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静大ネタ

2026年9月18日 (金)

1487.居城ゼミ同窓会at阿智村

去る9/13(日)14(月)の1泊2日にて、居城ゼミ同窓会が行われ、これに参加してきました。

我々の居城ゼミ同窓会は、正式には2年に一度(その間に、非公式な集まり有り)としているのですが、昨年12月に出席した面々から、この時期に長野で集まろうという、その場の雰囲気からの提案があり、それをまともに捉えた幹事が決めてしまったものです。

Photo_20260921085001 居城会同期の12名の中に、長野県出身・在住の者がおり、その方の地元である南信州の阿智村での開催となった次第です。(よく話を聞いてみると、かって白骨温泉で開催予定だったのが、コロナ渦により中止となっており、その代替だったようです。)

集合場所はJR中津川駅です。私はアルコールを飲まないため、例のオンボロHVフィットを運転して参加するつもりでしたが、私の23万㌔も走ったHVフィットと今回の幹事である阿智村の彼が車を出すことになり、普段は一人乗り仕様に使っているマイカーを洗車・車内清掃やらオイル交換などをして臨みました。(阿智村の彼の愛車はレクサスでした。格差が出ました。)

秋雨前線が日本列島を覆っており、雨模様の二日間となったのですが、一日目の夕方には雨が上がり、19時から開催のヘブンズ園原での「星空ツアー」では、奇跡的に雲が無くなり満天の星空を眺めることができました。(北極星もペガサスも、天の川も・・)さらに、翌日も13時半に解散するまでの時間は、晴れの天候となっており、誰が天気運を持っているかの主張を年甲斐もなくしたりして賑やかでした。

初日は馬籠宿で、傘を差しての散策でした。藤村記念館へ入場するも、島崎藤村の作品を読んだことがある者は私も含めていなくて、「夜明け前」「破戒」「椰子の実」など、おぼろげのタイトルを知るのみの輩ばかりで、入館したことを感動するものなどはおりませんでした。

Photo_20260921085101 馬籠宿は信州の宿場であるものの、平成の大合併時に中津川市に編入合併しており、戦中に没した島崎藤村は長野県人ながら、今では岐阜県出身の偉人であると、不肖地理オタクの私・稲生がLINEにて、事前レクチャーしておきましたが、世界経済論ゼミの仲間は、その話にはあまり興味がないようでした。

予定していた妻籠宿の見学はパスとなり、早めに昼神温泉の宿泊地にチェックインして、入浴後の早めの夕食宴会後、ヘブンズ園原に向かいました。ここへの往復では幹事の奥様と私の車で往復しました。この阿智村の同期の方とは、家族ぐるみの付き合いがあり、奥様とは45年ぶりの再会でした。

翌日は、昼神温泉での朝市見学後、村内の釣り堀で釣りの真似事をして楽しみ、釣れたイワナ・ヤマメと御幣餅を食し、天竜峡の「そらさんぽ天龍峡」にて、ちょうどいい塩梅にやってきた飯田線の特急伊那路の天竜川を通過する瞬間を捉えて、ご満悦となりJR中津川駅に送って解散となりました。

次回の同窓会まで、元気に過ごすことをそれぞれ胸に誓って、お別れしたのでした。なお、今回の参加者は7名でした。

実は、私には次なるミッションがあり、今年4.1に下条局から下條局に改称した下條村の下條郵便局を訪問して‘11’マルチをゲットしてから自宅に戻りました。これがあるためにマイカーで参加したようなものです。

※写真は、上が馬籠郵便局前にて。下がそらさんぽ天龍峡にて。(貧乏人ほど、良く太る!)(両写真をAI加工をしたものに差し替え:9/21)

2026年6月11日 (木)

1460.横浜国大のこと。学生歌は『みはるかす』

ライター稲生は、鹿児島県の三島村へ遠征中です。そのため、今回は繋ぎの記事となります。

横浜国立大学ってご存知でしょうか?ご存知も何も、言うまでもなく偏差値の高い有名大学です。

日本で唯一、校名に‘国立’がつく大学です。‘国立’と書いて‘くにたち’と読む大学は、これは除外しておいてください。Wikiなどによると、戦後の新制大学となった際に、横浜市立大学と私立横浜専門学校(後の神奈川大学)の三者で‘横浜’を巡る校名争いがあり、横浜国立大学となったそうです。

