からのアドバイスであります。

※写真は、朝ドラ「てっぱん」。『実録シリーズ』に、なんらかの写真・イラストを添付しておきました。

2025年4月28日 (月)

1348.実録・大動脈瘤のその後

4/23に医大血管心臓外科の外来受診をしてきました。大動脈瘤の具合を確認するためです。

NO.1262で告白したとおりですが、この度の受診の1週間前にCT検査にて、現在の瘤の直径を計測したところ45㍉ということで、手術か否かについては、今回も保留ということになりました。

またまた1年後の受診まで執行猶予ということです。

今回外来で診てくれたのは女医さんでした。心臓外科医で女医さんは珍しいと思いました。ドラマの中で女医の外科医と言えば‘私、失敗しないので’の名セリフが有名な大門未知子(演:米倉涼子)を連想させますが、そんな感じの方ではなく、面倒見の良い近所のおばさんのような方でした。

Photo_20250425145301 今回、私の今の状態と手術するとしたらどういうやり方があるのか、理路整然と説明してくれました。

大動脈瘤は破裂したらおしまいなのですが、手術するリスクも大いにあるため、私の年齢・健康状態などを加味して、今すぐに手術する方が良いのか、もう少し先延ばしをして様子見にしても大丈夫なのかを説明してくれました。

患者側は、今は保留とするという医者の見立てを信じるしかありません。まあ、放置して破裂しても医者は責任をとってくれませんが・・・

術式は、基本は開胸手術です。胸部大動脈瘤ですので、‘開腹手術’ではなく‘開胸手術’です。人工心肺装置を使用するほどの大きな手術のようです。

ステンドグラフトを使った足の付け根の血管からカテーテルを通して人工血管を取り付ける方法は、開胸・開腹することがなく患者の負担が小さいのですが、瘤を完全に取り除いていないため、手術後の経過観察が必要で、瘤が再び大きくなれば再手術が必要になるなど、前述の開胸手術による根治手術と異なっているようです。

私の知り合いにステンドグラフト治療をした方がいるので、今度詳しく聞いてみようかと思っています。それから、せっかくブログとして公開したのですから、閲覧者さまからのお声も頂戴してみようかと思います。

参考になる情報がある方は、是非ともお知らせください。ブログのコメント欄の使用ではなく、メールでも結構です。よろしくお願いいたします。

2025年3月13日 (木)

1340.実録・某女子大替え玉受験事件

卒業シーズンになりました。そして、入学の準備の季節でもあります。

私の浜松N高の卒業式は3.1で、3.3からの国立1期校入試の直前だったため、卒業式は上の空でほとんど覚えておりません。翌日には、入試会場へ乗り込んで行かなくてはならないのですから。まあ50年前の話ですけど。

でも、同級生の一部生徒は、驚くべき事件をその卒業式で知ることになりました。津○塾大学女装父親替え玉事件です。

事件の概要は、ネット記事に出ております。  2014.1.19のポストセブン もっと詳しい記事

この前代未聞の大事件は、私の卒業式よりも前に起きていたのですが、幸いにも当時の私の耳には入って来ず、私がこれを知ったのは、事件から20年後のことでした。久しぶりに会った同級生(事件の主では無い方)からこの事件を知ったのです。自分の人生がかかった大事な入試の直前に知らなくてよかったのかもしれません。

Photo_20250428152201 事件の主となる同級生だった彼女は、確か2年次に同じクラスでした。このクラスはいわゆる‘できるクラス’です。ボソッとした感じでしたが、やや大柄だったかな?と言った印象です。

対する犯人となった父親はN高の英語教師でした。幸いにも直接教わってはいませんが、小柄でハゲ頭で、例えて言うならネズミ男のような風貌です。どうみてもオッサンにしか見えません。でも、背格好は娘と同じくらいだったかと思います。

事件は隣の受験生が、この人は男ではないか?と監督官に申し出て発覚したようです。女子大受験ですから、そりゃバレますよね。でも、よく考えてみると、共学の大学であったら隣の受験生も違和感がないまま終わっており、無事に替え玉受験が成就したのではないか。いや、実際に共学の大学もバレずに受験していたのかも知れません。ここでバレなかったのに気を良くして、津○塾の入試に臨んだのかも?