Photo_20260606194601 私・稲生はご存知のとおり、地元の静岡大学卒の者ですが、横浜国立大学との共通点は‘二期校’であるという点です。受験生は一期校に落ちて、二期校に雪崩れ込むというケースが多いのですが、東大・一橋大・名大・京大・阪大などの一期校受験に敗れてしまったそれらの方々は、元々頭は良い人間です。たまたま一期校受験に失敗して滑り止めの二期校に入学しただけのことです。

Wikiなどでは‘二期校コンプレックス’などと言われ、過激派が多いなどと書かれております。そのため共通テストが始まったなどとされております。ちなみに、私は一期校の岡山大学、二期校の静岡大学の両方ともに合格した優秀な(?)若者で、‘二期校コンプレックス’など、微塵も持っていません。

話はグリークラブの方に行くのですが、我が静岡大学グリークラブは横浜国立大学グリークラブとのジョイントコンサートを静岡市で実施したことがあります。(ブログNO.1341)

その際に冒頭で、校歌のエール交換というのがありますが、我が静大には校歌がなく学生歌のエール交換をやった覚えがあります。その際、学生歌『みはるかす』には感動した覚えもあります。

その後、YouTubeにて横浜国大の学生歌『みはるかす』を聴くのですが、やはり良い歌です。グリークラブ版では、一番が斉唱、二番が合唱となっており、それもまた良いと思いました。

それでは、こちら の歌声をお聞きください。歌詞は こちら です。

ワルツ風にアレンジしたものは こちら です。

2026年4月22日 (水)

1447.静鉄連節バスで静大へ

ただ今、久しぶりの郵便局めぐりを熊本県にて実施中です。無事に帰還できましたら、ご報告をさせていただきます。

その前にタイトルのとおりですが、4/17(金)に静岡鉄道の連節バスにて、母校・静岡大学まで乗車してきました。 

この4月より、静鉄が県内初の連節バスを導入し、静岡駅~静岡大学、東静岡駅~静岡英和学院大学の両系統にて、平日6往復の運行を開始しました。(こちら〔リンク切れ〕とこちらの記事参照)

当初は、バスマニアの知人をお誘いして、両系統のバスを1往復ずつ実車していく欲張りプランも計画したのですが、その方の都合がつかず、高校・大学同期の浜松在住の友人との二人旅とし、静岡駅⇒静岡大学の片道のみで、復路は通常の大谷街道を走る路線バスで帰るプランにしました。

Photo_20260420112501 浜松駅で集合し、在来線で静岡駅まで進みました。同期の友人とは久しぶりの再会とあって、車中では色々と話が弾みました。

静岡駅前を10:58発の連節バスに乗り込みます。定員112人のところを乗車したのは、たったの12人でした。おいおい大丈夫かと思いましたが、静鉄バスの運用は、静大便と英和便の2台で運用しており、朝晩のラッシュ時に大きな定員の成果を発揮するのですが、それ以外の時間は、他に運用するすべがなく、通常の大型バスでも良い所をそのまま連節バスで運用しているようです。

それでも、Jリーグ・エスパルス主催試合では、大きな輸送の需要があるようで、その際には、そちらに連節バスを配備したりして、静大便・英和便は通常の大型バスでまかなうことが予想されます。

さて、当日は春の良い天気で、湿度も低くお散歩日和でありました。私は昨年12/8以来の静大キャンパスですが、同行の友人は久しぶりとかで、キャンパス内のそぞろ歩きをし、今回は第一食堂で昼食を摂りました。折しも、新入学や進級直後であり、まだまだ真面目に授業を聴く時期であり、生協食堂は大繁盛でありました。

その後、友人の下宿のあった大学直下の片山の集落を散策し、大谷街道沿いのバス停より新静岡まで乗車しました。

私には、次なる目的があったのです。ゆうちょラリーの申請書を投函することと、そのついでに千円貯金をして、今年度の23マルチをゲットすることです。

実は友人は元静岡県庁職員だったので、東館から入り本館の県庁内郵便局へ。さらには別館の富士山展望回廊へと、中の人らしくスイスイと先導していただきました。この日の富士山はいわゆる春がすみがかかっており、眺望は今ひとつでした。

復路も在来線で浜松駅に進み、16時頃には解散しましたので、そんなに負担のない小旅行でありました。

2025年12月15日 (月)

1413.居城ゼミ同窓会at静岡

去る12/7・8の1泊2日の行程にて、母校・静岡大学居城ゼミ同窓会が静岡の地において開催され、これに参加してきました。

正式な集いとしては、2018(H30)年11月に次いで7年ぶり(ブログNO.691参照)なのですが、2年前にその中の有志が静岡に集まって、居城先生を囲んだ昼食会に臨んでおり(NO.1213にその予定について記載あり)、その日から数えると2年ぶりであります。

Photo_20251211001801 1979(昭和54)年3月卒業の同期は12名おり、今回はその中の7名と指導教官の居城先生の計8名の再開となりました。7日が、偶然にも居城先生の誕生日だったそうで、御年83歳になられました。今回は最初の昼食会のみの参加でしたが、相変わらずお元気な様子でした。

そして、先生の口癖なのか、今回が最後の参加だとおっしゃっていましたが、いやいや我々79年組ゼミ生は、静岡で開催する限りは、いつもお呼びする所存であります。なんなら自宅に押し掛けてしまうかも(笑)。いつまでもお元気でいられますように!

今回のメンバーは、ほとんどが7年ぶりもしくは9年ぶりの再会でしたが、一人だけ卒業以来48年ぶりにお会いする同級生もいました。今はSNSの時代ですので、私の顔の変貌ぶりも予め知られており、私の方は「道ですれ違っても、相手にバレない自信がある」と思っていたのですが、すぐにバレてしまいました(笑)。

さて今回のサブタイトルとして、居城ゼミ50周年とうたっておりますが、ゼミに入ったのは3年次からで、静大に入学してから50年であり、居城ゼミ50周年には2年ほど足りないのが事実です。そして‘皆ほぼ70歳’としていますが、これは1浪をして入った人の年齢で、何人かいるようです。私・稲生は10日前に69歳になったばかりです。

Photo_202512110041017日の昼過ぎに静岡駅に集合し、駅ビル・パルシェ内の店で昼食会を3時過ぎまで開催し、居城先生をお見送りしたのち、県庁別館21階の富士山展望ロビーで、この日の富士山を眺めたのち、宿泊・宴会の地・用宗に移動して旧交を温めたのでした。

翌日は、用宗海岸を散策後静岡駅に移り、静鉄バスにて大学に乗り込みました。前回以来の7年ぶりの母校訪問です。

ほとんどの者が7年ぶりの母校訪問ですので、そんなに迷うことなく廻ることができましたが、我々が学んだ人文学部棟は、教養部に引き渡され、現在の人文学部(現名称:人文社会科学部)は、かって山の上にあると言われていた教育学部のさらに上に作られており、そこまで向かうのが一番の苦痛でした。そして念願だった(?)学食を第二食堂で摂ったのも、良い思い出造りとなりました。

大学東側にあるイナズマ階段を下りて下宿村散策後、静鉄バスに乗り静岡駅で降車後、解散となったのですが、もう少し宴を張るメンバーもいたようですが、私は、孫の保育園のお迎えが大事ですので、そのまま在来線で帰宅しました。

※写真は、上が居城先生を囲んだ昼食会。下が静大キャンパスでの集合写真。

※この中には、某県の副知事を4年務めた人、某県の教育センター所長まで勤め上げた人、某都市銀行の取締役を務めた人などもおり、私以外はみんな大活躍をされた面々です。

2025年3月20日 (木)

1342.静岡大学学生歌『われら若人』

続いては、石井歓先生の作曲による静岡大学の学生歌『われら若人』のお話しです。

大学の公式HPによると、この学生歌『われら若人』は1962(昭和37)年に誕生したとあります。

HP下段の誕生秘話によると、旧制静岡高等学校・静岡第一師範学校・静岡第二師範学校・静岡青年師範学校・浜松工業専門学校を包括・統合して新制静岡大学が誕生していて、全学の学生が入学式などの学校行事で共通して歌える歌がなかったところ、1962年に学生歌作成委員会の手により、公募にて『われら若人』が入選し、これに新進気鋭の作曲家・石井歓先生に委嘱して作られたようであります。

Photo_20250309190901 実は、この学生歌は入学式で流しているようですが、それ以外の時に学生歌を聴いたりする機会は無く、一般の学生には幻の歌となっております。