記事にもありますが、娘本人が受験しても、実力で合格を勝ち取ることができたかと推察できます。受験前に娘が弱音を吐いて、それを気の毒に思い、父親が助けて上げようとしたのかも知れません。

たまたま父親が高校教師だったため、その年齢になってもある程度の学力(受験技術)を持っており、娘の苦境を助けようと人肌脱いだ親心が仇になったと言うことでしょうか。

卒業名簿には娘の氏名のみ掲載されており、他の情報は空欄です。その親子は行方知らずです。

記事タイトルを某女子大とし、文中も浜松N高とぼかしてみましたが、‘N高ガチャ’などと散々書き散らしておりますので、我が母校の事件であったことは間違いないです。N高100周年記念誌にも決して乗ることの無い、黒歴史をお披露目してみました。

2024年12月20日 (金)

1317.体重の増減、平均歩数・合計歩数

今回は自身の体重の話題です。

40代・50代の中年期には、58~64㌔程度で中肉中背(身長は約168㎝)を維持しておりましたが、60代に入って右肩上がりに上がり続けてしまいました。

60歳で68㌔・62歳時には70㌔、65歳では何と75㌔まで増大してしまったのです。これは、60歳で定年を迎えたのちに作業量・運動量が減ってしまい、62歳から3年間は無職の生活を謳歌しており、たまに趣味の郵便局まわりに精を出す程度の日々だったことに一因があるようです。

65歳になってからは、アルバイトに励む月も出て来て、オフには散歩(ウォーキングでは無い)も心掛けていて、マックス75㌔だった体重は、じわりじわりではあるものの68~70㌔あたりまで抑えることができて来ました。

2024_20241215195401 しかし、そこからは横ばいの状態で推移していました。筋力トレーニングなどはしないし、ただ食欲を抑えるだけのダイエットですから、まあこんなものでしょう。

そんなところだったのですが、今年は劇的なる体重の減少を経験しております。左の表のとおりですが、9月前半に帯状疱疹を患い、その後夏バテのような状態で9月一杯を過ごしたため、9月の体重がガクンと落ち込んだのです。

9月の底は64㌔だったのですが、10月以降は順調に回復してきて67㌔まで持ってくることとなりました。現在の年齢における私のベスト体重は67㌔としておくことにしておきましょう。

おだやかな体重の減少は良いのですが、激ヤセは良くありません。癌などの病変を疑う必要があります。ですので、この67㌔程度が現在の私には適正な体重であるとしておくことにいたします。

次に平均歩数・合計歩数のお話しです。

以前のブログ・はままつ健幸クラブ(NO.1187)で歩数計アプリの紹介をしましたが、この『はままつ健幸クラブ』に加えて、ドコモの『dヘルスケア』及び楽天の『楽天ヘルスケア』の3つのアプリで毎日の歩数を測っております。

昨年3月からの統計が出ているのですが、最近の歩数が明らかに減っているのがわかりました。

2023.3月~12月 平均歩数 7,286歩 合計歩数(1ヶ月あたり) 216,461歩 体重平均 70.3㌔

2024.1月~11月 平均歩数 6,025歩 合計歩数(1ヶ月あたり) 183,546歩 体重平均 68.0㌔

本年の方が明らかに歩数が減っております。言い訳をするとしたら、6月ごろから8月までは我が家の工場部分にあったごみなどの処理に忙しく外に出ての散歩が出来なかったことと、9月の身体の異変により静養したことが挙げられます。

もう一つの言い訳として、他の方よりも歩数が絶対的に少ないのですが、両足が人工股関節であるので、この人口関節はある意味消耗品であり、‘たくさん歩いてはいけない’のです。これは、とても難しい問題であります。これからも‘ほどほどに’歩いて健康を維持するしかないということであります。

2024年8月21日 (水)

1285.実録・帯状疱疹、‘走馬灯’と‘お花畑’

まだまだ病気の話ですいません。得意の郵便局めぐりが休止中のため、それらに関する話題が特段ないため、もう少しお付き合い願います。

前回、インフルエンザで入院治療した話をしましたが、よく思い出したところ、帯状疱疹でも入院していました。確か腎臓移植をして7年くらいたったころでした。まだ40歳になる前だったと記憶しています。

腎臓移植後は、時間を経るにしたがって警戒を緩めてきました。最初の頃は電車通勤の際にマスクを着用して流行性感冒に気を付けていましたが、1年経過した頃にマスク着用を解除したり、2.3年すると仕事終わりの麻雀も復活して、日付が変わってから帰宅したりと、十分に普通の生活ができていました。

そんな矢先に帯状疱疹にかかってしまったのです。1週間ほどの入院治療で治癒に至ったのですが、その時の心情はとっても残念で落ち込んだものでした。高齢者などに多く罹る帯状疱疹となってしまい、やっぱり俺は病人なんだと。その後は、無理は禁物というワードを手にして、通常の生活を刻むように心掛けたものです。

Photo_20250428154901 ですので、それ以降はインフルエンザも帯状疱疹にも罹患しておりません。でも今は高齢者となり、前述のものに加え新型コロナなど、それらにかかれば回復はかなり遅れるということを肝に銘じて行動をすることにしています。

次に、‘走馬灯’と‘お花畑’についてです。この二つとも私は経験しているのです。

腎臓に関する最初の手術を29歳の頃にした(NO.1282参照)のですが、この時に‘走馬灯’をみたのです。幼き頃から小学校・中学校・高校・大学そして社会人・結婚・家族と、それぞれが動画で出現し、次々とスライドショーとなって進んで行きました。

手術が終わって覚醒したときに、これが‘走馬灯’というものなんだなと、感心したものです。

でも、不思議なものですが、次の大きな手術・腎臓移植手術や50代の2度にわたる人工股関節手術では、‘走馬灯’は出現しませんでした。命に係わる危機だと身体が認識しなかったからなのでしょうか?

最後に‘お花畑’についてです。これは腎臓移植後3年ほど経過した日に経験しました。

妻と小学校低学年の長男・幼稚園の長女の4人で、休日に静岡方面の旅行をしたのですが、私の母校・静岡大学を見せて上げたいと大学に向かい、一番大きなB301教室を見学した頃から、私は下痢気味となり、トイレで用を足したのちに、芝生に突っ伏して気を失ったようです。

この時の私の脳内は綺麗な‘お花畑’が展開していて、ずっとこうしていたいと思ったのですが、遠くから妻が「パパ起きて!パパしっかりして!」との声が聞こえて来て、我に返ったのです。

私の身体に危機が迫っていたのかもしれませんが、私の脳内では、とっても気持ちの良い時間であったのです。妻が近くにいたから、この世に引き戻してくれたのかもしれません。

その後は、皆さんご存知のように、単独行動を主として日本全国を回っておりますが、気を失ったことはなく過ごしております。

 

2024年8月17日 (土)

1284.実録・腎臓移植・part2

私が腎臓移植を受けてから、この11月で35年が経過することになります。

33歳までが自前のポンコツ腎臓でしたが、その後は実母の腎臓を使ってそれ以上の年月を過ごして来たことになります。満33年が経過した一昨年の11.15には、感慨深いものが人知れずこみあげてきたものです。

大正14年生まれの腎臓で、平成・令和の世を生き抜いてきたのです。まずは今年99歳となった実母に、丈夫な腎臓をいただいたことに感謝いたします。そして、未だに週5回でカーブスに通って健康に暮らしている実母には、もっと長生きをして欲しいものと切望しています。

ところで私の血液型はA型です。そしてドナーの実母はO型です。これは、確信を持って言えることですが、腎臓を貰ってからは私の性格が変わりました。元来のくよくよとした神経質な性格は無くなり、ある意味大雑把な性格になっているのです。これは腎臓移植によるものであることに間違いありません。

2_20250428154301 ちょっと戻って、免疫抑制剤の服用について、お話ししてみます。

腎臓移植手術によって、私の体内に収まった母親の腎臓なのですが、人体には自分のものではない物を‘異物’として排除すべく攻撃する免疫作用があります。たとえ肉親の腎臓であっても自分のものではないので‘異物’です。一卵性の双子からの移植以外は、残念ながら‘異物’として免疫攻撃が実行されてしまうのです。