但し、現在も活動している静岡大学混声合唱団が唯一歌い繋いでいてくれるているのですが、我々静岡大学グリークラブも在籍時には、レパートリーの一つとして歌ったものでした。

東京六大学のような、学生スポーツを応援する機会もないため、お披露目をする機会もなく、ほとんど幻の曲となっています。

そうは言っても、校歌もなければ応援歌もなく、この学生歌を歌い繋いでいくしかない訳で、授業の合間たとえば昼休みに流すとかして、認知度を高める必要もありそうです。

歌詞の内容は、富士山・黒潮・お茶とみかん・浜名湖・三保と県下の小学校・中学校・高等学校などの校歌に使われがちなワードと、未来・文化・真理と若人(わこうど)などで構成されており、昭和中期の香りのする歌詞となっております。

曲の方は、「我ら我ら我ら」を各番ラストに繰り返しており、「ワセダワセダワセダ・・・」と「ワセダ」を7回繰り返す有名大学に似ているところがあります。「ワレラワレラ」「ワレラはシズオカダイガク」と歌っているグリーメンも似ているなあと思いながら歌っていました。

静岡大学学生歌『われら若人』 歌⇒ こちら、制定の歴史⇒ こちら

2023年3月14日 (火)

1144.続・静岡大学と浜松医科大学の再編問題

今回のお題は、ともに国立大学である静岡大学と浜松医科大学の再編問題であります。

NO.933にて、その経緯などを紹介しておりますが、延期されていたこの問題が、ここにきて動きがありましたので、言及しておきたいと思います。

‘やらまいか’の鈴木康友・浜松市長が2/27の会見で放ったのが「学長失格」というきつい一言でありました。2019年の両大学の合意に基づけば、2022年度には新制度の学生を受け入れているはずなのに、何をやっているのか?という辛辣な意見であります。

この方、あと少しで市長の座を降りることが決まっていますので、「学長失格」などという厳しい一言を気楽に発したものと思いますが、この後、これも4月の市長選に立候補せず市長の座を降りる田辺信宏・静岡市長が、反論というか浜松市長にけん制の一言を述べております。

「当事者(=静岡大学)の意に反し、残念」「大学のことは両大学で決めるべき」と。さすがに‘やめまいか’の静岡市長であります。

Photo_20231231090001 3/3には、「国立大学統合再編の促進期成同盟会」を浜松市長が音頭を取り、地元経済界及び県東部・御殿場や熱海の自治体も参加する形で発足させたのを、当事者の日詰一幸・静岡大学学長が「大学が主体的に決めていく」と反発しています。ところが、この期成同盟会には静大浜松キャンパスを管轄する副学長が参加しており、大学内での対立も浮き彫りになっております。

私・稲生の意見は、NO.933にも記してあるのですが、少子化・経営悪化の流れに逆らうことなく、粛々と統合を進めていただきたいという意見です。

ここで、40数年前の私の静大時代の話をしてみます。

当時は、工学部だけが浜松キャンパスで、人文学部・教育学部・理学部・農学部が日本平の西麓にある静岡キャンパスでした。そして、2年次までの教養課程は工学部を含む全学部が静岡でしたので、工学部生だけは、1・2年が静岡、3・4年が浜松と引っ越しをする必要がありました。

工学部生で引っ越しをしないものは、留年ですので目立つことになります。さらに気の毒なのは、留年することは無くとも一部教科の単位を落としたものです。その単位取得のために早朝から浜松の下宿先から出向くことになります。その日の講義の取り方しだいでは、トンボ帰りであったことでしょう。

浜松・静岡間の東海道本線の所要時分は、当時1時間10分ほどでした。これに浜松・静岡両駅までの移動時間を加えれば、片道2時間半近くかかってしまったことでしょう。

新幹線では30分足らずですが、学生が新幹線を使うことはためらわれます。私のクラブの先輩・同僚は、静岡の友人の下宿に前泊してしのいだ時もあったようでした。

このような恥ずかしい目に合うことがないように、教養課程も浜松キャンパスに設置されたようです。情報学部が浜松キャンパスに設置された1995年からではないかと思います。これこそが、別大学設置の契機でもあるように感じます。

この例でわかるのは、静岡キャンパスと浜松キャンパスは、現在では入学時からすでに別々の地で勉学に励んでいるということです。これなら、別大学にしても良いのではないでしょうか?

※写真は、静岡大学静岡キャンパス。(12.31写真追加)

2021年3月10日 (水)

933.静岡大学と浜松医科大学の再編(統合)延期問題

今回は、私・稲生の地元かつ出身大学である静岡大学と浜松医科大学の再編(統合)延期問題について、つぶやいてみます。

現行の静岡大学は静岡キャンパスに人文社会科学部・教育学部・理学部・農学部、浜松キャンパスに情報学部・工学部があり、全学横断型教育プログラムとして、学部の枠組みを越えた教育を受けることができる地域創造学環も設置されています。(学部記載順は静岡大学HPに拠っています。※「地域創造学環」は23年度より「グローバル共創科学部」に改組)

最後の地域創造学環はH28(2016)年度からスタートしているようで、なかなか能動的かつ画期的な取り組みのようですね。

1法人2大学への統合の合意書が交わされたのが2019.4月で、静岡キャンパスの4学部を静岡大学、浜松キャンパスの2学部と浜松医科大学を浜松医科工科大学もしくは浜松国立大学(ともに仮称)として、2022年度からの入学受け入れを目指すこととしました。

Photo_20260414202601 お隣の愛知県・岐阜県では名古屋大学と岐阜大学の再編・統合が進められております。大学の運営資金不足と少子化による学生数減少の両方を解決する策であり、時代の流れであると思います。さらに、医学部のなかった静岡大学にとっては、願ったり叶ったりの構想にも思います。

浜松側にしてみれば、従来から進めていた産学共同から産学医共同に幅を広げる話であり、現行の産業の育成・活性化のみならず、新しい産業の創造も考えられ、魅力ある研究体制が構築されうる話であります。

この構想を今年2月に、延期することに決定してしまったのです。主に静岡市と静岡キャンパス側による議論先延ばし戦術によるものです。そのこころは、研究者(大学職員)のポストが減るという、どうやら研究者サイドの死活問題をどうしていくかを詰めていないことにあるようです。

昔から、‘やらまいかの浜松’と‘やめまいかの静岡’という名言(?)があります。‘やらまいか’というのは、‘やりましょう’‘やってみましょう’という意味で、‘やめまいか’は‘やめましょう’‘やめときましょう’という意味です。

浜松人の考えは、まずはやってみるということで楽器産業(ヤマハ・カワイなど)やオートバイ産業(ホンダ・スズキ・ヤマ発)の勃興・興隆に繋がってきましたが、静岡人の考えは、既得権益の保護を図るということで、大店法規制などをしてきました。旧静岡市にイオンがないのも、コンビニの設置が遅かったのも、その影響でした。

4月から新学長となる日詰氏は、人文社会科学部長からの就任となり、統合再編に慎重な立場のようです。もう一波乱あるのかもしれませんが、文科省も進める大学再編の流れに逆らう強い理由が見出せない限り、両大学の再編・統合は避けられないものと考えます。

 

2018年11月22日 (木)

691.居城ゼミ同窓会

11/17・18は大学のゼミの同窓会でした。大学を卒業してから40年ぶりで、前回の姫路での還暦同窓会からは、ちょうど2年ぶりです。

土日開催ですので、3ケ月前に同窓会日程を決めた時から、休みを申し出しておき、今回に備えました。

今回は、地元静岡での開催です。参加者はゼミ生12名中8名と指導教官・居城先生の総勢9名でした。

呉服町の飲食店で出会いの宴。その後路線バスで日本平に移動し、つい2週間前の11/3にオープンしたばかりの展望施設「日本平夢テラス」で日本一の富士山を眺めました。

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その後タクシーで宿泊先の三保園ホテルへ移り、本番の宴、部屋飲みの宴となりました。

前回の姫路で38年ぶりのご対面をした同窓生が何人かいましたが、居城先生と同窓生2人とは学生の時以来で40年ぶりのご対面です。居城先生は、ちょうど2年前にご病気を発症されたそうですが、リハビリにより随分と回復されているとのこと、思いのほかお元気なご様子でした。