そのため免疫抑制剤を服用するのです。移植直後では、色んな種類の免疫抑制剤を服用して、貰った大切な腎臓を守ります。その後は、次第に少なくなっていくのですが、これは貰った腎臓が自分の身体の中で生着したということかと思います。植物の接ぎ木と同様なのかと考えています。

ですから移植直後は免疫抑制剤の副作用が色々と出てきました。まずはムーンフェイスです。顔が満月のように丸くなるのです。そして私の場合は、もち肌だった皮膚に吹き出物がたくさん出てきました。今はその吹き出物の痕跡で顔中ブツブツのブサメンとなっています。でも、これは、クオリティオブライフの代償であるので、まあ仕方のないことです。幸いにも既婚者ですので、顔はついていれば良しとしましょう。

あとは、免疫抑制剤を服用しているため、インフルエンザとか新型コロナなどに罹患すると、回復が遅くなります。ですから、他所様以上にかからないように気を使います。幸いにも新型コロナには未だ罹患したことがありませんが、インフルエンザには1度かかったことがあります。

娘が中学生の時ですから25年ぐらい前のことです。娘からの貰い物でした。娘は一日休んだだけで回復しましたが、私は1週間入院しました。点滴による治療で時間をかけて治していったのです。

このように、打たれ弱いということを実感しておりますが、その後25年は股関節治療以外は入院しておりませんので、普段は健常者並みに丈夫であると自らを誤解して過ごしております。

 

2024年8月13日 (火)

1283.実録・腎臓移植・part1

前の記事の続きです。

慢性腎炎から慢性腎不全に至った私が生き残っていくためには、透析治療しかありません。基本的に透析治療に入れば、週3回、一回に4時間かけて汚れた血液を濾過して、それを身体に戻すという透析治療を繰り返して生きながらえることになります。

腎臓病の状態を測る指標として、血中のクレアチニンの値があります。正常値は男性が0.6~1.2、女性が0.4~1.0(mg/dl)ですが、腎臓が悪いとその値がどんどん大きくなっていきます。このクレアチニン値とは、分かり易く言えば血液中のゴミの量を測っているものです。

この血中クレアチニン値が8となれば、尿毒症であり、放置すれば死を待つのみですが、その前の7ぐらいになっていくと生きながらえるための透析治療を行ないます。7ぐらいの値で透析治療を済ますと5ぐらいになるようです。

透析治療というのは、24時間365日やっていれば正常値の1.2に限りなく近づくのでしょうが、これでは常に管に繋がれているばかりですので、週3回一回4時間の透析治療をして、それ以外の時間はシャバに出て活動することができるというもので、患者本人のクオリティオブライフを高めるのですが、その実態は苦しいながらも何とか細々と生活ができるというものです。

1_20250428153701 この透析治療の上を行くのが腎臓移植です。私の場合は、これを強く望みました。そうは言っても、腎臓の提供者(ドナー)が必要なので、そう簡単に腎臓移植が出来るものではありません。

私のドナーは実母です。33歳直前で移植手術をしたのですが、その時の実母の年齢は64歳でした。私は今67歳なのですが、今の年齢になって考えると、実母はよく提供してくれたものだと頭が下がる思いです。

当時の私は妻と二人の幼子がいました。我が子を無事に成人させるためには、この起死回生とも言われる腎臓移植をするしかないと、病身ながら腎臓移植について勉強をしていました。本を読んで勉強するのは勿論、腎臓移植者の集いにも参加して、その方々の意見を聞いてみたりしました。

その結果、透析治療を始めて4ヶ月後に腎臓移植手術をしたのです。1989(平成元年)11.15でした。二週間後が満33歳の誕生日でした。

これにより私のクレアチニン値は1.4に改善しました。34年経った今でも1.4から1.6ぐらいです。正常値の男性上限1.2よりも若干劣るだけの値です。

腎臓移植をすれば手放しで健常者となるわけではありません。貰った腎臓をダメにしないために、免疫抑制剤などをサボらずに飲み続ける必要があるし、その免疫抑制剤などの副作用にも対処しなくてはならないなど、未だに腎臓病患者であることは間違いないのですが、郵便局めぐりのために何泊もして趣味に励むなど、クオリティオブライフは格段に上がっていることも間違いのないことであります。

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