翌朝は三保海岸の富士山を眺めたあとに、タクシーにて母校の静岡大学へ。道中の久能海岸・大谷海岸、大谷の街並みなど、随分と変わっていて、時間の経過を感じました。

大学では、ちょうど大学祭を開催していて、模擬店などを見学したり、我らが学びの校舎や運動場などを、居城先生の先導により、案内していただきました。

地元の駿河区大谷に在住の居城先生とお別れした後は、下宿村散策です。茶畑ばかりだった周辺の景色は激変していて、昔の下宿は跡形もなく、まさに皆が浦島太郎の状態でした。

最後に路線バスで静岡駅まで戻り、時間のある者が残って別れの宴をして解散となりました。次回の開催は3年後と決まりました。その時まで、元気でやっていきたいものと強く決意した次第です。

※写真は、静岡大学構内。綺麗な いちょう並木でしたが、40年前には気が付きませんでした。

2016年11月23日 (水)

492.還暦同窓会at姫路

11/19・20の日程で、大学のゼミの同窓会が姫路で行われ参加してきました。27歳の時に熱海で開催した際に出席して以来で、実に30数年ぶりの参加でした。

2年半前に、三重で行われた同窓会は、ドタキャンをしてしまい申し訳ない上に、自身も悔しい思いをしておりました。(記事NO.225・NO226)

そのため、今回は半年前より休みの申し出をし、当日に備えておりました。

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今年は、同期が皆60歳の節目を迎える還暦同窓会でしたが、ゼミ生12名のうち、7名の参加に留まった上、一番お会いしたかった指導教官・居城先生が体調不良により欠席となってしまい、少々寂しい集まりとなってしまいました。

当日は、姫路市在住の幹事のコーディネイトにより、西の比叡山と呼ばれる円教寺を、二日目は世界文化遺産・国宝の姫路城の見学もありましたが、何といっても、宿泊先での学生時代を振り返るフリートークが、一番盛り上がりました。

世界経済論ゼミなのですが、昨今の世界経済情勢を論ずることは全くなく、話すことは学生時代に馬鹿をやったこと、下宿先のこと、女の子のことなどなど、各人の青春の思い出話に終始しました。

同期の皆さん、楽しいひと時をありがとうございました。また、次の機会も、馳せ参じようかと心に決めております。

※写真は、円教寺での一コマ。紅葉が見頃でした。撮影者が私・稲生です。(ちょっと、ピンボケですね)

2014年1月23日 (木)

226.世界経済論ゼミ-part2

前日の続きです。

このゼミの同窓会は、まず若い時に1度あり、卒業して5年後くらいに熱海でやりました。当時、27歳くらいだったでしょうか。これには、出席して交流を深めた記憶があります。

そして時が流れ、居城教官の定年退官を記念して、久しぶりに静岡で行われました。確か6年ほど前だったと思います。次に、居城先生の郷里でもある新潟にて開かれました。これは3年くらい前だったでしょうか?

実は、この2回はいずれも欠席でした。理由は、土日の開催で業務に差し障りがあるということでしたが、あまり乗り気がしなかったというのも事実ではあります。

そして、今回は伊勢神宮の遷宮の完了を記念して三重県の伊勢で開催されることになりました。前二回に出席できなかったために、今回こそは出席するつもりで、年賀状にも‘久しぶりにお会いできるのが楽しみです・・・’などと添え書きしておきました。

ところが、今回もまた出席がかなうことができなくなってしまいました。理由は、休みの取り過ぎです。

町内会長の任務遂行のため、会社にご協力をいただき必要最小限の休み(有給休暇)を取得させていただいたのですが、昨年末までにすでに11日、任期満了となる3月末までに、あと5~6日は取得させていただく必要があります。

今回の町内会長職の遂行にあたって、会社は理解があり、本来、土日祝日は要員が多く必要なため、冠婚葬祭以外は休めないところを、許容していただいていますので、今回の同窓会のための取得は、さすがに休み過ぎと言われてしまった訳です。

そう言われれば、その通りであります。自分は有給休暇のため、賃金は所定を払われている上に、自分の代わりにアルバイトに働いてもらうのですから、会社としては、余分な人件費が発生するわけで、同窓会というさらなる休暇希望の方は、ご遠慮願うとされても致し方ないことです。

そのような事情で、2月に開催される同窓会出席を叶えることが出来なくなりました。次回開かれるであろう同窓会には、今回のような特殊事情もなくなることでしょうから出席してみたいと思っています。

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